始めに

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お医者さんに通わない人コース

 発達障害の症状もわかり、でも、「お医者さんに通う勇気が出ない」「通えるだけの経済力と時間がない」「当事者が嫌がって、通わない」「当事者がお医者さんに診断は受けたけれど、途中でやめた」「薬も飲まない、非協力的な当事者である」「当事者、周辺者が理解してくれない」「当事者、もしくは、周辺者が自覚してないので環境が整わない」などの理由から、お医者さんに通えそうもない、とりあえず、通わないままやっていこうと思っている人のコースになります。
 応急処置をまず、することになります。それは固定ページの、「応急処置」の記事で書いてあります。
 そして、障害の勉強をして行くことになります。症状の把握は、出版されている本だけだと、不十分となります。「生の意見が聞きたい」「実際に困っている当事者、周辺者の対応方法を知りたい」「気持ちの整理って、どうやったらいいの?」となるからです。発達障害の症状について、触れている本は、一般の人向けです。症状が重すぎる、カナータイプの自閉症に近いレベルの症状が出ている、環境的にも問題がありすぎて、暴力的なところがある、金銭問題で、ものすごく大変な状態になっている、取り組まない、依存して解決しようとしている。などなど、ここまでの状態だと、具体的対応策が知りたくなるので、そこはネットで補っていく必要がありますが、ここで気をつけないといけないのは、ネット情報は、妬み、そねみ、愚痴、悪口、だらけのサイトも多いこと。ここは、安全そうだと言う、コメントが書き込まれているサイトのものを選び、発達障害の「当事者」「周辺者」のブログを読む場合は、愚痴は、少なめ、具体的な対応策が書かれて、文章がしっかりしている人で、価値観が似ている人、症状の一致点が多い人の物を、読むのがお薦めとなります。

 その後、具体的に、どうしたらいいかというと、

お医者さんに診断を受けずに、今後の指針だけ決めてもらいたい人のコース

発達障害者支援センターに、利用したいプランを相談してみるのもいいかもしれません。カウンセリングだけを受けたい人、ウエイクスラー検査を受けて、デイケアは自力でやっていきたいと告げて、方針だけ決めてもらうなど、お医者さんに「発達障害者である」という診断は出さないでほしいと願っていることを最初に、発達障害者支援センターなどにお願いして、そういうお医者さんを紹介してもらう。お医者さんには、診断まで望んでいないこと、ウエイクスラー検査を受けて、自分の症状だけを把握したいことをお願いする。今後の指針だけは、考えたいので、そこを、お医者さんに相談して、あとは自力でやれそうになったら、自分でマニュアルを作って、環境作りを「周辺者」と行っていく。カウンセリングも、発達障害の症状を知っている人じゃないと、アドバイスは具体的にならず、不満がたまるので、そこも気をつけた方がいいそうです。

検査とか、怖い、カウンセリングだけ受けたい

気分障害、衝動性、多動性があまり出てない人だと、薬なしでも行けるかも知れないので、とりあえず、ウエイクスラー検査をやると、「お前は発達障害者だ」と言われるのが怖い、受け止められないと言う人もいると思うので、お医者さんに通いたくないと言うコースです。「当事者がどうしても嫌がって、自覚しないし」という状況もあるので、本来は好ましくないのですが、ウエイクスラー検査項目を見て、「当事者」が「できる」「できない」の点数を「周辺者」と一緒に、自己判断してみて、今後の目安にする。それで、できない項目に関して、ネットなどで、具体的な対応策を調べて、自分で、デイケアプランを組む。マニュアルも自力で作ります。でも、あくまで、素人判断なので、お医者さんに、ウエイクスラー検査だけはお願いした方が、安全で、確かな具体的プランが立てられるので、応急処置的な方法となります。

 とりあえず、思いついた方法ですが、自分なりのプランを組んでみるのもいいかもしれません。

 障害の症状を受け止めそうもない、自覚もなく、取り組む気もない「当事者」の場合は、難しいので、「周辺者」だけ、環境を整えて、当事者「やってみたら」と促す状況を作ることになります。その場合は、期間を決めて、どうしても「当事者」が取り組みそうもなかったら、「当事者」の気持ちができあがるまで、待つか、諦めるコースになるかも知れません。

ハードルを低くしていく

 大抵の発達障害者が「障害かもしれない」とわかって陥るのが、「できる発達障害の人がやっているレベルまで行きたい」「定型発達の人がやっていることと同じ目標にしたい」「定型発達だらけの人の集まりと同じ幸せがほしい」という願いです。これは、目標にするのは、不可能だそうです。理由は、高学歴発達障害の人と同じレベルは無理ですし、家庭環境が違うかも知れないし、知的水準、教育水準、生活水準が違っていたら難しい。

 よって、自分の生活環境と症状と、経済力、周りの人の力量と性格、などから考えて、できそうなことを、目標設定にする。ハードルは、最初は、割と高めの人が多いそうです。
「あそこの発達障害のグループで円満だから、私のところも、トラブルが無くなり、共同作業ができて、お互いの意志の疎通が図れなかった部分が改善し、誤解も解け、和解もできて、浮気を二度としないし、借金なんて、絶対にしなくなるし、そこが目標です」なんて、ことを望むと、まず、無理だそうです。借金は繰り返す人も多いし、和解も無理だし、トラブルは減ったかも知れないけれど、やらかすし、転職しないと言ったけれど、結局、配置換えで、大変だし、と言うのが現実だそうです。そして、それを「周辺者」は許すような諦めるような心境になっていく。症状の勉強を重ねると、「これは無理だ」とハードルが下がり続けます。借金や転職とかだと、お金が無くなって、もう、絶望的になりますが、そこまで行っていたら、さすがにどうするかと言うことになりますし、許容範囲は、人それぞれになるようです。
 許容できないことだらけですが、下げ続けて、ハードルが、できあがっていくのかも知れません。グループでの誤解が解けて、和解して、仲良く暮すなんてことは夢のような感じのグループもいるようですし、望める範囲が思いっきり低くなると、やりきれなくなります。あまりに低すぎても、大変ですし、割り切れる範囲を模索していくことになるみたいです。

 諦めきった後、希望を見いだして、もう一度、がんばろうと言う気持ちになって、やっと、落ち着き始めるようです。

自分で自分を褒めましょう

 発達障害の症状を持った人に対して、理解する人もいれば、理解してくれない人もいます。手伝ってくれる人もいれば、見向きもしない人もいます。偏見の目で見る人もいれば、温かい目で見守ってくれる人もいます。温かく、理解してくれて、手伝ってくれる人がいる環境とは限りません。理解者、支援者がいない発達障害の「当事者」「周辺者」は、どうしたらいいかというと、結局、「自力」「孤軍奮闘」になってしまいやすく、これだと長くは続けられません。
 とりあえず、「できそうなところだけやって、できなくても、がんばっている自分を褒める」「誰が認めてくれなくても、自分は認めよう」ということで、呪文を唱えることも必要になります。

今まで辛かったね
がんばりすぎなくてもいいよ
できる範囲でいいよ
周りに誤解されても、何が何であろうと、あなたはがんばっているよ
一人で、たくさんの経験が増えて、強くなっていると思うよ
あなたは、あなたのままでいいよ
できる範囲の努力はしているのだから、認めてもらえなくてもいいんだよ

 思いつくまま、日記やブログに綴って見るのもいいかもしれません。そして、流していく。マインドフルネスのように、あるがままを受け止め、今の自分に集中し、自分を受け止める。達成感は、ものすごく低い物になるかも知れないけれど、経験値はつくという感じになります。

 カサンドラ症候群や、燃え尽き症候群、PTSD状態の人は、なかなか、一人では、立ち直れないと思うので、自助会など、上手に利用して、息抜きをしたり、カウンセリングを受けたりして、癒やしを優先する方がいいのかも知れません。

発達障害、カサンドラに詳しい専門家を選びましょう

 発達障害に詳しいお医者さんというのが、まず、ほとんどいないそうです。児童精神科医、小児科医で詳しい人という人はいますが、「大人は受け付けていません」というのも多いそうです。
 カウンセラー事情ですが、こちらも、心理学を勉強していて、カウンセリング技術は勉強していても、「発達障害には詳しくない」という人も多いそうです。
 そのため、精神科医とカウンセラーの人に相談しても、発達障害独特の事情をわからないため、「一般論で相談に乗る」というパターンで、患者さん、クライエントの満足度が極めて低くくなる。適応障害と言われるカサンドラ症候群の人が多いらしく、一般の本の人生相談のようなコメントぐらいしか教えてもらえなかったと言う、書き込みコメントが多く見られました。

 本当は、人生の指針になるような導いてくれるぐらいのお医者さん、カウンセラーの人が理想ですが、そういう人は、診断してもらったり、受け付けてもらうのも争奪戦だそうです。中には、電話の問い合わせの段階で、「症状の軽い方は受け付けておりません」とはねられるそうです。

 ただでさえ不安なので、そうなると、「どこに行ったら?」と言う状態。発達障害の支援センターのほうも、民事不介入で、そこまで親身に相談に乗れる訳もなく、一般論で語るしかなくて、と言う状態ですから、「結局、自力」となりやすいようです。

 そして、同じ悩みを共有できる団体、自助会に参加する形が多くなるようです。自助会に出席する前に悩みきっていますから、疲れ切ってますから、泣いてしまう人もいるし、積極的に、対応策を学ぼうとする人もいるし、バラバラのようです。
 気持ちを共感してもらう作業があると、安心感が出て、人間はやる気になる生き物です。共感してもらわず、「一人で決めたいし、相談も必要ない」という強い方ばかりじゃないので、共感がほしい場合は、自助会を利用した方がいいようです。対応策を話し合いたいとか、共感だけがほしいとか、話だけを聞きたいとか、目的が違ってくるので、事前にチェックできるのであれば、チェックした方がいいかもしれません。

 詳しい専門家が育ってくるのは、法律が変わって、これからのようです。たくさんの本が出版され始めましたので、まずは自分で、調べて、実態も調べて、専門家に相談できる気持ちの状態を自分で作るところまでは、自力でやらないと行けないようです。

役割を降りましょう

 役割分担。この言葉の呪縛は意外と重いのが、日本社会。役割果たさないと、役立たずとなるイメージが根強く、とても、大変です。でも、実際、その言葉の呪縛があるから、「人目を気にする日本人」となります。
 この価値観を手放さないとやっていられないのが、障害者との生活になるようです。それは、精神、身体障害の人も同じで、発達障害も同じになるようです。その家庭、その部署、そのグループでの、役割を、できる範囲だけやってもらう形が、障害者との共存となります。身体、精神の方は、意志の疎通が図れるために、環境を整えやすいです。ごく稀に、「障害者だから、できるわけがない」と言ってやらない方もいらっしゃるようですが、線引きがしやすいです。ところが、発達障害の場合は、意志の疎通からして、まず無理で、そうなると環境を整える前に精神がやられます。だから、役割はいったんおります。環境を整えるために必要なのが自覚している発達障害者かどうかです。自覚しそうなひとなら、説得というか、理解してもらうために本を読んでもらえますが、自覚しそうもない、障害者受容をしていかなさそうなら、一年か、二年で見切りをつけて、距離を考えて、役割分担も、引き受けずに、グループでの、負担を考えない方がいいそうですが、グループが回っていかないと、遅れを取ります。会社だと、それで評価が出てしまうし、今後の自分にも影響が大です。家庭だと、役割を果たしてもらわないと、二人分、やらないと行けなかったりします。そんな状態では難しく、負担を考える時期が、重要になります。結婚したばかり、結婚して、子供がいる、親も介護が必要で逃げられない、なんて立場の人だと、もう、お手上げです。役割を果たさないと、と考えすぎるのをやめて、「できる範囲だけ、できない範囲は諦める」という考えで、いかないと、難しいようです。諦めも肝心と言われますが、気持ちは追いつかないことのほうが多いようです。気持ちの整理は徐々につけて行けるようになるのが理想ですが、なかなか難しいようです。

性格の部分も受容する

 発達障害者のグレーゾーンは、「性格の範囲」とされる方も多いそうです。では、どこまでが性格なのでしょうか? 実際は、お医者さんでも、診断がまちまちだそうで、人によっては、「大丈夫です」「発達障害の可能性があります」と両極端になるそうです。

 発達障害では、「こんな症状があります」と言われても、その症状の人で、発達障害の疑いが、あまりない人もいます。これに関しては、障害に対しての症状勉強を重ねると、大体の基準が予想できますが、あくまで、素人判断になります。実際に診断してもらって、初めて、「発達障害者」となるのですが、多くの発達障害者の人は、ほかの精神病の発症後、発達障害が発覚したと言うケースが多いそうです。

 発達障害かどうかは、まだまだ、しっかりとした基準浸透まで、至ってないようです。医療関係者でさえ、一定になってないので、書かれている本も、まちまち。「小さい頃から神童だった」「成績優秀者」「どこまでも真面目」「記憶力抜群」と書かれている本も、たくさんあります。実際に、どうですかとなると、IQはバラバラです。130の人もいますし、85ぐらいの人もいるそうです。そして、テストの点数がひどかったと言う人も多いようです。先生に褒められたことがない。怒られてばかりと言う人もいます。

 発達障害者の症状が、バラバラすぎて、お医者さんにマンツーマン指導してもらわないと、なかなか難しい人も多いようです。自力でやっている人は、成績優秀者で、社会的成功者賀多いようです。

 学業が優秀、一流企業に勤めている、と言う人でも、こだわりが多い、コミュニケーションが一方通行、でも、「どこまで性格なの?」「浮気してばかりいるけれど、発達障害者って、浮気する人ばかりじゃないよね」「依存症になるADHDの人ばかりじゃないはず」となっており、結局、判別は難しく、性格の部分も、障害と合わせると、トラブルの範囲として、合わせて考えないと難しいようです。そこも受け止める必要があるけれど、それも時間がかかるようです。一つの人格として、その人の行動パターンとして、一緒に考えて、受容することが必要のようですが、トラブルメーカーにしか受け止められないので、なかなか難しいようです。

省略だらけの日本語です

 時々、聞き返す人がいます。聞き取れなかったのかと思うぐらい、何度も何度も。確かめてみると、聞き取れなかったのではなく、どれの何を指すのかがわからなかった。固有名詞が出てきたとします。「いったい、だれの?」「どこの?」「どれを指すのだろう?」と、とっさにわからないそうです。「周辺者」は、暗黙の了解でわかります。ところが、ASDの場合は、その都度、修飾語をつけないと無理だそうです。「眼鏡を取ってください」と言われた。その場に、眼鏡は、一つしかないのに、「え、どれですか?」と聞き返す。この場合は、机の上にある眼鏡だとすると、「机の上にある」とつけないと、わからないそうです。「見たらわかるのに」と思うのは、「周辺者」の脳が、取捨選択ができるから。ASDの人は、たくさんの情報処理を、一度に行い、取捨選択ができず、過去も現在も混ざるらしく、どの時点の、どの眼鏡?とまでなってしまう錯覚が起るらしく、「周辺者」からすると、「察しが悪い人」「空気が読めない人」となってしまいます。気が利かない人なので、当然、「この人に頼むのはやめよう」「絡むのはやめよう」となっていきます。「当事者」は気づきません。

そのため、「君、空気が読めないね」「天然って言われない?」と周りに指摘されても、ASDで自閉症状が強めの空気が読めないタイプの人だと、「周りから差別されている」「何が悪いのか、わからないよ」となるそうです。

 良く怒られると自覚していても、これだと抑止力にならず、トラブルに見舞われやすくなります。早めに、こういうことのテストが、幼稚園、小学校の入学時じゃなく、小学校の4年生や中学生ぐらいで判別できるテストがあったらと感じます。

説明を省く癖がある

「これをするのは初めてです」
「××を見るのは初めてです」

 こう言われたら、「周辺者」は、それに関するものすべてが初めてだと思います。「当事者」のほうは、限定的に考えていることが時々あります。ある条件の下にやるのが初めてだとして、それでも、「初めてです」と当事者が言ってしまい、「あれ?」と感じます。ところが、これがASDの脳の症状がある人にかかると、「本当に初めての経験となる」らしく、トラブルの素になります。よくよく確かめてみると、似たような経験は、している。ちょっとだけの変更程度、手順が逆になっただけ、それでも、ASDの当事者からすると「本当に初めてなんですよ」と感じるらしく、それで、「嘘つき。前やったくせに」となって、戸惑います。

 この逆バージョンで、思い込んでいて、相手に条件の部分、細かい説明を省いて、省略しすぎて説明して、「なんで間違えるんだ!!」と「周辺者」に怒ることもあります。確認すると、明らかに当事者が間違えています。「周辺者」からすると、あきれかえるぐらいの、言い逃れやいいわけに聞こえます。ここで性格が影響し、すぐに謝れる、確認する「当事者」だと、トラブルまで行く前に修正ができる。「お前が悪い」と「周辺者」が悪いと思い込む「当事者」だと、永久に修正は不可能になります。

 自覚があるかどうか、これがとても重要らしく、あとは、修正してくれる「周辺者」が多いかどうかも関係あります。一対一で、二人しかいなくて、立場が「周辺者」が弱いとなると、上司とか、家族、親族の年長者、グループリーダーとかだと、大変になります。

 こういう場合は、共同作業はできないため、関わりを最小限にして行くしか方法がないらしく、お医者さんも「そういう人の場合は、ほとんど説明しても効果がなく、薬も飲まなくなり、行動療法も効かないし、無理でしょう」と、説明されるケースも多々あるようです。

 意志の疎通の図れないケースは、自覚がない「当事者」だと要注意のようです。

名前を呼ばれても

 名前を呼ばれて気づかないと言う人は、時々見かけます。違う人と話をしていて気づかないと言うのなら、誰でもあります。会議中に呼ばれて、資料を見すぎて、考えている間に話しかけられて、気づけないということもチラホラあります。この回数が、ものすごく多い人は、発達障害の症状の可能性があるそうです。

 理由は、考え事をしていた。よそ見ばかりしていて、気づけない。何かを見ていて、意識がそれに集中していた。などなど、過集中という症状からくるものや、情報があふれていると、それの処理に脳が追いつかないから起るもの、会話を聞き取れない、会話の流れについていけないもの。脳の特性から来るものの場合は、自分は、そういう症状があるということを意識して、周りの人にも、それに気づいてもらってフォロー体制を整える必要があるそうです。

 聞いてない回数が多すぎて、怒られたりして、すねたり、いじけたり、相手のせいにする発達障害の「当事者」も多いそうです。その場合は、教えてあげる気持ちがある「周辺者」だけが教え続けて、後の人は、白けていて、「まただよ」と言う空気感になって、できあがったグループで、後から、「発達障害かも知れない」となってからだと、グループ体制を変えることも難しいようです。

 素直な発達障害者で、謝る癖があるケースの場合は、修正しやすいようです。

補完して聞いてあげる人が必要

 発達障害の症状から、「あらかじめ知っているだろうから、省いて話す」という特徴が出る人がいます。「会議の資料を用意してください」「え、どの会議?」というやりとりがあったとします。うっかり、言い忘れたということは、誰でもありますが、これが、何度も続く人の場合、脳内で浮かんでいる言葉を省いて説明しているという自閉症状の場合もあるようです。「○○の会議」をただ、「会議」で「そんなの決まっているじゃないか!!」と思い込んで話している、「当事者」。「周辺者」の立場に立って、説明ができない。だから、「○○の」を付け加えない。生まれつき、それができなくて、訓練しても、どうしても、難しい人の場合は、自閉症状が強い人となります。そうなると、「当事者」の説明は、「自分がわかるように説明している」のを繰り返すことになり、「イメージが伝わりにくい」となり、当然のことながら、聞いている側は、勘違いしやすい。
 「当事者」が説明を受ける立場でも同じことが起ります。勝手に、イメージを付け加えて、正しく伝わらない。「当事者」が間違えてイメージを作ってしまう。それの繰り返しだと、トラブルだらけとなります。
 この場合、補完して聞いてあげる。トラブルにならないように資料作成して、やりとりする。でも、自覚がない「当事者」だと、「お前のほうが悪いだろう。ちゃんと伝えているのに!!」いきなり理不尽に言い張り、それが続くと、「周辺者」も、「まただよ」「責任転嫁だ」「ちゃんと聞いていてほしい」「伝えてあるのに」と感じてしまい易いようです。

 自覚がある発達障害の「当事者」としか、やりとりができません。自覚がない人の場合は、自覚が出るまで待っても、一生、自覚なしで行く方も多いらしく、最小限の関わりしか難しく、条件が許せば、「周辺者」は、逃げたり、避けたりした方がいいケースもあるようです。

 自覚がある「当事者」の場合も、「当事者」が自分の症状を把握して対応を身につけるまでは、「はい」「いいえ」の答えで済むように、補完して聞いてあげるしか、「周辺者」はできません。療育を受けていない、大人の「当事者」が、トラブルを減らせるようになるまで、最低でも一年半はかかるそうです。本を読んで、症状を把握し、障害を受け入れて、気持ちを作り、の作業で、数年かかる人も多いそうです。

 「当事者」は、自分ができる範囲の役割だけ果たし、少なくともリーダーシップは、「当事者」が取らない方が無難のようです。

パニックになったら

発達障害のパニック状態は、一見、「空気が読めない?」「この人、わかってないの?」「何度言えばわかるの?」「言葉の意味がわかってないの?」「聞いてないの?」と、「周辺者」には、見えることがあります。

名前を呼ばれても気づけない
 実際は、脳の中で、いろいろなことを考えていて、反応が鈍くなっていると言われているようです。目に見える風景の処理で忙しいとか、さっきまでの言葉の処理で、頭の中がいっぱいとか、人が多すぎて、どの人の言葉を聞いていいのか、わからなくなる。たくさんの理由があるそうで、その一つ一つを日常生活の中で、覚えてもらう必要があるそうです。聞くときに、緊張しすぎるのなら、リラックスしたり、情報整理しやすいように説明して対応を教えるなどで、覚えてもらうのがいいそうです。

会話について行けない
 この場合、グループ行動で、他の人が、一番聞き取れない人に合わせると言うことができる現場とできない現場があります。友達同士なら、途中で、わかる範囲だけ説明を加えられますが、顔見知り程度、会社での出来事だと、途中で止めるわけにいかないので、そのままになります。あとで、説明してもらえばいいですが、それすら気づいてもらえず、フォローなしで、失敗につながることがあるので、自分の状態を知っている理解者を作っておく必要があるそうです。初対面だらけの場合は、もう、難しいので、その場の感じで進められて行くケースが多く、トラブルにつながりやすいので、「当事者」が自覚しておいて、確認するしかしょうがないです。自覚してない「当事者」の場合は、次から相手にしてもらえなくなるかも知れない。

物、人にぶつかる
 とっさの時に、情報処理が追いつかないために、起るそうです。「そんなの、立ち止まればいいじゃないか」と「周辺者」は、あきれますが、それができないから、障害と名前がつく。処理は追いつかないので、そばにいる理解者が、手を引っ張って、立ち止まらせるぐらいしか、方法がないようです。子供の場合は、ぶつかって、痛いと怒りだし、なんてことで、トラブルに発展しやすいようです。

思考ぐるぐるで、聞こえなくなる
 トラブルに弱い。そのため、説明すら聞こえなくなる。静かな場所で、静かに脳を落着けるのが先になります。部屋の隅に行き、壁の方に顔を向け、耳を塞いで、呼吸を整える訓練をするのを繰り返すそうです。

重要書類を捨てる、紛失

ADHDの家族、同僚のコメントで、時々見られるのが、「重要書類なのに、見てもいない、確認してもいないで、ゴミ箱に捨てる」というもの。恐ろしすぎて、大変そうですが、結構、あちこちで書かれています。書類を紛失するケースは、ものすごく多く、それに対しての書き込みコメントは、ありすぎるぐらいです。
 このケースの場合、同僚、同じグループの人、家族、親族、友達などは、「さすがに付き合いきれない」となっていき、最後には、「またか」となって、関わりを避けようとしていきます。それが、相手が障害の症状からくるものだとしても、「当事者」が自覚もしておらず、対応もし試ないで、悪びれないし、謝らない。なんてケースも多数。
 すべてに対して、フォローしていたら、「周辺者」の神経が持ちませんし、時間もありません。二重チェックして、体制を組むのが理想ですが、基本、「なんで、そこまでしないといけないのか。自分の時間をそこまで使えない」と思う人が大半です。

 結局、よほど、重要じゃない限りは対応はせず、怒りたくなるのを抑えるのも、状況によります。「周辺者」は、自分の心の余裕度を見て、付き合い方を決めていくしかなく、「当事者」の責任の範囲だからと割り切るしかなさそうです。冷たいようですが、いちいち、合わせていたら、生活が破綻してしまうので、ほどほどの距離感で、怒ってしまうのもしょうがないし、相手が変わろうともしてないなら、ものすごく距離を取ってもいいと言われているぐらいです。ただし、家族だと、そうも行かない。未成年の「当事者」以外は、家族は、見守るのが基本。ですが、見守っていると、ものすごく損失することもあり得ますから、その辺は、「周辺者」は怒りながらも、対応をしなくてはいけなくなり、疲れ果てます。支援疲れまで行ってしまったら、もう難しいので、思いっきり距離を取って、しばらく休む。行政に相談する。家族で分担を考え直してやってみる。などで、休むしかしょうがないようです。休めない「周辺者」は心だけでも、休めるようにカウンセリング、自助会などを利用する。などで切り替えていくしかないようです。

 無理は絶対にしない。重要書類を勝手に捨てる、紛失の場合、目に届かなくて、当然なので、ADHDの「当事者」に対しての距離感は、考えていかないと難しいようです。
 これから、大掃除の季節がやってきますし、シュレッダーに大事な書類をかけてしまう。なんてことも。ADHDの人の場合、対応方法を学んでいても、ものすごく時間がかかりすぎる人も多いらしく、考えるのに時間がかかる。重要度の仕分けがわからなくなる。あれもこれも処理しようとすると、パニックになる。などで、ものすごく時間がかかるようです。

