始めに

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「周辺者」があきらめの心境になる理由

 何度も試行錯誤を繰り返し、「当事者」も頑張ってはいるのだけれど、結果が思わしくない。そのうち、やらなくなる。でも、また、トラブルが出て、少しはやりだして、でも、ゆっくりとしかやれない。そういうのを繰り返すと、そのうち「周辺者」にあきらめが出てきます。
「じゃあ、いったい、どれならできる?」ハードルが、どんどん下がってくるのを繰り返して、「当事者」がいろいろとできないことがたくさんある。しかも、それは努力とは関係ない。ということを、「周辺者」の心がゆっくりと受け止めていく。そういう時間も必要なのかもしれないと思いました。

 「当事者」も、自分ができないことが多くて、でも、「「周辺者」だって、できないことがあるのに、なぜ、自分の欠点ばかり言われるんだ? 」という心境になりがちです。「周辺者」は、大人になるにつれて、そのときの問題を片付ける場合、自分の欠点が指摘されても、指摘した人の欠点を見つめることはしません。トラブルにしてしまったのは、自分の欠点が問題であり、指摘した人の欠点を見ても、解決しないと知っています。面白くないからと言って、指摘した人を攻撃しても、トラブルは減らないからです。ところが、ASD、ADHDの症状から、「当事者」は、気持ちの整理ができません。「怒られるのは嫌だ。なぜ、怒られるのか、自分はこれが正しいと思っているのに」と思い込んでいる場合は、そこの認知のゆがみをゆっくりと時間をかけて、知ってもらう必要があります。理解することは難しいようですか、「そういうものなのか」という概念を知ることはできるそうです。「理解ではなく、把握ができる」ようです。自分が納得していないものを受け入れる作業は、かなり苦痛になります。「当事者」は、それを繰り返して覚えていかないといけないため、とても大変になります。「周辺者」も同じですが、もしも、心に余裕があるのならば、ほめたり、励ましたりした方がスムーズにいくようです。余裕がない場合も多いので、その場合は、「周辺者」も無理をしないほうがいいようです。
 色々なトラブルを繰り返して、「当事者」ができないことがたくさんあると「周辺者」の「当事者」に対する期待値のハードルが下がります。あきらめというより、ありのままの「当事者」の状態を受け止めるという状態になっていく作業になるのかもしれません。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医