発達障害というのは、目が見えない、耳が聞こえない、手足などが動かない、動きづらいなどの身体障害の人のようには、表だってわかりづらいです。性格的に、「かなり言い張る人だな」「どこか、ずれている」「なんで、同じやり方ばかりするのだろう?」「トラブルが多いのに、わかってない」となって、空気が読めない人というくくりにされてしまうケースが多いようです。ただし、その程度が、積極奇異型のアスペルガーだと、学生時代に発見されやすく、でも、時代によっては、流されてきてしまったことも多いようです。孤立型の場合は、おとなしい人、変わった人と見えるケースと混同されがちです。
受動型の場合は、おとなしく、主体性がない人、優柔不断な人のように見られがちです。
すべてのケースで、気づかれなくて進んでしまうのは、見た目に出ていない、そして、障害だとは思わず、「性格的に、トラブルが多い人」とくくられて、流されているからです。年齢が上がって行くにつれて、社会適応を身につけるのではなく、トラブルになりそうなとき、「だまっていたほうがいい」「違う言い方をした方が、怒られない」なんてことだけ、経験として身につけているケースが多いらしく、公共の場で会う程度、あまり深く関わらない程度だと、まず、わからないようです。
見つかったケースで多いのは、生まれた子供が、途中で保育士さんや先生に指摘されたから、親も調べて、自分もそうだったと気づいたケース、うつ病などの、ほかの精神の病を患って、見つかったケースが多いようです。
自分で、気づいて、お医者さんに行きましたと言うケースもちらほらありますが、ほとんどが、自覚がなく、トラブルの数が多すぎた、思いっきりトラブルがあったなどで、見つかったケースが多いようです。
そばにいる人たちが、トラブルだらけで、もう、無理だと気づいた後、「周辺者」が疲れ切った後に、発達障害の症状があるのでは?と気づくケースも多く、その場合は、切り替えに、受け止めるのに、症状を理解するのに、数年かかりましたと言うのが、「当事者」「周辺者」の意見で多いようです。もがいたあげく、「どうやっても、できないことが多い。難しかった」と、理解して、症状を受け止め、もしくは受け流して、無理をしないで、関わりを抑えてやっていくと言う形になっていくことが多いようです。