本が読めるか、読めないか

 発達障害の中のLD、学習障害の症状を持っていると、「本が読みづらい」「本の理解が遅い」「補助で説明してもらって、初めて、イメージをつかめる」などの状態になりやすいそうです。併発しやすい障害ですが、学校卒業をしていて、就職していても、軽く、そういう症状を持っていて、自覚なかったと言う人も、ちらほらいるようです。そもそも、他者との違いを意識すらしないASDの人だと、違和感なく、その年齢まで来てしまうケースも多いようです。「相手がおかしい」「周りは天然だと、俺のことを言うけれど、俺は天然じゃない」と言ってしまう人も多いようです。
 本が読めないと、自分の症状の勉強が、ほとんど進みません。そもそも、共同作業すら、できません。資料を渡して、相手にイメージを伝えようとしても、正しく伝わらないことも多いため、トラブルだらけになります。本が読めるか読めないか、ここの部分も重要で、それができない、苦手の人だと、共同作業は難しくなり、家族やグループ、同僚との意志の疎通が図れないし、役割分担も割り振れない。そんな状態です。
 できる範囲だけやってください。と言っても、自覚がないので、「お前が悪い」と言い張る、「当事者」も多いので、「周辺者」は困り果てます。本が読めないことが気づいたら、その人は、主張するのをやめてもらいたいのですが、「当事者」本人は、「相手が悪い」「お前のほうが、おかしい」と思い込んでいますから、トラブルになったら、責任転嫁されて、大変となります。
 資料を見せて、共同作業ができない場合、自覚しており、カミングアウトしているケース以外だと難しくなるため、同僚の人が、困っていて、インターネットなどに相談している件数は、計り知れないぐらいあります。家族の相談もとても多いです。

 大人になってしまっており、今更、脳の部分について、どうしたらいいのかという状態になります。発達障害以外の人だと、発見されやすく、目が見えないなら、見えないなりの行動を、足が動けないなら、動けないなりの行動を考えてくれますが、脳が一般的と動きが違うから、「あまり動かないで」「リーダーシップは、あなたは取れない」「主張されてもこまる」と周りから言われても、脳は見えないので、「当事者」は自分が正しいと思って、動いてしまいます。その動きの範囲は、その現場で手探りで作り上げていくしかないのですが、それすら聞く耳を持たない「当事者」も多いので、お手上げとなり、距離を取るしかしょうがなくなるケースも多数。

 本を読めない人は、動画などを見るしかしょうがなく、参考動画などは、まだまだの状態です。国が、そういう動画を発信してくれたらと思いますが、差別などにつながりやすく、デリケートな問題ですし、難しいのかも知れません。本が読めない人だと、症状把握と、対応を学ぶスピードは確実に落ちると思うので、寛解状態になるのが、かなり遅れることになるかもしれません。

自閉症の感覚から来る説明

「相手にわかるように説明しましょう」これができない人は、ちらほら見かけます。「あ、ほら、あれだよ、あれ」「だから、あれで、あっちで」説明を省きまくります。それで、伝わらないと、笑ってごまかしちゃう。なんて人は、ちらほら見かけます。ほとんどの人は、「性格的に、そういう人なんだ」で、流します。やがて、「あなた、いつも、そうやって、説明下手なんだから」と周りに何度も言われて、上手になる人もいれば、いつまでも、上手にならない人もいます。
 ところが、自覚がある人ならいいですが、「聞いている方の理解力がない!!」と言い張る人がいます。怒りっぽい性格だから、高飛車な人だから、と思われて、周りの人は関わりを遠慮します。これが、自閉症状の感覚から来るものだとすると、一生わからない可能性があるそうです。自閉症状が強すぎて、相手の感覚が全くわからない、「あなた、変わっているわね」と言われて、「俺は個性的で素晴らしいんだ!!」と解釈するタイプの人も多いようです。それで、仕事など、重要なことで、一緒に行動するとなると話が違ってきます。自閉症状の強い人だと、しょっちゅうぶつかります。当然、進みづらくなる。やがて、その人と一緒に仕事をしなくなる。自閉症状が強い人が、怒り出す人も多く、「お前のせいだ」と言いがかりをつけれるし、理由を説明しても、説明してもきりがありません。諦めるしかない。そういう人も多いようです。

 自閉症状が重すぎる場合は、お医者さんも、「説明するのに時間がかかる」「私でも無理な患者さんがいる」と言っていることもあります。家族、友達、同僚で、手に負えるはずもないです。薬があったら、手術方法があったらと思いますが、そこまで至っていないようです。

 自閉症状が重すぎる人の周辺者は、距離を取るしかしょうがなく、泣き寝入りばかりして、尻拭いばかりして、支援疲れを起こしやすいようです。

説明できない人とは

 発達障害の「当事者」によっては、自覚症状がない、もしくは、自分の症状すらわかっていない人がいます。こういう人の場合は、役割分担すら難しい状態になります。発達障害の症状と状態によっては、社会適応できるだけじゃなく、リーダー的役割もできるぐらいの知能指数の高い人もいます。反対に、一人でやると、トラブルだらけの人まで、症状によって分かれます。その目安は、自覚があり、なおかつ、自分の症状の説明ができるかどうか。
 障害の症状勉強をしていくと、やがて、自分のどこが違っているのかがわかり、自分の症状の説明ができて、さらに、「こんな対応をしてくれるとありがたいです」とまで、付け加えることができる「当事者」の人までいます。ここまで行くと、トラブルになっても、対処がしやすいのですが、個人差がありますが、ここまで到達できる人のほうが、「少ない」と言われているようです。症状が重ければ重いほど、「え、俺はおかしくないよ。君が間違っている」と言い張るようです。そして、説明するには、本を読まないといけない、調べないといけませんし、さらに理解しないと難しい。この作業が、人によっては、ものすごく時間がかかる人がいます。知能指数だけじゃなく、症状の状態によって違ってくるようです。あとは性格的に真面目であるとか、教えてもらえる環境だったかどうかにも、よるようです。一般的に、幼稚園、小学校の低学年で症状が発覚してから、落ち着くには、高校ぐらいまでかかると言う人も多いようです。大人の場合は、著書を書いている人たちは、何年もかかって、落ち着いてから、本を発表しています。数年とか十年とか、書いてあることも多いようです。
 障害発覚後、1,2年では、症状の把握と気持ちを落着けるぐらいまでしか、無理なのかも知れません。説明できる「当事者」まで行っていたら、周りはサポートができますが、自覚もない、症状すらわかってない、自閉症状が重すぎて、理解できることは難しい人もいますので、その場合は、適度な距離感が必要で、サポートしすぎない方が良いとされているようです。家族は疲れ切っているし、同僚だと、そこまで介入できません。もっと、遠い関係性だと、何も言えないケースも多いです。

 障害の症状を勉強した上で、自分の症状を説明できるかどうかが、一つの目安になるようです。*障害の症状の勉強すらしない人、自覚すらない人は、別です。

心の状態に応じて、読む本を変える

「発達障害かもしれない」と言うことがわかって、心の変遷をたどります。「当事者」「周辺者」のそれぞれが、それぞれの環境と性格によって、たどる変遷が違ってきます。そのときの状況と心に応じて、読む本を変えないと、「ものすごく混乱しやすい」「却って、心の状態が悪化する」「不安が募るばかり」になりやすいようです。

「当事者」の場合
 最初は、発達障害の症状の解説本と、発達障害の「当事者」の自叙伝と解説本の二冊程度が良いようです。間違っても、「カサンドラ症候群」向けや、発達障害者の家族向け解説本は、読まない方がいいようです。まず、最初に、自分は、「何者であるか?」という、アイデンティティーを作ってからじゃないと、難しいようです。心の状態が落ち着くのは個人差があります。症状を知って、ショックを受けて、落ち着いてきて、私が悪かったのではなく、症状からくるものだと気づき、そして、自分が他者からどう見えていたのか、わかってしまい、さらにパニックになりやすく、やがて、それも落ち着きを取り戻し、「私は、私のしたい道をたどろう」という気持ちになってから、初めて、カサンドラ症候群の本とか、発達障害者家族向けの本を、参考程度に読むということも可能になるようです。でも、気分が悪くなる人も多いため、「無理して読まない方が良い」のかもしれません。あくまで参考図書で、「当事者」向けの本を、段階を踏んで、リラックス方を学んだり、環境を整える、ソーシャルスキル本を読んだり、怒りを収める、アンガーマネージメントの本を読んだり、読める本を心の状態に合わせて、セレクトした方がいいようです。

 カサンドラ症候群の本を読まれた「当事者」の方の意見で、気づいたのは、「取捨選択ができてない」「そのときの感情で言っている内容に振り回されている」ということです。症状がない人は、暗黙の了解がわかっているので、「このとき、こうやって考えてしまうのは、人間だから、しょうがないな」と理解できます。でも、「当事者」は、「理解不能」「何言ってるの?」となるようです。お互いに捉える感覚の違いは埋められない人も多いようです。「当事者」でも、「空気が読める」「感情がわかる」という人もいます。そういう方は、「カサンドラ症候群」向けの図書も参考資料にしてもいいのかも知れません。

「周辺者」の場合
 最初は、症状の解説本と、同じように、発達障害社家族向けの自叙伝も兼ねた対応本を読んでみて、心を落着けることを優先した方が良いみたいです。カサンドラ症候群の本を読んで、受け止めきれない心のやりきれなさに共感を持ったり、自助会に参加できるまでになっていたら、その感情を癒やす本を読んだり、アンガーマネージメントの本、マインドフルネスの本など、徐々に参考図書を増やした方がいいのかも知れません。知識の勉強だけで、一年は見た方がいいようです。理由は、一冊で全部網羅している本というのがないから。いろいろな図書を手に取り、その後、自分に合った本というのが、「当事者」と違って、選べる「周辺者」も多いので、自分の価値観に近い人の本を参考にして、「当事者」が大人の対応ができてない部分に関しては、子供向けの発達障害の本を参考にしてもいいようです。段階を経て、症状の勉強をして、気持ちが落ち着くまで、かなりの時間がかかっている人が多いようです。症状を知り、根治治療がない、薬も一部だけ、環境を整えるだけ、自覚がない発達障害者だと、「お医者さんも面倒も見てくれないケースが多い」など、ショックなことの連続で、受け止めきれないことがたくさんふりかかり、今までのトラブルをねぎらってくれる人もいないし、これからのトラブルも、「大変ですね」とか、「がんばりましょうね」程度で、それで、癒やされるわけがなく、どっぷりと大変なトラブルの処理が永遠に続く感じで、絶望に陥る場合も多いし、どうやっても「当事者」が変わらない、世間からは自由で勝手気ままに見えるけれど、本人の脳の特性で悪気がないと気づいて、「怒り、イライラ、どうしてくれる??」と言う気持ちの置き場が、「周辺者」もない状態で、カウンセラーに相談しても、「でも、環境はそのままだし!!」と愚痴りたくなりますが、「対応方法だけは、調べればわかるようになった」と言う安心材料は与えられて、その中で、自分ができることはなにか? と模索して、「当事者」のそばにいる自分のしたいと思うことがわかるようになり、アイデンティティーができあがっていくようです。修行の末に、悟りを開く、そんな苦行状態に感じますが、その経験は、糧にしようと考えてないと、見返りは、ほとんどない、ボランティアみたいな形なので、大変です。「当事者」の犠牲者にはならず、先人の知恵を学び、障害者の家族の意見に触れて、自分のしたい道を見つけていく、その段階にあった、本を、選んだ方がいいようです。

 「当事者」「周辺者」の両方とも、気持ちが落ち着くまでは、「相手側の本は読まない方が良い」とされているようです。その間に、気持ちの毒みたいな、悲しみ、イライラ、怒り、不安、などは、感情を持っている人間の性みたいなものなので、その部分の言葉に傷つきやすいことを考えて、気持ちが落ち着くまでは、「相手側の言葉は、流す」と、呪文を唱えて、不安にならないようにしたほうがいいようです。

 永遠に、「当事者」が自覚がないケースも多く、わかっちゃいるけどやめられない、ADHDの人も多く、その場合は、「周辺者」ができることは限られており、距離を取り、振り回されない方が良いようです。
 

誰かの症状を見て納得する

 高機能自閉症のお医者さんのドラマが終わりました。視聴して、参考になる人も多いのではないかと思います。症状の違いはあれ、主人公の先生は、まっすぐで素直で、がんばる人です。そんな人が症状があるのなら、「応援してくれる人が多い」という印象でした。
 いくつかの症状が実例で出てきました。「周辺者」は、その行動と意味を知り、「そういうことだったのか」と参考にしてもいいのではないかと感じました。
 テレビなどで、自分の状態を説明して、対応策を話すなんて言う形の情報番組も多いです。ドラマでも、情報番組でも、「周辺者」として、どう見るかと言ったら、共感してもいいし、参考にしてもいいしと感じました。ただ、ドラマなので、感情処理スピードが速すぎる印象はありました。実際の、「当事者」「周辺者」の気持ちは、右往左往して、揺れ動きます。その状態で模索して、八つ当たりしたり、怒ったり、なじったり、たくさんの気持ちの変遷を経て、初めて、「周辺者」として気持ちができあがっていく気がします。
 ドラマ、情報番組で、「当事者」の実態と気持ちを知ることで、癒やされたり、納得する部分もあるのではないか、そう思いました。
 「こういう部分が、どうしてもできないのか」と「周辺者」が気づくことも、カサンドラ症候群の回復に必要なのかも知れません。

ハードルと目標を変えてみる

 発達障害の対応に取り組み始めて、「周辺者」からすると、「この程度はできるのでは?」と思い、試してみて、何度も試しても挫折。なんてことは、多いようです。理由は、やっぱり、習慣化してしまったから。大人になってから、習慣をとるなんて、難しすぎます。「毎日、コーヒーを飲んでいたけれど、今日から止めてください」
「スイーツを食べていたけれど、一切食べないでください」ぐらいの戸惑いがあるらしく、「できないよ!!」が普通だそうです。

 ADHDの場合は、「すぐに忘れる」「覚えておけない」という症状がある人は、まず無理なので、「失敗する人だ!!」と思って、フォロー体制を整えた方がいいし、認知のゆがみが取れそうもない人なら、「諦める」のも大切だそうです。かといって、「周辺者」が無理しすぎるレベルにならない程度で、妥協点を見つける。ということになります。

「なんで、周辺者が諦めるの?」と言う立場での関わりのケースも多いようです。でも、「骨折している人に歩け」と言うぐらい、「脳が動けない人に、動け!!」は、無理だそうです。どんなに、ひどい被害に遭おうと、トラブルに見舞われようと、「脳は動けない」のが自然。未然に防げない。起こりやすい。それが、発達障害です。

 そうやって、たくさんの経験を積み、「キーー!!」となってしまいやすい自分を経験して、やがて、それに、「周辺者」の、脳が飽きるそうです。つまり、脳が疲れる。脳が疲れたら、やっぱり、「じゃ、無理だ」となっていき、無気力になる人もいれば、諦めが肝心で、諦めることを受け入れるように変わっていきます。

「当事者」ができるようになる。トラブルで、どうしても嫌なことが避けることができる。

 こんな目標は無茶なので、目標を変えた方がいいようです。できる範囲を模索している間は、「もう、嫌だ!!」となりがちですが、リラックスできる気持ちになれるように、自分を取り戻せる何か、別の世界の楽しみを見つめ、じっくりと自分の心を作れたら、いいのかもしれません。

 ハードルは、できる高さじゃないと、難しい。そうやって「周辺者」が納得できたら、それでいいのかもしれません。「当事者」は、言い張る人がいたり、すぐにいじけたりするようですが、それも見守る形で、「周辺者」はやっていくしか、なさそうです。

間違った学習

 発達障害の症状が成人で見つかった人というのは、多いようですが、成人で見つかると言うケースの場合、「ものすごいまでの、物忘れとトラブルの連続」「先生に怒られまくった」という経験がない人の場合が多いようです。診断が出る人の逸話を調べてみると、一般人が想像しているよりも、遙かにすごい状態の人が多いようです。そのため、とある精神科医のところに診察に来る成人の人で、「発達障害ですよ」と診断が出るレベルの人は、2,3割と書かれていたこともありました。あとは、「性格の範囲です」となるようです。グレーゾーンの状態か、本当に性格的に、そういう症状が出やすい人ということになるようです。

 発達障害の中で、ASDの人の場合、成人で見つかってしまった場合は、そこまでに、たくさんのトラブルと、学校などで嫌な経験を繰り返している人が多いようです。成人で見つかる前に、経験上、間違った学習を繰り返し、認知ができあがり、すでに、もう、習慣化しすぎていて、認知の修正が難しいというケースも多いようです。子供で見つかっても、「嫌だ!!」と言って、なかなか取れない人も多く、最初は抵抗していても、やがて、他者との違いに気づいて、おとなしい性質になる人も多いようですが、成人まででできあがった価値観が、あとから「あなたは発達障害かも知れません。一般人と脳の動きがちょっと違っているかもしれません」と言われても、「そんなはずは!」となります。

 もう、そうなっていたら、「今更、そう言われても、もっと早く言ってくれよ!!」と言いたいところですが、社会は多数派の一般感覚で動いているため、発達障害の個性が認められにくい日本だと、生きづらい状態になっているようです。ここで、無理して、型にはめるというのは難しいので、「できる範囲で適応していきましょう」となりますが、それも自覚がある人でも、なかなか習慣が直せないようです。間違った学習から、脳に合った方法じゃないことを覚え込んでいるので、難しいようです。

 間違った学習と言われても、「当事者」は、「私はこれが正しいと思って生きている」という状態なので、何が正解なのかわかりづらいですが、社会が許すかどうかが、時代によって、場所によって、人によって違うようです。その辺は臨機応変に場所に合った行動をしていきましょうとなりますが、ASDは、「臨機応変!!!」とパニックになるようです。臨機応変ができないASDの場合、模索しながら、徐々に変えていけるようなら、変えていき、変えられない部分は環境作りをしていくと言う形になるようです。

 ADHDの場合は、脳がせわしなく考え続けて、多動、衝動、不注意が重なっていますので、薬が合うかどうかが重要です。わかっているけれど、やめられない。と言う症状ですが、たまに、わかってないし、やめられない人も含まれているようです。間違った学習で、浮気してもアリ、借金しちゃっても、ちょっとぐらいいいよね、お金使いまくっているけれど、楽しければOKなんて言うのが、習慣化していたら、もう、止められず、お医者さんでもお手上げの状態だそうです。気持ちを作るのは、「当事者」の人になりますが、成人で習慣化した間違った学習は、治りづらい。それが現状のようです。「周辺者」は無理をせず、様子を見ながら、「当事者」との関わりを決めていくしかなさそうです。

相手の心を知らないと

 ASD、ADHDの症状を「周辺者」が知ろうとすると、症状ばかりに気が行きがちになります。それで、症状を把握した気になりますが、「当事者」が苦労した部分は見落としがちになります。ここで、大事なのが、「周辺者」は多数派で、一般感覚でのずれによる違和感でのトラブルが少ないことです。他県や外国に行けば別ですが、感覚のずれが少ない状態のグループ、団体に入っていたら、そこは自然と流し、そのままになっているため、「当事者」の気持ちの部分は、「周辺者」は、わかりません。

 カサンドラ症候群の状態の回復のステップの一つに、相手の状態を受け入れる。否定しない。加害者、被害者として受け止める状態を、整理しないと行けない過程があります。これができてないと、さすがに、「いつまでも、トラブルを起こして、困るのだけれど!!」と言う心の状態のまま進み、「嫌だ」「なんで、こんなめに」「まだ、できないの!!」「いい加減にしてよ」「また、やったの?」なんて気持ちが積み重なってしまいます。実際に、この言葉は、「周辺者」が、価値観の違う世界、言葉がずれる世界で、例えば、外国や、知的水準の高いグループに入ってしまい、言われたら、嫌な気持ちになります。実際に、できるわけがなく、「なにがなんだか」としか言えず、「できるわけがない」とすねてしまいます。被害者、加害者という気持ちを捨てて、ステップアップし、お互いに見えている世界観が違うけれど、お互いの気持ちが大事で、お互いに無理して合わせる必要はないけれど、何がいいのだろうと模索して、整理したほうがいいようです。

 カサンドラ症候群の状態で、気持ちの整理ができた人のコメントで、発達障害の「当事者」のためのボランティア活動をして、ASDの人の実態を知りました。というものや、精神科医の先生に、「当事者」の心の中で起きていることを、行動療法で教えてもらい、できない人に無理をさせてはいけないのだ、「当事者」は、一般感覚を教えてもらっていない、気づけない脳だった。自然と覚えるのは難しく、間違った認知で学習して、わざとじゃなかった。でも、多数派からしたら、違和感があっただけと、気持ちを整理した人もいたようです。

 相手の心を知るためには、発達障害者の人の書いた本を、読んだり、ブログを読んだりして、苦労話を知り、「こういう点で困っているのか」「こんな感じ方をするのか」と理解するのもいいのかも知れません。ただし、ぼやきやそねみ、あまり参考にならない感情論で書かれている本やブログでは難しいので、自分が、共感できそうな文章を書いている、本、ブログを参考にした方がいいようです。

 世界は多数派だけのためのものではないけれど、かといって、「当事者」だけが配慮されると言うのも、違う気がします。「当事者」「周辺者」の妥協点を、話し合いで埋めて行ければいいけれど、それができない「当事者」の場合は、「周辺者」が、少し歩み寄らないと難しいようです。ただし、「当事者」が、ものすごく「周辺者」を傷つけたり、妨害したり、嫌なことを押しつけたり、過剰要求したりした場合は、無理をしないほうが、いいようです。

 カサンドラ状態の人には、たくさんのステップを経て、数年かけて、症状を少しずつ理解して、自分の心を落ち着けて、物事を整理し、動揺するのも自然のことで、つい、なじってしまう心が出てしまう、滞るのも人間なので、それの、自然のことと受け止め、受け入れられる、考えられる気持ちになったら、ステップを踏んでいき、徐々に段階を経て、回復に向かうのがいいようです。

 ただし、ASDの「当事者」の障害者としてのスキルがどの程度なのかによって、大きく違いが出てくるようです。症状を全く理解しない人、自覚しているのに、そのままの人、周りの人に頼んでばかりいる人などだと、難しいようです。「当事者」が、自分の症状に対して、どうしたいのか、ASDとしての生き方を、ある程度、「当事者」が決めていないと、「周辺者」は、どうしようもなく、ASDの「当事者」の社会スキルが身につけていく過程で、嫌な気持ちになったり、挫折したり、嘆いたり、なじったりする気持ちもありますが、自分の心と相手の心と、両方を少しずつ理解して、整理してということを繰り返すと、落ち着いていくようです。

 回復に数年かかりました。と言うのが多かったようです。

イメージの一致

 会話で、たくさんの言葉のやりとりをしたはずなのに、どうしても意志の疎通が図れない。そんな状況がASDの症状になるようです。

 言葉について、遅れがないと言う人も多いようですが、診断を受けた方のコメントで多いのが、「小学生時代から、怒られてばかり」「居残りでやらされた」「運動などもできなかった」と、自分で自覚症状がある人も多いようです。高校、大学を卒業後、就職までできているけれど、そこで発覚したと言う「当事者」と怒られてばかりいて、何かおかしいと気づいたという「当事者」で、大きな開きがあるようです。これが個人差となります。知能指数だけでははかれないようですが、ウエイクスラー検査などをしたら、より、わかりやすく、自分の苦手分野がはっきりするようです。

 そもそも、自分を振り返ることが一切できない「当事者」から、少しは空気が読めるけれど、という「当事者」まで、開きが大きすぎるので、診断を受けて、自分に合った支援を受けると言うのがいいのですが、すでに成人で発見されたと言うケースの場合は、自覚なしという人も多いようです。この場合は、知能指数は低くない人が多いらしく、中には、知能指数がとても高いと言う人も含まれます。

 想像性の部分で、個人差が多いので、ここが、致命的にわからない人から、一般感覚を親や友だちに教えてもらってきたと言う人まで、差があります。

 会話で、言葉の量をたくさん伝えていても、実際にイメージのやりとりをしないと難しいのが、ASD。イメージを伝えるのに必要なのは、「当事者」が自覚していること、「当事者」が、一般感覚を知りたいと思っていること、「当事者」がトラブルを減らしたいと思っていること。この心ができてないと、イメージの一致は難しいようです。

 イメージが一致して、初めて、お互いの感覚の違いを尊重し合えますが、それまで、膨大な時間がかかるのが、ASDの療育。それを大人になってから始めると、なかなか難しいので、応急処置程度。つまり、「苦手な分野は、手を出さない」「自己主張しない」「判断する人にならない」「リーダーの役目は降りる」「二重チェックをしてもらう」「途中確認をしてもらう」などぐらいしか難しいようです。

 応急処置は、「周辺者」に手伝ってもらう分野が多いので、味方になってくれる人を作ることも、SSTとして必要になります。言葉を丁寧にして、頼み、ただし、頼む範囲は理解する。相手に断られても、言い張らない。あとで気づいたときに謝る。などの、行動が必要になるようです。

努力目標で、義務じゃない

 発達障害の症状がある「当事者」の人は、症状について、どう対応していくかを決めるのは、仕事や学校以外で見つかった場合は、努力した方が好ましいと言う状況で、あくまで目標であり、義務にはなっていないのが実情です。法律が変わってから、学校で見つかりやすくなりました。職場でも見つかりやすくなり、うつ病などのほかの精神の病を疑ったら、見つかりましたと言うケースも多数あります。

法律が変わる前の、発達障害の症状を持ったまま大人になってしまった人は、どうなるかというと、よほどのことがない限り、本人が気づかないままで、そのままになっているようです。自己破産しても気づかない、会社を首になりまくっても、気づかない、周りに怒られ続けても、気づかない。と言うケースが多数あります。それは、インターネットの書き込みの内容と数だけ、あるということになります。

義務じゃないので、「当事者」は、自覚なしだと、そのままです。よって「周辺者」が困り続けます。お医者さんとして言えるのは、「無理しないでください」「逃げてもいいですよ」「尻拭いはしなくてもいいですよ」「あなたの範囲だけ考えましょう」となっているようです。

そもそも、「浮気してはいけないって、なぜ?」「お金を使いすぎていけないと知りません」「借金して、なぜ、だめなのですか?」「トラブルって、周りが騒いでいるだけで、俺は自然に任せている」「好き好んで、この脳で、生まれていません」という状況であり、義務じゃない以上、努力してくれないと嘆く以外は難しくなっています。

ただし、トラブルだらけなので、「周辺者」は、断ると言う権利、自分の生活を守ってもいいと言う権利はあるようです。この辺が、「当事者」「周辺者」とも、困惑するところになるようです。お互いに、「なぜ、困っているのに、わかってくれないのだろう」となるからです。これを埋めるには、「当事者」「周辺者」は、お互いの感覚を勉強するしかないようです。

 感覚を勉強したとしても、それを理解できる「当事者」ばかりではないようで、どれだけ説明してもわからない「当事者」もいれば、高い知能で、すぐに知識として把握していく「当事者」まで、様々のようです。
 把握して、対応していく「当事者」はいいですが、理解もできない、わからない、本すら読めない「当事者」の場合は、「骨折しているのに、走れ
!!」と言うぐらい状態だそうです。「目が見えない人に、初めての場所でも動け」と言うぐらい、無茶な状態だそうです。症状を理解して、その人に合った方法を見つけて、妥協点が見つけて行ける発達障害者の人と「周辺者」は考えていくことはできますが、症状を理解せず、自分の状態に合ってないことを、「周辺者」の気持ちを考えない要求をされた場合は、断った方がいいようです。

個人差がありすぎる、発達障害の「当事者」の状況。「浮気するなんて、ひどい」「まだ、借金を繰り返すの?」と症状が重すぎる「当事者」に言うのは、「そんなの、お前の世界の出来事だ。俺の世界では違う」と、それも、「当事者」にとっては、要求が過剰に感じるようです。
何が、正解なのか、難しいところですが、一般の社会基準だけじゃなく、障害の「当事者」ができる範囲も考慮して、判断していくしかなさそうです。


許される?

