始めに

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家族間だとトラブルが多発

 アスペルガー、ADHDは、遺伝があります。そのため、両親のどちらか、もしくは両方ともが、その性質を持っていると、子供、孫にも遺伝があります。グレーゾーンも含めて、複数の人が性質を持っていると、トラブルが多いそうです。
 一般社会と割合が違ってくるため、家族間で、もめやすいらしく、一般社会だと、定型の人の割合が圧倒的に高く、アスペルガー、ADHDが苦手な作業は、他の得意な人がやってくれて、アスペルガー、ADHDの人に仕事、作業が回ってこないことが多いです。そのため、トラブルが少ないだけで、もしも、アスペルガー、ADHDの人がしないといけないのなら、トラブルは多くなるかもしれません。

 家族間だと、そうはいきません。特に夫婦単位だと、「どちらかがやらないといけない」状態になります。会社や学校、何かのグループだと、他の人が代わりにやってくれても、夫婦だとそうもいかない。自分がやらないといけない仕事、作業もある。そうなると、責任もかかってきて、トラブルが多発します。家族間がもめやすいのは、そういう理由だそうです。大人になると、何かと決めないといけないことが増えます。子供の内は、親がサポートしてくれますが、大人になってから、決めるときにもめごとが多くて、配偶者に指摘されて気づくなんてことも多いようです。トラブルだらけになっても、「当事者」のほうは、「自分が正しいのに、なぜ、怒られるのだろう?」と思うようです。周辺者は、「この人、なぜ、こんな変なことを?」「自分の責任なのに、なぜわからないのだろう?」と思ってしまいます。

 どちらがどこまでやるのかは、「当事者」「周辺者」が決めることになりますが、主導権は、「周辺者」が握った方が、トラブルは少ないと思います。それでも、「当事者」の性格と主張が強かったら、「周辺者」がさほど主張しないタイプなら、トラブルだらけになりますが、こういう場合も、「距離を取りつつ、様子を見る」しか、なさそうです。「当事者」が自分の性質を理解するまで、待つしかなさそうです。

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離婚が多い

 配偶者がアスペルガーの場合、「カサンドラ症候群」の状態になることもあります。定型の人が多くて、アスペルガーが一人だけならいいのですが、子供や配偶者の両親のどちらか、もしくは両方がその性質を持っていると、トラブルは多くて、「周辺者」は疲れ切ります。そうして、自分の心と生活を守るために、距離を取るしか方法がないというケースも多く、それよりも、相手と信頼関係を築けない。相手と心が寄り添わない状況を一生続けるのは、耐えられない。そういう状態になることもあり得ます。
「当事者」の性格と症状の程度により違ってくるようです。「当事者」に悪気がなく、悪意がなく、本来は優しい性格で、不思議な行動をする人という程度なら、大丈夫ですが、言葉や行動の暴力が出る。金銭が問題だらけ。心が通い合わないことに、配偶者が耐え切れない。「当事者」のしりぬぐいばかりで疲れ切る。なんてことを何年も続けると、さすがに嫌気がさして、最悪の場合は,離婚まで行くようです。

 「当事者」の性質、程度、性格によって違ってくるようです。カサンドラ症候群の状態がひどいようなら、一人で悩まず、第三者、「専門家」に助けを求めたほうがいいかもしれません。

依存

 ADHDは依存症になりやすい脳だそうです。アルコール、たばこ以外に、ギャンブル、宗教、趣味、色々なものに依存しやすい脳の性質だそうです。そして、人にも依存してしまうそうです。
 ここで問題なのは、趣味のものにお金をつぎ込みすぎるケース。借金にまで発展して、収入に追いつかなると、「周辺者」にまで、影響が出ます。ほかにも、アルコールやタバコだと体に害が出るケースもあります。
 ギャンブルも、収入以上にのめり込むと危険です。依存がひどければ、「専門家」に相談したほうがいいと思います。

 人に依存するのは、ASD、ADHDの場合は、脳の性質から、「よく怒られる」からです。そうすると、「他の人に決めてもらいたい」「他の人に、助けてもらいたい」「他の人がそばについていないと不安」と「周辺者」に何かと聞きたがります。「周辺者」が責任感が強く、「私がついていないと」と思うケースだと、どんどんエスカレートして、しまいに、必要以上に手助けしてしまうケースもありますが、それを「共依存」と言います。こうなると、とても、厄介です。
 「当事者」も「周辺者」に頼ると安心できるから、離れられなくなるし、「周辺者」も「「当事者」に頼られて、「私は、頑張っている。この人には、私がついてあげないと」と、離れられなくなる。距離感が、ちょっと困った状態になってしまいます。でも、それがずっと、続けられるはずもなく、ほどほどの距離感を取りながらいかないといけません。

 一度、共依存状態になったら、「当事者」は自分で考えることができなくなってしまったりして、深刻な状態まで進むかもしれません。その前に、距離感を考えて付き合っていくしかなさそうです。手遅れ状態になっていたら、どうしようもありません。「専門家」に相談するしか、難しいかもしれません。

記憶のこと

 ASD、ADHDの記憶力は、個人差があります。ASDの人は、一般的には記憶力が良いとされてしますが、そうでもない方もいらっしゃるようです。合併症でADHDとかLDとか、併発されている方もいらっしゃいますから、そうなると、記憶力は良くない人もいるようです。

 記憶が良くない場合は、どうしたらいいのか? ということですが、記憶力を訓練するしか方法がないようです。「思い出す訓練を繰り返すとよくなる」らしい。「昨日、何を食べた?」を毎日、聞いてみる。というのがテレビで紹介されていました。そのほか、マルチタスクをあえて、やってみる。脳トレを生活に取り入れるしかなさそうです。
 年齢が高くなっていても、インプット作業は、さほど衰えがないらしく、だから、「思いつく、食べ物」「好きな動物を言ってみる」などをたくさん質問すると、記憶力が上がるうようです。
 あとは日記をつけて、次の日に思い出す癖をつける。というのも紹介されていました。

途中で中断する

 ASD、ADHDの両方とも、悪気はないけれど、どうしてもできないというケースが多いです。何度も何度も繰り返しても、それでも覚えられなかったり、できなかったりする。どんなに頑張っても、できそうもない。大人になっていて、すでに出来上がっていて、「周辺者」が合わせたら、それでいいと言ってしまう。そういう状態で、進まないことも多いです。
「周辺者」にしてみたら、「なぜ、できないのだろう?」と思います。それが何度も繰り返されると、疲れます。合わせきれません。ある程度、フォローしないと難しく、でも、気持ちが疲れてしまっていたりすることも多いです。
 ASD、ADHDの両方ともが、「嫌だ」と拒否反応を示すような時期は、中断するしかしょうがないようです。「周辺者」が疲れた場合も同様です。
 焦っても、どんなに頑張っても限界があります。何度言っても難しく、そして、本人が、「別にいいじゃない、このままで」と言っているケースだと、「周辺者」は、「このままでいいとは思えない」と今後のことまで想像できますが、ASDは、今後のことは想像ができないようです。説明を何度もしてもらい、把握できて、「そうだったのか」とそこで気づくことが多いようです。ADHDは、楽観的で見通しが甘い場合が多いので、それで時間が間に合わないことを指摘されると、怒り出したり、何かのせいにしたり、そういうケースもあります。フォローを「周辺者」がし続けると、「周辺者」も自分の生活がありますから、程度によっては、引き受けられません。それを断られると、ASD、ADHDの両方とも、自分の思い通りにならないと怒り出すということもあります。
 こういうことがたくさんあると、「周辺者」のほうも、おだてながら、ほめながら、「当事者」に合わせる生活がしんどくなることも多いので、無理しないほうがいいと思います。
 中断は多くなりますが、焦らないほうがいいみたいです。
 
 ASD、ADHDの「当事者」のやる気が、そもそもないケースの場合は、距離を取りつつ様子を見つつ、それでも、やらないといけないこともあると思いますが、「周辺者」はくれぐれも無理をしないでください。「周辺者」の心が疲れてしまうことがあると、「カサンドラ症候群」の状態にまで行ってしまうこともあるからです。

同じことばかり言う

 前と同じことを説明してあるのに、「何度も同じことを言ってくる」ケースもあります。「周辺者」のほうは、「また、聞いてきたの?」「まだ、言ってるの?」と驚きますが、ADHDの場合は、前に言ったことを忘れている場合があります。ワーキングメモリーに関係があるようです。会話に情報処理が追い付かない。でも、自分のほうが正しいと言ってしまう。そういう性質がADHDにあります。
 何度、注意しても「忘れちゃってる」ので、お手上げです。そういう場合も、無理して合わせる必要がないようです。

 ASD、ADHDの人に、何度注意しても、同じ欲求を言い続けるケースがあります。「こうしてほしいのだけれど?」とお願いしているのは、こちらなのに、自分の要求ばかり。なぜかというと、頭の中にいくつかの要素が駆け巡り、わからなくなり、そうなると冷静に判断ができず、「パニック」となり、「そうだ、私は、『△△したい』と言い続ければ、わかってもらえる」となるらしい。思考回路は不思議です。余裕はないです。合わせてもらえば済むと思い込んでいるため、言い張ります。同じことばかり言うのも、そのためらしいです。

 ASD、ADHDは、脳の情報処理が特殊なために、相手の立場に立って考えてということができないそうです。「周辺者」は妥協したくない範囲は合わせなくてもいいと書かれてあるものが多いです。

金銭の問題を起こす場合

 金銭問題を起こす人もいます。ASDでは、問題を起こす人も、いるそうです。金銭問題はやっかいで、概念がわかってないASDの人の場合、一人で生活ができないレベルの人もいるそうです。金銭感覚がない、金銭管理ができない、金銭の概念が分かってないなどだと、お医者さんに通った方が安心なケースとなり、どうしても通ってくれない場合は少額のお金しか、渡さない、大きなお金は面倒を見ることができる人が管理するなど、お医者さんに通っている場合は指導されるそうです。育った環境と性格が重要で、この部分が変わってくるそうです。お金の管理はしっかりしているというASDの人もいます。一円単位できっちり管理というぐらいのレベルの人がいて、個人差が大きいようです。

 ADHDは、「金銭問題は起こさないよ」「借金なんて、とんでもない」という人もいるのですが、借金をしても平気という感覚があるようです。金銭感覚が一般人と違うため、金銭がなくなっても不安にならないらしい。そんなことがあるのか、私は、よくわかりませんが、そう思っているようです。何とかなるだろうとほしいものを我慢できずに、何度か借金を繰り返している人もいるようです。問題なのは、ADHDは依存症になりやすい脳ということです。ギャンブル、宗教、キャバクラ、ホストにはまる? なんて、ケースもあるのかもしれません。そうなると、いくらお金があっても足りない。自分で、「何とかなるでしょう」と「当事者」は意外と気楽のようですが、「周辺者」はたまったものじゃありません。それで、一番困るのは、「誰かが払ってくれる」と思い込んでしまうADHDの「当事者」が存在するということです。残念ですが、脳の性質から、「前に大丈夫だったし、前に払ってくれたし、今度も肩代わりしてくれるだろうから、大丈夫」と勝手に思い込んでしまうらしい。「周辺者」が親だったりしたら、さすがに何度も払わされると、「周辺者」は定型ですから、「大丈夫」とは思わなくなる。でも、「当事者」のほうは、「まだまだ、大丈夫じゃない。その程度で、うるさいな」と反発するらしい。正直、怖いです。できれば、最初から払わないほうが良いようです。

 自分の収入より支出のほうが多くなるケースの場合は、「周辺者」のチェックが必要になるようです。ひどいケースだと、お金の管理はできるだけ「周辺者」がやり、「必要以上にお金は渡さないほうがいい」となるようです。

攻撃するタイプもいる

 ASD、ADHDのタイプによっては、言葉が強いという人もいます。ASDだと積極奇異型に多いと言われているようです。ADHDのほうは、混合型が一説によると6割を超えるそうですが、その中でも多動性衝動性優位の状態の場合で、衝動を抑えられると、他者を攻撃したい欲求にかられる人もいるそうです。幼いころから、我慢をさせるということを、教えられない環境で育つと、大人になって、自分の思い通りにならないと、言葉などで攻撃するタイプの人もいるそうです。小さいころでしたら、かんしゃくを起こしても、そばに寄らずに放置して、「そういうことをしても、あなたの欲求は通らないんだよ」と、後で、説明をして、それを何度も繰り返す作業をするそうですが、大人になっていると、すでに出来上がっている人もいます。そういう人の場合は、「受容しない人もいる」というケースになると思うので、そちらの記事を読んでみてください。


