会話で、たくさんの言葉のやりとりをしたはずなのに、どうしても意志の疎通が図れない。そんな状況がASDの症状になるようです。
言葉について、遅れがないと言う人も多いようですが、診断を受けた方のコメントで多いのが、「小学生時代から、怒られてばかり」「居残りでやらされた」「運動などもできなかった」と、自分で自覚症状がある人も多いようです。高校、大学を卒業後、就職までできているけれど、そこで発覚したと言う「当事者」と怒られてばかりいて、何かおかしいと気づいたという「当事者」で、大きな開きがあるようです。これが個人差となります。知能指数だけでははかれないようですが、ウエイクスラー検査などをしたら、より、わかりやすく、自分の苦手分野がはっきりするようです。
そもそも、自分を振り返ることが一切できない「当事者」から、少しは空気が読めるけれど、という「当事者」まで、開きが大きすぎるので、診断を受けて、自分に合った支援を受けると言うのがいいのですが、すでに成人で発見されたと言うケースの場合は、自覚なしという人も多いようです。この場合は、知能指数は低くない人が多いらしく、中には、知能指数がとても高いと言う人も含まれます。
想像性の部分で、個人差が多いので、ここが、致命的にわからない人から、一般感覚を親や友だちに教えてもらってきたと言う人まで、差があります。
会話で、言葉の量をたくさん伝えていても、実際にイメージのやりとりをしないと難しいのが、ASD。イメージを伝えるのに必要なのは、「当事者」が自覚していること、「当事者」が、一般感覚を知りたいと思っていること、「当事者」がトラブルを減らしたいと思っていること。この心ができてないと、イメージの一致は難しいようです。
イメージが一致して、初めて、お互いの感覚の違いを尊重し合えますが、それまで、膨大な時間がかかるのが、ASDの療育。それを大人になってから始めると、なかなか難しいので、応急処置程度。つまり、「苦手な分野は、手を出さない」「自己主張しない」「判断する人にならない」「リーダーの役目は降りる」「二重チェックをしてもらう」「途中確認をしてもらう」などぐらいしか難しいようです。
応急処置は、「周辺者」に手伝ってもらう分野が多いので、味方になってくれる人を作ることも、SSTとして必要になります。言葉を丁寧にして、頼み、ただし、頼む範囲は理解する。相手に断られても、言い張らない。あとで気づいたときに謝る。などの、行動が必要になるようです。