叩いてもいいよね。放置してもいいよね。お金を使いすぎても、そのままでいいよね。浮気を注意されたけれど、浮気し続けてもいいよね。トラブルだらけだけど、いいよね。尻拭いしてもらい続けたけれど、いいよね。時間にルーズで遅刻ばかりだけど、いいよね。

 などなど、発達障害の可能性がわかるまでに、起こした、トラブルの数々は、「発達障害の症状だから起こした」「適切な対応策を教えてもらえなかった」「教えてもらえる環境じゃなかった」場合は、免責になるようです。「周辺者」からすると、

「今までのたまったストレスを、どうしてくれる!!!」と言う状態です。

 ここから、「症状からくるものだから、しょうがないよね」と言う心境になるには、たくさんの変遷を経て、症状を知り、状態を知り、自分の気持ちを知り、と言うのを経て、受け入れられる人もいるようです。残念ながら、暴力を振るわれ続けた親が発達障害だった。とか、借金をなすりつけられて、ものすごく嫌な気持ちになった。とか、浮気ばかりされ続けて、自尊心がズタズタだから。と言うケースも多く、この場合、「周辺者」に「障害者だから許して、受け入れて、一緒に取り組め!!」というのは、さすがに、難しい気がします。だから、精神科医の先生が言えるのは、「当事者の人は、そもそも理解ができませんが、変わりません。悪気はありません。症状だから、許してあげてください。ただし、あなたが嫌だと感じるのは、当然のことだと思います。でも、その当事者が、あまり変わらないだろうことを受け入れるかどうかは、あなたが決めてください。その上で、対応していきたいと考えており、当事者の人も対応していきたいと、症状を勉強したいと思っているケースじゃないと、難しいですよ」というのが多いようです。

 「発達障害かも知れない!!」と言う時点で起こしたことは、免責になりますが、「発達障害者であるかもしれない」から、対応しない人の場合は、周りの人は、「お医者さんにかかってよ」「対応してよ」とは言えません。「周辺者」が言えるのは、対応しない、そのままでいいと思っている人に、「合わせるのは、難しいです」としか言えません。

 発達障害かも知れないとわかってから、気持ちが落ち着くまでの時間が必要ですし、お医者さん探し、発達障害者支援センターでの相談なども、時間がかかり、支援センターに相談してもらい、お医者さんにかかり、診断してもらい、症状の勉強をして、と言う部分まで、ものすごく時間がかかります。センター、お医者さんの相談にも待ち時間があるからです。よって、この期間、あまりに長すぎるのであれば、「治療放棄」と見なされ、「症状に取り組むつもりのない、トラブルを起こしっぱなしの人」として、扱われることになり、たとえ、「当事者」でも、トラブルメーカーであるとなって、免責にはならないようです。

期限は守りましょう

 発達障害者の可能性があります。グレーゾーンかも知れません。と言う状態の人と関わる機会は、意外と多い気がします。一般的なつながり程度で、共同作業を行わないのなら、対応策も必要ありませんが、共同作業をしています、同じグループです、問題行動の尻拭いをさせられています。などの人の場合は、いつも、トラブルだらけで「周辺者」は疲れ切ります。

 ADHD、ASDの場合、期限を守らない。と言うトラブルが意外と多いようです。では、どうするかというと、催促する。注意する。などぐらいしか「周辺者」はできません。でも、期限は、たとえ発達障害者でも、社会人となっているのなら、「守らなくてもいいよね」というのでは、通らない場合が多いようです。注意して、催促して、「そんな約束をしていない」と言い張る発達障害者の人も多いようです。理由は、約束した内容のイメージがずれていた。約束したこと自体を忘れている。などが多いようです。

 そうやって、結局、グズグズして進まないため、「周辺者」たちが、無理をして、合わせたり、尻拭いしたりして、それすら、違和感なく、「周りがやってくれている」だけで、「自分が迷惑をかけている」と気づかない発達障害者の人が意外と多いそうです。怒られていても、「だって、相手が悪いのよ!!」と言い張っているケースが多く、インターネットで、ものすごい書き込みの数となっています。

 この場合、どうしても、期限を守らないと行けないケース、できれば、守ってほしいケースなどに分けて、「周辺者」が対応していかないと行けませんが、発達障害の人の方の責任の範囲は、「周辺者」たちは、できないときは、はっきりと断った方が、いいようです。ASDの人に断らないと、「言われなかったから、気づけなかった」と言うだけで、謝りません。それが、発達障害者の人の感覚になるようです。ここで、謝った方がいいよと言っても、「気づけなかったのだから」と考えて、「なぜですか?」とわからないそうです。

 期限が守れない場合は、発達障害者の症状を持つ人の範囲までは、「周辺者」は無理をせず、ADHDの場合は、二重チェックをして、「この人は、そもそも約束ができない人」として、扱うように書かれている本もありました。アスペルガーの場合は、イメージを伝え合わないと難しく、一度にたくさんも無理で、配慮するのは、「周辺者」となり、トラブルにならないマニュアルを作っておき、それを読まないような発達障害者の「当事者」の場合は、できるだけ関わりを減らして、考えてやっていかないと難しいようです。

 期限は守らないだろう。これが前提で「周辺者」は動いた方が安全のようです。

「当事者」が自分から言わないと

 発達障害の「当事者」の人、症状があり未診断の人の書き込みで多いのが、「できないのに、やれるようになるわけがないのに、ひどい!!」と言うものがあります。でも、「当事者」の症状は個人差があり、そして、発達障害の本を読んだだけでは、「周辺者」は、何ができて、何ができないのか、わかりません。発達障害をクローズのまま、もしくは、未診断で、どんな症状なのか、わかってないまま、「手伝ってもらえない。ひどい」と言う書き込みを、よく見ますが、「周辺者」は、一般的なことはできるだろうと思って、言っているので、ある程度は開示しないと難しい状態になります。

 クローズのままでいきたいのであれば、「当事者」側から、性格的に、苦手であるということとして伝える努力が必要ですが、自覚があるケースの場合じゃないと難しいようです。診断済みなのに、自分の症状の自覚すらしてない、対応すら学んでない状態の人では、「周辺者」は戸惑うだけで、配慮のしようがありません。
 未診断のケースの場合、症状把握すらできてない人も多いので、「私は一般人よ」と言われても、自覚してない場合は、距離を取るしかしょうがないケースも多いようです。症状があると自覚した後、そのまま、症状の勉強をしないままの人も多いようです。そのケースも、「何ができないのか、どこまで頼んでいいのかわからない」というのが、「当事者」の気持ちで、共同作業はトラブルだらけのままになります。

 発達障害をクローズで行く場合でも、最低限のことを伝えていく努力までは、身につけておかないと難しく、そのためには、「専門家」もしくは、症状に詳しい身内の人に相談しながら行かないと難しいようです。

 「当事者」が症状を把握する。

 「当事者」が自分の症状の対応を考える。

 周りに伝える努力までは「当事者」が行う。

と言うところまでしてないと、「周辺者」は、手伝ってくれる人は、なかなかできない状況になるようです。「周辺者」の人は、そこまでたどり着いてない「当事者」の場合は、待つか、距離を取るか、必要最小限の関わりにするかを決めないと難しいようです。

障害が見つかりにくい理由

 発達障害が見つかりにくい理由の一番は、「性格の問題と混同している」「見た目に出ていない」からのようです。
 もう一つ、成人の場合に多いようですが、「社会適応が、トラブルを減らす方向性ではなく、トラブルをごまかす方で身についている」人が多いからのようです。

 良く怒られやすい発達障害者。でも、自分では間違っていると思っておらず、その上、どうやっていいかの具体的な指導もなく、間違った認知で行動したままで、「でも、怒られるのは嫌だ!!」となると、やりがちなのが、「ごまかす」「逃げる」「そのまま」「黙ってる」などの方法になり、あとで発覚して「なんで言わないの!!」「何をやっているの!!」「また、やったの?」などだけで、具体的に、「次から、こうしたほうがいいよ」と提案されても、「なんで怒られないといけないんだ!!」となり、ADHDの場合は、「わかっているけれど、俺はこうしたい!!」と、自分の感情が抑えられず、ASDの場合は、「そもそも、何が悪いか、何がどうなっているか、どうやっていいか、謝った方がいいのか、謝り方もわからないし、行動がわからない」という状態です。合併症があり、両方の症状があると、「わかってもいないし、行動もどうしたらいいのかわかってないし、やめられない」状態で、「周辺者」はお手上げです。

 良く、コメントで書かれているのが、「なんで、発達障害だと気づけなかったのだろう?」と言うものですが、この状態では、「症状がある人だとは、気づけないのは、しょうがない」ということになります。誰も、身近な人を、脳の状態が一般的じゃないとは疑いません。だから、「気づけなかったことは、当事者も周辺者も、自分を責めないでください」とお医者さん、カウンセラーなどの「専門家」が言っていますが、そこで、すぐに切り替えられず、症状の状態を知り、「当事者」の限界とできることを知り、そうやって、ハードルを下げて、感情の整理をして、受け入れていくしかなさそうです。

 受け入れられるまで、「当事者」「周辺者」の両方が感情的な意見になりがちなので、それらの感情的な意見に関しては、「当事者」「周辺者」「第三者」が、そういう障害なのだから、しょうがないと、受け流して、おおらかに捉えられるような、状態を周知していける社会になるといいなと感じます。

障害だと気づかなくて進んでしまう理由

 発達障害というのは、目が見えない、耳が聞こえない、手足などが動かない、動きづらいなどの身体障害の人のようには、表だってわかりづらいです。性格的に、「かなり言い張る人だな」「どこか、ずれている」「なんで、同じやり方ばかりするのだろう?」「トラブルが多いのに、わかってない」となって、空気が読めない人というくくりにされてしまうケースが多いようです。ただし、その程度が、積極奇異型のアスペルガーだと、学生時代に発見されやすく、でも、時代によっては、流されてきてしまったことも多いようです。孤立型の場合は、おとなしい人、変わった人と見えるケースと混同されがちです。
 受動型の場合は、おとなしく、主体性がない人、優柔不断な人のように見られがちです。

 すべてのケースで、気づかれなくて進んでしまうのは、見た目に出ていない、そして、障害だとは思わず、「性格的に、トラブルが多い人」とくくられて、流されているからです。年齢が上がって行くにつれて、社会適応を身につけるのではなく、トラブルになりそうなとき、「だまっていたほうがいい」「違う言い方をした方が、怒られない」なんてことだけ、経験として身につけているケースが多いらしく、公共の場で会う程度、あまり深く関わらない程度だと、まず、わからないようです。

 見つかったケースで多いのは、生まれた子供が、途中で保育士さんや先生に指摘されたから、親も調べて、自分もそうだったと気づいたケース、うつ病などの、ほかの精神の病を患って、見つかったケースが多いようです。

 自分で、気づいて、お医者さんに行きましたと言うケースもちらほらありますが、ほとんどが、自覚がなく、トラブルの数が多すぎた、思いっきりトラブルがあったなどで、見つかったケースが多いようです。

 そばにいる人たちが、トラブルだらけで、もう、無理だと気づいた後、「周辺者」が疲れ切った後に、発達障害の症状があるのでは?と気づくケースも多く、その場合は、切り替えに、受け止めるのに、症状を理解するのに、数年かかりましたと言うのが、「当事者」「周辺者」の意見で多いようです。もがいたあげく、「どうやっても、できないことが多い。難しかった」と、理解して、症状を受け止め、もしくは受け流して、無理をしないで、関わりを抑えてやっていくと言う形になっていくことが多いようです。

臨機応変とルーチンワークに分ける

 ASDの場合、「想像ができない」「感情がわからない」「臨機応変に動けない」という特徴があります。ところが、同じことの繰り返しは、定型発達の人は飽きるのに、発達障害の人は、それをやりたがる傾向が強いため、役割分担で、

 書類など、決まり切った行動、前と同じことの繰り返しは、アスペルガーの症状が出ている「当事者」が担当。

 臨機応変、感情が絡むもの、想像が必要なものなどは、「周辺者」が担当。

というように、大まかに役割を決めておく必要があるようです。

 ASDの症状が強く、ほかの合併症、ADHD、LDなどの症状が少なめの人なら、マニュアルを作った方が安全のようです。

役割分担

 子供のうちに発見されたら、発達障害の症状の勉強をして、行動を学び、自己主張しすぎず、対応をできるようになるまで、かなりの時間がかかるようです。何度も、中断したり、挫折したり、嫌になったりしながら、親子関係を見直しをして、高校生ぐらいで、落ち着きますと言う言葉が多かったようです。でも、高校生になっても、全然、薬も効かないし、無理でしたと言うコメントをちらほら見かけます。

 大人になって発見されたら、どうなるかというと、何かの役割をやっているケースがほとんどで、それができなくて、トラブルに発展しているということも多いようです。それが家庭での、役割だとどうでしょう? 会計担当、雑事担当、食事担当に、全体の指示担当、など、結構、やらないと行けない役割だらけになります。実際にできるかというと、とてもじゃないけれど、回っていかなくて、大変です。「私が代行しています」「私が決めています」というコメントがたくさん見つかります。
 たとえて言うなら、子供で見つかったら、「そのまま普通級で通い、でも、療育を受けている」「特別支援級の方に入る」「通級を利用する」などの状態の人が、クラスの代表をしたり、会計や、書記などを担当するようなもので、定型発達が多いクラスメイトからしたら、「ちょっと難しいのでは?」と言われやすい状況ですが、家族だと、その役目をする人が他にいないと言う状態なので、やむをえず、やっている状態になり、当然、「この役割をやってもらわないと」なんて考えは捨てないと難しいようです。

 大人になって発見された場合、少しの応急処置程度しかできないケースがほとんどで、一般基準では、症状の勉強をしてもらい、その間は、決定権は持たない、判断できないことは人に聞く、でも、できるだけ自分のことは自分でやる、言い張らない。などの行動制限がかけられます。
 お仕事の現場では、ジョブコーチに頼んで、そのまま、その部署で仕事ができるというレベルの症状なら、そして、本人が自覚して、自ら本読み、対応をしていこうとする意欲のある人なら、そのうち、何年か経験していけば、トラブルは減っていくかも知れませんが、配置がえをしないと無理だろう。配置換えしても無理なので、行動制限がある部署に配置して、軽作業に回ってしまう症状の人で、自覚もなくて、本も読まなくて、症状の勉強などするわけもなく、怒ってばかり、なんて人だと、難しいようです。

 役割というものを、一般例と同じように、できるわけがないと考えないと、難しいようです。でも、これは、「当事者」が自覚している、症状を勉強している、自ら本を読んで、勉強していく意欲がある人は、なんとかなりますが、それらを一切してないのに、できるわけがなく、その場合、「周辺者」は困り果てて、「その行動をやめてください」と言っても辞めてもらえないし、トラブルは減らないし、フォローするにも限界があるし、となっていき、なかなか難しいようです。ここまで行っていたら、ファミリーコーチの派遣をしてもらわないと難しいような気がしますが、そういう派遣制度を無料で受けられたら助かるのにと思います。

ADHDの人がグループにいたら

 ADHDの人が職場にいたら、どうするかと言うと、トラブルが起きやすいので、二重チェックが基本になるようです。あとは、「トラブルは起るのが標準だと思って行動する」「聞いてない、覚えてない、わかってないと思って行動する」ということになるようです。つまり、この人がいなくても、回っていく体制を作っておき、そこに入ってもらう形で動いていかないと、難しいだろうと書かれていた資料があり、さすがに驚きました。ADHDの人が聞いたら、さすがに傷つくような気がしますが、薬が効いていても、行動も考えられても、環境も整えても、それでも「トラブルは起りやすい」というADHDの人は、確かに多いようです。薬と言っても、定型発達並みに、脳が機能するわけではないので、それに近づける感覚ですと書いているADHDの人もいました。

 薬も、必ず、全員に効果があるわけじゃないし、副作用もあります。ADHDの人が自覚している、薬を飲んで効果があった、対応を学んでいると言う状態で、グループ活動も二重チェックしていけば、トラブルは減らしやすいと言う方法を使うようです。

 では、職場じゃない、ほかのグループでは、どうかと言うと、ASDの場合と同じで、「トラブルを起こしやすく、聞いてない、覚えてない、わかってない人と一緒に動くと危険だから、この人以外の人で、仕事を回していきましょう」となっていくようです。でも、それで、短期間なら続けられますが、長期間になると、そこに人間として面白くないという感情も交じるので、複雑になるようです。できる範囲を手伝ってもらうにしても、自覚があり、症状が安定している人じゃないと難しいので、自覚してない、薬も飲んでいない、安定していないケースの場合は、その人以外で、回しているかも知れません。

 では、家族だとどうなるか。メンバーの人数が少ないため、その人の仕事を分担すると言うわけにはいかない状況も多数あります。そして、そのトラブルを起こしている人が自覚がなく、仕切りたがったり、聞いてない、覚えてないのに、自分が正しいと思っていたり、なんて状況ではまとまることは、まずないようです。その場合は、脳が落ち着かせないと何も始まらないので、「薬で脳を落ち着かせてから、グループ作りをしないと難しいでしょう」というお医者さんもいるようです。脳が落ち着かないと、会話すらままならないため、行動が落ち着かず、そこから始めないと、何もできないし、トラブルだらけのようです。では、家族の誰がADHDかによっても違ってきてしまうので、どうしたらいいかというと、その人は当てにしないで動くしかないと言うのを原則に持っておき、さらに「聞いてない、覚えてない、わかってない」という前提で、物事を進めていき、二重チェック体制を敷いて、メモで伝え合い、なんて行動で、グループ活動が必要になりますが、それが、すでにできない状態の家族なら、「諦めるしかない」「トラブルだらけ」「お金が無くなっても、使う人が言うことを聞かないのなら、難しい」「浮気をやめてくれと言っても、やめられないのなら、難しい」という、もう、家族からしたら、見放したくなるケースも多数あるようです。

「当てにしない」「聞いてない、覚えてない、わかってないと思って行動する」「二重チェックが基本」「重要なことはメモ書きで、わかるところに貼っておく」ということをしても、それでも、トラブルは起きやすいと心得て、「周辺者」が動いていくしかないようです。

 自覚がある、薬が効いているADHDの人と、自覚なし、当然、薬も飲んでもいないADHDの人だと、「周辺者」の行動が違っているようです。

ASDの人がグループにいたら

 ASDの人が、職場にいたら、どうしたらいいのかというと、いろいろな意見があるようですが、「ASDの人には、マニュアルを作って、渡す」「職場の人には、ASDの人の、禁止事項、注意事項をまとめる」と言う方法を取るような職場もなるようです。(ほとんどのケースはそこまでしてもらえないようです)人権問題も絡むため、周りの人は言いにくいため、扱い方は慎重にしないといけないようです。

 ジョブコーチの人がついて、職場環境を整えるにしても、動くのは現場の人だったり、上司だったりします。作業工程表を作ったり、それをわかりやすくする工夫をしてもらえたり、ついたてを作ったり、二重チェック体制を作ったり、シールを貼ったりして、物の配置を工夫したりしても、それだけでは、なかなか難しいので、ルール作りが必要になるようです。マニュアルを渡しても、すぐによくなるわけではなく、ASDの特長を持った人の脳が納得して、それに慣れる必要があります。そうやって、徐々にならしながら、禁止事項と注意事項を並べて、文章化して、例えば、「突然、話しかけるとびっくりします」「考える時間が必要なので、与えてください」「予定変更だと混乱するので、図式化して、渡してください」などの工夫をしていく必要があるようです。

 これらは、職場じゃなくても、応用はできます。ところが、職場以外で、ここまでの手間をかけられるかと言ったら、結局、「あの人に仕事を任せると二度手間だから、他の人で分担しましょう」となっていくグループが多数のようです。

 では、家族だと、どうしたらいいのかということになり、これらには、ファミリーコーチという指導者がいてくれたら、多分、定着していくかと思いますが、生活指導をしてくれる、お医者さんもいるようですが、これらは、自力で、家族内でやっていくことになり、なかなか定着もしないし、「そこまでやっている時間がもったいない。だったら、自分のための時間を使いたい」という欲求が強くなっていき、この辺の兼ね合いが難しいようです。やがて、支援疲れも起こしやすく、「もうやりたくない」という時期が何度も来るようです。マニュアルを最初から作ってくれるようなシステムが行政であれば、やっていけるかも知れませんが、そういう状態にはなりそうもありません。自分で、ある程度のマニュアル化はしておき、禁止事項、注意事項も貼っておき、でも、ある程度できたらいいねと言う程度の目標でやっていくしか、ないようです。

 ASDの人が、グループにいたら、トラブルは起きる。と言う前提で動くのがいいようです。

マインドフルネス

 発達障害者の周辺にいて、フォロー、サポートをしている「周辺者」は、ずっと、トラブル処理とサポートなどで、疲れ切り、やがて「支援疲れ」を起こします。

 さらにカサンドラ症候群の症状も持っていたら、とてもじゃないけれど、気持ちが続きません。リセットをしたほうがいいようです。

 その一つが、マインドフルネス。流行っているようですが、あるがまま受け止め、今を見つめる方法。ようは目的のために、感情をリセットして、平常心で臨めるようにするための、瞑想方法のようです。

 基本から、応用まで、段階があります。

基本は、呼吸法です。呼吸を整え、自律神経の乱れを戻すと言う方法で、マインドフルネスじゃなくても、いろいろなストレス解消法で、よく知られている方法になります。呼吸に集中して、気持ちをそっちに向けて、心を落ち着ける方法です。その後、五感を研ぎ澄まします。目の感覚。目に入るものを、そのまま捉えます。耳から入る音を、そのまま捉えます。どう感じるかを観察します。味もそのまま捉えます。どんな味がして、どんな食感かを考えます。触感を感じます。手に感じる感覚、足に感じる感覚を知ります。風の感触、大地の感触、触るものに対する感触を感じます。匂いを感じます。

 第二段階が、日常で、呼吸法を使い、今、ある状況を見つめて、その場でリラックスします。肩の力を抜き、全身の力を、そこで倒れない程度に抜いて、リラックスします。

 第三段階が、雑念を払う方法です。雑念を払うには、雑念一つ一つを、ファイリングして行き、解放する。雑念にネームタグをつけて、「さようなら」とそれ以上は考えない。この、考えない、心を解放すると言うのが、なかなかやっかいのようです。「さようなら」で済むような次元じゃないことも多い、「発達障害の症状」を、「さようならしたって、また、同じようなトラブルを繰り返しちゃうけど」となります。この辺の兼ね合いは、「当事者の責任の範囲までは負わない」というラベルを、一つ一つに貼って、ファイルを眺めます。「あ、問題ファイルがある」と眺めるだけです。そこに感情や解決策は要りません。眺めるだけにするそうです。
 その段階を経て、最後には、「さようなら」と脳内で、そのファイルを風船につけて、空に飛ばすイメージを脳内で繰り返すそうです。

 雑念が、トラブルが、怒りに変わることが多々ありますが、そういう場合は、「怒りを運動の方に回しましょう」という方法を使うようです。体力を雑念を考える方ではなく、身体を動かす方に使って、一時的に、逃避行動的なことをして解消する癖をつけた方がいいです。散歩がいいらしく、散歩中、雑念が出たら、雑念は、ラベルをつけて、空に飛ばし、それ以上は考えない。今の呼吸と、今の景色を見て、雑念が浮かんだら、空に飛ばしましょう。

 リセットするための、グッズも取りそろえていくと言いそうです。アロマ、音楽、絵画、ドラマ、映画など、気持ちを一時期にでも、違う方に向けます。よく、プロのスポーツ選手が、集中するために音楽を聴いていますが、あれと似たような方法になるようです。

 訓練すれば、数ヶ月で、リセットしやすい脳に変わるそうですが、ここで、一番大切なのは、「周辺者」にとっての、悩みの種は消しづらいものであるということになります。発達障害者の「当事者」の人が安定する状態まで行かないと、ずっと続きます。中には、「自覚がない、困り感がない当事者」というのがいます。この場合は、この人に関わるのは、私には手に負えないと、諦める心の作業が必要になり、それには、たくさんの心の段階を経て、やっと、落ち着いていくようです。最初の戸惑い、やがて、この人は、たくさんの症状があり、わざとじゃないけど、イライラする。と言う状態が続き、しょうがない部分もあるけど、腹が立つ自分の感情も自然のことなのだということで、段階を経て、落ち着いていく状態になれたら、とは思いますが、発達障害の「当事者」の人は、小学校で見つかっても、高校ぐらいまで、行動が落ち着かない人が多い。中には、高校になっても、暴れん坊といわれるレベルの当事者もいるようですし、でも、悪気がないけど、「なぜ、私がこんな目に?」と思う気持ちを持ちたくなるぐらい、一向に良くならない「当事者」も多いようです。無理せず、割り切れるようになれる時が来るといいけれど、当事者の状態を受け入れられない感情があるのなら、それもしょうがないと思うしかないようです。たくさんのトラブルや心の段階を経て、数年かけて、グループでの行動の立ち位置などがわかっていき、受け入れたり、拒否したり、流したり、そんな感情を経て、「周辺者」の心のあり方が決まっていくようです。