距離を取りつつ様子を見る

 ASD、ADHDの「当事者」「周辺者」の両方とも、「受容しない人」もいます。「受容」の心境に達して、初めて、対応策を一緒に考え、行動していくことができます。対応前の心構えは、気持ちの問題ですから、周囲の人がどう動こうと、個人の問題になってしまいます。働きかけをしても、かたくなな状態のままの人もいます。価値観と性格によって違ってきます。そのため、働きかけをするにしても、心の準備ができるまで、待つしかありません。

 待っている間は、保留状態になりますから、距離を取りつつ様子を見るしかしょうがないと、私は思っています。距離を取りつつ、様子を見ると言っても、様々な方法がありますが、どうしたらいいのかといいのは、「当事者」「周辺者」の性格や状況によって違ってきてしまいます。

 私の身近な人の場合ですと、一人は「拒否」「逃避」状態のままで行くのだと思います。働きかけは難しいと思っています。もう一人は、「拒否」「怒り」「責任転嫁」「自己正当化」状態ですから、気持ちが落ち着くのを待つしかありませんが、この人たちに注意をし続けてきた人がいて、その人は、「いくら注意しても聞く耳を持たなかった。そもそも、相手の話を最初から聞いてない」と言っていたので、今、初めて、自分の性質を向き合わないといけない状態になり、追い込まれた状態なので、今後、その気持ちが「受容」になるのまで待つしかしょうがない状態です。
 こういう状態ですと、相手がどの程度の社会スキルがあるか、相手の心の状態はどうなのか、トラブルの状態はどうなのかなどを考慮して、距離感と行動を決めていかないといけません。すべて、相手の状態を見つつ行動するしかないと思っています。

 別の一人は、「抑うつ」の状態ですが、「受容」の心ができてきているようなので、状態の合わせて、行動をゆっくり決めている段階です。

 ほかの人たちもいますが、その人たちが、どうするかも、「当事者」に合わせて、「周辺者」の私やほかの人は行動を考えていくしかなさそうです。

 トラブルになっているのは「発達障害者」の症状によるものなので、「周辺者」は、待つしかありません。むやみに手伝いすぎたり、援助しすぎるとアスペルガーやADHDの特性から、「自分でやらなくてもいい。ほかの人に代わりにやってもらい続けたら、問題は起こらない」などの認知のゆがみがおこりやすいため、支援しすぎはしないほうが賢明だそうです。「見守る」ようにしてくださいと、本には書かれている場合が多いようです。

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本を読むスピード

 ASD、ADHDの両方とも、ワーキングメモリーの関係もあり、情報処理が一般的じゃなかったり、遅かったりするようです。

 本を読むスピードも違ってきます。ものすごく時間がかかる人もいるため、情報が駆け巡り、まとめきれないというアスペルガーの人もいるし、情報処理が追い付かず、変な解釈をしてしまう場合もあります。
 ADHDの場合は、そもそも「面倒だから、読みたくない」と自分がしたくないことをしない人も多いです。ASDは、「必要じゃない」と言って、読まない人もいます。
 「周辺者」に余裕があれば、情報整理は「周辺者」が行って、必要な部分だけを、「当事者」をほめながら、様子を見ながら、なだめながら教えていくということもできますが、それをいちいちしていると、一つの説明だけで、ものすごく時間がかかる。時間に余裕がない場合も多いので、そのときの気持ちと状況で考えていくしかなさそうです。

 理解ができないわけじゃないそうですが、ASDの人に、説明するのは、弁護士さんやカウンセラーでも大変だと言われているようです。説明するのに慣れていない、「周辺者」は、ほどほどを目指すしかしょうがないのかもしれません。何度も説明してみて、そのうち、理解してもらえたらいいと思って、気長にやるしかしょうがないようです。

 会話のスピードも、ASD、ADHDの人は、自分の意見を言うときはスムーズですが、相手の言葉を処理するのは、遅れる人もいるそうです。「当事者」に合わせて、話す分量と説明を変えていかないといけないようです。

  本を読む場合は、挿絵が多くて、わかりやすいものがお勧めだそうです。注意するときも、相手の理解力に合わせて説明しないと難しいようです。ASD、ADHDの「当事者」が、自分の症状の性質をどこまで理解しているかによって、注意の仕方を変えていくしかなさそうです。

受け入れたら、変化がある

 受容プロセスの5段階の状態になり、徐々に静かに、「当事者」がASD、ADHDである自分を受け入れたら、「周辺者」も、性質を少しずつ理解しつつ、ASD、ADHDの人の状態を受け入れたら、対応を考える余裕が出てくると思います。
 症状が重い場合、カサンドラ症候群の状態以外で、症状が比較的軽く、仕事にも影響がそれほど出ていない、金銭面でも心配するほどではない、生活を送るのに著しく困難な状態にならない場合で、自力でやっていきたいと思っている場合は、対応を、自分たちで考える必要が出てきます。

 「当事者」が取り組めそうなもので、一番気になっている症状の中から、いくつか取り上げて、対応していくことになります。

・金銭面は、自分で何とかできそうか、フォローが必要か?
・行動面で、一番心配になる部分はどれか?
・感情面のケアは、お互いにどうするか?

 など、様子を見ながら決めていくしかありません。とりあえず、すぐに取り入れられるのは、メモ、シールなどを、やってみました。あちこち貼りすぎると大変なので、とりあえず、一番気になるところだけ。受容プロセスを受け入れつつある、一人だけがやっていますが、メモの活用の効果もあり、やることを忘れるというADHDの症状の数が減っているようです。作業時間を工夫したり、何回かに作業を分けたり、終わる時間を自分で測ってみたり、工夫してやっているようです。どうして、やれるようになったかを「当事者」に聞いてみたら、ADHDの本に書かれている挿絵などから、「周辺者」の気持ちが分かるようになり、自分の行動の影響を考えて、行動したほうがいいと理解できてから、「やる気になった」と言っていました。

 「やる気になった」かどうかが、一番大切なものなのかもしれません。やる気にならない人もいるようです。受容プロセスの第二段階の「怒り」で、責任転嫁したり、自己正当化したり、そういう心の状態のままでは、難しいと思います。この心を変えることは、ASD、ADHDの両方とも難しいようです。自分が悪かったと理解するまで「数年かかった」という人もいるようです。「当事者」の心が出来上がるまで、ゆっくりと待つしか方法がないようです。「当事者」が受け入れた後は、問題の数は減っていくらしいです。

慣れるまで「はい」「いいえ」で会話する

 ASD、ADHDかもしれないとわかった場合、最初は「どうやって、コミュニケーションを取ればいいの?」となります。お互いに症状が分かり、どうやって会話すればいいのかわからなくなると思います。何を言っても、違った解釈はするし、不思議すぎる行動を取るし、意味不明な受け止め方はされるし、「なぜ、そんな返事になるの?」となっていて、それを、うまくやり取りするには、ASD、ADHDの「当事者」が自分の症状を理解して、その影響力を把握しないと難しくなります。主導権は、「周辺者」が取らないと、回っていきません。「当事者」はできるだけのことはやってもらうことになりますが、何もかも、「周辺者」がカバーしていたら、限がありません。時間と気持ちで考えて「周辺者」が決めていく必要があります。
 そのうえで、「当事者」が自分のふるまい方が分かるまでは、慣れるまでは、「はい」「いいえ」の答えで済ませられるような会話をした方が安心ですし、安全です。その場合、「当事者」は言い張らないほうがいいですし、「周辺者」は、無理をしないほうがよさそうです。無理をしすぎると、「周辺者」が投げ出したくなります。ゆっくりと、周りと相談しながら、やっていくしかなさそうです。

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会話ができない場合

 ASD、ADHDの両方とも、自分の話をするのは大丈夫な場合が多いそうですが、相手の会話を聞くのが苦手と思っていて、ほとんど聞いていないケースもあるそうです。
 でも、自分が好きな話は聞いているので、聞いているかどうかは、確認したほうがよさそうです。

 相手の話をほとんど聞いていない場合だと、会話は成り立ちません。そうするとトラブルは多くなりますが、ASDの人の場合、「周辺者」が悪いと思い込む人もいて、何度、話を聞いてほしいと言っても、自分の意見しか言わず、相手の意見を聞き入れません。
 「いいよ」以外の言葉は、受け入れない場合もあるそうです。「嫌だ」と言ったら、「どうしてなんだ?」と言い続けるケースもあります。ASDだとわかるまで、強情な人と思われることも多いそうです。そうなると、「周辺者」は、苦手に思う人も多く、積極奇異型のASD、多動衝動性優位型のADHDだと、そういう会話になることも多く、トラブルが多くなります。
  
 「当事者」「周辺者」の両方が、ASD、ADHDの状態を理解してからでないと、会話はできない場合があります。「言い張らないで」と言っても、言い張ってしまう状態では、難しいので、相手が、ASD、ADHDの状態を受け入れて、そして、自分の性質を理解するまでは、話し合うのは難しいようです。

 ASDで、「自分が言いたいことは、頭に浮かんでいるけれど、説明するのが下手」という人もいます。その場合は、「周辺者」が、ASDのイメージに近いものを提示して、選択してもらう方法もあります。「周辺者」のサポートが必要になります。ただし、合わせきれない場合も多いので、無理をしないように、ほどほどでいいやと考えておいた方がよさそうです。

イライラしたら?

 ASD、ADHDの「当事者」「周辺者」の両方が、トラブルが続くとイライラしやすいです。理由は、劇的に良くなるということはないから、先が見えないから、「当事者」は自分が、どうして、周りに合わせないといけないのかと思ってしまいやすいし、「周辺者」は、どうしても「当事者」のペースに合わせないといけない部分があるから。

 イライラした場合の対処法は、

「深呼吸する」と良いそうです。ゆっくりと深く深呼吸をして、気持ちを整えましょうと書かれてあるものが多いです。


「音楽を聴く」ヒーリングミュージックじゃなくても、自分の好きなものを選んで聞いて、心を落ち着かせる。気分に合わせて、テンポを選ぶと良いそうです。ゆったりしたいときはスローテンポで、落ち込みから、少し回復したいのならミドルテンポ。気分を上げたいときはアップテンポがお勧めだそうです。


「歩く。運動する」動くと脳も活性して、気分も落ち着くし、落ち込んでいたら、改善される方法として、よく取り上げられています。ストレッチ、ウォーキングなどして、気分転換しましょう。


「眼球運動」指を目の前で動かす方法ですが、不安になった時、イライラした時に、少しだけ目を動かして、「脳を錯覚させる」方法だそうです。気分が悪くなることもありますので、あくまで自己責任で。


「香りをかぐ」自分が落ち着く、自分が「良い香り」と思いものをかぐといいそうです。アロマセラピーしてみる。ミカン、リンゴをむいて食べる。香水をつける。など、気分によって変えてみてもいいかもしれない。


「目を閉じる」とりあえず、落ち着きましょうという場合に使いましょう。安全な場所に移動して、座ったり、何かにつかまったりしてから、目を閉じて、十秒数えてみてください。


「 ぬいぐるみを使う」ぬいぐるみを撫でたり、話しかけたり、抱きしめたり、そうすると、自分の子供のころに戻ったかのような錯覚で落ち着くらしい。ただし、自分の部屋でやった方がいいかも。


「仮眠」家、自動車など、仮眠してみると、脳が落ち着くらしい。ただし、人前でやる場合は、財布など、取られないように。

「アニマルセラピー」動物園に行く。かわいい動物の動画をユーチューブなどで見る。


 ほかにも方法があるかもしれません。自分で見つけてみてください。

専門家に相談するかどうか?

