始めに

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成長しない人を助けられるかどうか

 たくさんの書き込みで、「ちゃんと成長してくれています」というのは、稀で、たいていは、「いくら言っても、聞いてくれません。理解してくれません。直りません」というものばかり。
 少しでも良くなってくれたらという願いを持っても、自覚がない人の場合は難しいようです。自覚がある人も、成長は遅い方が多いようです。

 こういう場合の「専門家」の指導は、「成長しないままの人を、トラブルだらけの、助け甲斐のない人を、助けたいかどうかを決めるのは、あなたです」と書いてあります。
 ものをなくし続ける人、言っても言っても、聞かない人、かみ合わない会話のままの人、失敗のフォローをしてもらいたがる人を、助け続けることは、とても、大変です。
 
 助けたいか、距離を取るか、成長しないままだと、そのうちに、いやな気持になる場合が多いようです。途中でごまかしながら、同じような境遇の人と、気持ちを分かち合いながら、何とか生活している人も多いようです。お医者さんに行っても、環境づくりの指導がしてもらえるだけで、ADHDの場合は薬を使われることも多いようですが、ASDだと、イライラや抑うつなどの状態の気分を変えるのにお薬を使う程度で、根本からは直りません。

「相手に悪いと思っている」という書き込みをされている当事者も何人かいますが、多くは、「なんで、私がこんな目に。一生懸命頑張っているのに」というのが多いようです。
 中には、自分のほうが、被害者のようにふるまっている書き込みの内容が、「あれ?」というのも見かけます。「当事者」は違和感がないようですが、読んでいて、違和感だらけで、この人では、トラブルだらけになるだろうというのが、文章だけでわかる人もいます。でも、本人は真剣に「周りから嫌がらせを受けました」と書いてありましたが、内容は嫌がらせではなく、一般的な感覚からすると、ただ、「嫌だ」「不快です」ということを言われた程度のものでしかないものもあり、「当事者」と「周辺者」の埋められない認知の違いに驚きます。

 「当事者」は怒られ続けて、被害者意識は強くなっている人も多く、そのため、過剰に受け止めてしまい、一般感覚を持っている「周辺者」からすると、「それは、発達障害じゃなくても、言う人はいるので、流して考える。いちいち、受け止めない。スルーする」というのも、いちいち、真に受けています。真に受ける部分は障害の症状にありますから、そこもお医者さんに指導されているはずでは? と違和感がありますが、なかなか、浸透していないのかもしれません。障害の症状の勉強をしていても、説明してもらって、初めて、「そうなのか」と気づくらしいですが、「周辺者」は、「それぐらい気づくよね」と思ってしまいがちです。

 感覚の違いは埋められず、「なぜ、このぐらいのことができないのだろう?」「わからないのだろう?」とつい思ってしまう感覚を「周辺者」は持たなくなるまで、時間がかかるようです。

 自閉症の子供の成長記録などを読んで勉強すると、参考になると書いてある人もいました。症状を理解しながら、歩み寄れるのは「周辺者」のほうになりますが、無理はしないほうがいいようです。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医