 マインドフルネスは、気持ちのリセット方の一つとして、取り入れてもいいのかもしれません。 

全部一位

 たくさんの考慮しないと行けない事情があり、さて、どれを優先したらいいのでしょう? というのは、子供から繰り返し、だんだんと年齢を経て、なんとなく、一般感覚を知って、選べるようになるのが、定型発達だとすると、発達障害の中で、ASDの人は、「全部、重要?」「全部、優先される?」「全部、一位だ」と感じるらしく、優先順位など、わかるはずもないという状態になるそうです。なぜかというと、たくさんの情報があると、ごちゃごちゃしすぎて、「どれが、どれ?」となっていき、やがて、「面倒だ。考えたくない」となり、「そのうち、嫌になり、放っておく」となるコースをたどりやすいらしいです。

 ところが、定型発達の人は、「え、そのままなの? いつまでも片付かないじゃない」となり、やがて、「ねえ、早く決めてよ」と言っている間に、忘れてしまう発達障害の人も多く、やがて、「何の話だっけ?」となり、「えー!!!」と周囲の人に怒られる。なんてことも、あちこちで頻発するようです。

 ADHDの場合は、「優先順位はわかります。が、我慢できない。どうしても、どうしても、これを選びたい!!!」と言う衝動性を抑えられないコースを選びやすいそうです。では、ここで問題です。「じゃあ、ASDとADHDの両方の症状を持っていたら?」

 「どっちかの症状が出る!!」そうです。どこかの歌詞で聞いたような、判断ですが、「当事者」の人は、それに違和感がないようです。

ワーキングメモリーに差があるらしい

 高機能自閉症のドラマがありますが、サヴァン症候群という設定になっています。一度見たことを完全に記憶できる能力があり、それをアウトプットするときに、一般の医者が思いつかない方法まで、瞬時に治療法を考えることもできると言う設定です。

 ところが、発達障害の人で、こういう能力の人ばかりじゃありません。脳の機能が一人一人違うからだそうです。海馬が優れているとか、ほかの部分が優れていると言うのもあるようですが、ワーキングメモリーの動きが、早くて良い発達障害の人も稀にいるそうです。ADHDの人は、ワーキングメモリーの機能が弱いと言われていますが、全員ではないそうです。個人差が大きく、とある俳優さんは、発達障害をカミングアウトしておられますが、母親のほうは、一度言われたら覚えられるけれど、過集中の状態が続きやすいため、問題が出やすく、やらないと行けないことを後回しにして、自分のしたいことをしてしまったりして、社会性に問題が出ている症状で、でも、息子である、その俳優さんのほうは、覚えることができなくて、テストが苦手だったそうです。お母さんのほうはワーキングメモリーが一般的か、優れており、息子さんのほうは、ワーキングメモリーの働きが弱かったのかも知れません。親子であっても、それぐらい差が出てしまうのが発達障害です。

 ドラマのお医者さんのケースは、表情は乏しいようですが、出ています。これが全く表情が出ないASDの人もいるようです。自己主張が激しくない、主人公ですが、インターネットの方で、『トラブルメーカーで困っています」というケースの大抵は、積極的に動こうとしてしまう自己主張が激しいタイプの発達障害で、ここも個人差があります。療育を受けているかどうかが、わかりにくいですが、もしも、受けているドクターなのであれば、感情処理なども、一応、学んでいるのでは、ないかと思います。相手の気持ちなども、絵などを使い、コミック会話というもので学んでいる場合もあるようです。

 インターネットで怒られやすいタイプの発達障害の人は、小さい頃から発達障害だとわかって、療育を受けている人よりは、大人になってから発見、もしくは疑いをもたれている人では、ないかと思います。そういう人とケースが違うので、ドラマはドラマとして、割り切って見た方がいいのかも知れません。

脳の錯覚

 発達障害の人が、なぜ、自覚がないのでしょうかと言う質問が多いようです。どうやら、脳の錯覚らしく、借金をしても、ミスしても、浮気しても、「なんとかなる」と勘違いする人が、時々いるそうです。多重債務となり、自己破産しても、「なんとかなる」「前にうまくいったから」と脳が錯覚するらしく、あまりに驚愕で、「自己破産しても?」と言うのが、定型発達の人からすると、理解がしづらい状態です。ところが、脳内物質のいたずらだったり、脳の器質的な問題だったりするようで、まだまだ、解明されてはいませんが、そういう事例はいくつか、あるようです。

 反対に、いじけやすい人もいるようです。ミスが多いのを気にしすぎる。「症状だからしょうがない」という開き直りが必要なのですが、まるで、自分自身の努力が足りないかのように錯覚する人もいるようです。こういうケースの場合は、励ましてくれる人が必要なので、家族が、けなすような場合だと自尊心が育たなくなるので、家族以外で見つける必要があるのですが、なかなか、難しい部分が多いようです。「専門家」に頼む場合、お金も必要ですし、そこの場所に行くにも、時間が必要です。中には、発達障害の病院や、行政の場所に行くのに、ものすごく疲れてしまい易いという発達障害者の人も多いようです。電車のシートの座り心地が嫌でしょうが無いと言うケースもあったようですし、騒音が一番、「どうしても苦痛です」という人もいるようです。ノイズキャンセラー機能があるイヤホンとか、利用しても、難しいのかも知れません。道が覚えられないとか、たくさんの経験を積まないと行けない部分を、家族が協力してくれて、できるようになるところまで育ててくれる環境とは限らず、そういうボランティアも、あまりないようで、介助犬などで付き添いボランティアを見かけますが、そういうボランティア制度があるといいのかも知れません。医療に補助がつくケースもありますが、交通費は自力だったりするわけですし、中には、補助は一切受けられないような、診断が出ないグレーゾーンの人もいます。が、悩みは深刻だったりして、そういう場合も、時間とお金が続かないことも多いようです。

 脳の錯覚から来るものでも、多数派と違うので、困ってしまうということはたくさんあります。左利き用の道具が少ないのと同じような感覚となります。右利きの人は苦労はあまりわからない。右利き用しかなくても、それを不器用に使わないと行けない。それが発達障害の人の行動の一つ一つになるようです。

グループの形

 発達障害の症状を持った「当事者」がいる場合、その人数と症状にもよりますが、グループの形が違ってくるそうです。「当事者」がグループと一緒に行動するか、別行動するかが違ってきます。

1一緒にグループ活動するけれど、制限あり

 学校だと、普通級のまま、症状の勉強などは、いろいろな方法をとる形のようです。会社だと、ジョブコーチなどを呼んで、指導してもらい、環境作りをして、「当事者」はグループ活動は制限があります。配慮してもらえることもあります。それ以外の場所だと、家族、親族、何かのグループだと、コーチ的な人が必要ですが、派遣してもらうにしても、お金もかかるし、大変になりますし、自力でやるにしても、精神科医や小児科医、児童精神科医などに、生活指導はしてもらったり、症状についての相談はした方がいいのかも知れず、かなりの工夫が必要で、それには、ものすごく時間をかけて、グループ作りが必要のようですが、してもらえないグループも多いようです。

2グループを一時期、離れてもらい、症状の勉強をまずしてもらう

 学校だと、特別支援級になるのかも、知れません。会社だと、配置換えを行い、「当事者」の症状に合った場所に、異動になるとか、そういうことになるかも知れません。その場所で、ジョブコーチを呼んで、環境作りをしてもらえるケースもあるようですが、実態は、よくわかっていません。ほかのグループですと、とりあえず、症状発覚時は、グループとして形ができるわけもないので、気持ちを落ち着けるのにカウンセラーに相談したり、発達障害者支援センターに相談したり、自分が何者で、どのような症状で、どうしたいのかを決めてもらい、それから、必要に応じて、診察を受けたり、行動指導を受けたり、環境作りをして、グループ活動に、また加わることができるのか模索していく形になるようです。ところが、取り組まれないグループ、もしくは「当事者」も多く、なんとなくで進み、長年停滞するケースも多いようです。どちらにしても、いつかは「当事者」が発達障害を受け入れ、対応をしていこうと言う気持ちがある場合が、こちらのケースとなります。

3グループ活動はしない

 学校だと、養護学校などの専門のところに行き、定型発達の生徒がいない場所になる野かも知れません。会社だと、配置換えしてもらっても、居づらくて、自らやめる。もしくは、不当な扱いを受けて、やめざるを得ないなどのケースも多いようです。そして、作業所などに通って、やる気が失って、などのケースも多いようです。作業所もピンキリのようで、なかなか、発達障害者の人が納得できるような場所ではないようです。それ以外のグループだと、もう、「周辺者」が疲れ切り、併せきれず、「当事者」が好き勝手してしまったり、見放されたり、そんなケースも多いようです。とりあえず、距離を取って、自分の責任でどうぞと言う形が最も多いようです。浮気、借金、転職、暴力、暴言などを繰り返す「当事者」も多く、こういうケースは、「周辺者」は、最初は、尻拭いしても、やがて愛想を尽かし、修復するのも不可能なケースも多いようです。「周辺者」が配偶者や子供の場合、保護責任はないため、二十歳を超えている「当事者」であり、責任能力ありとなる人の場合は、無理して行動しないケースが多いようです。こちらは、「当事者」が、発達障害を受け入れていないか、取り組まれないケースになるようです。


 責任能力ですが、一般的に言われているのは、「当事者」が二十歳を超えており、高校、大学などを卒業しており、さらに、就職までできているケースは、症状として重くないと見られ、「当事者」ができるだけ自分で、自分の行動の尻拭いをして、たとえ、借金しても、トラブルがあっても、転職を余儀なくされても、自分で、相談に行き、自分で考えましょう。と言うのが基準のようです。

 グループの形は、これ以外にもあるのかも知れませんが、とりあえず、あちこちで書かれていたものをまとめてみました。

認知のゆがみはとれるのか?

 ASDの身近な人たちは、必ずと言っていいほど、認知のゆがみの説明を試みますが、大抵は、挫折するそうです。専門家によっては、「どんなに説明しても理解できない。最初から、理解できない人として接してください」という人もいるようです。ただ、知能指数には、偏りがあります。できる、できないに偏りがあります。ウエイクスラー検査を目安に、考えるといいのかも知れません。そこで、想像力が落ちる人もいるし、記憶が問題がありすぎる人もいるし、様々な要因が重なって、日常のトラブルにつながるので、どういう部分を補うのか、何をしてはいけないのかの目安にしますが、その後のフォローをしてもらえないことも多いようです。

 想像力に問題が出たり、予測できなかったり、記憶が問題があったり、類似点が探せないとか、ルールが理解できないとか、人によって、バラバラになるようです。そういうものが複合的に重なって、認知のゆがみが起きますが、それで、説明してもらっても、ASDの症状が重ければ重いほど、その言葉の意味が真に理解できなくて、いくら説明してもらっても、困り顔をするばかりで、わからないと言うレベルの人もいます。日常生活で、さほど、問題が出ないときもあり、落差があるようです。そういう人に、ちょっと説明すれば、なんとかなるように錯覚してしまい、「周辺者」は説得を続けますが、難しい人も多いようです。

 会話ができるようになるには、実は「当事者」のほうの症状の程度とやる気が大いに関係があり、それがない場合は、共同作業をするのが難しくなります。ジョブコーチをつけたら、なんとかなるのでしたら、症状が重すぎるということもなく、環境作りをしていけば、なんとかなる人もいるようです。

 認知のゆがみはとれると言う人だとグレーゾーンの状態の人が、そうなのかも知れないです。本当に、重い症状の人だと、いくら、説得を試みても、思い込みで、何も話し合えないと言うのがほとんどなり、自分の言いたいことを、言い続けているだけの「当事者」が、変わらないのを見続けて、「周辺者」が疲れ始めて、共同作業は、どうやっても難しいと言う状態まで追い込まれます。

 毎回、何もかもが、はじめてであり、永久に初心者を教える覚悟が必要だと書かれている本もあります。前にやったから、教えなくてもいいと言うのが通用しない。そういうレベルの人も多いようです。

山あり谷ありです

 社会適応を一通り学び、発達障害を乗り越え中の人は、ブログを書くケースが多いようです。迷い中の人は、何が何だかで、発信なんてできる状態じゃないから。そういう人は、そういうブログ、コメントを読む側のようです。

 でも、発達障害は、一生、その障害とともに生きていくので、一応、社会適応できていても、周りの人も同じとは限らないようです。周りの人の気持ちや行動もあるため、たくさんの問題に巻き込まれます。そういう場合でも、腐らずに頑張れるなんて言うのは、難しいようです。時に休んだ方がいいと、「専門家」や発達障害の家族の人がコメントデカ枯れているのを見かけます。気持ちを持ち続けるのは大変なので、時に休み、時に進み、進むペースを考え、ハードルは下げて、と言うのを続けて、ペース配分がつかめていくようです。

 5年かかりました。10年かかっても、まだ、受け止めきれません。なんていう人も、ちらほらいます。子供がいる場合は、「高校生になって、やっと、落ち着いてくれました」というケースもあるし、「もう、高校生なのに、薬はちっとも効かないし、言うことも聞いてくれないし、親をやめたくなりました」と言うケースも多数。家族をやめたくなりました。上司、同僚として、もう、無理です。書かれているケースがとても、多いようです。それだけ、難しい障害なので、発達障害のそばにいる「周辺者」は罪悪感を持たず、時に、ゆっくりと心を休めて、山に上る気持ちではなく、一歩を歩めるようにしていくことを考えるしか、ないようです。

「言ってない」「聞いてない」を連発する理由

 発達障害の症状で、「聞いてなかった」「言ってない」と言い張ることがあります。理由は、様々なようです。内容を聞き取れない。内容を理解できない。概念を知らない。情報整理が追いつかない。話の流れについて行けない。時系列で考えることが苦手。記憶が飛ぶ。ほかに気になることで頭がいっぱいだった。目に入る情報ばかり追って、話の内容が入ってこない。などなど。

 これらに対して、対処法は、「用件は一度に一つまで、短めに」もしくは、メモで渡す。日時、用件、場所、必要なものなどを書いておく。こういうことをしても、社会スキルが低くて、できない発達障害の症状を持った人もいるようです。社会スキルが高い上に、自分で、発達障害の症状を理解して、対応して、適応しようと思っている。そんな意識がある発達障害の人のためのマニュアルはたくさん出ているのですが、「そもそも、なんで、僕がそこまでやらないといけないの?」とか、「言われたことはわかるけれど、具体的に動くときに不安すぎる」という人もいて、様々な理由で、頓挫しやすいケースのほうが多いようです。内容を理解できない。動けない。会話について行けない。メモをもらっても、動けない。人にやってもらいたがって、自力でやらない。やらないと行けないことを、そのままにしてしまう。一応やるけれど、間違いだらけで、自己流でやりたがり、時間がかかりすぎる。脱線ばかりして、やらなくていい範囲ばっかり追加して、作業スピードが大幅に遅れる。
 問題だらけの行動が続く人の場合は、療育を受けていないまま、大人になってしまっていて、脳もできあがっていて、だから、社会スキルが身につけるなんてレベルじゃなくて、と言う人もたくさんいますが、そういう人のためのマニュアルは、一冊どころが、100冊あっても、足りないぐらいの分量が必要となり、動画マニュアルでも、出してもらわないと、間に合わない状況のようです。

 「言ってない」「聞いてない」と、言い続けてしまう発達障害の症状を持っている人は、修正すると言うことが難しく、そういう人のためのマニュアルがないので、現場で関わっている人は手探りで行動を決めていかなくては行けなくなり、職場やグループ、家族、親族、学校だと、周りの人がフォローしないとどうしようもなくなっているケースも多いようです。

 すべてを引き受けていては、間に合わないし、いちいち、「言ってあるのに」「また、きいてなかったの?」と言っても、本人は、脳で本当に、本気で、聞いていられないし、覚えておけない脳で、さらに自覚がないケースも多数です。「流してください。病気です」と、言っているお医者さんがいますが、「流すって言っても、現実に、問題を繰り返されたら、さすがにたまらない、関わりたくない」となっていく場合が多いようです。

 症状のレクチャーコーチ、ヘルパーの派遣を、グレーゾーンの人、身診断の人でも利用できるシステムがあればと感じます。家族、学校、その他のグループで、いろいろな人が助かるのにと感じますが、難しいのであれば、せめて、取り組まない発達障害の人のための、「当事者」「周辺者」「専門家」の動画マニュアルを、配信してくれたらと、願います。

嘘をつく場合は反射的

 発達障害の児童に時々見られるのが、嘘をついてしまうと言うケース。それが大人になっても、残ってしまい易いのが発達障害の症状にあります。とっさの嘘ばかりで、すぐにばれます。ところが、本人の脳内では、違和感がある場合と、嘘をついていることは良くないと思っているのに、つい、嘘をついている場合とあるようです。自覚がないのに嘘をついている場合は、自閉症状から来るもの、ワーキングメモリーの働きから来るものもあり、このケースの場合はお医者さんに相談しないと難しくなるようです。いくら、嘘をついてはいけないと言っても、自閉症状を理解したり、ワーキングメモリーの働きによる問題を理解したりしないと難しいから、それをまず、理解するところからしないと難しいようです。これの説明も、難しいため、症状を理解するまで、かなりの時間をかけないと難しいようです。

 では、嘘をついている自覚があるのに、なぜか、嘘をついてしまう人の場合は、どうなっているかというと、反射的に嘘をついていて、あとから、「あ、そうだ。嘘をついたら、だめだ」と気づけるけれど、嘘をいつのまにかついていて、つまり、「生活習慣的になっている」状態だそうです。生活習慣になっているので、この癖を取るのは、とても、大変だそうです。嘘をついてはいけないデメリットの説明と、状況の説明を、怒らないで、何度も繰り返して行く必要がありますが、それに耐えられないADHDの人の脳なので、大変のようです。面倒なことは聞きたくないと思っているのに、「嘘をついてはいけない」と言われたら、「わかってるからいいじゃないか」で終わるらしく、そこで進まないようです。
 気長に嘘をついてはいけないデメリットを教えていく必要があり、症状の勉強も勧めて、気持ちの鎮め方も覚えて、徐々に嘘をつかなくなっていくそうです。

 たとえ、大人になっていても、嘘をつかないことを、子供に教えるように根気よく、時に褒めながら、説明する必要があるため、「周辺者」は、それをしたい人だけしてくださいとなっているようです。面倒なので、ほとんどの人は、そこまでしません。相手の人が好きだったり、世話を焼いてもいいと考えている場合のみ、説明してくれるかもしれないと、「当事者」は考えていくしかないようです。

足並みがそろうまで無理

 発達障害の人のコメントでよく見かけるのが、失敗して、何が問題なのかがわからない。後で問題点を教えてもらって、初めて気づくというもの。「あらかじめわかりそうなものじゃないか」と言っても、あれこれ考えすぎてしまうそうです。あれも、これもと考え、ごちゃごちゃしてしまい、結論が遅れるのがASDの人に多いそうです。あれもこれも考え、そのうち、忘れてしまうのがADHDの人に多いそうです。結論を出すときに思い込んでいることが良くあり、それが正しいと思っているので、言い張るASDの人も多いようです。言い張らなくなる人の場合は、指摘されて、自分で症状からくるものだと理解して、どういうことをしてはいけないのか、嫌がられるのかを知っている状態になるようです。抑止力が働く状態になるそうですが、そこまでの境地に達するには、かなりの問題を自分なりに納得できるように理解していないと難しいようです。

 発達障害者の人のトラブルの場合、発達障害の症状の原因を「当事者」「周辺者」の両方が把握していないと、お互いにやっていけないそうです。ところが、「当事者」「周辺者」も、そこを甘く考え、「相手が妥協すればいい」と考えていて、見た目に出ていない発達障害者の場合は、わかりづらく、言葉もしっかりしている人の場合は、脳内で、一般の人と動きが違うとは見えないため、会話もできるために、「強情な性格」と錯覚して見られることになり、周りの人が、「これぐらいできるだろう」と強要することも多いようです。障害を受け止めていない「当事者」「周辺者」だと、足踏みがそろわないため、受け止めるまで待つしか無いそうです。受け止めてからも、症状理解を進めて、トラブルを減らし、やがて、「ここまでしかできない」「これは苦手なのか」「ここはフォローがいるのか」と言うハードルが下がっていきます。ハードルを下がりきるまでが、大変で、下げるのを嫌がる発達障害の「当事者」も多いようです。そのハードルが「できるはず」と、思って、周辺者が要求するのもだめになります。

 小児科医が勧めているのは、「楽しんで取り組めることだけやっていきましょう。無理してやらせないように」となっています。でも、大人になってから発達障害の症状がわかったケースの場合は、症状は軽度の人も多く、でも、会話での違和感がたくさん起こる状態で、そのために、「楽しんで取り組めることだけやっていきましょう」なんてことは、仕事や家庭、グループでは許されることはなく、「あなたがやってくださいね」と要求されてしまい易いので、カミングアウトをしているかどうかが重要となり、それをしていないのなら、性格的に、「こういうのが苦手なので、お願いします」と「当事者」が自分で発信していかないと行けないようです。「当事者」「周辺者」の両方が、足並みがそろって無ければ、難しいので、症状の理解と受け止めを、徐々にしていき、ハードルを下げる作業を繰り返して行くしか、しょうがないようです。

自覚がない発達障害者が自覚が出るまで、何年もかかる?

 自覚がなかったけれど、やたらと怒られたので、そうして、発達障害のマニュアルを読んで、「ああ、そうか」と自覚した。と言うコメントはやたらと、見かけます。この場合、自覚がある時点で、症状は、軽いのではないかと言われています。理由は、発達障害の人は、脳内のトラブルなので、違和感を感じないままのほうが普通だそうで、違和感を感じると言うことは、「他者の意識を感じることができる脳である」という状態になり、症状が重ければ、重いほど、「他者の気持ちに気づけない」状態になるからのようです。ASDの症状の一つに、自己他者同一視というのがあります。サリーとアンの問題が、いつまでも解けないレベルのままの人もいるようです。サリーとアンの問題は解けますが、もっと複雑な要素が絡み、もっと、たくさんの考慮しないと行けないものが絡むと解けません。と言う症状の人の場合は、「他者の気持ち」より「自分の症状で精一杯」となるようです。自分の目の前にあることに集中しすぎて、それ以外に目が向けられない。優先順位がつけられない、判断ができない、次に何をしていいのかわからない、状況が理解できていない、などの症状が重ければ重いほど、「他者の気持ち」は置き去りになるからのようです。そうなると、自覚がない、違和感がないまま、「だけど、なんか、やたらと怒られているけれど、怒られている人なんて、他の人もそうだから、流そう」と、脳が判定する人もいるようで、そこを気にしない場合は、もう、お手上げです。指摘されるまで気づけない。指摘されても認めない。を繰り返し、やがて、「ちょっと、待てよ」という気持ちになって、それでも、「まだ、大丈夫」と思ってしまうADHD,「俺は正しい」と思ってしまうASDの人も多く、「症状を指摘されて、その後、やっぱり発達障害かもしれない」と認めるまで数年かかりました。と言うコメントをいくつも見かけました。「そして、そのときに、やっと、発達障害の本を読むと言う人も多いようです。ここで、「どうせ、治らないからいいや」「他の人にフォローしてもらえば済む」「逃げちゃえ」など、いろいろな反応があるようです。この部分も症状からくるもので、放置したら、流したら、問題がそのままで、さらに取り返しのつかないことになるかもしれないと言う状態になってても気づかないなんて、人もいるようです。

 発達障害の場合、他の人から、指摘されて、自分の症状に気づくと言う人も多いようです。それでも、その説明を受けても、その説明を、「攻撃されている」と感じるADHDの人、「非難されていることはわかるけれど、ものすごく怖い」と感じるアスペルガーの人もいるようです。パニックになりやすい症状もあるため、注意が必要になります。カウンセリングを受けて、自分の症状を少しずつ理解していき、できそうなことを見つけて、やっていこうと言う状態になるように教えてもらえると言うことは、子供なら、してもらえるようですが、残念ながら、大人の発達障害の場合、「もう社会人なのだから」というハードルが最初に、社会的にできあがっているため、「生まれつき、努力しても、無理だ!!」と言っても、理解してもらえないことも多いようです。

 ハードルを低くして行くには、自分の症状を、少しずつ理解していき、できそうなことに取り組み、「ああ、この程度までしか、できないのか」と言うのを繰り返すと、意識が変わっていくようです。周辺者も同じで、「この人は、ここまで、いろいろなことができないのか、どうしたらいいのだろうか?」と見守っていくことになりますが、見た目が大人なので、子供と違って、「なんで、できなんだろう?」と思ってしまい易いようです。

 自覚が出るまでも数年かかりますが、ハードルが下がるのも数年かかるようです。

グレーゾーンの周りの人は、困り続ける

 発達障害、依存症などで、グレーゾーンの「当事者」は、大変多いそうです。ただでさえ、診断が出るレベルの基準もあいまいなのに、さらに、「じゃあ、どこからがグレーゾーン?」「性格の範囲じゃないの?」となっていきます。

 診断が出ている場合は、発達障害者、依存症となりますが、その境界線が曖昧になるようです。では、診断が出ないレベルだけれど、性格の範囲か、グレーゾーンの違いは、どこになるのかというと、本人と周りが、「かなりトラブルが多すぎて、困りすぎている」という状態なら、一応、グレーゾーン。仕事に差し支える、日常生活に不安がある、会話ができない、トラブルが多い。定型発達の人でも、いくらでもいるので、線引きなど難しくなるようです。では、どうしたらいいかというと、「とりあえず、これだけは、対応した方がいいなと思うものは、対応策を考える」しか、ないようです。