 ASD、ADHDのことを、調べて、少しずつ理解して、受容する気持ちもできてきて、そうしたら、「専門家に相談したほうがいいのだろうか?」となると思います。でも、「時間もないし。お金もかかるし、恥ずかしいし」となると思います。
 相談するかどうかは、「仕事に影響が出ているか」「金銭にものすごく問題が出ているかどうか」「社会的に適合できないぐらいの状態か」などが目安になるようです。
 
 専門家に通うと、お薬の問題も出てきます。こちらも、脳に働きかけるものなので、じっくりと調べて、自分で判断するしかなさそうです。

 程度の問題です。「当事者」が自分で考えて判断するしかなさそうです。最初は抵抗があるのなら、自助グループに参加するというのも一つの方法かもしれません。
 カサンドラ症候群が「周辺者」に出ている場合で、しばらく様子を見ても難しい場合も、「専門家」を頼った方がいいようです。発達障がい者支援センターに相談してもいいかもしれません。

「対応を一緒に考えよう」

 ASD、ADHDの対応を、できる範囲で考えていく必要があると思います。「一番気になるトラブルは、どれ?」ということになりますが、それができるかどうかも考えなくてはいけません。そのため、
 できそうなものの中で、一番困っているトラブルで優先順位をつけて、考えていった方がよさそうです。ただし、「当事者」はこの時点で、脳が疲れ果てています。なぜなら、慣れない作業をたくさん続けてきたから。それまで、「楽しいことしかしたくない」「考えたくないことはしない」脳だったのが、社会適応するために、頑張らないといけなかったから。だから、ゆっくりとほめながら、本人のペースで進めていく。時に「止まっちゃうのも、しょうがない」と言ってあげながら、気長になるしかなさそうです。
 専門家に通うかどうかも、「当事者」「周辺者」が話し合って決めていけばいいと思います。抵抗がある人も多いと思うので、そこは様子を見ながらとなります。

 ASD、ADHDと言っても、症状は人それぞれ。その人に合った対応レシピを作って、それで、行動するしかなさそうです。

 一般的に優先されることは、「命、安全にかかわること」「日常生活を送るのに著しく困難なこと」「仕事に影響が出てトラブルを繰り返していること」「金銭問題」になるようです。自分のできそうなものを、「周辺者」と相談しながら決めていくしかなさそうです。

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カサンドラ症候群になったら

 イライラして、いつもの自分じゃないみたい。突然、怒りっぽくなった。なんだかわからないけれど、涙ばかり出る。冷静じゃない、何をしても楽しめない。抑うつ状態が続く。カサンドラ症候群という症状かもしれません。
 心が通い合うことがない相手と、ずっと付き合っていくことに対する不安とやりきれなさの喪失感から来るようです。この場合は、程度がひどければ、お医者さんに行った方がいいのかもしれません。ただ、お医者さんに行っても、「そのうち、よくなります」程度で理解してもらえなかったという話もあるようです。ASD、ADHDの症状に詳しい「専門家」を選んだ方がいいようです。ASD、ADHDに詳しいお医者さんは、日本では、まだまだ少ないので、カサンドラ症候群の状態が、とてもひどい場合は、 発達障害者支援センターに相談するのが良いみたいです。

 一番いいのは、ASD、ADHDの「当事者」が自分の症状を理解して、徐々に困った行動を減らしてもらい、「周辺者」は、イライラする期間は、「当事者」から距離を取るという方法ですが、なかなか、そこまでいきません。性質を理解できるまでは、お互いに感情的になりやすい時期であるとわかったうえで、気持ちが落ち着くのを待つしかなさそうです。


  ASD、カサンドラのことを調べる気もないし、何もしたくないぐらいの無気力になっているか、イライラしたり、泣いてばかりいたり、気持ちが落ち着かない期間の行動としては、  
やりたくないと思っているのなら、「無理をしない」「何もしない時間を作る」という方法を取るようです。そうして、そのうち「やる気が自然に出てくるのを待つ」ようです。

 抑うつ状態が強いので、うつ病の場合を参考にして、周囲の人との関わりを考えてみてもいいようです。励まし、問題解決などはタブーとなります。ゆっくりと心を休める方が先になります。ASD情報も、この間は、なるべく避けたほうがよさそうです。自助会や、インターネットの閲覧も、心が落ち着いてからにした方が安全です。

禁句・・「大したことじゃない」「時が解決するよ」「私でも、あったよ」「誰でも落ち込むことぐらいあるよ」「わかるよ」「元気だしなよ」「落ち込んでいたら、ダメだよ」「がんばればなんとかなるよ」「改善策を考えたら?」「具体的なアドバイスをしてあげるよ」「気晴らししてみたら」

 絶対に言ってほしくない言葉・・「なぜ、今までほっといたの?」「なぜ、今まで気づかなかったの?」「付き合っているときに気づけたんじゃないの?」「結婚する前に考えないと」
 
 *うつ病との違いは、原因がアスペルガー症候群の症状の「当事者」が近くにいるからです。「今はつらいけれど、なんとかなるよ」「治るよ」という言葉はつかえません。

言っても大丈夫な言葉・・「これまで一人でよく頑張ったね」「一緒に考えていこう」「一人で考えすぎないで」「そんなにつらかったんだね」「無理しなくてもいいんだよ」「ゆっくり休んで」など。 (うつ病を参考にしています)

共感したり、回復を願ったり、休養への勧めや、協力の申し出など、症状を見ながら、言葉を選んだ方がいいようです。イライラが強い場合は、発散する方法のほうがいいのではないかと思います。大声を出すのがいいらしく「カラオケで発散」「山で叫ぶ!?」などがいいみたいです。

 でも、根本的解決にはつながらないので、応急処置程度にしかならないことも多いようです。あまりにひどい状態なら、「専門家」に相談したほうがよさそうです。


  
 心が少しは落ち着いてきて、ASD、カサンドラの情報を調べても大丈夫になったら、やってみる方法としては、  


 もしも、嫌なことがたくさんあって、それがフラッシュバックになり、不安感を消したい場合は、PTSD状態かもしれません。その場合は眼球運動を使う「専門家」もいるようです。

 「不安に襲われたタイミングで、1秒に2往復程度の速さで腕を左右に振り、指先を目で追います。25~30往復を一セット。患者にイメージしてもらい、次々質問を繰り返し、連想を促し、60~90分の治療中に数セット~数十セット繰り返すと、恐怖が薄らぐ」らしい。 

 専門家に通う勇気もお金もないので、自力で試してみました。目がぐるぐるしやすいので、自己責任でお願いします。それで、結果は?  →「なんとなく、落ち着いた気がする」

「持続エクスポージャー療法」というのもあります。 トラウマとなった場面をイメージをわざわざ思い出させて、避けていた記憶をよびおこすきっかけをつくって、脳を嫌なイメージに慣れさせて、麻痺させて、恐怖心を和らげる。とってもドSな方法です。こちらは、必ず専門家の指導と監視のもとに行った方が安全だそうです。

 で、こっちも自力で、何とかならないかと考え、「ブログで綴っちゃう」「日記で色々書く」という方法を取り入れてみました。そうしたら、そういえば、「感覚がマヒしてきたかも」という感じです。だから、インターネットに体験談が多いのかと気づきました。不安になりすぎる場合はすぐにやめたほうがいいと思います。自己責任で。
 
 似たような方法で、左脳活性で磁力を使うというのがあるようです。磁石使ってを左側の脳に働きかけるようです。うつ病の治療の自力バージョンのようです。右脳と左脳の血流をアップさせることで改善するようです。自己責任で、お願いします。
 さらに、もう一つ、左右の肩を、自分の手で、交互にたたく。1~2分かけて、ゆっくりと叩いてみるというのもあるようですが、自己責任でお願いします。



 ASDの「当事者」とのかかわりが、どうしていいかわからない状態のときに、迷った場合の方法としては、様々なものがあります。有名なのは、認知行動療法です。

「認知療法」考え方、こだわりの視点を変える。視野を広げる方法。カウンセラーの人に話を聞いてもらいながら、進めます。

 こちらの自力だと、セルフカウンセリングになるかと思いますが、冷静になれる方のみ、調べて試してみてください。「認知行動療法
 
「自助会」グループミーティング。日本では、あまりなじみがありませんが、アメリカだとアルコール依存とか、様々な同じ悩みを持った人が、それぞれの体験談を語り合い、自分だけじゃないのだと気づき、弱音も吐けるし、安心感が得られる。そういう場所です。ASD、ADHDでもあるようです。

 で、これも自力の方法があります。インターネットの閲覧。発達障害も様々なサイトがありますが、信頼できるサイトを選んでみてください。閲覧したり、書き込みしたり、色々な意見に触れることができます。ただ、自分の気持ちが落ち込みすぎている場合は、要注意。少し、元気になって、大丈夫だと判断してからにしてください。気分が悪くなったら、閲覧をすぐにやめること。


 カサンドラ症候群の状態の人が乗り越える方法として、自助会が一番効果があったというものが多いようです。理由は「大変だよね」「わかるよ」「そういうこと、あるよ」と同じ境遇の人言ってもらえるから。同じ境遇の人に共感してもらうというのが一番癒されるようです。自分で考えないといけないとわかっていても、逃げ出したくなる。そういう状況になりますが、共感されると、心が落ち着いて、自分だけじゃないという安心感も得られて、気持ちを立て直すことができる。そういう状態のようです。女性のストレス解消の一番は、雑談や井戸端会議。そして、そこに答えは求めない。問題を考えて、決めるのは自分だとわかっているから。ただ、「疲れたんだよね」「大変だったね」と言い合いたい。それでストレス解消になりますから、それと同じかもしれません。

  気持ちが少し落ち着いてから、相手がどうあっても、変わらない人で、自分の期待に応えてくれる人ではないと理解して、あきらめないといけない部分も多いことを受け入れていくしかないようです。つまり、相手に期待しない。自分で考えて、相手を誘導していく必要も出てくるので、そういう覚悟もしていかないといけないみたいです。

 *カサンドラ症候群の症状がずっと続く場合は、距離を取るしか方法がないようです。「周辺者」の心も大事なので、無理をしないのがよさそうです。 
取り組みたくない場合「心が離れている場合」へ
障害受容を「当事者」がいつまでもしない場合は、「受容しない人を待つかどうか」へ

 

リセットができない場合

 受容プロセスで、「怒り」「悲観」「否定」などが長引く場合は、一度、リセットが必要になるそうです。そんなにすぐに、変えられる人ばかりではないそうです。なぜなら、「周辺者」のほうは、記憶があるから。「当事者」のほうは、直るわけじゃないのに、「また、一から社会スキルを、いちいち覚えないといけないのか?」と嫌になるからだそうです。
 「怒り」が強い場合などは、一度、吐き出さないと難しいそうです。カウンセラーに、聞いてもらって、リセットするのが一番いいそうですが、時間もお金もかかります。日記などがいいそうです。ブログや、自助会のサイトに書き込むのもいいのかもしれません。

 たくさん、吐き出してから、やっと、気持ちがリセットされるようになるそうですが、ASD、ADHDの「当事者」がすぐ近くにいると、トラブルが減るわけじゃないそうなので、イライラしたり、怒りはぶり返すようなので、その期間は距離を取った方がよさそうです。

 ある程度のことが理解して、納得できてからじゃないと前に進めない人の場合は、冷静な時を選んで、情報整理をするのも一つの方法です。ASD、ADHDの情報量はものすごくあります。合併症もあるため、それら一つ一つを、検証するだけで大変な時間がかかります。調べても調べても限がないぐらい、不思議なことをいっぱいします。「周辺者」は「当事者」の脳の中を見ることができないため、行動から推測するしかなさそうです。

視覚優位、聴覚優位

 ASD、ADHDだけではないようですが、見たほうが理解できる、耳で聞いたほうが理解できる。性質の優位差があるようです。見たほうが理解できる視覚優位の人の場合は、紙に書いて、連絡しあった方がいいみたいです。耳で聞いたほうが理解できる人の場合は、会話をしながらのほうがいいと思います。

 情報伝達の分量は、程度に合わせていくしか、なさそうです。「注意は、一つか二つまでにしましょう 」と書かれてありました。ASDの場合は、一度にたくさんの情報が、脳を駆け巡るようです。相手の状態を見て、伝えていった方が、安全です。

知能指数が高い?

 ASDの場合、「天才が多い」「記憶力抜群」の人が多い。と誤解されているようですが、個人差があるようです。残念ながら、ASDは合併症が多くて、そうなると、どの症状が出るかわからないそうです。ADHDを併発すると、ADHDの症状がたくさん出る人もいるらしく、衝動性が強かったり、不注意の部分が強かったりすれば、ミスが多くなるみたいです。

 知能指数は、個人差が大きいようです。IQが国立大に行けるほどのレベルの人も多いようです。記憶力がいい人もいるからです。でも、知能が低い方も、残念ながらいるようです。ASDだと、もう一つ、動作性と言って、持っている知識を使って、どう動いたらいいのかの行動のレベルがあるのですが、こちらが低い方が多いようです。そのため、持っている知識は多いのに、行動に生かせない。そういう方も多いようです。ただし、持っている知識が一般レベルより低い方もいますので、さらに、行動に移した場合、もっと行動に生かせない方もいます。
 知能指数が高い人から一般レベルより低い人までいくらでもいて、その人がその持っている知識を使って行動するとき、うまく行動できないということになるようです。

 ADHDのほうは、衝動性の高さから、集中力が人並み以上。人によっては、ものすごいまでの集中力を発揮するらしいです。そのため、勝ち負けにものすごくこだわる人が、学力を身に着けたいと思っていると、勉強ができるケースもあるようです。
 スポーツが得意で、それをしていると楽しいと感じる場合は、脳内物質が足りない状態を補いたいと絶えず脳が思っているので、そのスポーツをしていると楽しくてしょうがないという場合は、そればかりしたがります。そのため、脳の働きがそのスポーツに向いていたら、プロレベルになることもあるようです。芸術方面も同じです。

 興味があることに集中したいと思っているのが、ADHDの脳ですから、一芸に秀でていたら、社会的に成功している人もいるようです。
  残念ながら、興味があることが見つかっていない人もいますので、そうなると、不注意が多い人と思われてしまって、誤解されてしまうようです。

サリーとアンは解けるのか?

