始めに

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ある程度分かったら、どうしましょう?

 最初は、どうしましょうという段階を経て、そして、症状の勉強をして、気持ちを落ち着けて、少しは、余裕が出てきたり、でも、不安な気持ちは、たくさんあったり、意思の疎通が図れないままで、イライラしたり、悲しくなったり、周りとの違いをますます気になったり、人によって、反応が違うようです。

 それで、ある程度分かったという時点で、どうするかの選択肢ですが、

・お医者さんに相談したい。
  →「専門家に診てもらってから考えるコース」「専門家に相談する場合」へ

・お医者さんに、発達障害の「当事者」が行ってくれないので、困っている。自分だけでも、相談に行ったほうがいいのかも。
 →「発達障害者、配偶者、行政、お医者さんの範囲」へ

・お医者さんに行っても、診断を受けても、デメリットのほうが多いようなので、診断を受けずに、さらに様子を見て、しばらく自力でやってみたい。
 →「自力でがんばるコース」「お医者さんに通わない人コース」へ

・イライラして、カサンドラ症候群の症状が出てしまっている、何も考えたくない。
 →「カサンドラ症候群になったら」へ

・これから先のことを考えると不安になる。どうしたらいいのか、途方に暮れている。
 →「すがりの状態は危ない」「環境づくり」「家庭教師が必要」「努力目標を定めましょう」「悟りのプロセス」へ

・既に、家族、グループがぎくしゃくしすぎて、手遅れ状態になっている。
 →「家族間だとトラブルが多発」へ

・お医者さんに行ったけれど、親身になって相談に乗ってくれなかった。
 →「専門家も詳しくない」「お医者さんの実情」へ

・お医者さんに行ったけれど、「当事者」の取り組み方が不十分で、効果が薄い。
 →「どこまで取り組むか?」へ

・お医者さんに「当事者」が相談したら、説明もできない状態で、すぐに忘れて、診察にならない。
 →「記入漏れ、聞き飛ばし、飛ばし読み」「質問の答えが違う理由」「メモすら取れない」へ

・お医者さんに自分だけが行っているけれど、発達障害のことに詳しいという先生ではなく、カサンドラ症候群も知らないようで、「適応障害」と診断されたため、どうしていいかわからなくなった。
 →「カサンドラの症状のタイプ」「カサンドラFAQ」へ

・この問題を取り組む気が失せたので、しばらく休みたい。
 →「リセットできない場合」「途中で中断する」「燃え尽き症候群」へ

・なんだかよくわからないけれど、何をしていいのか、今もわからない。
 →「励ましてもらう人が必要」「マニュアルが必要」へ

・お金がないし、診断してもらっても、通う余裕もない。かといって、「当事者」のトラブルの処理を一人で行うのは限界で、「当事者」は、全然、取り組もうとしてくれない。
 →「取り組む人だけ先に進もう」へ

・ADHDの症状の衝動性が強いので、お薬の必要があるかもしれないからと、医者に通うかの検討を本格的に始めた。
 →「専門家に相談するかどうか」「ワーキングメモリー、ドーパミン、認知に分けてみよう」へ

・発達障害者として、どの段階の状態なのかがわからない。
 →「障害者スキルレベル」へ

・自分で取り組むつもりなので、取扱い説明書を作りたい
 →「取扱い説明書」へ

・人間関係で嫌われやすいのでなんとかしたい
 などなど、それぞれの気持ちや症状の度合いで違ってきてしまうようです。

取り組む場合は、「今日から、発達障害者グループメンバーの一年生。ルール作りを始めて、チームが何となく、まとまるまで数年かかる。その間、けんかもするし、イライラするし、言い合いになるし、お互いの気持ちがすれ違うこともあるけれど、でも、いつか、チームとして、それなりに、トラブルが減って、言い合いが減っていたらいい!!」という程度の目標にしておかないと難しいそうです。

 どんなグループでも、なんとなくのルール作りができ、まとまるまで、時間がかかりますが、ASDの症状を持ったメンバーがいると、まず、まとまりません。まとまらないのが当たり前。イライラして当たり前。うまくいかないほうが自然である。と考えて、「それで、イライラして怒鳴ってしまったら、チームはまとまらない。怒鳴ってしまうぐらいなら、チーム作りは、しばらくお休みしよう」と思って、何度か中断しながら、行くしかないようです。

 スポーツのチームでも、新監督が就任して、メンバーが新しく集まった場合、最初から強いチームで、すぐにまとまるなんてことはないようです。それぞれのメンバーの個性と力量に合わせて、無理はしない。周りと比べない。トラブルだらけだけれど、責任を感じない。ほどほどでいい。と思って、数年を覚悟していくのがいいようです。

 ルール作りの途中で、何度も挫折ポイントが訪れるそうです。その場合も無理はしない。できないことがたくさんあるので、「ハードルを何度も下げる」「どうしてもできないことは、あきらめるしかない」「無理して社会適応を身につけなくてもいい」「トラブルになる部分だけを応急処置をして、あとはできる範囲だけにする」「定型発達の人ができるレベルは、最初から目指さない」などを繰り返していくことで、なんとなくまとまり、なんとなく落ち着いていくようです。

 ここまでは、取り組む場合のケースになります。


 取り組めそうもない、もしくは、取り組む気持ちが無くなった。という状態なら、それもしょうがないと、責任を感じないほうがいいそうです。ASDもADHDも、根治治療の方法がなく、お医者さんでも積極的に見てくれないのが実情です。専門家でも、それなので、症状を知らない、今までトラブルのしりぬぐいをしてきたり、嫌なことを言われ続けて、心がもう、ずたずたになっていたりするのであれば、諦めるのも、しょうがないようです。お医者さんでも、「障がい者が取り組んでいて、なおかつ、周りの人が助けたいと思っているケースじゃないと、難しい」と答えているケースも多いようですし、さらに、「障害の症状から、取り組まない、自覚がない人も多いし、そういう人を説得してほしいと頼まれますが、私が説得しても効果が期待できないことも多いので、難しいですよ」と言って断っている先生もいるようです。そう言うケースは、障害に取り組む気持ちになってもらうまで待つか、距離を取って様子を見るか、もしくは、ひどいケースは逃げてくださいという指導もあるようです。離婚するケースも多数あり、子供に障害が出ている場合、夫や妻が障害を受容せず、無理解から、「なぜ、できないんだ」とか「お前のせいだ」とかの言い合いになることもあるため、障害を受容せず、取り組まないままの人も、多く見られるようです。
  →「当事者を周りはどこまで助けたらいいのか?」へ



 決めるのは、障害の症状が出ている「当事者」、そして、当事者の近くにいる「周辺者」のそれぞれが、自分の範囲を決めるということになります。相手の範囲までは、決められないし、責任も取れないことも多いです。障害の特性から、決して無理をせず、自分でゆっくりと、どうしていくのかを決めるしかなさそうです。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医