 発達障害者の場合は、そもそも自覚がない人が多いため、自覚がある人の場合は、自分で取り組んでいく人も多いので、そういう人の場合は、行政も、周りの人も手助けができますが、問題なのは、グレーゾーンか性格かわからないけれど、トラブルの質、量、重症度が、周りがものすごく困った状態なのに、発達障害の症状を持った人は自覚がない場合は、「トラブルを続けていく」状態のままになります。診断が出ていたら、「お医者さんに相談してね」「距離を取ろう」「合わせるのは無理だな」と、なんとなく、対応方法も決められますが、グレーゾーンだと、「おいしゃさんも、行政も、様子を見ましょう」と言うだけで、そのままで、対応は、「周りの人と当事者が考えてください」となって、大変な状態が続くけれど、症状が出ている人は自覚がなく、トラブルが続く。となっていき、周りも、当事者も、困る状態になります。

 知識を身につけて、対応していきましょう。と、書かれているマニュアルはありますが、「対応しない発達障害者と、どう向き合えばいいのでしょうか?」と言うマニュアルは、ほとんどありません。そこまで調べるとなると、インターネットなどで、似たような事例がないかどうかを調べて、参考にするしかなく、それも、自分の状況と似てはいるけれど、同じじゃないし、どうしたら? となったまま、大変になります。

 発達障害の症状を持った人が、ちょっとぐらいは自覚しており、ちょっとぐらいは対応しようとすると言う状態なら、なんとか、対応策が練られますが、自覚なし、問題だらけ、被害者だと思っている、周りの人のせいにする、周りにトラブルの処理を押しつける、周りの人が困っていても、そのままにしている。などなど、困ったままで、それが永遠に続いてしまう。それが、グレーゾーン、自覚なしの「当事者」と「周辺者」の状態です。ここで、「周辺者」が我慢しても、永久には良くならないようです。その場合は、思い切って、距離を取ってしまった方がいいようです。我慢できるのであれば、少しぐらいは対応策を練ってもいいようですが、それもきりがなく、大変のようです。周りの人は、自分の気持ちで、考えて、決めていくしかない。障害に対しての知識を身につけ、対応策は考えて、でも、「当事者」が対応してくれないのであれば、永遠に困り続けるけれど、それを受け入れるか、距離を取るかを考えていくしかないようです。

確認と見通し

 ASDとADHDの人は、職場で症状が発覚して、診断が出たら、ジョブコーチがついてもらえるケースがあります。その場合は、環境作りをしてもらえます。静かになれる環境。日程表、作業工程表とか、カレンダーの書き方とか、仕事の進め方も教えてもらえますが、仕事以外の場所では、ジョブコーチがつきません。そのため、「当事者」「周辺者」が自力でしないといけなくなります。子供の発達障害者の場合は、両親はペアレントトレーニングがあるようですが、ファミリーやグループに対しての、トレーニングマニュアルは、ものすごく少ないです。発達障害児童のための育児書、関連本の数は膨大ですが、大人の発達障害者と、その周辺者のマニュアルは、まだまだ少ないようです。皆さん、どうしているかというと、自分で、マニュアルを作っているようです。

 定型発達の人向けの確認では、環境では、発達障害の症状がある人はミスやトラブルが多くなります。見通しが甘すぎたりして、相手に連絡しなくてもいいやと勘違いしてしまい易く、それに本人が気づかない。障害者であると認定してもらっても、「私は普通だ。どこが違うんだ」という「当事者」のコメントをちらほら見かけます。「周辺者」の方は、「どこが違うのかと言うのが、漠然としているけれど、他の人と何か違うように感じていた」というコメントがたくさんあります。意識がそこまでずれる理由は、サリーとアンの問題と同じだからのようです。自分以外の人の側から、物事を見ることができない。一応、説明してもらうけれど、「大丈夫だよ」と過信するADHDの人は多いようですし、「俺の方が正しい」というASDの人も多く、定型発達からすると、「なぜ、それで違和感を感じないの?」と理由はわかりません。サリーとアンの問題を解ける側と解けない側の意識の違いです。

 実際の会社や、いろいろな場所では、優先順位を決めないといけないことだらけ。判断が難しく、あっちもこっちも考えないといけない。サリーとアンだけの登場人物の問題より複雑になります。そんな問題を、発達障害者側は、「常に自分の側からしか、物事を判断できない脳」なので、違和感がないそうです。違和感を感じる発達障害者の人も大勢いるようですが、その後の動きが違うそうです。気を取り直して、対応をできる範囲でやっていこうとする人もいますし、すねて、いじけて、逃げてと言う人も多いようです。

 こういう症状があり、さらに確認と説明を何度も重ねないと難しいのに、「俺は悪くない」「この程度は許される」「他の人に相談しなくてもいいや」「確認はしたはず」「話をした時点でOKになっていると思い込んでいる」なんて、脳の人のままだと、「周辺者」は、手伝えることもない状態なので、確認できるのは、説明できるのは、症状を自覚し、症状を把握し、対応したいと思っている、「当事者」だけしか難しいようです。

免責の範囲は

 発達障害者は、「どうやっても、直らないから、そのままにしておきます」というコメントをちらほら見かけます。免責範囲はどうなっているのかというと、お医者さんや弁護士の先生たちの見解だと、「いくら、発達障害者だとしても、放置して、さらに問題を起こして、周りのせいにしたり、尻拭いを強要したりするのは、無理でしょう」となっているようです。理由は、大人になって、発覚した発達障害者のほとんどが、「学校を卒業できているから」だそうです。ここで、卒業できないほどだと、「担任の先生も、周りも気づいていたはず」となり、それが気づけない症状だと、性格の範囲で、「グレーゾーンの人がほとんどですよ」と書いているお医者さんもいました。

 ただ、グレーゾーンでも、起こしているトラブルの数と質が違うだけで、似たようなトラブルは、何度も起こしている状態である。と言うことには、変わりなく、発達障害の症状がありますよとなった段階で、本人が気づいた段階で、その後、放置して、本も読まない、対応もしない、と言う発達障害者の場合は、「距離をとってください」と言うお医者さんの指導が多いようです。

 免責になるのは、発達障害の人が気づけなかった場合になるだけで、気づいた後は、放置していいかというと、現実的には無理でしょうと言う状態のようです。ただ、自覚できないというのが、症状の一つで、自覚して取り組むまでの期間が永遠に来ない人もいますし、その部分がどうなるかは、わからないようです。

アイデンティティの作り替え2

 「アイデンティティの作り替え」の時は、住んでいる国が違うと書きましたが、障害の自覚をするまでは、その国の基準で動いてしまうのが、自然だと思っています。ところが、自覚した途端、「帰国子女」のような感覚になってしまうようです。発達障害の「当事者」は違う国に住んでいるとは思っていませんし、帰国したつもりもありません。周りから見ると、そう見えると言う状態になります。多数派が定型発達で、「当事者」は少数派なだけで、多民族国家だとよくあることですが、日本は、琉球やアイヌなどの民族もありますが、一応、単一民族となっています。そのため、地方習慣が違うというのは、たくさん存在しますが、基本部分の基準は、一応知っています。でも、発達障害の「当事者」は、知らない、気づけない、気づかなかった、教えてもらっていても、自分が正しいと思っていた、などいろいろな理由で、わからないまま、自覚ないままの状態で、大人になってしまっているケースも多いようです。
 自覚する人が、とても少ないと言われている、ASD、ADHDの症状の人たち。理由は、自覚しているのなら、その部分に気づいており、少しずつ改善されるから。改善できないぐらいまで、脳の状態が、それに違和感を感じないようです。

 そんな人たちが、いきなり、「帰国子女?」「日本にずっと住んでいたのに?」と戸惑う状態が、自覚し始めたときです。アイデンティティは、そこまでで、すっかりとできあがっています。文法だって、自己流で、基準も自己流で、違和感は、少しはあるけれど、「周りが悪いんだ」「この程度は許される」もしくは、それに気づきもしない。と言う状態から、「あなたの基準は、言葉は、文法は、日本人の多数派の基準と、ちょっと、違ってるよ」と言われて、帰国してすぐに適応は、できないようです。

 思い込んでいる基準も一人一人違います。理由は、それぞれの育った環境と、持って生まれた性質によって、「こだわる部分が違う」から、だそうです。よって、ASD、ADHD同士なら、わかり合えるんじゃないか? というのは、難しいようです。「同じこだわりを持っている部分が多い人同士の発達障害者なら、わかり合えるかもしれない」となるようです。つまり、同じ性質を持っていても、違う国の習慣を身につけて、違う国の感覚や考えを持ち、文法も日本人の多数と、いくつかずれており、認知のゆがみや、独特のこだわりもあり、自己他者同一視もあり、と言う状態が、ASDの症状を持っている人の状態のようです。帰国した国も、住んでいた地域も違う、それがASD一人一人の特性になるため、帰国子女と言いながら、ASDの人同士も、わかり合えるというのが難しいため、助け合うと言うことも難しく、グループ活動も、「当事者」同士でも、難しいようです。

 アイデンティティは、「当事者」が自分のペースで、帰国子女と同じなのだから、ゆっくりと適応できそうな範囲を、適応できそうな速度で、していくのがいいようです。できない範囲は、無理をせず、「これは、どうしてもできない」と捉えて、周りの人と、その部分を話し合って、環境を変えていく必要があるようです。

カサンドラの原因

 カサンドラ症候群は、一般的に、「意思の疎通が図れないこと」による、配偶者の孤独となっていますが、書き込みを読んでいると、その程度じゃないことが多い。意思の疎通がはかれないことによる、障害の症状による、二次的被害から来るストレスも原因になっているように、感じます。仕事関係、子育て、金銭、人間関係、これらの方でも被害は出ます。配偶者、もしくは近くにいる人は、現実対処に追われます。実は、こっちの方が、ストレスで疲れ果てる原因になっていることも多くて、意思の疎通が図れないことから来る、いらだちだけじゃない、配偶者も多いと思います。

 配偶者の願いというのは、実はたくさんあります。自分がイメージした家庭、自分がイメージした生活、選ぶもの一つにとっても、価値観がずれまくると大変です。そういう部分の共有ができない相手と暮らすのは、一緒に動くのは、話し合いができないのは、とても大変で、カサンドラ症候群の本来の意味とずれている部分のほうも、考えた方がいいのではないかと思いました。

 金銭、子育て、仕事、日常生活、人間関係、これらは仕分けして、それごとに対応策を紙に書き込んで、配偶者に見てもらって、図式化した方が、伝わるかもしれません。合理的で、感情がない方がわかりやすい、ASDにとっては、その方が、相手の願いはわかるとは思います。ただし、「自分の意思だけを尊重していくのが家族だ」と捉えている、配偶者の場合は、難しいようです。少しは聞く耳を持ち、自分の症状を少しは理解していて、そのうえ、「相手を責めない」という条件で話し合わないと、難しいようです。

 発達障害者側は、過去のことは、どうでもいい。ミスが起こっても、それも過去。と流しています。未来に関係があることは、後にわかったとしても、つなげて考えることができず、理解できな人も多いようです。こういう人の場合は、発達障害の本すら読まず、対応策も打たないで、「自分はできる」と勘違いしていますから、聞く耳を持たない状態で、難しいようです。自覚があって、取り組んでいく気持ちがある人じゃないと、難しいので、取り組んでいく人の場合は、カサンドラの原因を、理解してもらうことの努力ができるかもしれません。でも、時間がものすごくかかるようです。説明に時間がかかりすぎるからです。

返事が出るまで時差がある

 日本国内には時差はありませんが、発達障害者の頭の中には、時差が多いことが多いようです。この場合の時差というのは、答えを求めたり、対応を求めたりしても、反応が遅いことになります。その理由は、考える時間が、ものすごく必要だからのようです。理解するまで、時間差があるため、「いつの返事ですか?」と言うのが突然、返ってくることがあります。発達障害かもしれないとわかるまでは「天然ぼけ?」と、思われている人も多いようです。答えがずれる。答えを出すのが遅い。その理由は、イメージしていることが伝わるのに、時間がかかるからのようです。本来なら、子供の頃に見つかって、療育を受けたり、適切な指導を受けたり、ご両親が教えたりしていけば、少しは、その部分が解消できるのですが、大人になるまで発見されない場合は、家庭環境で、教えてもらえない、親子関係がよくなかった、教師が見つけてもらえるほど、顕著な行動が見られなかった、と言う人も多いからのようです。親切な人や、教えてくれる人もいますが、それを、「相手の方が間違っている」と認識してしまい易いのが、ASD。わかっていても、「でも、俺はこれを選びたい」と思うのがADHD。そのうち、忘れてしまい、もめ事なんてなかった、トラブルなんてなかったと感じてしまい、何度も同じ間違いを繰り返しても、「この程度はよくあること」と流してしまうことが多い人が多いらしく、そういう人は、「自分のミスはなかった」と認識しています。ものすごい数のミスを続けていても、自覚がない人は多いようです。車にキー閉じ込みを一年で、何度もしていたり、鍵を、スマホを、めがねをなくしても、「それでも気にしない」というADHDの人もいるそうです。金額的に、かなり大変な状態になっていても、「別にいいじゃないか」となり、誰かが「助けてくれるから」と安易だったりするようです。さすがに、金額が大きくなると、「付き合いきれない」と、周りはなりますが、ASDの人は、自分の側からしか物事を捉えないので、深刻度がない人も多いようで、怒られたら、「うるさい」で、おしまいの人も多いようです。流す癖が強い人が、障害がわかり始めて、自覚して病院の受診を勧められて、そのとき、「大丈夫ですよ」と言われて、安心する人も多いようですが、この場合も、受診時の受け答えは、「当事者」が「問題ない」と答えていたりするから、医師の方も、「問題がないだろう」と判断しているケースも多いようです。後に、きっちりと調べてくれる医師に受診したら、診断が出てしまったと言う人も多いようです。

 障害を自覚するかどうかで、診断に差が出ます。それも、時差に関係があるようです。自分のトラブルを自分の側からだけじゃなく、周りの側からの意見も取り入れて考えられるようになっているか。周りの感覚をわかっているか。この部分で、時差ができるようです。

 時差を埋めるには、発達障害の本をしっかりと読んで、障害の症状を勉強して、理解しているかどうかが重要のようです。気づける時期が来る「当事者」ばかりじゃないそうです。一生、周りのせいにする。もしくは、「俺はおかしくない」「この程度は許される」という障害者も多いようです。自分の側からだけじゃなく、「周辺者」の側から見た状態を把握できるかどうか、それにかかっているようです。ASDで本を読んで理解できる障害者なら、理解してくれる時期が来るかもしれませんが、ADHDを併発している人、ADHDで、本を読んで理解するのが難しい人の場合は、子供向けの本で理解を深めた方がいいかもしれません。わかりやすい絵で説明されているものも多いようです。

落書き帳タイプ、きちんとノートタイプ

 ASDとADHDは症状が似ていますが、違っている部分もあります。ASDとADHDの症状の両方が出ている場合、ノートの取り方でわかるそうです。
 学生時代のノートが自由帳のような人は、ADHDの傾向が強く、きちんと、誰が見てもわかりやすい理路整然とした、先生に褒められるようなノートを書く場合は、ASDの傾向が強いようです。ただ、ASDは個人差があり、本人は理路整然としていると感じているノートを書く場合もあるようです。
 大人になっている方は、書類の書き方でも見分けられます。行飛ばしで、読んでしまう、行を間違えて書いてしまうのは、ADHDの傾向が強く、きっちりと最後まで読まないと気が済まないようなのは、ASDの傾向が強いようです。
 ブログや書き込みサイトの書き方も、ASDは絵文字も使わないし、きっちりと、自分なりのルールで書き込むようです。硬い文章の方も多いようで、読みにくいと言われる人もいるようです。反対に、絵文字が多くて、色もたくさん使い、画像もたくさん使っているブログを書く人は、ADHDの傾向が強いようです。

 ASD、ADHDの人は、自分の症状でマニュアルを作る人も多いようですが、その作り方もASDなら、きっちりと理路整然と書き込み、しっかりと作り込む人もいるようです。ADHDは、面倒な人は、マニュアルすら作らず、放置します。それより、楽しい時間を過ごしたい人も多いようです。少しは対応策をしたいと思って、マニュアルを作る場合は、落書き帳ノートでいいようです。思いついたことを、好きな場所に書いていき、後で読み直してわからなくても、そのままでいいようです。文章を組み立てるのが苦手な人の場合は、単語を書く。思いついた文章を書くだけにする。まとめる必要はないそうです。
 パソコンツールやスマホツールを利用するなら、アイデアノート系のアプリがたくさんあるので、それらを使ってもいいようです。アイデアツリーノート系のメモツールもたくさん出ています。それらをつかって、メモ化すると、楽かもしれません。入力が面倒な人は、スマホもパソコンも音声入力を利用するのもいいみたいです。思いついたときにメモで入力できるようなものは、たくさん出ています。自分で探してみてもいいかもしれません。
 有名なのは、Evernote。オフィス系だとonenote、グーグルだとキープになるのかもしれません。

カサンドラからの回復に必要なこと

 カサンドラ症候群から立ち直った人たちや、「専門家」が言っていることを書いておきます。


・障害の症状の問題で、トラブルを起こしている「当事者」「周辺者」の対応が悪いわけじゃないということを受け止めること。

・誰かを責め続けても、つらくなるだけ、加害者意識、被害者意識を持たない方がいい。

・障害の症状を勉強すること。ただし、神経質になりすぎる傾向があるので、漠然と受け止めたほうがいい。

・あの時、ああしておけばよかったという意識は、空に投げる。その時に気づける範囲で、「当事者」「周辺者」は動いていただけ。その意識があると、たくさんのミスが許せなくなるから。

・「私だけがこんなにつらい目に遭って」と感じる時は、症状の勉強もしない。周りの人に八つ当たりしがちな心境になるので、外に出て発散して、別のことで消化したほうがいい。落ち着くまで待つ。

・少し落ち着いてきて、少しは、症状が受け止められるようになってから、自助会、コメント書き込みをして、周りの人とつながるようにして、共感性を高め、自尊心を回復し、傷ついた心をいやしたほうがいい。

・孤立しないようにする。助けてもらえる人の確保をしておく。行政、家族など。ただし、素人の人は、気休めを言われておしまいなので、そういう人には、軽くぼやく程度にする。「専門家」に相談するにしても、すべての精神科医が、発達障害に詳しいわけじゃないので、しっかりとお医者さんは選ぶ。

・自分を許そう。対応が悪かったとしても、それは、障害が特殊で、簡単にはわからない人が多い症状で、見た目に出ていないから、気づいた時には、大変な状態がたくさんあるとしても、自分のせいじゃないと思ったほうがいい。

・自尊心を取り戻そう。自分の没頭できる、表現できる世界観を持って、自分自身の感覚を取り戻したほうがいい。映画、音楽、運動などの趣味などで、自分の感覚を取り戻すようにしていく。状態がひどい人は、無理なので、軽くやってみる程度から始めたほうがいい。

・割り切ることも必要。障害の症状を受け止める。生活のために、自分の立場のために、お金のために、割り切れるようなら割り切る。受け止めきれないのなら、受け止めきれないのが普通だと思って、流す。無理をしない。受け止められる範囲だけにしておく。

・障害の症状を受け止めよう。ただし、しっかりと症状の知識を調べてからにしたほうがいい。個人差がありすぎるため、ほかの人の症状が当てはまらないことも多い、合併症が多いので、その知識に振り回されない。未診断の場合は、似ている症状を参考程度に取り入れる。本来は、お医者さんに診断してもらう必要があるけれど、自ら医者にかかる「当事者」は圧倒的に少ないので、応急処置と考える。

・普通は目指さない、目指せない。見た目に出ていないだけで、脳の中は、混乱し、パニックしやすく、怒られても、わからず、説明してもらっても理解できず、「当事者」は、永久に「普通にはなれない脳である」という状態なので、普通を目指すと大変すぎる。

・立場は要求しない。普通の能力も要求しない。世間の基準には、絶対についていけない脳だと理解する。「周辺者」も同じように立場に合った行動はしなくてもよい。「障害の症状があるから、できない方が当たり前」と受け止めて、ある程度の社会適応はしないと回っていかないので、そこの折り合いをつける。自分で、基準を決めたほうがいい。
 基準目標は、個人差がありすぎるので、個人が納得できる基準を決めたほうがいい。「当事者」「周辺者」の目標が違っていてもいい。共感できない症状だから、目標がずれているほうが自然であると受け止めたほうがいい。

・「当事者」が、その時に気づいた範囲で、その時にできる範囲でできたら、「それでよし」と考える。
「なんでできないの?」「私にも望みがあったのに」と考えがちだけれど、それらはかなえられないので、あきらめるように、徐々にシフトしていった方がいい。無理をしない程度で、できることを、スモールステップ、スローステップで進むのが、「当事者」にとっての普通の状態だと考える。大人で発覚していても、脳は未発達で、「未熟なまま」「子供感覚のまま」の人も多いととらえたほうがいい。自分の子供の時を思い出す。

・カサンドラ症候群の状態になっている「周辺者」は、義務、権利などに縛られず、社会的立場や、発達障害者の気持ちを優先することなく、自分の気持ちで決めるほうがいい。そうしないと、振り回されやすく、ぶれやすくなる。
 

 大変になるけれど、自分が目指す基準を、「当事者」「周辺者」が決めたほうがいいようです。お医者さん、行政の人などは、細かい部分は気づかないので、言われたことに振り回されず、自分で決めたほうがいいようです。納得できるまで、考えた結果で、「当事者」「周辺者」が幸せと感じるラインでいいようです。ただし、借金、暴力、反社会的行動、「周辺者」に大変な迷惑になるようなことは除きます。上記に書いたことは、症状の程度が軽めの人、グレーゾーンの人の「周辺者」の言葉です。実際には、ものすごく重い症状の人もいて、どんなに症状を説明しても、自分の世界だけで生きていて、周りに興味なしのロボットのような動きをする人もいるので、そういう人だと、難しいようです。

自分の希望ばかり主張する「当事者」の場合

 よくコメントに書かれているのが、発達障害者にばかり合わせていられないのに、自分の希望ばかり言っていて、疲れる。という言葉です。職場の人、家族、大変なのはわかるけれど、「全部は、合わせていられない」というのが多いと思います。感覚過敏から来るもの、独特のこだわりから来るもの、時間がかかりすぎる、結論が出せない、なのに、変更できないと説明しているのに、言い張られる。などなど、たくさんの、主張があるようですが、予算、時間の制約、気持ちの問題も重なって、合わせている方が疲れ切ってしまうことも多いようです。「当事者」の方も、「ものすごいまでに我慢ができないのに」と思っているようですが、その状況は、その本人が感じている状態であり、周りの人と感覚が違いすぎて、わからないことも多いです。肌触りが違うだけでいやだとか、子供の声が大きいだけで、絶叫しているように感じるとか、手順の順番が狂うだけで、不安が強いとか、感覚の問題なので、「周辺者」からすると、我慢できないというのが、理解しづらい状態です。さらに、「当事者」が時間をかけて結論を出しても、そのときは、周りの人の気持ちが冷めているとか、「当事者」が問題を放置した結果、手遅れになったとか、たくさんの問題があります。
 金銭、命、重要事項の場合は、発達障害者の気持ちやこだわりよりも、一般基準を優先した方がいいそうです。それ以外の線引きが、かなり難しいですが、無理して合わせなくてもいいようです。我慢をし続けるのは、限界が来るからです。その場合は、「聞き流す」しか、ないようです。鈍感になれていく必要がありますが、「周辺者」は、人目も気にしますし、感情もあります。鈍感になるにしても、限度もあります。状態に合わせて、ハードルを下げ、自分ができる範囲を、「当事者」だけじゃなく「周辺者」も決めた方がいいようです。「したくない」「できない」と、障害者には言いづらいのが、現状です。まるで、「障害者を見捨てる、悪い人」になってしまったかのような罪悪感を持つケースもあるからです。ここで、大事なのは、「周辺者」の心が持つかどうかです。持たなさそうな場合は、決して無理をせず、自分のペースを守り、自分の世界を持ち、「障害者優先にしないといけない」という概念を捨て、自分の気持ちに正直になって、行動した方がいいようです。カサンドラ症候群まで行くと、大変になります。

希望と現実の折り合い

 発達障害者の「当事者」側と「周辺者」側の両方に希望があります。職場、学校、家族、所属団体の人たち、そこに属している人たち全員に希望があります。でも、実際に現実との折り合いをつけていきます。それが折り合いをつけられないままの人も多いようです。発達障害の症状が、まず、受け止められない。これも折り合いがつけられない症状の一つになります。「こうあるべき」「こうしたかったのに」たくさんの希望や願望があって、自分がしたいことの妨げのように感じるのが、発達障害の症状です。同時に、「障害だから、受け止めないといけない」「悪気はないのだから」というのがわかっている人も多いです。期待と願望と希望の基準はそれぞれですが、その基準をたくさん、諦めないといけないことが多いのが、発達障害の症状になります。ところが、外見では、わかりにくいため、症状を正しく理解していないと、「これぐらいできるでしょう?」と感じてしまい易い「周辺者」たち。「当事者」も、「これぐらいは、じぶんでも、できる」と思っている。周りの期待しているレベルと違っているケースも多数あります。その部分の折り合いは、どうやったら、落ち着いていくかというと、失敗を通して、なんとなくわかっていく、という感じになるようです。トラブルがあって、理由を知り、症状を知り、「当事者」の限界を知り、「周辺者」の忍耐の限界を知り、サポートできる範囲を知り、予算がどれだけかけられるか、生活で、どの程度の時間がかけられるか、などを考えて、「やがて、落ち着いていく」という状況になります。これも、スムーズに進んだ場合になります。

 「当事者」「周辺者」が障害を受け止め、症状の勉強をし、対応を勉強し、気持ちを落ちつかせる訓練を積み、自分のできる範囲を知り、自分のできない範囲を諦め、たくさんのことを経験していく過程で、わかっていくことになりますが、受け止めず、勉強せず、対応せず、いつまでもパニックになり、範囲を知ろうともせず、諦めず、経験するにしても、毎回、同じところで躓いていたら、いつまで経っても、同じことを繰り返していくようです。やがて、発達障害者側はともかく、「周辺者」は、気づきはじめ、「この当事者は、努力しないタイプの人で、同じトラブルを繰り返すだけの人だ」と見放してしまうことも多いようです。ここまで行っていたら、「当事者」がいくら、やる気になろうとも、そこから症状の勉強をし始めても、「周辺者」は、「どうせ、やらないくせに」「すぐにパニックになって、トラブルになるだけ」「すぐに腐るだろう」「やる気も続かないだろう」という諦めムードとなっている場合が多いです。その前に、対応する気持ちになっているか、どうかも重要のようです。