「『サリーとアンの二人が部屋で遊んでいます。サリーは、自分のおもちゃをかごの中に入れて部屋を出ました。アンは、サリーが出ていった後、そのおもちゃを自分の箱の中に隠してしまいました』とASDの人に説明した後に、
 『部屋に戻って来たサリーは、まず、どこをさがすでしょうか?』とASDの人に聞いたら、何と答えるでしょう?」

という、ASDを調べたことのある人なら、聞いたことのある問題です。これで、自閉症の子供だと80%が間違えてしまうらしい。定型発達の人なら、アンが後から、おもちゃを移動したけれど、サリーはそれを見ていないので、自分が隠した場所を探すと答えますが、ASDの「当事者」は、わからないそうです。

  日本の統計を探しましたが、見つかりませんでした。大人の統計も見つかりませんでした。調べてみましたが、「大人になると、さすがにわかるよ」という人が多かったようです。では、なぜ、大人になったら、わかるようになるのか、それは、自然と社会スキルが身についているから。社会でどうやって行動したらいいのか、ASDは、見よう見まねで、周りの真似をする人が多いそうです。行動の理解はできないらしいのですが、どう動くかの把握はできるそうです。

 成長できないわけじゃなく、成長スピードが遅いと言われているようです。個人差があると思うのですが、一説によると精神年齢が三分の一程度と言われているようです。

悟りのプロセス

 ASD、ADHDの症状を受け入れて、対応する前までを「受容」プロセスだとすると、その後、対応を経て、葛藤を繰り返した後に、すべての状態を知り、それを受け入れて、覚悟を決める状態が「悟り」の状態ではないかと思います。

「悟り」までの過程

「気づき」の状態
 「当事者」・・対応し始めたけれど、なかなかできない。できないことがたくさんあると気づく。おかしいと思っていたことが、脳の性質から来るものだとわかる。
 「周辺者」・・対応し始めた「当事者」ができないことが多いことに、改めて気づく。脳の性質から、どんなに努力しても直らない部分があるとわかる。

「怒り」の状態
 「当事者」・・何度やっても、怒られる。一度、腐った気持ちになって、「定型だったら、怒られないのに」「定型の人だって、できないことがいっぱいあるのに、なんで、俺だけ?」とぼやきたくなる状態。
 「周辺者」・・注意しても、上達しない。「これだけ言っているのに、なぜ、忘れるのか、わからない」「私だって、やることがあるのに、なぜ、私がこんな目に?」という状態。

「すがり」の状態
 「当事者」・・何かにすがりたくなる状態。食事療法をしてみたり、決定的な治療法を探してしまう。神様にお願いする場合も。
 「周辺者」・・改善されるわけじゃないため、自分がフォローし続けることに疲れて、逃避したくなり、何かにすがりたくなる。

「悲観」の状態
 「当事者」・・どんなに頑張っても、結果が思わしくない。努力の割には報われなくて、悲観する。自分の未熟さが嫌になる。
 「周辺者」・・なかなかトラブルが減らない「当事者」の状態に悲観する。先の見えない状態に疲れ果てて、気分が暗くなる。

「悟り」の状態
 「当事者」・・できないことがたくさんあると気づいたけれど、でも、できることもあると切り替えて、自分に合った方法を知り、自分自身でできることを探していく。ありのままの自分を受け入れる。
 「周辺者」・・「当事者」には、できないこともあるけれど、でも、できることもたくさんある。よいところもたくさんある。それを見つけて、サポートして、それなりにやっていければいい。無理しなくてもいい。ありのままの「当事者」を受け入れ、自分もそれに合わせられるようにしていく。

 受容プロセスの場合は、色々なところに変遷が紹介されていましたが、その後の部分に関しては、「受容プロセス」を参考にして作ってみました。それぞれの状態を行ったり来たりしながら、最後、「悟り」の状態になっていくのではないかと思います。

安心感を与える

 受容プロセスにめどが付いたら、ASD、ADHDの人が、周りの人に安心してもらう行動をした方がいいと思います。けれど、信頼関係はガタガタになっていることも多いです。「当事者」「周辺者」の両方とも疲れ切ってますが、関係修復ができたらいいけれど、当事者も周辺者も、「よくわからないし、一応受け入れつつあるけれど、でも」という状態なので、徐々に切り替えるしかないようです。

 ASD、ADHDの人は、「支えてもらいたい」と思っているし、周辺者のほうも「私だって、不安だから、私のほうも支えてもらいたいぐらい」という状態です。安心感を与えるには、両方が、それまでのことは「認知のずれ」「非常事態だから、感情的になった言葉をいちいち真に受けない」と思って、流すのが一番いいけど、そんなにすぐには無理。
 徐々に、お互いに安心感を与える言葉を伝えていき、様子を見ながら進めるしかないんでしょうね。「大丈夫だよ」とか、「ごめんね」とか「ひどいことを言うかもしれないけれど、遠慮なく言ってほしい」定型同士だったらできるけれど、ASD、ADHDだと、「私は悪くないと思う」とまだ、言い張っていたら、「こう言ってもらった方が、私は安心できるよ」とゆっくり伝えるしかないようです。
 私の周りでは数人に症状が出ており、反応は様々。一人は「逃避」で、症状を考えもしない状態です。一人は「怒り」状態。ほかの人のせいにしてばかりいて、進まない。「受容」段階に到達することは難しいかもしれない。この人たちの場合は、「受容」プロセスで目途が付くまでは、距離を取りつつ様子を見るしかなさそうです。もう一人は、徐々に受け入れつつありますが、「抑うつ」状態。でも、その人は、謝れるようになってきて、自分の状態を受け入れつつある。この人は、それほど言い張る性格ではないので、「こうしてみてほしい」と具体的にお願いしています。ただし、「わかった」と言っているけれど、ADHDの症状なのか、すぐに忘れてしまいます。何度も繰り返して覚えてもらうしかなさそうです。

 ASD、ADHDの人が、「周辺者」に安心感を与えるには、「言い張る」「私が正しい」と思う部分を徐々に抑えていくことが必要です。ただし、「当事者」は、抑えることが難しいからこそ、やってしまう。「周辺者」は、「当事者」に対して、ほめながら、円滑に行く方法に誘導することを繰り返す作業が必要になるようです。
 ASD、ADHDの「当事者」は、 「できないことがたくさんあるけれど、見守ってほしい。サポートをお願いします」「迷惑行為で止まらないときは、止めてください」など、「周辺者」にお願いすると、周りも安心すると思います。「当事者」が余裕がない場合は、この場合も「周辺者」がほめながら、円滑に行く方法に誘導するを繰り返して、覚えてもらうしかしょうがないみたいです。

 ただし、「ほめてまで、かかわりたくない」と「周辺者」が思っているのであれば、心が落ち着くまで、距離を取って様子を見たほうがよさそうです。

「取捨選択」

 私の場合は、「当事者」が当てはまっている症状をいくつか書きだしてみました。と言っても、多すぎると負担だけなので、気になるものをピックアップするだけ。後は、○、×、△をつけて、優先順位の一番二番をつけました。できそうなものを、当事者と一緒に考えてあげる。ただし、当事者が、「読みたくない」と言ったら、無理強いはしないこと。周辺者も同じ。「何が何だか」となることも多い症状。その場合は、いったん、お休みしましょう。

 ピックアップ後は、当事者に自分でできそうなものを選んでもらいました。数は少なめに。最初は一つは二つでいいかもしれない。ADHDの場合は、目標を決めないといつまでもやりません。反対にASDは頑固で「やる必要がない」と思ったら、一生やらないかもしれない。反対に「絶対にやる」と思い出したら、トコトンまじめです。必要なくても、違うページまで読まないと気が済まない。なので、どちらにしても、気長になるしかしょうがない。当事者の様子を見て、進めるしかなさそうです。

してきたことを許せるか

 ASD、ADHDのトラブルの中で、「当事者」「周辺者」両方の言い分があり、判別が難しいことも多いです。ASDの場合は、特に難しい。概念が分かっていないことが多い。一般的な社会基準と認識がずれることもあるから。それで、本人は悪気はないつもり。でも、周りには迷惑行為の場合、どうしたら、いいのか迷います。ある程度、ASDの性質が分かり、本人の性格からなのか、脳の性質からなのかで、考えるしかなさそうです。悪気がなくても、「腹が立つ」「嫌だ」と思うのが人間感情。「他の人だったら」とつい、思ってしまうから。ASDだとわかるまで、「どうして、そんなことをするの?」という状態になっている。ここの解消をどうするのか、書かれている本が少なかった。「水に流しましょう」と書かれてあるものがあり、当時は、「できませんよ」と思ってました。今も時々、腹が立ちます。だって、悪気がなくても、迷惑が掛かったのだから。私は嫌だったのだから。そして、「これが一生続くのか?」と不安にもなりました。ここで、相手を許すかどうかは、やはり、一般感覚と同じになるのではないかと思います。ASD、ADHDの人が、自分のしたことが、無意識でも、周りに迷惑をかけたことを自覚したかどうか。そして、「悪かった」と思えるかどうか。残念ながら、「自覚する」まで、ものすごく時間がかかるのが多いみたいです。最後まで、「私のほうが正しい」という人も多いらしく、そうなると、こじれるばかりなので、こういう場合は距離を取りつつ様子を見るしかありません。「周辺者」の気持ちが持たないのなら、「距離を取ってください」と書かれてあったものが多かったです。
   →「リセットできない場合」「心が離れている場合
 
 ADHDの場合は、概念はわかっている場合もあり、この場合は、「それでも、私のやり方を通したい」という欲求を抑えられないことが多いようです。そうなると、「周辺者」は大変です。悪気はなくても、周りは「いつも、私たちが、合わせないといけないの?」となるからです。この場合も、「周辺者」がどこまで合わせるか決めていくしかなさそうです。
 ASD、ADHDの両方とも、「相手のペースにはまると、大変になる」ようです。ものすごいまでのパワーを持って言い張る「当事者」も多いので、自分のペースに持っていくのも大変です。ASD、ADHDの人が複数いて、主導権を握っていたら、特に定型のほうが、「合わせきれない」となります。できるだけ、自分のことを守りながら行動したほうがいいみたいです。相手に合わせないと、ASD、ADHDの両方とも、まるで被害者かのようにふるまうこともあります。それに対して、無理して合わせないこと。どんなになじられても、怒られても、自分の感情と行動を大切にした方がいいようです。

 「周辺者」のほうが無理解で、「当事者」が苦しめられるパターンもあります。ASD、ADHDの人の行動が不思議すぎて、ついていけず、「周辺者」が理解できず、偏見な目で見てしまうことが多いためです。自分が理解できないものを排除したいという欲求は、脳の中で自然に起きてしまう。でも、そこを理性と、それまでの社会スキルで、ふるまいを決めます。理解してもらえそうな人なら、話し合って決められるけれど、最初から難しい場合は、お互いに距離を取りつつ様子を見るしか、方法がなさそうです。

 どちらにしても、時間がかかります。「当事者」が変わらないケースだと、相手を憎めないか、もう付き合いきれそうもないかで変わってします。悪気がなくても、ものすごく嫌なことがあって、それが今後も続くのが予想されて、耐えられるかどうかは、「周辺者」の気持ち次第です。

感情的になったら

「当事者」「周辺者」ともに、受け入れがたい状況を、どうやって考えていいのかわからず、受け止められず、混乱し、葛藤する状態の時は、「感情的になりやすい」です。その場合は、「当事者」が「周辺者」に、「周辺者」が「当事者」に答えは求めないほうがいいみたいです。どんなに答えを求めても、相手も「わからない」状態です。そして、不安があります。定型の人同士であれば、何とか支えあうこともできるかもしれませんが、できれば、冷静になれる第三者に助けを求めたほうがいいと思います。お医者さん、カウンセラーに行く、自助会に参加するという方法もあります。友人や知り合いに話を聞いてもらいたいと思うのが一番手っ取り早いと思いますが、ここで、一つ注意点。今では認知されてきているらしいですが、「ほとんどの人は、ASD、ADHDの実態を知らない」ということで、話を聞かされる方は、程度を「軽く見る」傾向があるそうで、「大丈夫だよ」と気休めを言うケースが多いみたいです。相談相手は、ASD、ADHDの症状を少しでも知っている人か、親身になって聞いてくれる人、相談に乗れるだけの人生経験が豊富な人がいいのかもしれません。
 カウンセラーなどが一番いいのかもしれません。カウンセラーについては、別の記事で紹介します。

 感情的になっている状態で、イライラする、悲しすぎる、怒り出す、冷静になれない、何もやる気が起きない、などが出ていて、いつまでも、その状態が長引くのなら「カサンドラ症候群」の症状かもしれません。それについては別の記事で紹介します。

