受容プロセスの「拒否」のままで止まってしまう人がいるようです。
「違う」「私が正しい」「あなたが合わせればいい」「君の意見は聞いていない」などの言葉が多い人は、そうなりやすいみたいです。
その理由は、ASDの性質にあるようです。ASDは学生時代に神童と言われるケースがあるから。 そのため、学生時代から、ほめられすぎるぐらい、ほめられて大人になっていて、さらに社会的にも高い地位を得ていたり、それによって高い給料をもらっていたりするケースも多いらしい。そうなると、学歴や肩書でものを見てしまい、「肩書の低い人の言うことは聞かない」「君たちより、私は優れているから、聞かなくてもいい」とASDの「当事者」は思ってしまいやすいらしい。こういう「当事者」のそばにいる「周辺者」が、友人や知り合いに相談をしても理解してもらえないという。
「男の人は、そういうものよ」「あれだけのお給料をもらっている人なのだから、そのぐらいは大目に見たら?」「いい旦那様じゃない」「素敵な奥様じゃない」「優しそうに見えるけれど」「能力が高いのだから、それでいいと思うけれど」なんて言われてしまいやすいらしい。ASDの状態を知っていたとしても、「当事者」の症状は、よほど近くにいて、何度も共同作業をして、やっとわかる場合も多いため、近くにいる「周辺者」しか、わからないため、相談しづらい。そのため、「周辺者」が配偶者、家族だったりすると、距離も取りづらく、「カサンドラ症候群」になりやすいようです。
残念ながら、受容プロセス「拒否」で止まるケースも多く、そして、ここで止まる人の場合は、「底つき体験」をしない限りは、自分のASD状態を受け入れないらしい。底つき体験については、別の記事で紹介します。
「周辺者」の「拒否」は、「当事者」が改善されることがない、脳の性質から来るものだと知り、「そんなはずはない」と否定してしまいがちです。何かの間違いだと思ってしまいやすいです。拒否状態の時は、本を読んだり、インターネットを閲覧しても、「当事者」は、これに当てはまらないから、「大丈夫よ」と思って読んでしまいがちです。「拒否」状態から離脱するには、「やっぱり、この人は、ASD、ADHDかもしれない」という経験を何度も経てからになるようです。
ずっと、「拒否」状態なら、「そんな状態は嫌だ」と受け止めきれないままの状態で、逃避かもしれません。考えないようにすれば、ASD、ADHDじゃないからという心の状態の場合は、なかなか難しいようです。