受容プロセスにめどが付いたら、ASD、ADHDの人が、周りの人に安心してもらう行動をした方がいいと思います。けれど、信頼関係はガタガタになっていることも多いです。「当事者」「周辺者」の両方とも疲れ切ってますが、関係修復ができたらいいけれど、当事者も周辺者も、「よくわからないし、一応受け入れつつあるけれど、でも」という状態なので、徐々に切り替えるしかないようです。
ASD、ADHDの人は、「支えてもらいたい」と思っているし、周辺者のほうも「私だって、不安だから、私のほうも支えてもらいたいぐらい」という状態です。安心感を与えるには、両方が、それまでのことは「認知のずれ」「非常事態だから、感情的になった言葉をいちいち真に受けない」と思って、流すのが一番いいけど、そんなにすぐには無理。
徐々に、お互いに安心感を与える言葉を伝えていき、様子を見ながら進めるしかないんでしょうね。「大丈夫だよ」とか、「ごめんね」とか「ひどいことを言うかもしれないけれど、遠慮なく言ってほしい」定型同士だったらできるけれど、ASD、ADHDだと、「私は悪くないと思う」とまだ、言い張っていたら、「こう言ってもらった方が、私は安心できるよ」とゆっくり伝えるしかないようです。
私の周りでは数人に症状が出ており、反応は様々。一人は「逃避」で、症状を考えもしない状態です。一人は「怒り」状態。ほかの人のせいにしてばかりいて、進まない。「受容」段階に到達することは難しいかもしれない。この人たちの場合は、「受容」プロセスで目途が付くまでは、距離を取りつつ様子を見るしかなさそうです。もう一人は、徐々に受け入れつつありますが、「抑うつ」状態。でも、その人は、謝れるようになってきて、自分の状態を受け入れつつある。この人は、それほど言い張る性格ではないので、「こうしてみてほしい」と具体的にお願いしています。ただし、「わかった」と言っているけれど、ADHDの症状なのか、すぐに忘れてしまいます。何度も繰り返して覚えてもらうしかなさそうです。
ASD、ADHDの人が、「周辺者」に安心感を与えるには、「言い張る」「私が正しい」と思う部分を徐々に抑えていくことが必要です。ただし、「当事者」は、抑えることが難しいからこそ、やってしまう。「周辺者」は、「当事者」に対して、ほめながら、円滑に行く方法に誘導することを繰り返す作業が必要になるようです。
ASD、ADHDの「当事者」は、 「できないことがたくさんあるけれど、見守ってほしい。サポートをお願いします」「迷惑行為で止まらないときは、止めてください」など、「周辺者」にお願いすると、周りも安心すると思います。「当事者」が余裕がない場合は、この場合も「周辺者」がほめながら、円滑に行く方法に誘導するを繰り返して、覚えてもらうしかしょうがないみたいです。
ただし、「ほめてまで、かかわりたくない」と「周辺者」が思っているのであれば、心が落ち着くまで、距離を取って様子を見たほうがよさそうです。