 感情的になっている場合は、「当事者」「周辺者」は、それぞれの感情を、それぞれで処理をする方が賢明のようです。非常事態なので、お互いに受け止められるわけがない。感情的になりやすい時期なんだと思って、徐々に気持ちを落ち着けていくしかなさそうです。「当事者」の症状が重すぎて、気持ちが落ち着けそうもない場合は、「周辺者」のサポートが必要になる場合がありますが、その場合は、「周辺者」が冷静の時じゃないと難しいと思います。ASD、ADHDの症状、性質をある程度は理解してから、冷静になってから、サポートしたほうがいいかと思います。

社会スキルを身に着ける

 ASD、ADHDの両方とも、社会スキルを身に着けるというのが基本になるようです。理由は、根治治療がないからと、ASDの人の割合が、圧倒的に少ないからです。社会認知度が高くなれば、無理しなくてもいいという風潮に変わるかもしれません。

 日本の統計では、ASDで1%ぐらい。ADHDで、3%ぐらいと言われているようです。ただし、特別学級の人は省いた統計のようですし、グレーゾーンというものがあり、こちらは統計を取られていないようですが、基準を超えないけれど、症状がたくさん出ている人まで含めると、かなりの人数になるのではないかと言われているようです。

 社会スキルを身に着ける意識は、その人の育った環境と本人の性格によって違ってくるため、大人になってからの社会スキルレベルは個人差があります。
 社会スキルが低くても、不注意が多くても、衝動性が抑えられなくても、性格から来るものだと誤解されています。そのため、発見が遅れてしまっているようです。小学生ぐらいになると、症状が分かりやすくなるようですが、そのときに「専門家」に見てもらえるとは限らないようです。よほどわかりやすい症状でない限り、見つからないようです。

 日常会話をする程度では、わかりにくいようです。一緒に共同作業を長時間して、それを何度か繰り返して、それで周囲の人がおかしいと気づくようです。ところが、ASD、ADHDとも遺伝しやすいという統計が出ています。小さいころに育った環境がすでにグレーゾーンを含めて、ASD、ADHDの人が多いと、違和感を感じずに、見過ごされてしまうことも多いみたいです。そうなると、社会スキルを教えてくれるはずの両親のどちらがすでにASD、ADHDの状態だけれど、気づいていないということもあり得るため、大人になって、友達、恋人ができて、仕事に影響が出て、初めて気づかれるなんてケースもよくあるようです。

「知りましょう」

 「知りましょう」と言っても、「何を調べるの?」と戸惑います。とりあえず、本を手に取ると思います。ここで注意点。ASD、ADHDの両方とも、「字がたくさん並んでいると、訳が分からなくなる」性質があります。そのため、「当事者」が読んでいても、「ちんぷんかんぷん」と思う人もいるようです。症状が重ければ、そうなります。ASDの性質が強くて、知識欲が旺盛なら、情報整理に注意は必要ないけれど、注意欠陥で「本を読むのが得意じゃない」という人が当事者なら、「絵がいっぱいあるものを選ぶ」ほうがいいみたいです。
「絵だけ読んでね」と言ってもいいかもしれない。ADHDの人だと、「読みません」というのが多いです。「知る必要がない。君が我慢すればいい。直らないのなら医者にもいかないし、本も読みたくない」という場合は、「受容しない人もいる」を参考にしてください。
 少しでも、読んでもいいかなと思ってくれる相手なら、「5分だけでも読んでみて」とハードルを下げてみたらいいかも。

 本を何冊か読んで、それで、「もっと、具体的なことが知りたい」となると思うので、そうしたら、今度はインターネットの出番。ここで、また、注意しないといけない。インターネットの情報は、信頼できるものから、そうでもないものまでいっぱいある。お医者さん、カウンセラーのサイト(住所、身元保証付き)が一番いいのですが、後は、「文章がしっかりしている人のもの」
「愚痴がそれほど多くないもの」「対応策が書かれているもの」を選んで読むのがいいみたいです。
 相談サイトも多いので、そちらで、自分と似た事例を見つけるのも、一つの方法。でも、そこでも、同じように「書いてある文章で、人となりを判断して、信用できるかを判断」するのがいいみたいです。

 ブログなどだと、体験談がいっぱい並んでいます。そういうのから、「生の体験談」が見られるので、とても、貴重で参考になります。ただ、あまり読みすぎると、「どれがいいの?」となるので、ほどほどにして、自分の気持ちと相談しながら、ゆっくりと読んでみたらいいかなと思います。

カウンセラーについて

 カウンセラーに通う。「ちょっと抵抗が」というのが、ほとんどじゃないかと思います。それで、どんな流れなのか、調べてみました。

1.カウンセラーに状況を説明。カウンセラーは、クライエント(来談者)の話を聞きつつ、話しやすい雰囲気を作って、信頼関係を作る。

2.大まかな方針を立てる。信頼関係が、少しずつ出来上がったところで、深い部分を相談する。

3.問題点をまとめる。同時に、来談者の気持ちを和らげる。話し合って、どこを改善するか決める。

4.改善部分を、来談者が気づけなかった点などを、「大変だったね」「わかる、わかる」と共感してもらったり、理解してもらったりして、心を少しずつ軽くしつつ、「でも、こういう考えもあるよ」と視野を広げるお手伝いをしてもらえる。

 5.徐々に問題点を自分で、客観的に受け止められて、考えられて、それで気持ちも落ち着き、日常生活に支障が出なくて、めどがたったら、カウンセリングは一応終わり。後は自力で、頑張る。


 途中で、嫌になったり、気持ちがふさぎすぎたりして、中断することもあるそうです。信頼関係を作るだけで数か月かかるらしい。よって、「ものすごく時間がかかる」らしい。テレビ情報です。
 

「受容」状態

 嫌がって、怒って、何かにすがって、悲観して、そうして、ゆっくりと静かに、ASD、ADHDのことを受け止める状態が「受容」になります。ここまで到達する時間は個人差があります。瞬時に「だって、しょうがない」と受け止められる人もいるみたいですが、多くの場合は、それなりに時間を要するようです。「当事者」「周辺者」がここに到達して、初めて、色々なことを話し合えるし、対応も考えられます。どちらかが、先に到達している場合は、到達したほうが、対応について、先に考えていけばいいのではないかと思います。到達してから、ゆっくりと対応を話し合っていけばいいと思っています。
 ただし、到達しない人がいます。「受容しない人もいる」を参考にしてみてください。そういう人の場合は、待っていても、難しい場合が多いです。到達するのに、数年かかったり、底つき体験を経て、やっと、受容プロセスを踏み出す人もいるからです。この場合は、距離を取りつつ様子を見るしかなさそうです。

 「受容」段階に入ったら、安心というわけではないようです。実際は、ここからが本格的なスタートになります。スタートですので、道のりは長いです。ASD、ADHDの状態をここから一緒に考えていくことになり、平坦な道ではないからです。何しろ、認知にずれがあり、「当事者」は「周辺者」の感覚を知りながら行動しなければいけなくなるし、「周辺者」は「当事者」の行動の意味を分かっていなければ、サポートもフォローも、自分の感情の処理もできません。「当事者」の感情の処理は「周辺者」が手伝わないといけない場合もありますが、「周辺者」の感情の処理は「当事者」は余裕がないので手伝えません。そのため「周辺者」は自分の感情処理を、自分で考えていかないといけないようです。

 道のりは平たんじゃないし、トラブルだらけ、先は見えないとなると、一応「受容」はしたけれど、時々、受け止めきれなくなります。そうすると受容プロセスのどこかの段階に心が戻る場合もあります。一度、受容プロセスをたどっているので、自分の心がどの段階で止まりやすいかはわかっているはずですが、気持ちの問題ですから、なかなか切り替えが難しいところです。イライラしたら、無理をしない。怒ったり、嘆いたり、嫌な気持ちになったら、「感情的になりやすい性質のものすごく難しい問題に対処しているのだから、しょうがない」と思うしかなさそうです。自分を責めず、周囲も責めず、罪悪感も持たず、「ほどほどで行こう」と考えていくのがいいのかもしれません。

 受容後は「悟りのプロセス」へ

「抑うつ」状態

 落ち込みやすい人というのはいるようです。環境によってだけではなく、脳の性質で生まれつき、落ち込みやすい脳もあるらしい。そして、ASD、ADHDの場合も同じで、落ち込みやすいらしいです。切り替えが下手な理由は、脳が新しいことに対して不安を感じやすいから。状況が変わって、対応ができず、判断もできず、そして、トラブルが起きやすい。怒られやすいから、それで落ち込みやすい人も多くなるらしい。ADHDの場合は、見通しが甘く、「大丈夫よ」と、トラブルになっても流してしまう性質の人もいるので、そういう場合は。抑うつ状態にはならないようです。

 「抑うつ」の状態になりやすい人は、パニックにもなりやすいらしく、パニックになったら、そっと距離を取り、一人の時間を作ってあげたほうがよいそうです。「周辺者」が抑うつ状態の場合は、「カサンドラ症候群」だったら、その対応をして、それ以外だったら、その「周辺者」の性格に合わせて対応を考えていくしかなさそうです。

 物事を進めるうえでも、「当事者」が「抑うつ」状態になるのなら、「周辺者」は「大丈夫だよ」「ゆっくりやっていこう」「いくらでも教えてあげるからね」など、声をかけて、そばにいるよという安心感を与えて、パニックになりにくい心の状態を作って、注意をしたり、説明したほうが良いそうです。

 「周辺者」が抑うつ状態になったら、それは、「直る見込みが少ない、改善されるとしても、ものすごく時間がかかる、負担が大きすぎる症状を持っている「当事者」を受け止めきれなくなるのは、しょうがない」と思った方がいいと思います。「当事者」と違って、「周辺者」は先が見えます。「当事者」がどの程度改善されるのか、わかっていて、薬もないし、助けてくれる人がいたとしても、自分である程度は考えていかないといけないのに、努力の割に、改善はされないし、しかも、自分のつらさを、「当事者」が余裕がないため、わかってない。その部分だけ考えてしまうと煮詰まります。違う世界の部分をもって、切り替えながら生活するのも一つの方法です。趣味でもいいし、仕事に打ち込んでもいいし、距離を取りながら、時々、考えるというのも一つの方法です。

「取引」状態

 「取引」というのは、神様にすがる場合もあるけれど、何か別のことですり替えてしまう状態で、物事から目をそらしてしまう状態でもあるらしい。
 「善い行いをしてきたのに、なぜ? これからも、よい行いをしていきますから、何とかしてください」と考えてしまったり、神様にすがってしまったり、パワースポットに行きたくなったり、そういう状態で、この状態は、「一般的には、それほど長くは続くかない」らしいです。

 ただ、この状態にもなりやすい人がいるので要注意。感情の処理ができない状態は、判断もおかしくなり、よって、受容プロセスの「受容」になるまで、「騙されやすい状態」になる。「周辺者」は距離を取りつつ見守っていくしかなさそうです。
 「周辺者」のほうも、カサンドラ症候群状態になりやすいため、 そういう時は、何かの判断をしないほうが賢明です。「当事者」「周辺者」の両方が、この時期は、啓発セミナー、宗教関連などに誘われやすい状況でもあるので、危ないものも存在するので、この状態の時は、気を付けたほうがいいと思います。自分の気持ちをゆっくりと静かに考えて、気持ちが変わっていくのを待つしか方法がなさそうです。

「怒り」状態

 受容プロセスの「怒り」の状態が続く人も多いらしい。ASD、ADHDの両方で見られるようです。ASDの場合は、積極奇異型の場合は、この状態のままになる人も多いらしい。「当事者」は、指摘と注意される機会が多いために、さすがにアスペルガーかもしれないことは、わかりつつあるけれど、でも、「なんで、私がこんな目に遭う?」と怒ってしまう。ASDだと、「周辺者」と違う解釈をしやすいために、「周辺者」のほうがおかしいのだと言い続けてしまうケースも多いらしく、何かのせいにしてしまいやすい。理由は、頭の中で情報が駆け巡りやすい脳の性質から、情報整理ができなくて、時系列で考えることも苦手で、全体や流れで物事を見ることができないから。そのため、全体ではなく、細部にこだわった判断をしてしまう。そうして、その細部にこだわっているのは、「当事者」だけで、年齢相応の経験を積んだ「周辺者」はある程度のことは、全体を見て判断できるようになっているため、同じ状態を見ているのに、「当事者」と「周辺者」で認知のずれが起きる。全体を見ている「周辺者」からしたら、細部ばかり見て判断している「当事者」の言っていることは、正しくはないのに、ASDの性質から、「私が正しい」と言い張ってしまい、ASDの「当事者」が主導権を握っていると、トラブルが起きやすい場合も多い。「周辺者」の数が多くて、主導権を「周辺者」が握っていたら、「当事者」が孤立する。家族、親族などで遺伝が多いため、グレーゾーンも含めると、「当事者」の数が多くて、主導権も「当事者」が握っていると、「周辺者」が孤立する。どちらにしても、よい状態とは言えない。「周辺者」が孤立する場合は、程度がひどいと「カサンドラ症候群」になってしまいやすいようです。