 周りの人に助けてもらえる「当事者」じゃないと、「周辺者」は、サポートしなくなります。誰でも、自分を優先したい気持ちが強いからです。団体行動のためのサポートも、あまり程度がひどいと、モチベーションは維持はできず、「当事者」を見放す状態になりやすいようです。

 希望はいいですが、現実と折り合いをつけるタイミングも大事のようです。

コリをほぐしましょう

 発達障害の症状と向き合っていると、脳がマヒしてきて、「もう、無理」と感じることだらけとなります。その状態になったら、きっと、体のあちこちがコリコリしている状態ではないかと思います。その場合は、温泉につかる、好きな入浴剤を使って、ゆったりするというのを使ったり、マッサージ器を使ってみたり、とにかく、体をほぐすことをしてみるといいかもしれません。体のコリがほぐれると、脳もリラックスするようです。疲れたら、やってみるといいかもしれません。

 左右の肩をポンポンと交互にたたく、リセット方法があります。左脳、右脳の活性化も図れて、肩もほぐれます。試してみてもいいかもしれません。!1~2分が目安のようです。

自覚するまで待てません

 発達障害の症状で、ASD、ADHDは、自覚するところから、自分が困っているところを直したいと本気で思ってからが、治療のスタートになります。周りの人が環境を整えようと、自覚がなければ、何も始まらず、努力するのは、「発達障害者」の側になります。「周辺者」は環境を整え、サポート体制を一緒に考え、治療方針を考えることはできます。気持ちが続かないので、支援疲れを起こさないように、注意をしながら、手伝う範囲を自分で決めます。というのが、一般的な流れとなります。

 では、発達障害者が自覚がなくて、困り感がなくて、「そのままでいいや」「俺は困ってないし」「なんとかなるんじゃないの」「お金なくても、いいよ」と言って、実際に、それで、お金が無くなって、そのままでいいという人も多いらしいです。困ったときになって、大騒ぎする人も多いらしく、「今から、なんとかならない?」と言い出して、「手遅れです」と、いくら言っても受け入れず、「嫌だ、なんとかしてくれ」とわめくような人も多いようです。では、「周辺者」は、そういう時にどうしたらいいのかというと、「しりぬぐいしない。本人に考えさせる。できる範囲は責任を取ってもらう」ということになるらしいです。それでも、生活が回っていかない、仕事の現場が回っていかない状況だと、「周辺者」がやはり、しりぬぐいして、考えて、判断してという状態じゃないと収まりがつかないというのが多いようです。それを続けていくと、やがて、「なんで、俺、こんなことをしないといけないんだろう?」となっていき、「ほかにやりたいこともあるのに、時間がとられて困る」「これをずっと、俺が続けないといけないのだろうか?」となっていき、支援疲れまで行ってしまうことも多いようです。
 それが配偶者だと、支援で疲れすぎて、重要な決定事項を自分で決めて、そして、カサンドラ症候群まで行ってしまう。そこまで行ったら、すべてのことをあきらめきれるまで、距離を取って、自分のことを優先するという状態で、休んだ方がいいようです。ところが、休ませてくれないのが、発達障害の症状を持った人たちです。「休みたいので、しばらく距離を取りましょう」と提案したら、「はい、わかった」と言って、で、休ませてくれるかというと、実際は「俺はどうなるんだ?」「いやだ」といって、休ませてくれるわけもなく、という状態で、カサンドラ症候群が悪化して、「自覚するまで、待てないよ!!」となります。

 そこまで行っていたら、もう、無理なので、自覚するまで待つ必要もなく、有無を言わさず、精神的に、物理的に、距離を取ったほうがいいそうです。耳栓を用意し、違う部屋に行く、家だったら、しばらくホテルに泊まる。気晴らしに出かける。とか、いろいろあるそうです。自覚するまで、待つことができる人だけ、待ってあげる。ぐらいしか、難しいようです。無理して、待つ必要はないようです。それぐらい、追い詰められる障害です。

同情してほしい、共感してほしいときに、注意は要らない

「当事者」「周辺者」の両方が、発達障害の実態を知らない人から言われた言葉で傷つくことがあります。日常生活を送っていたら、必ず、「今の状態では、受け止めきれない」という言葉を言われることがあります。こういう場合は、

・過敏に反応しやすい時期なので、流せなくても、それが自然であると受け止める。
・悪気があっていっているわけじゃないけど、「今、言われたくない」と思うのも、自然だと思う。
・発達障害のことを知らない人に言われたくないと思ってしまいやすいけれど、それも流せるようになる時期が来るまで、無理をしない
・いつか、笑い話になるかもしれない時期が来るかもしれないけれど、その道が見えない状態だとしても、無理をしない。
・支援で疲れているときは、周りの人から言われても、「気にしない」と呪文を唱えるようにする。
・余裕がないのなら、気持ちの切り替え方法を考えておく。
・無神経な人じゃなくても、親切心の言葉でも、必要以上に過敏になりやすいことを心得ておく。
・すべての人は、自分以上に、自分の状態を理解していることはないので、そのひとたちが言った言葉で、「参考にならないからいいや」と流せる訓練をしてみる。

 などなど、呪文を唱えて、「気にしない」と考えたほうがいいようです。

・大変だね
・いつでも、相談にのるよ
・そばにいるから
・気にしなくていいよ
・ゆっくりやっていこう
・肩をもんであげるよ

 など、言ってほしいのですが、そういう人ばかりじゃないので、大変です。言ってくれそうもない人に「求めない」けれど、つい「求めたくなる」のが、人間の弱さです。それぐらい、発達障害の症状の人を支え続けるのは、大変です。発達障害の「当事者」から「これは嫌だ」「俺が優先だ」「こっちのほうがいいんだ!」「なんで、俺ばっかり」など言われ続けると大変ですが、そういう場合は、耳栓の良いのを買うか、音楽を聴いて、癒されたほうがいいようです。聞かない状態ができないなら、その場を離れる。テレビやスマホ、パソコンなどを使って、切り替える。など、たくさんの方法を使って、無理をしないで、言葉を受け止めすぎない、リセット時間を作ったほうがいいようです。

 同情してくれる、共感してくれる人がいるかどうかは、ものすごく重要です。心の安心感につながります。ところが、発達障害者だらけの家族に囲まれているという環境だと、それはないため、大変です。でも、友達や、同僚や、親せきなどに求めても、助けてくれるのは、表面だけ、もしくは、わかってもらえないことも多いです。自助会の利用がいいようです。もしくは、同じ気持ちの人のコメントや励ましが載っているサイトで、自分の気持ちを慰めるのも一つの方法です。

自分のレベルにあった参考モデル(当事者)

 自分のレベルがどの程度か、わからないと、何事も始まらないので、それを、ノートにまとめるところから始めたほうがいいようです。サポートノートが行政のホームページからダウンロードできたりします。それらを使って、まず、自分の症状と気持ちをまとめるところから始めて、そこから、自分が参考にしたほうがいいものを考えないといけませんが、発達障害の症状から、参考にするべきものと、排除するものと、選別ができない人が多いようです。それらは、ほかの人に、相談したほうがいいようです。参考にしたほうがいいモデルは、

・自分の知的水準と似ている人のほうがいい
 知能指数は、近い人のほうがいいようです。学歴も近い人のほうがいいようです。さらに、自分の能力に近い人のほうがいいようです。でも、これらを選ぶことが難しい人もいるので、その場合は、サポートしてくれる人に教えてもらった方がいいかもしれません。やみくもに、学歴の高い人の方法を参考にしても、追いつけないし、反対に、知能指数が低めの人を参考にしても、参考にならないようです。

・生活水準が近い人のほうがいい
 借金をしたことがある、浮気をしたことがある、それが悪いとさえ思ってないという発達障害の人もいるようです。反対に、借金はしたことはありません、親に怒られました。浮気は、人と付き合うということも怖いので、わかりません。という人もいます。その部分が近い人を参考にしたほうがいいようです。

・症状が似ている人がいい
 個人差がありすぎるので、自分の症状に似ていて、なおかつ、その症状のレベルが似ている人を参考にしたほうがいいようです。判別ができないのなら、自分のレベルをノートにまとめて、教えてもらうのが一番最初になるようです。

・対応レベルが同じぐらいの人
 症状理解度が低い人は、対応も、社会スキルもまだまだですから、そこは考えず、症状理解を最初に行ったほうがいいようです。症状理解をし始めたばかりの人を参考にしたほうがいいかもしれません。
 それ以外の人は、社会スキルレベル、症状理解度、対応できる能力レベル、これらが近い人を参考にしたほうがいいようです。全部が同じ人ではなく、社会スキルレベルが同じなら、そこだけ、症状理解度が同じなら、そこの部分だけを参考にしたほうがいいようです。社会スキルレベル、症状理解度が中程度以上になっているのなら、対応できる能力レベルを考えられるようになっていると思いますから、対応できる能力レベルの近い人を探して、参考にしてもいいかもしれません。

 所属している仕事環境や、家族環境の生活水準、知的水準、周りの人の性格によって、大幅に、サポート体制が違ってきてしまいます。そのため、症状が同じでも、参考にならない場合があります。そういう部分が考えられないのなら、「周辺者」や「支援者」にお願いしたほうがいいと思います。「支援者」がいない場合は、行政の人、お医者さん、カウンセラーなどに、お願いしないと、難しいかもしれません。

自分のレベルに合った参考モデル(周辺者)

 発達障害の症状に悩む、「周辺者」たちが参考にしたくなるのが、同じ立場の人たちの意見になります。でも、「症状が全く違う」「生活感が違う」「価値観が違う」「これはできない」となり、悩みます。参考にしたほうがいいポイントが、いくつかのサイトに書かれていたので、まとめてみました。

・知的水準が近い人がいい
 知能指数、学歴だけでは、図れない部分があります。参考にしてもよさそうな人の意見を探したほうがいいようです。知能指数が71から85ぐらいまでの人と、86から110ぐらいの人と、111から130とか、それ以上の人と分けたほうがいいようです。理解度が違いすぎるらしく、会話についてけないとか、本も読めないという人と、会話はついていけるけれど、想像することができないとかの人とは大幅に違ってきます。それらの症状が近い人の意見を参考にしたほうがいいようです。

・生活水準が近い人がいい
 生活レベルが違いすぎると、金銭感覚が違いすぎて、参考にならないようです。ほかに、借金を繰り返しているとか、浮気されて悩んでいるとか、そういうのも、同じような人のほうがいいようです。

・症状が似ている人のほうがいい
 個人差がありすぎる発達障害の症状です。ただ、症状が似ていても、対応は違っているので、あくまで参考程度にしないといけないようです。

・現在の成長度が似ている人がいい
 社会スキルレベル、症状理解度、対応能力レベル、など、成長度が似ている人がいいようです。社会スキルレベルが高いけれど、症状は理解しているけれど、対応していく気がないとなると、そういう人を参考にして、全部が中程度なら、そういう人を探して、発達障害が分かったばかりなら、そういう人の意見を参考にして、ということになるようです。

 最近のSSTのノウハウを教えるマニュアル本は、知的水準に合わせて、書かれているものもあります。パソコンソフトやスマホのアプリを活用した方法を教えるマニュアル本もたくさん発売されつつあります。自分に合った、マニュアル本を探すように、「当事者」に合った生活スタイル、症状、知的水準、対応能力レベルの人を探すのも、一つの方法です。あくまで、参考にする程度で、それを取り入れて、「当事者」にあっているかどうかは、「周辺者」が考えたほうがいいようです。

後悔、罪悪感、不安を捨てる方法(当事者)

 「どうして、自分はできないのだろう?」「また、周りに迷惑をかけてしまった」「これから、お金がいるのに、いつになったら自立できるのだろう?」など、いろいろなトラブルがあると、つい、思ってしまいやすいです。反対に、「無理して社会適応するのをやめました」というのがあります。仕事や命、金銭、重要すぎる問題など、周辺に影響が出ない状態なら、ご本人が、自分の行動を決めてもいいのかもしれません。ただし、症状の重症度によりますが、あまりに問題だらけの場合は、応急処置程度は必要になるかもしれません。ただし、仕事などだと、それが許される場所を選ばないと、問題だらけになるので、気を付けないといけないようです。

 当事者の場合も、「ハードルを下げましょう」ということになるようです。「自分に合ったハードルを見つけよう」「症状だけじゃなく、気持ちにも合っているハードルにしよう」と考えたほうがいいようです。

 後悔、罪悪感、不安も多いのが、障害の症状です。でも、気づけない範囲まで、気づけというのは、無理だと思います。気づけないままにしておくのが良くないというのは、一般的な考えですが、気づけない部分を乗り越えられるかという視点で、考えたほうがいいようです。「当事者」の症状の度合いのよって、違ってきてしまいます。ものすごい、重い症状の人は、どうやっても、無理なので、たくさんのことを、あきらめないといけなくなります。でも、そこに生活が懸かってくるので、大変となります。それらを話し合いで埋めることさえできないのが、障害で、「同じことをしているのに、なぜ、僕だけなじられるのでしょうか?」という投げかけコメントを、当事者側の意見として、時々見かけます。内容を確認すると、「周辺者」の場合は、ここの部分は流す、ここだけ気を付ける。と、ポイントを絞って判断できるし、決めることができます。発達障害者は、全部に引っかかってしまっているケースが多いようです。

 後悔、罪悪感、不安を持ちやすい症状になりますが、決して、無理をしない。できる範囲を、乗り越えられる範囲だけを考えるというのが、いいのかもしれません。できないことを要求された場合の対処法を、「当事者」が考えるのは、難しいと思います。できないことを要求された場合は、相手が悪いのだとか、自分が悪いのだとか決めつけず、障害なので、こういうことは良く起こると考えて、なにが正しいのか、「自分には、永久にわからないだろう」と思っておいて、「考えないほうがいい」としておいた方がいいのかもしれませんが、それを、つい、考えてしまうのも症状のために、難しいようです。

 同じように、自分の症状があるのに、周りが適応する必要がない、周りが合わせられない要求を、言い張ってしまいがちですが、それに気づいた時点で、「言い張るのは止めよう」と考えたほうがいいようです。気づけないのは、想像性の弱さからくるもので、症状です。気づけなかったと考えるより、「気づけて良かった。今から、変えよう」とできたら理想です。でも、変えるのもできにくいのが、脳の性質です。「徐々に変えていけたらいいね」と思っていたほうがいいようです。無理をしないで、気づける、できる範囲で、変えられなくても、無理をしない。気持ちと症状に合わせて、やっていくのがいいようです。

 瞑想、呼吸法、アロマ、空を見る、歌を聴く、目を閉じる、手を広げる。好きな人の写真を見る。動物の動画を見る。などの落ち着く方法を、自分なりに見つけ、無理をしないで、「症状からくるものだから、誰も恨んではいけない。でも、いやだと思ってしまう自分がいるけれど、それが自然だ」と受け止めたほうがいいようです。

 症状に振り回されない
 そのままの自分を愛す
 できなくてもいい、できることだけ探していきたい
 無理をしろという人には、合わせなくてもいい
 お金や、大きな問題は扱わない
 大事なことで言い張らないようにする
 自分の欲求がかなえられないからと言って、周りの人のせいにしない
 周りの要求もあることを学ぶ
 気づけなくてもいい、気づける範囲だけ気づこう
 
 多くの人は、望んで、発達障害者で生まれたわけじゃないということは、わかっていますが、現実的に、ミスばかり続く、自分にも降りかかる、責任転嫁される、しりぬぐいばかりさせられる、などが続くと余裕がありません。そういう人に「もっと、助けて」というのは、やめて、あきらめるほうがいいのですが、あきらめるということができづらい症状があるため、大変です。いろいろなことは、発達障害者のせいでも、周辺者のせいでも、ありません。「症状が、そこにあるだけ」と考えたほうがいいようですが、なかなか、できる人はいないようです。それが自然の心だととらえて、徐々に受け入れられたら、いいのかもしれません。

後悔、罪悪感、不安を捨てる方法(周辺者)

 発達障害の場合、「ああすればよかった」「あの時、気づけばよかった」「申し訳なかった」「周りに迷惑をかけているかも」「将来が不安だ」「早く自立してほしい」「いつになったら、できるのか」「このまま、私が支え続けるの?」「もう、限界だ」と、つぶやきたくなることの連続で、支援疲れやカサンドラ症候群の状態まで行ってしまうケースがあります。

 とりあえずの処方箋は「ハードルを下げる」ということになるようです。自分の気持ちに合ったハードルにしたほうがいいようです。

 支援疲れを起こした場合は、休むこと。頼める人がいたら、頼むという方法もありますが、発達障害の人の世話をしてくれるなんてことは、まず、なくて、ヘルパーを頼んでいるのでという人以外は、背負っている部分がたくさんありますが、「全部、引き受けるという価値観を捨ててください」という方法を使うようです。「お子さん、旦那さん、奥さんを、そのままの状態が、その人の状態です。症状も含めて、その人なのです。その人がいろいろできたらよかったと思ってしまうのは、自然ですが、やってもらわないと困るという意識は捨てたほうがいいでしょう」と書かれている専門家もいます。
 支援疲れを起こすのは当然です。真面目で、たくさんの本を買い込み、ノートまで作り、必死になって、社会適応をさせないと、相手に合わせないといけないという心を、いったんリセットしたほうがいいそうです。「社会適応は、できたら、そのほうがいいけれど、できないかもしれない。それが、その人にとって、自然な状態です。受け入れてあげましょう」と心掛けたほうがいいようです。不安もつきませんが、「後悔、罪悪感、不安は、積み上げたら、限がないですよ」と、専門家の人が言っています。発達障害の場合は、「できないことだらけです。それが自然です」「諦めないといけないことを受け入れてください」「社会適応は、難しい部分もありますよ」「無理をして、心を壊すまで、発達障害者に合わせないでください」「不安になって、当たり前、でも、それを考えることを、いったんやめましょう」と心がけておいた方がいいようです。

 カサンドラ症候群まで行っていたら、もう難しいので、「発達障害の人は変わりません。あなたの心は疲れ果てています。もう、無理です。お互いに辛くなります。お互いに距離を取り、相手も変わらない、あなたも変わらないでいい。相手も無理しない、あなたも無理しなくていい。相手の責任の分は引き受けない。罪悪感も持たなくていいですよ。どんな人も、お医者さんも、カウンセラーも、難しいと言っている状態なので、家族が支えるのは限度があります」と考えたほうがいいようです。

 努力目標が高すぎて、現実の発達障害の「当事者」の、今の成長スピードとレベルに合ってない場合に、「周辺者」がイライラしたりすることも多いようです。

 意思の疎通は、図れても、図れなくてもいい
 できても、できなくてもいい
 無理をしない
 発達障害の人が責任を取らないといけない部分は、無理して考えなくてもいい
 そのままの、その人を愛せるかどうかを考えましょう
 犠牲にならなくていい。応援するか、したくないかを決めるだけでいい
 相手が変わってくれなくてもいい。自分も変わらなくてもいい。

 などなど、たくさんの自分のための言葉を、自分にかけてあげるというのも、荷下ろしの方法のようです。自分に合った言葉を浮かべるだけでも違います。自分を慰め、自分を励まし、自分に優しく、できなくていい自分を認め、できない相手も認めるという作業を繰り返して、たとえ、できないことが多くても、「こうしないとだめだ」を捨てたほうがいいようです。それぐらい、発達障害の症状というのは難しい問題で、一人で引き受けられるようなレベルではないようです。

*金銭、暴力、のっぴきならないレベルの問題、早急に考えないといけない問題は別になります。

発達障害者の対応と、周りのフォローは比例する

 発達障害者だけではありませんが、努力する人に対しては、フォローしてもらえる量が増えます。ただし、環境にもよります。発達障害者のグレーゾーン、もしくは未診断の症状ありの家族に囲まれている場所だと、ゼロフォローの可能性があります。家族からの支援が得られないからと言っても、相手も症状なので、「あきらめるしかない」「待つしかない」状況となります。

 症状がない場所で、知的水準も、生活水準も平均レベルの人が多い場所、もしくは、それ以上の人たちが多く含まれる場所だと、努力を見てくれている人はいますので、フォローしてもらえる人も多くなると思います。忙しい場所、ライバルが多い場所は例外となります。

 発達障害以外でもトラブルメーカーは存在します。発達障害以外の人で、トラブルを起こす人が助けてもらっているかどうかも目安になるかもしれません。不公平は、あるかもしれませんが。発達障害者が、症状の把握、対応方法を学んだスキルが中程度を超えていて、言い張らず、謙虚に、言葉選びもできるようになっていたら、フォローしてもらえる可能性は高いです。

 インターネットなどで、書き込まれている、「私がこんなに困っているのに、周りが冷たい」という発言内容から、多分、「頼んではいけない人に、頼ってしまっている」「頼りすぎていて、過剰要求すぎているのに気づいていない」「自分の症状すら把握してなくて、社会スキルを身につけないまま、要求が強い」などが多いようです。

 「自分が要求している割合が多すぎると嫌がられる」ということも考えたほうがいいようです。努力が足りなければ、周りも「この人を、そこまで助ける必要がない」と思われている可能性は高いです。トラブルを減らそうと思っている「発達障害者」で、なおかつ、「素直さと謙虚さがある」「真面目である」「本を何冊も読んで、勉強はし続けている」「がんばろうという気持ちがある」「迷惑をかけている自覚がある」という部分がいくつもあると、助けてもらえる可能性は上がります。努力した分だけ、周りの人も見ている人は見ています。

 見ていない人も多いのですが、そういう人は、自分優先で、親切じゃないだけかもしれません。世界中の人は、その人の価値観で生きています。発達障害に合わせてくれる人もいるし、理解してくれる人もいますが、少数だと思っておいた方がいいかもしれません。一割ぐらいは親切な人がいると考えて、行動したほうがいいです。それ以外の人は、頼まれたら動いてくれる人が5割。かかわりたくないと思っている人が3割。残りは、まったく周りが見えていない、自分の世界で生きている人だったり、そもそも、その人も団体行動が苦手だったり、自信がない人だったり、様々な理由で、発達障害に興味すらないか、余裕がないと考えて、行動したほうがいいのかもしれません。

 発達障害に、理解してもらえない、助けてもらえない人は流し、自分の努力が報われるかどうかは、気にせず、自分の努力目標を掲げ、行動したほうがいいようです。自分の気持ちで、30点程度の努力目標でいいと思うのなら、それでいいし、10点でいいやとか、今は一切やりたくないとか、日替わりでもいいし、週、月替わりで努力目標が違ってもかまわないようです。無理をしない。いつか、できるといいな。程度じゃないと、「周辺者」も「当事者」もつらくなります。

 まったくやらない人は、周りもまったくやらない人として扱います。「いくら注意しても、この人はダメだ」と切り捨てられて、おしまいになる場合が多いようです。

クローズとオープン

 発達障害の人は、障害をクローズとオープンで悩むようです。クローズというのは、閉じる。つまり、障害を隠す。オープンは、明らかにする。障害を、周りに教えるか教えないかで使うようです。

 発達障害はクローズのままのほうがいいという人と、オープンのほうがいいという人と分かれます。職場、親類、友達などの関係で、変わってしまうので、とても、難しい問題です。オープンにしても、職場で配慮してもらえなくて、なぜ、怒られるのかという投稿を時々見かけます。そのコメントの内容で、怒られた人達の行動の印象は、「周りには自分勝手に思われているからではないか?」と感じることが多いです。残念ながら、発達障害者が職場、学校にいて、その症状を知ってくれようとする人は、「ものすごく、少ない」と考えておいた方がいいと思います。職場も、学校も、そこに属している人、一人、一人が主役であり、その人の権利があり、義務があり、それぞれの立場があり、「発達障害者だけが優遇される場所ではない」からです。学校だったら、先生にも、生徒にも権利はあります。それぞれの言い分もあります。「障害者だけ優遇してばかりはできない」のが実情です。ところが、発達障害者は、その感覚を症状から、「なぜ、私は被害を受けているのだろう? 優遇してほしいのに」と自分の立場ばかり注目しがちです。その部分の感覚をなんとなく知っているかどうか、自己主張しすぎないという部分があるかどうかも、大事になります。それを症状がある人は気づけません。本当なら、ジョブコーチのような役目の人が、どんな場所でも、その場所での行動の調整役、カウンセリングなどを行ってくれるようなシステムが日本にあったら、違ってきますが、現在の日本では、ジョブコーチは、仕事環境を整えるということはしてくれますが、職場でその人が溶け込めるまで、マンツーマン指導をして、職場での環境づくりもしてくれてなんてことまでは、やってくれないみたいです。オープンにして、職場に溶け込んでいますと言う発達障害者の人の上司やお医者さんのコメントによると、「発達障害の人が真面目であり、一生懸命で、悪気がない態度で、性格も悪くないため、周りの人も、助けてもいいという空気ができやすく、それで、問題があっても、乗り越えている」というのがいくつかありました。つまり、「真面目である」「言い張らない」「性格が悪くない」「周りに悪いと思っている態度がある」「トラブルを減らしたいと障害者のほうも思っている」という部分があれば、違ってくるようです。こういう障害者はとても少ないらしく、ほとんどが、コミュニケーション能力が低いまま、障害の症状の勉強もしていないまま、自分が職場適応できるかどうかもわからず、権利ばかりを主張してしまい、嫌がられているというケースがとても多いようです。
 配慮はしてもらえるようですが、発達障害の人が適切な範囲を知る必要があり、時に過剰な要求をしているコメントも、よく見かけます。この範囲があいまいで、さらにややこしくなってしまうようです。

 オープンが怖いのであれば、クローズのまま、性格の問題として、症状だけ知らせるというのも一つの方法になります。ただし、発達障害の症状の勉強も重ね、コミュニケーションの部分の勉強も重ね、障害があっても無くても、「すべての人に、権利がある。我慢を強いたり、一人だけ、優遇されたりというのは難しい」というのを知っていて、その場所のルールもわかったうえで、行動ができるかどうかで、変わってくるようです。

