始めに

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努力目標で、義務じゃない

 発達障害の症状がある「当事者」の人は、症状について、どう対応していくかを決めるのは、仕事や学校以外で見つかった場合は、努力した方が好ましいと言う状況で、あくまで目標であり、義務にはなっていないのが実情です。法律が変わってから、学校で見つかりやすくなりました。職場でも見つかりやすくなり、うつ病などのほかの精神の病を疑ったら、見つかりましたと言うケースも多数あります。

法律が変わる前の、発達障害の症状を持ったまま大人になってしまった人は、どうなるかというと、よほどのことがない限り、本人が気づかないままで、そのままになっているようです。自己破産しても気づかない、会社を首になりまくっても、気づかない、周りに怒られ続けても、気づかない。と言うケースが多数あります。それは、インターネットの書き込みの内容と数だけ、あるということになります。

義務じゃないので、「当事者」は、自覚なしだと、そのままです。よって「周辺者」が困り続けます。お医者さんとして言えるのは、「無理しないでください」「逃げてもいいですよ」「尻拭いはしなくてもいいですよ」「あなたの範囲だけ考えましょう」となっているようです。

そもそも、「浮気してはいけないって、なぜ?」「お金を使いすぎていけないと知りません」「借金して、なぜ、だめなのですか?」「トラブルって、周りが騒いでいるだけで、俺は自然に任せている」「好き好んで、この脳で、生まれていません」という状況であり、義務じゃない以上、努力してくれないと嘆く以外は難しくなっています。

ただし、トラブルだらけなので、「周辺者」は、断ると言う権利、自分の生活を守ってもいいと言う権利はあるようです。この辺が、「当事者」「周辺者」とも、困惑するところになるようです。お互いに、「なぜ、困っているのに、わかってくれないのだろう」となるからです。これを埋めるには、「当事者」「周辺者」は、お互いの感覚を勉強するしかないようです。

 感覚を勉強したとしても、それを理解できる「当事者」ばかりではないようで、どれだけ説明してもわからない「当事者」もいれば、高い知能で、すぐに知識として把握していく「当事者」まで、様々のようです。
 把握して、対応していく「当事者」はいいですが、理解もできない、わからない、本すら読めない「当事者」の場合は、「骨折しているのに、走れ
!!」と言うぐらい状態だそうです。「目が見えない人に、初めての場所でも動け」と言うぐらい、無茶な状態だそうです。症状を理解して、その人に合った方法を見つけて、妥協点が見つけて行ける発達障害者の人と「周辺者」は考えていくことはできますが、症状を理解せず、自分の状態に合ってないことを、「周辺者」の気持ちを考えない要求をされた場合は、断った方がいいようです。

個人差がありすぎる、発達障害の「当事者」の状況。「浮気するなんて、ひどい」「まだ、借金を繰り返すの?」と症状が重すぎる「当事者」に言うのは、「そんなの、お前の世界の出来事だ。俺の世界では違う」と、それも、「当事者」にとっては、要求が過剰に感じるようです。
何が、正解なのか、難しいところですが、一般の社会基準だけじゃなく、障害の「当事者」ができる範囲も考慮して、判断していくしかなさそうです。


ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医