 「当事者」の心境は、「私は間違ってない。なぜ、私が困っているのに理解をしめしてくれないのだろう?」と思い、それが「怒り」となり、「周辺者」に向けられる場合もあるし、「運が悪かった」「社会が悪い」「状況が悪いから、私のせいじゃない」など、責任転嫁もしてしまうらしい。

 怒りやすい人というのは、性格もあるので、症状からか、性格なのか、判断が難しくなります。「怒り」で止まっている人に付き合う人はめったにいません。ほとんどが距離を取ってしまいます。「周辺者」は、この状態の「当事者」に無理して付き合うと大変なので、程よい距離感を見つけて、自分のペースで動いたほうがよさそうです。

 「周辺者」の「怒り」の状態は、「なぜ、私が、この人のそばにいないといけないのだろう?」と考え、付き合いきれなくなり、怒り状態になります。トラブルだらけの人の処理をしないといけなくなり、「やってられない」「行政のバックアップがもっと良かったいいのに」「一人でフォローしきれない」という気持ちの状態です。周囲の人と比べたら、「負担が大きい、不公平だ」とぼやきたくなります。でも、そう思うのが普通だと思います。だから、インターネットでの相談サイトに、相談がたくさん並ぶのだと思います。しかも、「当事者」が被害者ぶったり、違う事実を違う人に言っていて、自分のほうが誤解されたり、嫌な気持ちをどこにぶつけていいか、「当事者」が悪気があるわけじゃない。性質から来るけれど、「性格もあるのかも」と思ってしまいます。「怒り」の心境を収めるには、「イライラした場合」を参考にしてください。感情的になりすぎる場合は「感情的になったら」を参考にしてください。「怒り」の状態を見ると、周りの人は、ASD、ADHDの「当事者」の状態をしりませんから、「周辺者」のほうが、おかしいのではないかと誤解されます。気持ちを落ち着ける方法を自分なりに見つけたほうがよさそうです。

「拒否」状態

 受容プロセスの「拒否」のままで止まってしまう人がいるようです。
「違う」「私が正しい」「あなたが合わせればいい」「君の意見は聞いていない」などの言葉が多い人は、そうなりやすいみたいです。
 その理由は、ASDの性質にあるようです。ASDは学生時代に神童と言われるケースがあるから。 そのため、学生時代から、ほめられすぎるぐらい、ほめられて大人になっていて、さらに社会的にも高い地位を得ていたり、それによって高い給料をもらっていたりするケースも多いらしい。そうなると、学歴や肩書でものを見てしまい、「肩書の低い人の言うことは聞かない」「君たちより、私は優れているから、聞かなくてもいい」とASDの「当事者」は思ってしまいやすいらしい。こういう「当事者」のそばにいる「周辺者」が、友人や知り合いに相談をしても理解してもらえないという。
「男の人は、そういうものよ」「あれだけのお給料をもらっている人なのだから、そのぐらいは大目に見たら?」「いい旦那様じゃない」「素敵な奥様じゃない」「優しそうに見えるけれど」「能力が高いのだから、それでいいと思うけれど」なんて言われてしまいやすいらしい。ASDの状態を知っていたとしても、「当事者」の症状は、よほど近くにいて、何度も共同作業をして、やっとわかる場合も多いため、近くにいる「周辺者」しか、わからないため、相談しづらい。そのため、「周辺者」が配偶者、家族だったりすると、距離も取りづらく、「カサンドラ症候群」になりやすいようです。

 残念ながら、受容プロセス「拒否」で止まるケースも多く、そして、ここで止まる人の場合は、「底つき体験」をしない限りは、自分のASD状態を受け入れないらしい。底つき体験については、別の記事で紹介します。

 「周辺者」の「拒否」は、「当事者」が改善されることがない、脳の性質から来るものだと知り、「そんなはずはない」と否定してしまいがちです。何かの間違いだと思ってしまいやすいです。拒否状態の時は、本を読んだり、インターネットを閲覧しても、「当事者」は、これに当てはまらないから、「大丈夫よ」と思って読んでしまいがちです。「拒否」状態から離脱するには、「やっぱり、この人は、ASD、ADHDかもしれない」という経験を何度も経てからになるようです。
 ずっと、「拒否」状態なら、「そんな状態は嫌だ」と受け止めきれないままの状態で、逃避かもしれません。考えないようにすれば、ASD、ADHDじゃないからという心の状態の場合は、なかなか難しいようです。

治療方法はあるのか?

 残念ながら、ASDとADHDの根治治療は、まだないようです。対症療法はありますが、なかなか難しいようです。
 まず、薬ですが、ASDを改善するような薬はありません。気分の落ち込みなどで薬を使うことはあるようですが、メカニズムも徐々に明らかになってきているという程度で、まだまだのようです。ADHDのほうは、脳内物質の伝達方法の改善のお薬とか、気分の落ち込みのためのお薬とか、その程度で、こちらも、まだまだのようです。

 そのために、子供ですと療育というものを受けられるようです。大人ですと、状態があまりにひどければ、様々な手続きを経て、仕事のサポートをしてもらえたりすることはあるようですが、行政のバックアップは、まだまだのようです。

 大人になって、ASD、ADHDかもしれないと思ってから、できることは、社会スキルを身に着けたり、「専門家」に相談したり、ということになりますが、なかなか難しいようです。

受容プロセス

 ASD、ADHDを受け止められるようになるまでのプロセスです。順番や期間は個人差があります。

   受容プロセス

第一段階
拒否ASD、ADHDと言われたら、「そんなバカな」と最初は受け入れられません。そういうものだと思います。でも、拒否したところで、どこかで「もしかして」と思っている自分もいます。


第二段階
怒り」受け入れられない事態になって、何かのせいにしたくなります。「社会が悪い」「親が悪い」「先生が悪い」「教育が悪い」「食べ物が悪かった」「運が悪い」そう言って、心を慰めても、怒りが強くて、イライラします。八つ当たりしたくなるし、相手の顔を見るのも嫌。そんな状態です。

第三段階
取引」神様にお願いしたくなる期間。よいことをするから、神様、運命を変えてほしいとか、他のことと引き換えにしてほしいと言ってしまう状態。パワースポットに行きたくなったり、宗教に頼ったり。

第四段階
抑うつ」拒否しても、怒っても、神様にお願いしても、それでもアスペルガー、ADHDの症状は出てしまう。それで悲観し始めます。悲しんで、落ち込んで、ため息が多くなります。

第五段階
受容」徐々に、静かに、事態を受け入れます。いろいろ葛藤したけれど、身近な人にASD、ADHDの症状が出てしまっている。だったら、それを受け入れよう。そういう状態です。


どこに一番時間がかかるかが個人差が出るらしい。ほかの困難な問題でも、似たような心の葛藤をするみたいです。怒りっぽい人は怒りっぽいし、悲観しやすい人は、他の問題でも悲観しやすいらしい。

 「受容」した後は、→「悟りのプロセス」へ

受容しない人もいる

 第二段階の「怒り」で止まっちゃって、その後、「わたしのせいじゃない」と言い張ってしまう人もいます。残念ながら、ASD、ADHDの両方ともが、そういう人が多いそうです。そういう状態の人の場合は、程度と関係性によりますが、「距離を取りつつ、様子を見る」しか方法がないようです。ただ、問題なのは、関係性。ここで、ASD、ADHDの可能性がある人が、自分が保護をしないといけない立場の人だったら、「離れるわけにいかない」ということになります。関係性によって、距離を取りづらいこともあります。ここで大事なのは、周辺者の心の状態です。「トコトン付き合ってあげるよ」なんて状態の心の広い人はめったにいません。ほとんどの人が、「自分の生活と心が大事」だと思います。ASD、ADHDの人は、時に攻撃性が強い方もいますし、ADHDの人は金銭問題を起こす人もいます。そういう場合は、「あなたの生活を第一に考えて、距離を取った方がいいと思います」となるようです。金銭問題もADHDで、繰り返していて、本人が懲りていない場合は、「周辺の人は代わりに払うことはやめておいた方がいいでしょう」となっているみたいです。友人の場合だと、無理はしないほうがいいと思います。

 大事なのは、ASD、ADHDは心が通い合わないことが多いために、精神的にものすごく疲れる症状が、ずっと続くということです。「それに、ずっと合わせられないことに、罪悪感は持たないでください」と書かれてあるものが多いです。

 「周辺者」が受容できないというパターンもあります。とても難しい問題なので、そこで罪悪感は持たず、気持ちが落ち着くまで待つしかありません。どうしても、受容できないのなら、「専門家」に相談したほうがいいと思います。

 どんな形のグループにするかを迷っているのなら、「グループの形」へ
 

ADHDのタイプの相性

 ADHDは、一説によると学校のクラスに一人はいる割合になるそうです。よって、どこかで出会う確率は高くなり、ADHD同士でグループが一緒になることもありますし、遺伝がありますから、家族だとグレーゾーンも含めて、複数の人に症状が出る場合もあります。

不注意優勢型VS不注意優勢型
 気づかない者同士で、のんびり、失敗しても、次は気を付けるだろうと、ミスがそのままにされるケースが多いそうです。親子だと、子供がそのうち気づくだろうと、不注意が多いまま、育ってしまうこともあるそうです。

不注意優勢型VS 多動性・衝動性優勢型
 不注意が多くて気づかないタイプと、絶えず動き回っていて、コロコロ気分が変わり、おしゃべりなタイプだと、多動性・衝動性優勢型のほうが主導権を握る場合が多いです。不注意が多い人にイライラしやすく、叱る回数も多めになるようです。けれど、叱り方は一方的で、相手に合わせてはいないので、不注意タイプが委縮しやすいようです。

多動性衝動性優勢型VS多動性衝動性優勢型
 両方ともおしゃべり。気分もころころ変わって、相手に合わせません。言いあう時もあり、意気投合するときもあります。

混合型との相性は、どの症状が出るかわからず、個人差が出ます。ただし、アスペルガー症候群などと合併症が出る場合があり、どんな行動をするのかは、個人差が出るようです。

*DSM基準では、「型」ではなく、「状態」とされているようです。

ADHDのタイプ

 ADHDにはタイプが3つあります。「専門家」によっては、タイプわけの数が多いものがありますが、ここでは一般的に使われているものを紹介します。

不注意優勢型
 おっちょこちょい、うっかりものに見られている。注意力散漫で忘れっぽく不注意が多いタイプ。割とおとなしめ。

多動性・衝動性優勢型
 衝動が抑えられず、落ち着きがない。突発的な行動。気分がころころ変わり、飽きっぽいタイプ。積極的でおしゃべりな人が多い。

混合型
 不注意も多動性・衝動性もすべて出ているタイプ。一般的には、これが最も多くの人に出ているそうです。

 一人の日本人の「専門家」が分かりやすくするために、アニメの登場人物に例えて紹介していることが普及しています。不注意優勢型は、ドラえもんののび太。多動性・衝動性優勢型はジャイアン。よって、これで紹介されているのは日本だけのようです。ジャイアン、のび太の特徴は当てはまっているようですが、個人差があるため、こういう人だけじゃないようです。
 混合型が一番多く、どの特徴が強く出るかは、個人差があり、対応方法は異なります。

*DSMでは、「型」ではなく、「状態」とされているようです。



アスペルガータイプ別相性

 アスペルガーは主に三つのタイプがあります。タイプの分け方は、人との接し方での違いです。L.ウイングというイギリスの精神科医が分類しました。アスペルガーの研究を一般的に知られるようになったのは、この人の論文がきっかけのようです。「アスペルガー症候群」と名付けました。

積極奇異型
 自分から、どんどん話しかけて、馴れ馴れしいと思われるけれど、上司、目上にかわいがられやすい。ただし、空気は読めない、距離感は取れない。問題行動をしがちで、目立つ。悪気がなくても、自己中心的にみられる。

受動型
 なんでも、合わせちゃうタイプ。目立たず、意見がないかのように見える。主体性がないから、よい人だといいけれど、悪い人に付け込まれやすく、損しやすい。素直で真面目な人が多い。

孤立型
 怖がりで、失敗することや、トラブルを恐れるために、周りに興味を示さないタイプと、最初から、まったく人に興味を示さないタイプと諸説あり。
                                                     

 すべてのタイプに共通しているのは、他者の心を理解することができない。想像できないこと。よって、コミュニケーションに問題が出てしまう。どのタイプでもコミュニケーションで問題が出て、会話に気を付けないといけないことになります。「周辺者」は、タイプに合わせて、相手の性格にも合わせて、状況も考えて、会話の内容を考える必要があります。トラブルメーカーの場合は距離感を気を付けたほうがよさそうです。ADHDなどと合併症があると、どの症状が出るかわからないようです。