 「ちょっと頑固なんです」
 「記憶にちょっとだけ問題が出やすいので、メモを取ってもいいですか?」
 「作業を一つずつこなしたいのです。迷惑をかけますが、一つずつ、教えてください」
 「間違っていたら、教えてください」
 「具体的な数字で表してくれると嬉しいです」
 「日時、場所など、間違えるといけないので、二回、言ってもらえると助かります」
 「作業が遅いかもしれません。それで、がんばりますので、よろしくお願いします」

などなど、職場で、ちょっとした言葉を言っておいた方がいいのかもしれません。これらを教えてくれるのは、身近な、障害を知っている、家族たちになります。教えてくれる家族がいるのであれば、普段から、「教えてください」「お願いします」という言葉を使って、頼んでおいた方がいいかもしれません。ただ、発達障害は、その特性から、「なぜ、一般的なことができないのに、わがままを言うのよ!!」と怒られまくった後に、大人になってから、障害者だとわかり、分かった後でも、「障害なんて、間違いよ。甘えているだけよ」という家族も多いので、その場合はあきらめたほうがいいようです。障害を受け止めて、応援してくれる人を見つけるというのは、とても、難しいようです。本当は、子供のうちに、発達障害の支援が受けられたら、違っていたのでしょうが、今、大人になってしまっている発達障害者の人たちは、「自力でやらないといけない」「グレーゾーンだと支援がほとんどない」状態になっているケースも多いようです。身近な人が味方になってくれるかどうかは、「低姿勢である」「ミスを減らしたいと、発達障害者が思っている」「謝罪ができる素直さがある」「言い張らない」「周りの人とうまくやっていきたいという気持ちを表している」などが、重要ですし、さらに、周りの人が、「親切である」「優しい」「気が長い」「人の世話が好きである」「障害の勉強を進んでやってくれる優しさがある」「障害者に説明をしてくれる」「障害者の成長スピードに合わせてくれる」という状況じゃないと、難しいようです。

 「当事者」と「周辺者」だけでは解決が難しく、支援をしてくれる行政の担当者や、お医者さん、カウンセラーなどの「専門家」の知恵、励ましを借りて、生活していくのが理想ですが、大人の発達障害者を受け入れてくれて、なおかつ、障害に理解を示し、障害に対して詳しい「専門家」が少ない。行政の支援者の数が足りない。行政の担当者が障害を理解していないのが実情です。そういう場合は、「当事者」は自力で、できる範囲を考え、「周辺者」も支援疲れを起こさない程度に、どの程度のサポートをするのかを決めて、動いていくしかなさそうです。理想的な、バックアップ体制には、まだまだのようです。

発達障害者の社会適応レベルで違ってくる

 発達障害者が、「困っています」という書き込みの内容を症状を知っている、「周辺者」が読むと、「この部分は流したほうがいい」「ここはしっかり考えたほうがいい」と判別がつくケースもあります。感情論で言われているケースだと、流したほうがいいですが、適切な注意なのに、「相手が悪い」とか「ひどい」とか書いてあるケースがあり、相手の気持ちが全然わかっておらず、先走り、勝手に「ものすごい被害を受けている」と言い張っているケースがあり、それに対して、「周辺者』の反応は、「なぜ?」というのが多いです。

 発達障害者のトラブルはたくさんのケースがあります。判別は、発達障害者の人には、難しいと思います。お仕事の場だったら、上司と相談できるようにジョブコーチを頼んだり、環境を整えたりしていけば、知能、知識、コミュニケーション能力がある発達障害者の場合は、これで、何とかなることも多いようです。

知識、知能、コミュニケーション能力に自信がない場合
 あまり、言い張らない方がいいかもしれません。知識として知ったうえで、よく考えたほうがいいケースもあります、一般感覚を考えてから、どうしたほうがいいのか、教えてもらった方がいい場合もあります。この場合は、一般感覚を養ったうえで、ケースごとに、理解していくほうがいいようです。説明してもらっても、理解できないと思うので、症状の勉強をして、自分の能力の限界も知って、一般感覚も養い、などなど、たくさんの発達障害の環境適応能力を磨くほうが先になるかもしれません。大人になってから、発達障害の症状が発見された場合は、価値観など簡単に変えられないので、ものすごく時間がかかることは覚悟したほうがよさそうです。

知識、知能、コミュニケーション能力は中級以上の場合
 自信があるときは、上手に主張する方法を、考えたほうがいいかもしれません。「言い張る」ということをすると、基本的には、「この人にかかわりたくない」となって、逃げられるケースが多いようです。感情的なこと、相手の立場など、わからないときは、聞いたりして、知識を深めつつ、時間をかけて考えるほうがいいかもしれません。説明してくれそうな人がいるのなら、症状を知っている人に頼んでもいいかもしれません。症状の勉強をある程度、してある人になるかもしれません。

知識、知能が高く、コミュニケーション能力が普通の場合
 この場合は、感情的な要素が入ると途端にわからなくなる。相手の立場に立つことができず、様々な要素が絡むとわからないということが多い。言い張られても、お互いに感情的なやり取りができないため、「頭はいいけれど、コミュニケーションは仕事の打ち合わせのようだ」と感じてしまわれやすいようです。症状の勉強は、「俺は知能が高いから必要ない」という人もいるし、「一応知っているけれど、社会適応は必要ない」と考えているケースもあるようです。

 *コミュニケーション能力が高い人の場合は、症状が発見されにくく、社会適応もできていると思います。

 一人ひとり、症状と発達障害の社会適応レベルで考えて行動するしか、なさそうです。

社会適応前だと難しい

 発達障害の人は、できない範囲がたくさんあります。このできない範囲を頼むとき、「お前がやれ」「おまえのせいだ」と言ってしまう人もいます。症状から、言ってはいけない、命令してはいけないということも気づけない人もいるようです。ところが、
「この部分はお願いします。自己主張しません。できる範囲はきっちりやります」という性格の発達障害の人もいるようです。ここまで来るまでには、症状を理解して、周りとのかかわり方も勉強して、自己主張していい範囲としてはいけない範囲もわかって、周りに頼りすぎることなく、説明してもらったら、やりますという態度の人だと、周りも安心ができます。社会適応ができている発達障害者というのは、こういう形が多いようです。

 社会適応前の発達障害者は、
「これもやって」「どうせ、できないし」「なんで、怒るの?」「最初から説明してくれたらいいのに」「できないのだから、あきらめてくれたらいいだろう」など、言い訳やぼやきに聞こえてしまうことを言い張ってしまうために、うまくいきません。

 できない範囲は依頼をして、低姿勢に頼んだりする方がスムーズにいきますし、できる範囲はできるだけ自分でがんばってやろうとする姿勢がない人だと、助けてもらえなくなるようです。

 発達障害者の人が言い張らないようにするかどうか、ここが最初のターニングポイントなのかもしれないと感じます。

イメージのずれ

 会話でコミュニケーションをとるのが難しいのが発達障害の症状です。特にASDは、「言われたことを、そのまま受け取る」という症状があります。この言われたことを、「どこまで聞いているのか?」によって違ってきます。「最後まで聞こうとする」受動型ASDの症状の人と、「最初から聞きたくないから、聞いてもいない」という積極奇異型、孤立型の人もいます。「途中までで、わからなくなった」このタイプが一番多いようです。

 そういう場合は、コミュニケーションをとるのに、必要な項目がいくつかあります。

発達障害者側
 症状のない人の脳の動きを知っておく
 一般的な価値観をわかる範囲で把握しておく
 自分の症状を知っておく
 症状の対応をできる限りでいいので、把握しておく

症状がない人側
 症状がある人の脳の動きを、わかる範囲で把握しておく
 発達障害の症状を、一応把握しておく
 症状の対応を、一応把握しておく

 これらで、発達障害者と、症状がない人と基準が違ってしまっているのは、発達障害の症状がない人は、必ずしも「症状を絶対に把握しなくてはいけない」なんて義務がないからです。理由は、振り回されるからと、どの程度かかわるかを決めるのは、「症状がない側も決めていい」からになります。トラブルを起こしているのは、発達障害の症状になります。症状を持っている側と、その症状を持っている人のそばにいる人だと、意識は違ってきます。ところが時々、発達障害者側の意見で、「発達障害は障害の症状で苦しんでいるので、絶対に、私たちに合わせてよ!!」という強い意見があって、とても、驚きます。「絶対に」は、難しいのが状況です。それで言ったら、ほとんどの人が言い出してしまいます。「私も困っているので、その状況に、私たちのほうも合わせてよ!!」と。この部分は、大人になると、なんとなく、その場に合った形での収まり方で、我慢するところは、我慢し、変えたほうがいい場合は変える。臨機応変という対応になります。
 発達障害の症状は、時に、症状のない人からすると、「ちょっとわがままでは?」と感じるものも多く含まれます。ところが発達障害者からすると、「絶叫したくなるぐらい、耐えられない!!」だそうで、その違いは、症状がない人が圧倒的に多いため、わからないのが一般的です。お医者さん、看護婦さん、学校の先生などの公人、行政の担当者、支援者、ボランティアの人は、圧倒的に症状がない人が多数含まれるため、言葉でのコミュニケーションができないこともあり、訴えられても、「わからない」というのが実情です。

 バーチャルリアリティの機械が、開発されつつあります。その機械で、障害者体験プログラムというのが開発されたら、違ってくるかもしれません。「もしも、お年寄りになったら」「もしも、足が悪かったら」「目が見えなくなったら」「脳の働きが鈍くなったら」「脳の働きが発達障害者と似た状態になったら」というプログラムを、お医者さんなどの医療従事者、先生などの公務員、行政の担当者、支援者。ボランティアや、発達障害のそばにいる人たちが体験できたら、いろいろなことが違ってくるかもしれません。大学や研究施設で、そういう方面でも取り組んでもらえたらと感じますが、なかなか、難しいかもしれません。それまでは、想像で、お互いに歩み寄るしかないのが実情です。
 

苦痛は人によって違う

 発達障害者の要求を聞いていると、症状のない「周辺者」も苦痛を感じているけれど、逃げればいいのにと思います。ところが、騒音、におい、その他の五感に関することは、エチケット範囲になるため、苦情が言いづらく、なかなか言い出せません。周辺者はどうしているかというと、我慢するか自衛します。ところが、我慢ができないために癇癪を起しやすいのが発達障害者になります。

 では、どちらが行動を変えたほうがいいのでしょうか? エチケットの範囲だと、結局、気づかないからやってしまっている人が多く、気づかない範囲まで口出しづらいので、我慢する、自衛するのが一般的になります。発達障害者の人は、「合理的配慮をしてください」と法律から思っているようですが、行政の場所だと配慮をしたほうがいいようですが、民間は、努力目標なので、苦情は聞いてもらえますが、配慮をしてくれるかどうかは、違ってきます。発達障害者の人のほうが、自衛手段を取ったほうが、とりあえずはいいのかもしれません。

騒音……耳栓を、複数用意する。100均でも売ってます。

匂い……気つけ薬のように、リセットできる何かを持ち歩く。アロマとかの小瓶など。

目に入る情報……サングラスを用意して、しばらく落ち着くまで、ベンチなどで休む。目とつぶる。

味……好みのものを、コンビニで見つけておいて、代用品を考えておく。お弁当を自分で用意する。出されたものに関して、文句を言わない方がいい。レストランなど、金銭での代価で出されたものは別です。

肌ざわりなど……お好みのものを、揃える。ここは我慢するのが耐えられない人も多いようなので、普段から、自分の気に入るものを、わかっておいた方がいいようです。

 普段からできるのは、サングラスと耳栓を、外出の時に持ち歩くしかないようです。イライラしやすい場合の対策を、お医者さん、支援者などに相談して、考えたほうがいいようです。「周辺者」も我慢しています。耐えられないときもありますが、お互いに、なにが苦痛かなんて、人それぞれだということを分かり合えない障害のようです。

単語がわからなかったら?

 発達障害者の行動は、日本人が英語が聞き取れなかった場合と似ているようです。日本人のほとんどは、英会話はできません。英単語は聞き取れます。この状態が発達障害者が会話を聞き取るときに起きる状態に似ている人もいるそうです。IQが高い方は、その状態は少ないようです。単語だけ聞いている理由は、様々だそうです。会話についていけない。途中で、聞いているうちにわからなくなった。切り替えポイントが出ていても気づけなかった。単語のイメージがずれてしまっている。同音異義語があると、選択できない。などなど。たくさん理由があるそうです。

 同音異義語は、似たような意味合いのものもあるので、会話では、見分けがつかないのですが、似ている意味なら、何とかついていけるようです。問題は、単語は聞き取れたけれど、それで会話が理解できたかということです。単語だけ聞き取って、英語を聞き取ったなんて言う日本人はいません。ところが、発達障害者の中には、その状態に違和感を感じなくて、ほかの人も単語しか聞いてないだろう。もしくは、気づけない。そういう人もいるそうです。単語しか聞いてないのに、会話ができていると思い込んでしまうそうです。たどたどしい、英語しか話せない日本人とは会話を続けないといけない状況じゃない限りは、外国人は話そうとはしませんが、日本語は話せているはずの発達障害の「当事者」だと、会話ができているから、大丈夫と錯覚してしまう状況になってしまいやすいのが、発達障害の症状です。

 単語だけしか聞き取れなくて、天然ボケな発言をしたら、教えてくれる人がいますが、聞き取れないのに、思い込んで、「私が絶対に正しい」と持論を振りかざしてしまう発達障害者もいます。それは症状になるのですが、自覚がないと、大変です。自覚があっても、周りの人は、いちいち説明してくれるケースばかりではありません。発達障害者の人が、おとなしい人、まじめな人、言い張らない人で、そばにいる人が親切な人が多い、時間の制約がなくて、教える時間があると、教えてもらえる可能性は高いです。それ以外だと教えてもらえないかもしれません。

 単語がわからなかったら、症状がない「周辺者」たちは、どうやっているかというと、「流す」「わからなくても、調べない」という人や、「一応、調べておく」「こっそり後で、知っている人に教えてもらいに行く」などの人が多いです。その場で、「その意味、なによ?」とはっきりと聞くことをするのは、大人になると少なくなります。場の空気や時間の制約もあるため、聞きづらい場合も多いからです。
 では、発達障害者はどうするかというと、はっきりと「こっちじゃないの?」と大きな声で聴いてしまう人もいます。「わからないからいいや」と流してしまう人もいます。「調べるって、どうやって?」と迷い続ける人もいます。この部分は、性格もあるので、どれを選ぶかは「当事者」の行動によってきまります。これで、発達障害があるか、ないかで、なにが違ってくるかというと、修正力があるかどうかです。発達障害の人が少ない環境で、いつも失敗する人というのは、意外と決まっています。グループによっては、「たいてい、この人が間違える」「たいてい、この人が聞いてない」と分かっているので、その人だけ重点的に教えるか、間違えないように誰かがフォローするか、それとも、その人は責任のあるようなことは、最初から頼まない、任せないなど、グループであらかじめ行動を決められます。
 発達障害の症状がある「当事者」がいるとどうなるかというと、「当事者」のフォローができる人がいるか、フォローしたいと思っている人がいるかどうかで決まってきます。発達障害の人は、思い込みがあり、勝手に脳内で考えてしまっているので、「周辺者」は予測がつきません。それが重なると、そばにいる「周辺者」は支援疲れを起こしていたり、「関わりたくない」と思って距離を取っていたりして、フォローしない状態で行く場合があります。理由は、コミュニケーションが壊滅的にできない場合があるからです。そういう状態では、単語がわからなかったら、誰が調べるかというと、誰も調べないままとなり、発達障害者が自分でやっていくこともなく、ミス連発、ほかの人のせいにして、逃げる人が続出して、問題だらけで、「当事者」が「なんで、どうして?」といい続けて、なんて、状態になります。

 単語がわからなかったので、「調べよう」という気持ちになる発達障害の「当事者」は少ないようです。この、単語がわからなくて、調べる気持ちが「当事者」にあるかどうかで決まってくるようです。

障害者のスキルレベル

 発達障害の症状がない人は、一般スキルを、日常生活で学んでいきます。家庭、学校、友達、職場、いろいろなグループで、その場所で出会った人たちが教えてくれたり、自分で学びます。
 ところが、発達障害の症状を持っている発達障害の「当事者」の人たちは、症状がない人が学べることを、スムーズに理解ができません。そのために、別に研修が必要になります。子供のころに発見された場合は、「療育」という形で研修を受けます。大人になっていた場合は、SSTセミナー、デイケア、就労支援施設での研修などの方法で、一般社会スキルを学んでいきます。

 発達障害の「当事者」の一般社会スキルレベルは個人差があります。(定型発達の社会スキルレベルとは違います)

スキルレベル 高い
 発達障害の症状に自覚がある。自分の症状をほとんど把握している。
 発達障害の症状に合わせた対応方法を理解している。把握している。
 定型発達の人の脳の動きをある程度理解している。
 薬など、お医者さんに通って、症状が安定している。
 認知行動療法が必要じゃないレベルまで達している。
 会社で、ジョブコーチに指導してもらわなくても、仕事に支障が出た場合の対処法を学んでいる。

スキルレベル 中
 高レベルの人の半分ぐらいの状態になっている。
 症状の理解は、半分ぐらいはわかってきた。
 症状に合わせた対応方法は理解したけれど、まだ、実行すると不安定だ。
 定型発達の人の脳の動きとの違いは、分かりつつある。
 お薬の効果がある時間は、安定しつつある。
 認知行動療法は受けているけれど、どうしたらいいのか、わかってきている。
 ジョブコーチをつけてもらって、仕事の場での安定を模索している段階。

スキルレベル 低め
 発達障害の症状の勉強は初期段階。
 自分の症状の自覚が弱い。
 対応方法まで学べる余裕がない。
 人に聞いてばかりいるけれど、持論を言い張ってしまう。
 定型発達の人の脳の動きをよくわかっていない。
 お医者さんに通うかどうか迷っている。もしくは、通っているけれど、薬の検討を考えている段階。もしくは、薬の量の調整段階。
 認知行動療法まで、やってもらっていない。もしくは、認知行動療法をやり始めたばかり。
 ジョブコーチがつく前。もしくは、ジョブコーチを付けたばかりで、なにがなんだかわかってない。

 日常生活で安定し始めるのは、中レベルを超えてからになります。つまり、中レベル以上じゃないと、日常生活もお仕事も、どんな場所に行っても、安定はせず、周りは困惑する状態になります。発達障害の人は、中レベル以上は目指さないと、周りの人は、困り続けることになります。

 発達障害の段階に合わせて、日常生活でも、お仕事の場でも、「周辺者」のサポートが変わってきます。

言葉での折り合いがつけられません

 発達障害の人との会話で、「この人、なんで、自分の希望ばかり口にして、相手の言葉を聞かないのだろう?」という流れになることも多いです。理由は、

「相手が何かを言っているのは、わかるけれど、俺の気持ちは、相手はわかっているので、それを伝え続ければ、受け入れてくれさえすれば、うまくいくだろう」
「事情はともかく、抑えられない。自分の希望を伝えているのに、理解力がないな。なんて、物分かりの悪い相手なのだろう?」
「俺が困っているのに、なぜ、わからないのだろう?」

 などなど、心の中は、そのことでいっぱい。
「希望通りにならない!!! キー!!!」
となるそうで、周りの人は、「自分の希望だけ叶えばいいと思ってるの?」と不思議でたまりません。症状を知っている人たちでも、「症状だとわかっているけれど、さすがに全部、合わせられない。こっちの都合もある」となっていき、それが続くと、「勘弁してくれよ」「さすがに悪気がなくても、疲れるよ」となっていき、最後は、「逃げる」という流れになりやすいです。

 言葉で、お互いに折り合いなんて、まず、つけられない。それが発達障害の人の症状です。自覚があっても、「わかっているけれど、つい、自己主張したら、相手が受け入れてくれそうに感じる」と錯覚するそうで、「受け入れてくれると錯覚する」という理由は、実は、相手の遠慮、気がね、全体を見ての判断、場の雰囲気から我慢しているだけ、本当はかかわりたくなくて逃げたかったけれど、言い出せないだけ。という状態だったりします。はっきり言われないので、発達障害の「当事者」は、「もっと、強く言えば、受け入れてくれるし、自分の意見が通るはず」と錯覚するようです。

 そして、受け入れてくれるかというと、「愛想をつかしてますが、わからないようです」という書き込みが多くみられるのが、実態のような気がします。「困っているのですが、いくら言ってもわかってもらえません」とお互いが言い合っている。それは症状からくるものですが、止まらない負の連鎖のような気がします。

「折り合いはつけられない」それをわかりだすのは「周辺者」のほうが圧倒的に早いです。慣れている人は、さっさと逃げます。親切な人、逃げられない立場の人が言い出せずに、ストレスが溜まっていき、ノイローゼになったので、会社を辞めましたなんてコメントも並んでいます。発達障害の当事者のほうは、「なんで、怒られたの?」「なんで、受け入れてもらえないの?」で、思考が停止します。

 自覚があり、発達障害者が「主張するのをやめる」という状態になるまでは、言葉の折り合いはつけられない。そういう症状です。

「当事者」が自覚して、当事者が症状を知る。それが抑止力となるようです。自覚していない発達障害者の人と言葉で議論は難しいようです。医者に診断を強制的に受けさせられる環境に、日本はなっていないので、結局、「医者に行かないまま、自覚ないまま、自己主張が強い、発達障害者がたくさんいる」という状態のままのようです。

発達障害の一括情報サイト

 発達障害に対して、調べるのに、たくさんのサイトを渡り歩かないと、情報は集められない仕組みとなっています。行政、お医者さん、SSTセミナー、自助会、民間の業者のケアの内容、ボランティア募集、ヘルパーの情報、書籍、講演会、支援者団体、支援施設などの情報です。
 お仕事情報、児童の障害者は、また、別のサイトでまとめたほうがいいかもしれません。

 「こういう情報が欲しい」「これに困ってる」「こんな書籍が欲しい」「発達障害者のそばにいますが、どこに行ったらいいの?」「発達障害に対して、わからないことだらけ。お医者さんに通うほどじゃないと思ってます」「年齢が高すぎて、行ってもしょうがないと思うけれど、子供と疎遠になっていて」「ヘルパーが欲しいけれど、やっぱり補助はしてもらないのでしょうか?」
 などなど、「よくある質問の答え」サイトもまとまっていると、安心になる気がします。発達障害者支援センターにお越しください。その場所は都道府県内で、「え、そこまで行けない」「行っている暇がない」「交通費がかかりすぎて、とても無理」という人も多い気がします。そういう人のために、サイト発信してもらえたらと考えます。
 不安になりやすい発達障害は、その状態から、性格的に問題がある人と、発達障害と混同されて、知られている部分がある気がします。しっかりした一括情報サイトがあって、誰でも閲覧することができる状態になったら、不安が解消される気がします。コメントなどを受け付けない、発信だけなら、サイト管理も、比較的楽だと思うので、考えてもらえたらと思います。

得意なことはものすごく覚える。まったく覚えないこともある。

 不思議に感じますが、同じ人なのに、落差のある行動がたくさんあるのが、発達障害のようです。「勉強はできます。でも、記憶が悪いです」意味不明で、何のことなのか、わからずに確かめると、本に書いてあるものは、覚えられる。行動で見ると覚えられない。さっき聞いたことを忘れる。理路整然とした、体系づけられたものは覚えられる。でも、漠然とした、ふわーとしたものは覚えられない。

 この差は、「当事者」じゃないとわかりません。「国語は得意です。数学は苦手です」のように、共通した認識があれば、理解はできます。学生時代に、そういう人をいくらでも目撃しているので、違和感もありません。でも、耳で聞いたことが、全部抜けていきます。でも、勉強はできます。という生徒を、あまり知らないのではないかと思います。本人も気づいてなかった。「社会人になって、自分で知りました。怖くなりました」という発言も多く書き込まれています。

 単語だけしか聞いてない、覚えてない、時系列で並べられると覚えられない、メモで並んでいても、並べ方に違和感を感じて、覚えられない。順序が逆になるだけでパニックになる。いろいろな症状から、「覚えられません」と言われても、個人差がありすぎて、周りの人は、違和感を感じます。

 しっかりと症状を知り、その症状に合った対応方法が確立されて、福祉の面が充実し、働く環境も、家庭環境も、整えてくれるのを手伝ってもらえる。なんて言う状態には、すぐにはならず、「自分で、マニュアルを作ってください」というのが、発達障害者の人たちの自己防衛の方法のようです。

 マニュアル作成ソフトがある、マニュアル作成の補助を行政がしてくれる、マニュアル作成の支援者がいる。なんて、環境にならないと、難しいのかもしれません。

3大困り項目

金銭問題、意思表示、会話の理解。これが三大困り項目のようです。経済的不安が一番強いらしく、続いて、自分の思ったことを発信する意思表示と、相手の会話の内容を理解できないことが多い、会話の理解。これが一番、困っている発達障害の当事者が多いようです。「周辺者」の場合は、お仕事関係の人は、意思の疎通が図れないのが一番なのかもしれません。家族関係だと、金銭も、意思の疎通もあるし、人間関係が一番、困るのではないかと思います。

 ADHDとASD、どちらが多く、行政に相談に通っているかというと、「ADHDの人は、人口の5%の人がいると言われているけれど、自覚がない、性格の範囲と言われているから、実際に、トラブルになりやすいASDの人のほうが多いんじゃないか?」と言われているようです。ADHDとASDの両方の症状を持っている人、さらに、重ねて、統合失調症、うつ病、双極性障害、解離性障害、依存症、LD、チック、などなど、たくさんの合併症もあるそうです。発達障害で、一番、みんなが困っているのは、やはり、「お互いの意思の疎通がはかれない」部分のようです。

 ほかの部分は、ヘルパー、家族の支援があると、違う人も多いので、相談しない人も多いのかもしれません。ADHDで依存症があり、アルコール、暴力、ギャンブル、浪費などで、借金や、そのほか、家族が逃げてしまいやすい状態で、「当事者」が困って相談にくる場合は、相談するようですが、「困り感がない人も多い」障害になります。本当に困り切っても、「俺は、そんなに弱くない」「家族が支えてくれたらいいんだ」と言い張る人もいるようです。

