受容プロセスの「怒り」の状態が続く人も多いらしい。ASD、ADHDの両方で見られるようです。ASDの場合は、積極奇異型の場合は、この状態のままになる人も多いらしい。「当事者」は、指摘と注意される機会が多いために、さすがにアスペルガーかもしれないことは、わかりつつあるけれど、でも、「なんで、私がこんな目に遭う?」と怒ってしまう。ASDだと、「周辺者」と違う解釈をしやすいために、「周辺者」のほうがおかしいのだと言い続けてしまうケースも多いらしく、何かのせいにしてしまいやすい。理由は、頭の中で情報が駆け巡りやすい脳の性質から、情報整理ができなくて、時系列で考えることも苦手で、全体や流れで物事を見ることができないから。そのため、全体ではなく、細部にこだわった判断をしてしまう。そうして、その細部にこだわっているのは、「当事者」だけで、年齢相応の経験を積んだ「周辺者」はある程度のことは、全体を見て判断できるようになっているため、同じ状態を見ているのに、「当事者」と「周辺者」で認知のずれが起きる。全体を見ている「周辺者」からしたら、細部ばかり見て判断している「当事者」の言っていることは、正しくはないのに、ASDの性質から、「私が正しい」と言い張ってしまい、ASDの「当事者」が主導権を握っていると、トラブルが起きやすい場合も多い。「周辺者」の数が多くて、主導権を「周辺者」が握っていたら、「当事者」が孤立する。家族、親族などで遺伝が多いため、グレーゾーンも含めると、「当事者」の数が多くて、主導権も「当事者」が握っていると、「周辺者」が孤立する。どちらにしても、よい状態とは言えない。「周辺者」が孤立する場合は、程度がひどいと「カサンドラ症候群」になってしまいやすいようです。
「当事者」の心境は、「私は間違ってない。なぜ、私が困っているのに理解をしめしてくれないのだろう?」と思い、それが「怒り」となり、「周辺者」に向けられる場合もあるし、「運が悪かった」「社会が悪い」「状況が悪いから、私のせいじゃない」など、責任転嫁もしてしまうらしい。
怒りやすい人というのは、性格もあるので、症状からか、性格なのか、判断が難しくなります。「怒り」で止まっている人に付き合う人はめったにいません。ほとんどが距離を取ってしまいます。「周辺者」は、この状態の「当事者」に無理して付き合うと大変なので、程よい距離感を見つけて、自分のペースで動いたほうがよさそうです。
「周辺者」の「怒り」の状態は、「なぜ、私が、この人のそばにいないといけないのだろう?」と考え、付き合いきれなくなり、怒り状態になります。トラブルだらけの人の処理をしないといけなくなり、「やってられない」「行政のバックアップがもっと良かったいいのに」「一人でフォローしきれない」という気持ちの状態です。周囲の人と比べたら、「負担が大きい、不公平だ」とぼやきたくなります。でも、そう思うのが普通だと思います。だから、インターネットでの相談サイトに、相談がたくさん並ぶのだと思います。しかも、「当事者」が被害者ぶったり、違う事実を違う人に言っていて、自分のほうが誤解されたり、嫌な気持ちをどこにぶつけていいか、「当事者」が悪気があるわけじゃない。性質から来るけれど、「性格もあるのかも」と思ってしまいます。「怒り」の心境を収めるには、「イライラした場合」を参考にしてください。感情的になりすぎる場合は「感情的になったら」を参考にしてください。「怒り」の状態を見ると、周りの人は、ASD、ADHDの「当事者」の状態をしりませんから、「周辺者」のほうが、おかしいのではないかと誤解されます。気持ちを落ち着ける方法を自分なりに見つけたほうがよさそうです。