 そして、アスペルガーは遺伝があります。家族間だと、複数に症状が出ている場合があり、グレーゾーンの人でも注意が必要になります。問題なのは、タイプの変遷が、孤立→受動→積極奇異と言われていますが、どのタイプで止まるか、個人差があること。家族間で、タイプが異なると、さらに状態が悪くなる。
                                                               

積極奇異型VS積極奇異型
 言い張りやすい者同士、気が合えばいいけれど、合わない意見だと、言い合いになるばかり。相手に合わせられない者同士だから、もめたら、距離を取った方が安全かも。

積極奇異型VS受動型
 言い張る積極奇異に合わせる受動。主導権は積極奇異ばかり取り、受動型が損をし続けることもあるので、「周辺者」が気づいたら、止める方がいいかも。

積極奇異VS孤立
 お互いに合うわけがない。話しかけたい人と、話しかけてほしくない人。早めに合わないと気づいて、会話は少ないかも。

 受動型VS受動型
 相手に合わせるので、急いで結論を出す場合、どちらも、相手の出方を待って進まない。「周辺者」がいたら、補助したほうがいい。

受動型VS孤立型
 ほっといてほしい孤立。相手に合わせる受動。静かな組み合わせ。

孤立型VS孤立型
 自分の世界で生きるもの同士で楽なはず。自由に生きたほうが、いいかも。

*このページでは名称はアスペルガーのままにしてあります。

サトマリ アスペルガー 診断基準

1.社会的孤立(次のうち少なくとも2つ)

 (a) 親しい友達がいない。
 (b) 人との接触を避ける
 (c) 友達作りに関心がない
 (d) 自分ひとりの世界を好む

2.社会的相互作用の欠陥(次のうち少なくとも1つ)

(a) 自分の必要なときだけ人と接する
 (b) 人への接し方が不器用
 (c) 友達に対する一方的な接し方
 (d) 人の気持ちを感じ取るのが困難
 (e) 人の気持ちに無関心

3.非言語コミュニケーションの欠陥(次のうち少なくとも1つ)

(a) 表情が乏しい
 (b) 子供の表情から感情を読み取れない
 (c) 目で意思を伝えることができない
 (d) ほかの人に視線を向けない
 (e) 手を使って意思を表現しない
 (f) 身ぶりが大げさでぎこちない
 (g) 人に近づきすぎる

4.話し言葉と言語の特質(次のうち少なくとも2つ)

(a) 抑揚のおかしさ
 (b) 口数が多すぎる
 (c) 口数が少なすぎる
 (d) 会話に一貫性がない
 (e) 一種独特な言葉の用い方
 (f) 繰り返しの多い話し方

アスペルガー ギルバーク 診断基準

1 社会性の欠陥(極端な自己中心性)(次のうち少なくとも2つ)
  (a) 友達と相互に関わる能力に欠ける
  (b) 友達と相互に関わろうとする意欲に欠ける
  (c) 社会的な合図の理解に欠ける
  (d) 社会的・感情的に適切さを欠く行動

2 興味・関心の狭さ(次のうち少なくとも1つ)
  (a) ほかの活動を受けつけない
  (b) 固執を繰り返す
  (c) 固定的で無目的な傾向

3 決まりや興味・関心の押しつけ(次のうち少なくとも1つ)
  (a) 自分に対して、生活上で
  (b) 他人に対して

4 言葉と言語表現の特質(次のうち少なくとも3つ)
  (a) 発達の遅れ
  (b) 表面的には誤りのない表出言語
  (c) 形式的で、もったいぶった言語表現
  (d) プロソディ(韻律)の奇妙さ、独特な声の調子
  (e) 表面的・暗示的な意味を誤解するなどの言語理解の悪さ

5 非言語コミュニケーションの問題(次のうち少なくとも1つ)
  (a) 身ぶりの使用が少ない
  (b) ボディ・ランゲージ(身体言語)のぎこちなさ・粗雑さ
  (c) 表情が乏しい
  (d) 表現が適切でない
  (e) 視線が奇妙、よそよそしい

6 運動の不器用さ
  神経発達の検査成績が低い


 ICD、DSMはわかりにくいため、ギルバーグによる診断基準で紹介しているページも多かったです。

DSM-Ⅳ アスペルガー 診断基準

A 対人相互反応の質的な障害。(少なくとも二つ現れる)

  1. 目と目で見つめ合う、顔の表情、体勢、身振りなど、対人相互反応を調整する多彩な非言語的行動の使用の著名な障害  
  2. 発達の水準に相応した仲間関係を作ることの失敗  
  3. 楽しみ、興味、達成感を他人と分かち合うことを自発的に求めることの欠如(例:ほかの人たちに興味あるものを見せる、持ってくる、指すなどをしない) 
  4. 対人的または情緒的相互性の欠如 
B 行動、興味及び活動の限定的、反復的、常同的な儀式、(少なくとも一つ現れる)
  1. その強度または対象において異常なほど常同的で限定された型の一つまたはそれ以上の興味だけに熱中すること  
  2. 特定の機能的でない習慣や儀式にかたくなにこだわるのが明らかである  
  3. 常同的で反復的な衒奇(げんき)的運動 例:手や指をばたばたさせたり、ねじ曲げる、または複雑な全身の動き 
  4. 物体の一部に持続的に熱中する
C その障害は社会的、職業的、またはほかの重要な領域における機能の臨床的に著しい障害を引き起こしている  

D 臨床的に著しい言語の遅れがない 例:2歳までに単語を用い3歳までにコミュニケーション的な句を用いる 

E 認知の発達、年齢に相応した自己管理能力、(対人関係以外の)適応行動、および小児期における環境への好奇心について臨床的に明らかな遅れがない 

F ほかの特定の広汎性発達障害または統合失調の基準を満たさない

ICD-10 アスペルガー診断基準

A.表出性・受容性言語や認知能力の発達において、臨床的に明らかな全般的遅延はないこと。

 診断のあたっては、2歳までに単語の使用ができており、また3歳までに意志の伝達のための二語文(フレーズ)を使えていることが必要である。身辺処理や適応行動および周囲に向ける好奇心は、生後3年間は正常な知的発達に見合うレベルでなければならない。しかし、運動面での発達は多少遅延することがあり、運動の不器用さはよくある(ただし、診断に必須ではない)。突出した特殊技能が、しばしば異常な没頭にともなってみられるが、診断に必須ではない。

B.社会的相互関係における質的異常があること(自閉症と同様の診断基準)。

 (a)  視線・表情・姿勢・身振りなどを、社会的相互関係を調整するための手段として適切に使用できない。
 (b)(機会は豊富にあっても精神年齢に相応した)友人関係を、興味・活動・情緒を相互に分かち合いながら十分に発展させることができない。
  (c)社会的・情緒的な相互関係が欠除して、他人の情動に対する反応が障害されたり歪んだりする。または、行動を社会的状況に見合ったものとして調整できない。あるいは社会的、情緒的、意志伝達的な行動の統合が弱い。
 (d)   喜び、興味、達成感を他人と分かち合おうとすることがない。(つまり、自分が関心をもっている物を、他の人に見せたり、持ってきたり、指し示すことがない)

C.度外れた限定された興味、もしくは、限定的・反復的・常同的な行動・関心・活動性のパターン
(自閉症と同様の診断基準。しかし、奇妙な運動、および遊具の一部分や本質的でない要素へのこだわりをともなうことは稀である)。
 次に上げる領域のうち少なくとも1項が存在すること。

 (a)  単一あるいは複数の、常同的で限定された興味のパターンにとらわれており、かつそ の内容や対象が異常であること。または、単一あるいは複数の興味が、その内容や対    象は正常であっても、その強さや限定された性質の点で異常であること。
 (b)  特定の無意味な手順や儀式的行為に対する明らかに強迫的な執着。
  (c)手や指を羽ばたかせたり絡ませたり、または身体全体を使って複雑な動作をするなどといった、常同的・反復的な奇異な行動。
 (d) 遊具の一部や機能とは関わりのない要素(たとえば、それらが出す匂い・感触・雑音・ 振動)へのこだわり。

D.障害は、広汎性発達障害の他の亜型、単純型分裂病、分裂病型障害、強迫性障害、強迫性人格障害、小児期の反応性・脱抑制性愛着障害などによるものではない。

アスペルガーの基準(文科省)


主な発達障害の定義について

自閉症の定義 <Autistic Disorder
(平成15年3月の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」参考資料より作成)
 自閉症とは、3歳位までに現れ、1他人との社会的関係の形成の困難さ、2言葉の発達の遅れ、3興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする行動の障害であり、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される。

高機能自閉症の定義 <High-Functioning Autism
(平成15年3月の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」参考資料より抜粋)
 高機能自閉症とは、3歳位までに現れ、1他人との社会的関係の形成の困難さ、2言葉の発達の遅れ、3興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする行動の障害である自閉症のうち、知的発達の遅れを伴わないものをいう。
 また、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される。


注意欠陥/多動性障害(ADHD)の定義 <Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder
(平成15年3月の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」参考資料より抜粋)
 ADHDとは、年齢あるいは発達に不釣り合いな注意力、及び/又は衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で、社会的な活動や学業の機能に支障をきたすものである。
 また、7歳以前に現れ、その状態が継続し、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される。

アスペルガー症候群とは、知的発達の遅れを伴わず、かつ、自閉症の特徴のうち言葉の発達の遅れを伴わないものである。なお、高機能自閉症やアスペルガー症候群は、広汎性発達障害に分類されるものである。

厚生労働省の基準

発達障害の理解のために

発達障害者支援法ができるまで

「発達障害」は、身近にあるけれども、社会の中で十分に知られていない障害でした。
また、「発達障害」のある人は、特性に応じた支援を受けることができれば十分に力を発揮できる可能性がありますが、従来はその支援体制が十分ではありませんでした。
このような背景を踏まえ、発達障害について社会全体で理解して支援を行っていくために、平成17年4月から「発達障害者支援法」が施行されています。

発達障害ってどんな障害?

発達障害者支援法において、「発達障害」は「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」と定義されています。


○様々な発達障害のタイプ
※ 以下の例は発達障害の症状における特性の一例であり、他にも様々なタイプの特性があります。また、これらの特性だけをもって断定されるものではありません。
≪自閉症の人の例≫
急に予定が変わったり、初めての場所に行くと不安になり動けなくなることがよくあります。そんな時、周りの人が促すと余計に不安が高くなって突然大声を出してしまうことがあります。周りの人には、「どうしてそんなに不安になるのか分からないので、何をしてあげたらよいかわからない」と言われてしまいます。
でも、よく慣れた場所では誰よりも一生懸命、活動に取り組むことができます。
≪アスペルガー症候群の人の例≫
他の人と話している時に自分のことばかり話してしまって、相手の人にはっきりと「もう終わりにしてください」と言われないと、止まらないことがよくあります。周りの人には、「相手の気持ちがわからない、自分勝手でわがままな子」と言われてしまいます。
でも、大好きな電車のことになると、博士と言われるぐらい専門家顔負けの知識を持っていて、お友達に感心されます。
≪学習障害(LD)の人の例≫
会議で大事なことを忘れまいとメモをとるのだけれど、本当は書くことが苦手なので、書くことに集中しようと気を取られて、かえって会議の内容が分からなくなることがあります。後で会議の内容を周りの人に聞くので、頑張っているのに周りの人には、「もっと要領良く、メモを取ればいいのに」と言われてしまいます。
でも、苦手なことを少しでも楽にできるように、ボイスレコーダーを使いこなしたり、他の方法を取り入れる工夫をすることができます。
≪注意欠陥多動性障害(AD/HD)の人の例≫
大切な仕事の予定をよく忘れたり、大切な書類を置き忘れたりしてしまいます。周りの人にはあきれられ、「何回言っても忘れてしまう人」と言われてしまいます。
でも、気配り名人で、困っている人がいれば誰よりも早く気づいて手助けすることができます。
≪その他の発達障害≫
上の3つのタイプの他にも、トゥレット症候群のようにまばたき・顔しかめ・首振りのような運動性チック症状や、咳払い・鼻すすり・叫び声のような音声チックを主症状とするタイプのものも、発達障害者の定義には含まれています。
○様々なタイプを踏まえて
これらのタイプのうちどれにあたるのか、実際には障害の種類を明確に分けて診断することは大変難しいとされています。障害ごとの特徴が、それぞれ少しずつ重なり合っている場合も多いからです。また、年齢や環境により目立つ症状が違ってくるので、診断された時期により、診断名が異なることもあります。
大事なことは、その人がどんなことができて、何が苦手なのか、どんな魅力があるのかといった「その人」に目を向けることです。そして、その人その人に合った支援があれば、だれもが自分らしく、生きていけるのです。