 意思の疎通が図れない場合、発達障害の人が、調べたいことを調べる場合、もしくはリマインダーのお知らせ機能などを使う場合、クラウド検索する人工知能で、フォローがしてもらえる時代が来るといいですが、人工知能も、「検索ワード」を考えるのは、人間のほうになります。音声認識も、間違えないかどうかを確かめるのも人間です。人間が使いこなせなければ、意味がなく、それを使いこなせない発達障害では、難しいかもしれません。
 
 現場での対応も、周りが発達障害の症状を知っている人が通訳をしたほうがいいかもしれません。支援者、サポーターは、お仕事の支援では、行政が働きかけをしていますが、数は少ないし、ファミリー、学校バージョンは、まだまだのようです。

 金銭管理はグレーゾーンの人も、金融機関に、発達障害者用の、フォロープランがあると違うかもしれません。オレオレ詐欺などに引っかかりやすいのも発達障害の特徴なので、考えてもらえたら、いいのにと思います。

 意思の疎通は、行政法人で、「発達障害通訳派遣センター」というのができたらいいのにと思います。ジョブコーチだけでは、難しいと感じます。その行政法人に、自分の特徴を登録するシステムで、通訳が派遣されるようなシステムがあったらいいのかもしれません。

成人用のサポートノートが配布されています

 発達障害の支援で、自分の住んでいる地域以外で、「発達障害」「成人用」「サポートツール」「サポートガイド」「サポートノート」「サポートブック」などを検索するとPDF形式、ワードで扱える形式のものが、行政のホームページからダウンロードができるところが、あちこち見つかります。でも、そのノートも自分に必ずしも必要な項目ばかりじゃないものが多いようです。目的が「就労支援」「お医者さん受診用」「生育記録」「心の状態」「行動記録」など、様々な形で、行政ごとに違っています。PDF、ワード形式は、編集をするソフトがあります。それらを使って、自分で編集して、自分で使いやすくしてから、白紙のルーズリーフに、余白設定をしてから印刷して、自分なりのマニュアルニートに活用してもいいかもしれません。著作権があったり、編集不可の場合もあるかもしれませんから、気を付けてください。個人で、使用する分には、大丈夫かもしれません。
 ただ、成人用のサポートノートは、子供用のと一緒に配布されている場合が多いようです。成人用のほうが圧倒的にサポートツールの数は少ないです。

 ワードなどの編集は、できる人も多いかもしれませんが、どうしてもできない場合は、近くにいる人や、支援を頼めそうな人にお願いするしかないかもしれません。

 項目をチェックしておき、どうして、パニックになるのか、トラブル行動の整理などをノートに作っておいて、見直すことが、トラブルの予防策になるようです。新しい人間関係で、発達障害をカミングアウトしている人の場合は、共同作業があるような場合、相手とコミュニケーションが必要な場合は、それらのサポートノートの抜粋バージョンを作っておき、一枚の紙で渡せるように、複数をいつでも持ち歩いていたほうがいいかもしれません。病院などに通院する場合、看護婦さんが「発達障害の症状を知らなかった」というケースも多いようですし、学校の先生も「発達障害の名前と、漠然とした症状程度しか知らない。どんな配慮が必要なのかを知らない」という人もいるようです。もしも、頼めるのであれば、周りの人に、あらかじめ、どうやって動いたらいいのか、誰に紙を渡したらいいのか、などのサポートを発達障害の症状がある人は聞いておくのが、安全です。

 発達障害のことを、仕事先の人、病院、学校、行政の担当者で「詳しく知ってますよ」という人が、まずいないだろうと思って行動して、ノートを作っておき、必要に応じて、一枚か二枚ぐらいにまとめて、サポートツールとして活用していくのも、いいかもしれません。

マニュアルを読んでも、「違う箇所がある」場合

 発達障害の症状はたくさんのものがあるようです。具体的な例を知っていくと、やがて、なんとなく、症状はわかってきますが、それは、症状がない人が想像する発達障害者の脳でしかありません。発達障害のお医者さんというのは少なく、そういう人が診断してくれるという状態にはなっていません。そして、グレーゾーンの人は、「診断してもらって、あとは自力で」という形で放置されている人も多いようです。就労支援が必要ないケースだと、行政も相談に乗りにくいし、お医者さんも、「家族相談までは、無理です」というのが実情です。

 発達障害のグレーゾーンで、家族で考えないといけない部分は、自力で調べることが多くなり、そして、マニュアルを読んでも、「でも、うちのケースと違う」「合併症があるから、声かけの内容が違う」「アスペルガーがあるからADHDだけで考えられない」「依存症の対応方法と発達障害の対応方法が違っている」などがたくさんあります。総合的に判断してくれる人がいたならと、強く感じます。

 お医者さんには、どこが悪いのかがわからない場合、総合的に判断してくれる科がありますが、発達障害の場合は、総合判断をしてくれても、家族や金銭問題までは、「ご自分で」「ご家族で」「職場で」となり、誰に相談して、誰と決めたらいいの? と迷宮入りします。

 マニュアルを読んで、「ADHDでは、この方法でいいけれど、ASDがあるし、さらに学習障害があるし、そして、依存もあるし、解離性? 統合失調症? 躁うつ病?ここは弁護士に相談したほうがいいの?」一人でたくさんの症状があったりします。
 そういうときのために、「総合的に、どこに相談に行ったらいいのかを紹介してくれるような、悩み事相談の、総合プランナーのような人がいたら、違う気がします。「ここは、ライフプランナーに、こっちは弁護士がいいでしょう。ここは人生相談の範囲なので、お近くの頼りになる方に、ここはお医者さんに、ここは、カウンセラーの範囲です」と仕分けしてくれたら、助かるのにと感じました。

 そして、症状から、最適なお医者さん、弁護士さん、カウンセラーを紹介してくれる、なんていう夢のような、総合お悩み相談室が、行政にあったら、違うかもしれません。民間の相談所でも、多くの人が、相談したいと思うのではないかと思いました。子育ての相談、病気、金銭、人間関係の悩みなど、複合的に問題が絡んでいたら、とても、一人では抱えきれない人が多い気がします。そして、配偶者は、一人で決断しないといけなくなると、カサンドラ症候群にまで追い込まれます。

 総合悩み相談所があったら、多くの人が助かるのかもしれません。

差別ではありません。方法を知りません

 発達障害の人が、「ひどい」「差別だ」「傷ついた」と書いている内容を読んで、「そうだろうか?」というものをちらほら見かけます。流すところを流さない、確認が必要な部分で、してないのに、配慮を求めすぎている。過剰要求で、発達障害者ができないことは、相手がたくさん配慮をすれば済むと思っていたり、説明が下手すぎる発達障害者なのに、説明を聞いた側が「理解できてない」と怒っていたり、発達障害者以外は、「多分、原因って、これだろうな」と分かります。ところが、発達障害者に対して、周りの人は、どう感じて、どこまで話していいのか、わからないのです。差別になると困る。でも、傷ついたと言っている、こちらの要求したいこともある。一緒に行動しろと言われても、困るし。発達障害者で、社会適応をできていたり、会社が配慮している発達障害者は、どんな人かというと、「おとなしい人」「真面目な人」が多いような気がします。努力する発達障害者。ぼやかない発達障害者。不当だと言い続けない発達障害者。つまり、発達障害じゃなくても、適応がしやすいタイプの人になります。

 発達障害に対しての、差別をしているわけじゃなく、現場が混乱していて、確認作業ができない場所や人というのは、どこでも存在しています。障害がない人でも、ミスが多い人、確認が取れずらい人、時間にルーズな人、金銭感覚がない人はたくさんいます。発達障害者は、トラブルを起こしやすい人に引っかかりやすいです。では、発達障害者以外は、どうしているかというと、「困った上司だけど、仕事だから流そう」「会話を聞いてない上司だけれど、こちらが気づいて、補助しながら仕事を進めよう」「ミスが多い、相手のせいにする同僚だけれど、関りは、最小限にしておこう」と考えています。これらに、いちいち、反応していたらきりがありません。

 発達障害者は、相手が良識がある人か、間違っている人か、どんな人か、わからないけれど、自分も振り回すし、相手にも振り回される。そういうケースも多いです。発達障害者だけが悪いわけじゃないケースもたくさんあります。

 発達障害者が差別と感じてしまうケースの場合は、実は差別ではなく、「どうやって、かかわっていいのか」と感じています。発達障害者じゃなくても、最小限で、流して付き合っているので、発達障害の症状っぽい人だと、さらに困ります。差別ではなく、流しています。一般のトラブルメーカー、問題が起きやすい人、ミスが多い人と勘違いしているからです。

 発達障害者だとわかったら、今度は、一般の症状がないトラブルメーカーとの違いが判りません。一般のトラブルメーカーと同じ対応をしてしまいがちです。つまり、差別ではなく、トラブルメーカーと勘違いして、でも、障害者だから気を遣うし、方法を知らない。それが実態です。

感情カード、表現カード作成

 自閉症の子供用に、意思表示カードがあります。ほとんど使わないという児童もいるそうですが、「役に立ってます」という補助訓練用のカードになります。自分の気持ちを表すのが、とっさに出ない。大人になってもASDの人に見られる症状の一つ。そんな時、どの感情に近いのかをカードを作っておいて、選んで、
「今、この状態かもしれない」と配偶者、家族に見てもらう。もしくは、気持ちの整理に使うカードです。

 100円均一のリングノートを利用して、自分で作ってもいいかもしれません。針金で、くくってあるだけのノートですから、簡単に手で外れます。ただ、リング部分を一つずつ、ずらしながら外すので、面倒ではありますが、ノートを外して、パソコンで、絵柄と感情表現を印刷していきます。年賀状などの作成ソフトなどを使うと、絵も文章も一緒に載せて、カード図案を作成できます。後は、それを応用して、絵を変化させて、感情表現の文章も変更しながら、プリンターで印刷します。印刷したノートは、リングに戻して、ノートが完成します。手間はかかるので、面倒なら、子供用の感情表現カードや、ボードがインターネットにありますから、一覧表を印刷して、はさみで切るか、そのまま壁に貼り付けて、使用するようです。子供のやることを、大人でやるのは、恥ずかしいという人も多いので、あくまで家庭用です。配偶者や親に向けて、感情の表現を伝える方法です。

「保留にしたい」「考え中」「時間がほしい」「説明だけしたい」「話し合いたい」
「家族会議を開きたい」「説明だけしてほしい」「悲しい」「せつない」「わかってほしい」「甘えているわけじゃない。やる気はある」「やる気はあるけれど、やり方がわからない」「方法を教えてほしい」「絵で説明してほしい」「図で説明してほしい」「選択肢があったら、選べるかもしれない」「何をしていいのか、見当もつかない」

などなど、自分に合った、感情や行動の意思表示を、絵をつけて作って、指差しをして、頭の整理法に使用してもいいかもしれません。本当は、行政の人が、ボードを作ってくれて、無料で配布してくれたら、支援ツールがもっと増えたら、助かるのにと思います。

コーディネーターが必要

 発達障害者の人のコメントを読んでみて、たくさんの疑問があります。相手に聞けばいいことなのに、違う人に、コメントを読んでくれる人に、怒ったり、説明を求めています。ところが、現場の状況の説明が、わかりにくいうえに、「え、それって、相手のせいなのだろうか?」「多分、定型発達なら、怒ったりせず、よくあることと、受け流すだろう」「相手の人と良く話し合えば解決するのではないだろうか?」と感じることも多いです。

 「私、発達障害と診断されたばかりなんです」という人のコメントなら、「症状を知らないから、言えるのだろう」と、定型発達は想像できますが、「発達障害者として、長年苦労してきて、この仕打ちは耐えられない」という文章とともに、コメントしているので、「症状を知っているのに、なぜ?」と感じます。理由は、発達障害の症状も、相手の立場も、どんな行動をしたらいいかも、まだ、理解不足で、SSTなどをしてなくて、どんな行動をしたらいいのか、自分に合った方法を確立していないのではないかと感じます。「発達障害の勉強はしています」と言い張る方もいますが、どれぐらい障害の勉強をしているかは、主観なので、周りの人は、その言葉だけでは、わかりません。

 発達障害者の人は、行政に相談したら、精神科医に診断後なら、支援員、ケースワーカー、ソーシャルワーカーなどがついて、補助をしてもらえるようです。コメントだけなので、実態が分かりづらいですが、人によっては、「何もしてもらえない」という人もいるし、反対に「とても、お世話になって、弱みも受け止めてもらえるし、お仕事、生活の相談もできて、助かっています。ときに、お仕事を見つける時、病院に同行もしてもらえます」という、落差のあるコメントが書かれてあります。
 発達障害者支援センターができ始めたのは、発達障害者自立支援法という法律ができて、それから、ハード面を整え、内部の人間も、仕事のノウハウが蓄積されつつある状態ですが、そこで働いている人が、ベテランとは限りません。どんな場所でもそうですが、異動もあるし、できる人、できない人が同じ場所にいます。発達障害以外だと、相手の状況を見て、自分から働きかけて、できるだけサービスが受けられるように努力ができますが、発達障害は、「何をしたらいいの?」「私は障害者なんだから、配慮してよ。もっと、気づいてよ」という状態のようです。

 発達障害者の支援者が増えたらいいですが、職員の数を明らかにしている、発達障害者支援センターの実態を見ると、とても、足りないのではないかと思います。お仕事の現場で、サポーターを作りましょうという働きが、行政で行われるようですが、最初は手探り状態で、それが浸透するかどうかは未知数です。どんな試みもそうですが、「やりましょう」という最初の思惑通りにいかず、そのうち、グタグタとなって、発達障害者が望むような行政サービスにはならないのが多いようです。作業所と呼ばれるところでは、たくさんの不満のコメントが並んでいる実態のようです。

 発達障害者には、一人ひとり、その人の個性に合った生活スタイルを考えてくれる、コーディネーターが必要な気がします。ライフプランを考えてくれるフィナンシャルプランナーのような資格を、行政主導で作って、日常生活の支援をしてくれる人を育てないと、難しいような気がしますが、予算があるわけもなく、よって、現場の人たちにしわ寄せがきて、「だれか、なんとかしてくれ!!」とコメントが並ぶようです。フィナンシャルプランナーは銀行などでは、よく無料相談会を見かけます。年金や積立金のために、無料で行っています。経営のために、コーディネーターを置いて無料で相談会を開くなんて言う場所は、発達障害者の場合は、どこになるのでしょうか?

 発達障害者の人は、「初めて会う人は、発達障害の症状を知らない人だ」というのを心に置いて、「一般人も配慮なんてしてもらえないのが普通なんだ」というのも考えたうえで、行動しないと難しいと、コメントを読んで思いました。

 作業所、支援員、ジョブコーチ、会社に対しての発達障害者の不満のコメントを読むと、「コーディネーターが身近でいたら、違ってくるだろうに」と感じました。

取捨選択ができない

 発達障害の人は、「真に受ける」という症状がある人もいるようです。症状がない人でも、真に受ける人はいますが、本気にしてしまう度合いが違います。「え、それに気づかないの?」ということを繰り返し、天然ボケの人だと思われます。性格が良い人ばかりではないので、「頑固」「自己中心的」と勘違いもされます。

 脳の症状なので、直せないようです。こだわりはあちこちに出ますし、真に受けてしまうし、取捨選択というのが、一般的な人と違って、できないため、会話中に、「え、それを本気にするの?」「そこを気にするの?」と驚きます。この部分、聞きにくいため、発達障害者は、「傷ついているのに」と思っていて、一般人は、「でも、あなたのこだわりや無神経な一言に、周りも傷ついているし、嫌がっているのは、気づけないのに、なぜ?」という戸惑いの反応を見せます。この部分が、「これだから、〇〇〇は」という差別用語が、インターネットに飛び交ってしまう原因になっています。インタネットの悪い言葉として、発達障害が浸透してしまっている理由は、いろいろな原因がありますが、これも原因の一つとなっているようです。空気が読めないという部分は、どうしようもないのですが、障害をカミングアウトしても、周りの人の反応は様々で、うまくいくとは限りません。

「発達障害者だから、配慮してくれ」という意見が、書き込みコメントなどに並んでいますが、発達障害者の人のほうも歩み寄らないと難しく、でも、歩み寄れない、わからない範囲も多く、そして、どうしたらいいのかというと、発達障害者の症状を知っている専門家を、小さいうちに、講師として招いて講演会を開く程度しか、無理なのかもしれません。

 コメディも含めた、堅すぎない内容の障害者の理解をしてもらえるドラマがヒットする。爆発的な売り上げになるぐらいの小説が出る。国民的なアイドルが、実は発達障害で悩んでいて、カミングアウトして受け入れられる。金メダリストで、国民栄誉賞を取るようなレベルのスポーツ選手が出て、世間の人が受け入れてくれる。という奇跡が起きてくれたら、変わってくるかもしれません。でも、発達障害の症状がある人はカミングアウトをしづらいのが、今の日本です。ちょっと前まで、病気のカミングアウトさえ、暗いこととされていました。有名アナウンサーが告知し、キャスターが告知し変わりつつあります。性同一障害に関しても、ちゃんと受け止める時期に来ているというスタンスに、テレビなどが変わってきています。理由は、有名な司会者が、自分の意見をしっかりと隠さず言って、その司会者の性格や性質を、視聴者が、受け入れたからのようです。発達障害の場合も、いつの日か、有名な人が出て、発達障害の部分と本人の個性の部分を、周りが認識して、受け入れられるような社会になっているかもしれません。

 空気を読める必要はないけれど、空気が読めないというのが症状であるということが理解し、浸透する日が来たらいいのかもしれません。

コミュニケーション支援ボード(アスペルガー向け)

 知的障害の人向けにコミュニケーション支援ボードがあります。ASDもコミュニケーションに問題が出やすいので、ASD向けの支援ボードがあったらと感じました。すぐに言葉が思いつかないのが特徴なので、その支援ボードを指させば、少しは落ち着けるかもしれません。

 症状の勉強中は、まだ、パニックになりやすいです。そういう状態の時の補助カードを自分で作成して、指さすのも方法かもしれません。

「現在、考え中。二時間時間をください」
「一週間ほど猶予をください」
「考えてもわかりません」
「どうやって考えていいのかわかりません」
「選択肢があったら選べます」
「できる範囲までやりますが、残りのサポートをお願いできませんか?」
「状態の説明をお願いします。すぐには選べません」
「自分の立ち位置がわかりません」
「周りの人への聞き方がわかりません」
「図で書いてください」

 などのカードで作っておいて、自分は、こういう症状があるんだなというのを、発達障害者と、周辺の人が慣れるまで使うのも方法です。

発達障害に依存(ギャンブル、アルコール、浪費など)があったら

 発達障害者は、依存症状が出やすいそうです。定型発達の人でも、ギャンブル、アルコール、浪費などの依存状態までの人は出ますが、脳の性質が違うことと、会話がかみ合わないことから、「周辺者」だけで対応は難しいので、お医者さんにご相談くださいと、本、マニュアルに書かれていることが多いです。

 なぜ、難しいかというと、ストレス耐性に弱い、脳内物質が関係ある、コミュニケーションが取れにくい、認知がゆがみやすい。などがあるからです。ストレスは、カウンセリングや投薬で和らげる必要があるかもしれないし、脳内物質の影響から、依存が出やすく、そして、その状態が良くないことであるという部分の説明を、家族が説明しても、聞き入れない、軽く考える、自分を許してしまう。そういう人も多いそうです。お医者さんを勧めても、難しいケースも多く、「周辺者」が疲弊しきって、家族やその他の人間関係が悪化します。そこに金銭の問題が絡みやすいのが、ギャンブル、アルコール、浪費です。あまりにひどいと嘘をついてまで、ギャンブルをしたり、飲酒したり、物欲がひどかったりして、周りの人や消費者金融に借金をして、そこで、ASD、ADHDの脳の症状から、それが、どれぐらい危ないことかを気づけない発達障害者の人もいるそうです。ここまで来ていたら、家族や、同僚とかだと無理なので、発達障害に詳しい精神科医、カウンセラーの診療を受けたほうがいいそうです。ところが、この治療が、なかなか受診してもらえない上に、受診できたとしても、そこから立ち直るまで、ものすごい時間がかかるそうです。一般的な依存と違い、脳内物質の影響もあるため、こういうケースは、家族が崩壊する危険もありますし、会社だと首になるケースも多いそうです。

 家族だったら、どこまで支援ができるかというと、「励まし程度で、当事者ではないので、あまりにひどかったら、暴力、金銭問題がひどすぎる状態であれば、距離を取ってください。ひどい時は、手助けせずに、逃げてください」というところまで行くそうです。

 指導法としては、「そこまで?」と思われますが、あまりにひどいなら、別居もしてもいいかもしれないというのもあるし、アルコールなどだと、入院も必要になるケースもあるようです。

 人に依存してしまうというケースも多いようです。共依存関係になってしまうケースと、発達障害者のほうだけ依存したがって、「周辺者」が逃げたがるなんてケースも多く、こういうケースだと、家族、友達だとしても、「無理して付き合わないこと。犠牲者にならないこと。代行、援助は行わないこと。本人ができる努力をしていこうとしないなら、見放してください」というきつい注意が本に書かれていることが多いようです。

 当てにする人がいると、治りにくいために治療の一環として、見放しというのも必要になるらしく、かなり驚きました。代行、援助は、「発達障害者」が自覚があり、取り組むケースのみ、必要最小限のものを、お医者さんや発達障害のことを相談している行政の人と相談しながら、考えていく必要があるようです。

 お医者さんに相談したほうがいいと、本に書かれているのは、そういう理由だそうです。

実態に合ってない支援

 発達障害者の人は、できることとできないことの差が大きいそうです。そして、能力が高いのに、ミスが多いとか、会話に問題があって、意思の疎通が図れないけれど、知識は多い。というIQの高い人ばかりじゃありません。「80前後です。できないことだらけで、ミスだらけで、もう嫌になる。何のために生まれてきたの?」という悲惨の意見の人もいれば、「IQは130です。学校の成績は上位です。なのに、行動を起こすとミスが多いのです。なぜ?」「知識はありますが、雑談が苦手で、コミュニケーションが取れません」という人もいます。この差が、発達障害の支援が現状に合っていない原因の一つのようです。

 レベルが高いのに、平均レベル以下の人の支援のセミナー、ワークに参加してしまう。こういう人も多いです。紹介されたからという理由で、苦痛ながらも続けてしまう人もいるようです。ばかばかしくなっていかなくなる人もいるようです。反対に、ついていけない。個別指導してほしいと思っている人もいるようです。

 発達障害者の人は支援をしてもらっても、本人の力量に合っていないと苦痛になり、やる気が薄れていきます。セミナー、ワーク、作業所など、紹介を受けても、「こんなのしても、俺に合ってない」「やりがいがない」となるそうです。「俺は、ここまでひどくない」という人もいるため、状態には合ってないようです。

 発達障害以外の人でも、働いている会社、所属しているグループ、通っている学校など、状態に合ってない場所もありますが、場所に合わせて、行動を変えることができる人も多いです。よけいなことを言われても、できない点を指摘されても、すねたりせず、「適当に流す。必要な部分だけ聞く」という取捨選択行動ができたりします。ところが発達障害者は、この取捨選択を、「全部聞いておきたい」というASDのまじめな人もいるし、「興味ないから聞かない」「忘れる」というASD、ADHDの人もいます。「覚えておけないんだ」というADHDの人もいます。取捨選択して、自分に合った方法に慣れ、場所に合わせて行動ができるようになるまで、かなりの時間がかかるようです。適応は難しく、やがて、「面倒だから逃げる」「俺、ここまでひどくないよ」と腐るようになります。

 個別指導をしてもらえる環境というのを、子供のうちからやってもらえる年齢ではなくなって、大人になってしまい、それでも、ミスが多いとなると、家族、会社の同僚、そのグループのほかのメンバーにしわ寄せが来ます。
 「周辺者」は、発達障害の人と脳の動きが違います。定型発達の人同士でも、考えも脳の働きも違うので、戸惑いますが、発達障害の場合は、「どうして、そこで傷つくの?」「どうして、そうやって考えるの?」と思ってしまうぐらい、定型発達の人は、合わせるのが難しく、それを「私に合わせた支援をしてよ」「配慮をしてよ」とお願いされても、想像するしかないため、行政の担当者も、そして、発達障害の身近にいる「周辺者」も、「どこを、どうしたらいいの?」と気を使って、言えなくなることも多いです。希望通りの支援は、発達障害の症状が出ている人が、支援者のケースなら叶うのかもしれませんが、実際は難しいようです。

 問題が起きたところを、適切に支援してもらえるグループになれるように、発達障害の症状が普及すればいいのにという意見をよく見かけます。ほかの障害の症状は普及しているでしょうか? 目の見えない人のための介助犬の導入、エレベーターの設置後の、周りの人の支援は行き届いたでしょうか? なかなか普及していない気がします。ほかの障害の人でも、ハード面を整えて、そして、周りの人が動けるようにするソフト面の普及は、その後、何度も改善されたり、ニュースで取り上げられたり、学校や会社で導入されたりして、やっと、社会的レベルの浸透につながっている状態です。足の不自由な人、目の見えない人は、ずっと、長いこと、存在していても、なかなか支援してもらえなかったのですから、発達障害という名前がやっと知られてから、その症状の正しい知識が普及するのは、気が長くなるぐらい遠い先のような気がします。

 実態に合っていない支援だと嘆くよりも、「自分ができることの努力をしたほうがいいよ」というのが、発達障害者の人のための行動のような気がします。「周辺者」ができるのは、今の実態に合っていない支援の中で、できる行動は何かを、考えることなのかもしれません。診断を受けるほどじゃないグレーゾーンの発達障害者の人が、自分で、周りの人に説明ができるような、そういうマニュアルを行政が作ってくれるようなシステムがあったりしたらいいのかもしれません。行動特性表があれば、どんな場所でも、その人に合った支援を周りの人も考えやすくなるからです。
 
 行政がしてもらえないのであれば、自分なりに未熟なりに手探りで作っていくしかなく、グレーゾーン、診断が出てもお医者さんに通わない発達障害のそばにいる人が手伝って、行動特性表を作成してもいいかもしれません。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医