始めに

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してきたことを許せるか

 ASD、ADHDのトラブルの中で、「当事者」「周辺者」両方の言い分があり、判別が難しいことも多いです。ASDの場合は、特に難しい。概念が分かっていないことが多い。一般的な社会基準と認識がずれることもあるから。それで、本人は悪気はないつもり。でも、周りには迷惑行為の場合、どうしたら、いいのか迷います。ある程度、ASDの性質が分かり、本人の性格からなのか、脳の性質からなのかで、考えるしかなさそうです。悪気がなくても、「腹が立つ」「嫌だ」と思うのが人間感情。「他の人だったら」とつい、思ってしまうから。ASDだとわかるまで、「どうして、そんなことをするの?」という状態になっている。ここの解消をどうするのか、書かれている本が少なかった。「水に流しましょう」と書かれてあるものがあり、当時は、「できませんよ」と思ってました。今も時々、腹が立ちます。だって、悪気がなくても、迷惑が掛かったのだから。私は嫌だったのだから。そして、「これが一生続くのか?」と不安にもなりました。ここで、相手を許すかどうかは、やはり、一般感覚と同じになるのではないかと思います。ASD、ADHDの人が、自分のしたことが、無意識でも、周りに迷惑をかけたことを自覚したかどうか。そして、「悪かった」と思えるかどうか。残念ながら、「自覚する」まで、ものすごく時間がかかるのが多いみたいです。最後まで、「私のほうが正しい」という人も多いらしく、そうなると、こじれるばかりなので、こういう場合は距離を取りつつ様子を見るしかありません。「周辺者」の気持ちが持たないのなら、「距離を取ってください」と書かれてあったものが多かったです。
   →「リセットできない場合」「心が離れている場合
 
 ADHDの場合は、概念はわかっている場合もあり、この場合は、「それでも、私のやり方を通したい」という欲求を抑えられないことが多いようです。そうなると、「周辺者」は大変です。悪気はなくても、周りは「いつも、私たちが、合わせないといけないの?」となるからです。この場合も、「周辺者」がどこまで合わせるか決めていくしかなさそうです。
 ASD、ADHDの両方とも、「相手のペースにはまると、大変になる」ようです。ものすごいまでのパワーを持って言い張る「当事者」も多いので、自分のペースに持っていくのも大変です。ASD、ADHDの人が複数いて、主導権を握っていたら、特に定型のほうが、「合わせきれない」となります。できるだけ、自分のことを守りながら行動したほうがいいみたいです。相手に合わせないと、ASD、ADHDの両方とも、まるで被害者かのようにふるまうこともあります。それに対して、無理して合わせないこと。どんなになじられても、怒られても、自分の感情と行動を大切にした方がいいようです。

 「周辺者」のほうが無理解で、「当事者」が苦しめられるパターンもあります。ASD、ADHDの人の行動が不思議すぎて、ついていけず、「周辺者」が理解できず、偏見な目で見てしまうことが多いためです。自分が理解できないものを排除したいという欲求は、脳の中で自然に起きてしまう。でも、そこを理性と、それまでの社会スキルで、ふるまいを決めます。理解してもらえそうな人なら、話し合って決められるけれど、最初から難しい場合は、お互いに距離を取りつつ様子を見るしか、方法がなさそうです。

 どちらにしても、時間がかかります。「当事者」が変わらないケースだと、相手を憎めないか、もう付き合いきれそうもないかで変わってします。悪気がなくても、ものすごく嫌なことがあって、それが今後も続くのが予想されて、耐えられるかどうかは、「周辺者」の気持ち次第です。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医