みなさんにわかってほしいこと

発達障害について、よくみられる誤解をまとめてみました。
○診断名に対する誤解
「軽度発達障害は、軽い障害である」
「知的障害を伴う自閉症は、発達障害には含まれない」
「広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害だけが発達障害だ」
・ 以前は、知的な遅れを伴わない高機能自閉症、アスペルガー症候群、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(AD/HD)などを「知的障害が軽度である」という意味で「軽度発達障害」と称することがありました。しかし、知的な遅れがない人の中にも、その他の部分で重篤な困難さをもっているケースがあります。ですから、「障害そのものが軽度」と誤解される可能性を危惧して、最近では「軽度発達障害」という言葉は、あまり使われなくなってきています。(平成19年3月に文部科学省から「軽度発達障害」という表現を、原則として使用しない旨の通達が出されました)
・ 発達障害は、知的な遅れを伴う場合から知的な遅れのない人まで広い範囲を含んでいます。知的障害を伴っていても、自閉症としての理解に基づいた支援が必要である場合も多いことに留意すべきです。また、発達障害者支援法は、「その他の障害」について詳しく障害名をあげていませんが、「トゥレット症候群」といった障害も対象に含まれています。
○障害の予後についての誤解
「発達障害は能力が欠如しているから、ずっと発達しない」
「発達障害は一つの個性なので、配慮しないままでもそのうち何とかなる」
・ 発達障害は「先天的なハンディキャップなので、ずっと発達しない」のではなく、発達のしかたに生まれつき凸凹がある障害です。人間は、時代背景、その国の文化、社会状況、家庭環境、教育など、多様な外的要因に影響を受けながら、一生かけて発達していく生物であり、発達障害の人も同様であると考えていいでしょう。つまり、成長とともに改善されていく課題もあり、必ずしも不変的なハンディキャップとは言い切れないのです。もちろん個人差はありますが、「障害だから治らない」という先入観は、成長の可能性を狭めてしまいます。周囲が彼らの凸凹のある発達のしかたを理解しサポートすることにより、「ハンディキャップになるのを防ぐ可能性がある」という視点をもつことは重要です。
・ 一方で、発達障害は一つの個性だから配慮は必要がないと考えるのも行き過ぎです。現在では、成人になった発達障害者が、小さい頃から配慮が受けられず困難な環境の中で苦労して成長してきたことを教えてくれる本なども出版されてきています。
○支援方法についての誤解
「自主性尊重が大事で、大人があれこれ手を出すのは良くない」
「有名な訓練方法を取り入れれば、それだけで治る」
・ 発達障害の人の中には、本人任せにされるよりも、実は「きちんと教えて貰うこと」「きちんと止めて貰うこと」が必要な場合が多くあります。もちろん、一律的なやり方ではダメで、その人に合ったやり方を工夫しなければなりません。その反対に、良かれと思って一方的に有名な訓練方法を取り入れても、本人が何に困っているのかきちんと把握しないままでは、本人にとっては迷惑な話かもしれません。
・ 支援者の中には「自分が培ってきたノウハウが、そのまま新しく支援対象として位置づけられた発達障害者の支援にも良いはずだ」という思いこみをもってしまうことがあります。しかし、ノウハウのどの部分が目の前にいる発達障害者に適切で、どの部分が不適当なのかあらためて点検する必要があります。
○まちの中で見られる行動への誤解
「キーキー声を出すこどもやパニックは迷惑だから、外出させない方がよい」
「発達障害の子がパニックを起こしたら、大勢で協力して止めにいくのがよい」
・ 発達障害の子も、家の中に閉じこもっているだけではなく、町の中で様々な行動のしかたやルールを学んでいきます。しかし、発達障害のこどもが騒いだり、パニックを起こしたりしているときに「何で親は厳しく叱からないんだ」と周囲をイライラさせてしまう場合があるかもしれません。しかし、発達障害の子の中には、少しの時間待ってあげる方が、無理に叱るよりもずっと早く混乱から抜け出すことができることもあります。
・ 道路で寝ころんでしまったときなどは、移動させるのを手伝って貰うと家族は助かりますが、沢山の人が一斉に近づくことは逆に興奮させてしまうこともあります。上手に発達障害の子の混乱に対応できなくても、「あれは発達障害の子のパニックだ。そのうち落ち着くだろう」と知識を持っていてくれるだけで、本人も家族もずいぶん楽になるのです。

「発達障害」の相談窓口

≪発達障害者支援センター≫
各都道府県等で、発達障害者の日常生活(行動やコミュニケーション等)についての相談支援や発達支援、就労支援(必要に応じて公共職業安定所、地域障害者職業センター及び障害者就業・生活支援センター等と連携)、普及啓発及び研修を行っています。
また、障害の特性とライフステージにあわせた支援を提供するために、医療、保健、福祉、教育及び労働等の各関係機関と連携を図ります。

名称がたくさんあるけど、どれなの?

 アスペルガー症候群、アスペルガー障害、ASD(自閉症スペクトラム症)、高機能自閉症、PDD(広汎性発達障害)。名称がいっぱいありますが、どれも同じような症状だったりします。この理由は、基準によって違うから。その基準も改訂されるので、そのたびに定義が変化します。

ADHD、ADD,注意欠陥多動症、注意欠如多動症。こちらも同じです。ADDは、ADHDの子供が大人になると多動の部分が見られなくなるとそう呼ばれるようです。

基準は国によって違います。一番大きな基準は、教科書でおなじみの「WHO」世界保健機関。この基準を採用しているのは、主に行政です。ICDと言います。日本の発達障害に対する法律は、過去に何度か改訂されたり、変わりました。現在は、発達障害者支援法となっています。ICDを基準にする「専門家」も多いです。ICDでも、自閉症スペクトラムとなっています。

現在は、DSM(アメリカ精神医学会基準)では、アスペルガー症候群と呼ばれず、ASD(自閉症スペクトラム症)となっているようです。

PDD-自閉症、アスペルガー症候群のほか、レット障害、小児期崩壊性障害、特定不能の広汎性発達障害が含まれる。

ASD-アスペルガー症候群、高機能自閉症、早期幼児自閉症、小児自閉症、カナー型自閉症を統合した名称。



アスペルガーと、ADHDのケアをする専門家は、主に二つに分かれます。医学を修めた方。心理学を勉強した方。国家資格はそれぞれあり、医師と公認心理士。公認心理士は、これからの資格なので、わかっていないことが多いようです。民間資格である臨床心理士がカウンセラーとして一番、信用される資格でした。法律が変わるようなので、どうなるかわかりません。「専門家」が採用しているもので多いのは、精神医学の先進国のアメリカの基準です。DSMと言います。専門家さんたちが扱うのは、アスペルガーやADHDだけじゃないので、それを基準にするのがDSMが多いようです。ヨーロッパではウィングが提唱したアスペルガー症候群の概念で考えるようです。積極奇異型、受動型、孤立型とタイプを分けたのもウィングです。1944年にオーストリアの小児科医であるハンスアスペルガーが論文を発表して、三十数年も経った、1981年にアスペルガー症候群としてイギリスの女医ローナウィングが論文を発表したようです。注目されたのは、これ以降になるようです。

 違う部分もあるようですが、大まかに分けるとDSM、ICDの概念と、ローナ・ウィングの概念の二つに分かれるようです。

 ADHDのほうは諸説あるようですが、1800年頃に、症例が示されている文献があるようです。1902年には、ジョージFスティルという人が、講演を行ったとされているようです。当時の病名はスティル氏の名前に由来したもので、ADHDではなかったようです。1960年代になって、はじめて、アメリカのDSMに掲載されて、多動について書かれ、その後、不注意生についても追加されると言う変遷をたどったようです。1980年にADHDと言う名前が出てきます。



 専門家が、ICD、DSMなど、どれを基準にしているかで、アスペルガー症候群、ASDと診断名が違っているようで、ややこしくなっているようです。本、インターネットの情報は、基準の改訂前や後で名称と分類が違ってきます。書かれた時期や参考にしている基準を調べてからのほうがいいようです。ギルバーグ、サトマリの診断基準もあります。1960年ごろにはICDに、アスペルガー症候群が載っていたようですが、そのほかの基準で、アスペルガー症候群が含まれるようになったのは、1990年前後が多いようです。

「専門家」の診断基準は、ICD、DSMとなり、本などで書かれているのは、ローナ・ウィングの三つの組、ギルバーグなどを参考にして書かれているものも多いようです。




このサイトでは、一般的に知られている、ASDとADHDの名称を使っていきます。(前はアスペルガーと表記していました。名称は時代によって変化しているため、アスペルガーのままとASDと必要に応じて、変えてあります)

*かなり前に診断された方の中には、お医者さんを変更される方も多く、そのたびに、診断名が次々と変わってしまった人も多いようです。診断される医師の技量もあるらしく、統合失調症と言われたとか、境界性人格障害、双極性障害と言われたという書き込みもちらほら見かけました。アスペルガー症候群、ADHDの症状に詳しい医師に相談したほうが安心で安全です。発達障害者支援センターに相談したほうが、いいかもしれません。



ADHDの特徴

ADHDの大まかな特徴

・計画を立てたり、順序立てて仕事や作業を行うことが苦手
・細かいことにまで注意が及ばないので、仕事や家庭でもケアレスミスが多い
・約束などを忘れたり、時間に遅れたり、締め切りなどに間に合わない
・片づけが苦手で乱雑になってしまう
・同時に多くの情報を取り入れるのが苦手なので、一度に多くの指示や長い説明をされると混乱する
・手間がかかったり、時間がかかったりして、集中が必要なものは後回しにしがち
・何かに「はまる」と、ほどほどで止めることができず、なかなか抜け出せない(読書やネットサービス、ゲームなど)
・長時間座っていることが苦手で、手足がむずむずしてくる


ここからは、私独自の追加点。ほかにもいっぱいあると思う。

・ワーキングメモリーの働きが弱いと言われるため、それらを使う作業が遅くなる。情報処理が遅いため、会話についていくのが大変。
・記憶が飛ぶ。
・相手の話を聞いてない。
・「そんなことあったっけ?」が多い。
・借金を繰り返す人もいる。懲りない。
・お金がなくても平気。
・脳内物質が足りないから起こる。


アスペルガーの特徴

アスペルガーの大まかな特徴

ローナ・ウィングの論文で3つの組に分けています。これが一般的に知られています。

1、社会性(対人関係)の障害

・相手の気持ちや状況を考えないことが多い。
・関わり方が一方的、マイペースな場合が多い。
・相互的な関わりが持てない。
・空気が読めない
・一般常識が分かっていない
・感情、気持ちがわかってない場合が多い。
・相手の気持ちに立てない。

2、コミュニケーションの障害

・言葉の意味の解釈を間違えることがある。額面通りの言葉として受けとめる。
・言葉の裏の意味が分からない。
・相手の気持ちを想像することが難しい。
・顔の表情や声の抑揚など、わかってないことが多い。
・相手の表情を見ないで、興味が無さそうでも、延々と話し続けてしまう。
・非言語的コミュニケーションが苦手。

3、想像力の障害と特異的な行動

・興味があるもの、ないものがはっきりしている。
・先を見通して、考えられない。今を生きている。
・前に同じことをしていても、ちょっと変化があれば、応用がきかない。
・友達とのやり取りでの遊びができなかったりする。
・考えや気持ちの切り替えが下手だったりする。
・同じことばかり言ったり、したりする。     
そのほか、

明確な指示がないと動けない
場の空気を読むことができない、空気に沿った対応ができない
冗談が通じず、会話の行間や間を読むことができない
曖昧なことを理解できない
好きなことは永遠とやり続けてしまう、話し続けてしまう
スケジュール管理ができない
自分が興味のないことは頑なに手を出そうとしない
急な変更にうまく対応できず、だまされやすい
名前を呼ばれないと自分だと気が付かない
 相手の気持ちをおもんぱかれない、人を傷つけることを平気で言う

なども、書かれている場合が多かったです。


 ほかにもたくさんあるのだと思います。本に載っていない情報があり、ここからは、私が感じた特徴も追加しておきます。ほかにもたくさんあるとは思いますが、思いつく範囲で。


・長期記憶が抜群と言われているけれど、記憶力は個人差がある
・短期記憶が弱い人もいる。記憶が抜け落ちる。
・問題が起きると逃げ出す。

・いじける、すねる人もいる。
・善悪の判断がおかしい時もある。
・一度にたくさんのことを考えすぎるため、考えがまとめられない。
・傷つきやすい。
・空気が読めるタイプ(受動型)がいる。
・時系列で考えることが苦手。
 

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医