発達障害者の要求を聞いていると、症状のない「周辺者」も苦痛を感じているけれど、逃げればいいのにと思います。ところが、騒音、におい、その他の五感に関することは、エチケット範囲になるため、苦情が言いづらく、なかなか言い出せません。周辺者はどうしているかというと、我慢するか自衛します。ところが、我慢ができないために癇癪を起しやすいのが発達障害者になります。
では、どちらが行動を変えたほうがいいのでしょうか? エチケットの範囲だと、結局、気づかないからやってしまっている人が多く、気づかない範囲まで口出しづらいので、我慢する、自衛するのが一般的になります。発達障害者の人は、「合理的配慮をしてください」と法律から思っているようですが、行政の場所だと配慮をしたほうがいいようですが、民間は、努力目標なので、苦情は聞いてもらえますが、配慮をしてくれるかどうかは、違ってきます。発達障害者の人のほうが、自衛手段を取ったほうが、とりあえずはいいのかもしれません。
騒音……耳栓を、複数用意する。100均でも売ってます。
匂い……気つけ薬のように、リセットできる何かを持ち歩く。アロマとかの小瓶など。
目に入る情報……サングラスを用意して、しばらく落ち着くまで、ベンチなどで休む。目とつぶる。
味……好みのものを、コンビニで見つけておいて、代用品を考えておく。お弁当を自分で用意する。出されたものに関して、文句を言わない方がいい。レストランなど、金銭での代価で出されたものは別です。
肌ざわりなど……お好みのものを、揃える。ここは我慢するのが耐えられない人も多いようなので、普段から、自分の気に入るものを、わかっておいた方がいいようです。
普段からできるのは、サングラスと耳栓を、外出の時に持ち歩くしかないようです。イライラしやすい場合の対策を、お医者さん、支援者などに相談して、考えたほうがいいようです。「周辺者」も我慢しています。耐えられないときもありますが、お互いに、なにが苦痛かなんて、人それぞれだということを分かり合えない障害のようです。
身近な人に「ASD、ADHD」の症状が出たら? どうしたらいいのか、本、資料、インターネット情報をまとめています。現在、カサンドラ症候群状態です。その記事も載せています *前はアスペルガーと表記していました
単語がわからなかったら?
発達障害者の行動は、日本人が英語が聞き取れなかった場合と似ているようです。日本人のほとんどは、英会話はできません。英単語は聞き取れます。この状態が発達障害者が会話を聞き取るときに起きる状態に似ている人もいるそうです。IQが高い方は、その状態は少ないようです。単語だけ聞いている理由は、様々だそうです。会話についていけない。途中で、聞いているうちにわからなくなった。切り替えポイントが出ていても気づけなかった。単語のイメージがずれてしまっている。同音異義語があると、選択できない。などなど。たくさん理由があるそうです。
同音異義語は、似たような意味合いのものもあるので、会話では、見分けがつかないのですが、似ている意味なら、何とかついていけるようです。問題は、単語は聞き取れたけれど、それで会話が理解できたかということです。単語だけ聞き取って、英語を聞き取ったなんて言う日本人はいません。ところが、発達障害者の中には、その状態に違和感を感じなくて、ほかの人も単語しか聞いてないだろう。もしくは、気づけない。そういう人もいるそうです。単語しか聞いてないのに、会話ができていると思い込んでしまうそうです。たどたどしい、英語しか話せない日本人とは会話を続けないといけない状況じゃない限りは、外国人は話そうとはしませんが、日本語は話せているはずの発達障害の「当事者」だと、会話ができているから、大丈夫と錯覚してしまう状況になってしまいやすいのが、発達障害の症状です。
単語だけしか聞き取れなくて、天然ボケな発言をしたら、教えてくれる人がいますが、聞き取れないのに、思い込んで、「私が絶対に正しい」と持論を振りかざしてしまう発達障害者もいます。それは症状になるのですが、自覚がないと、大変です。自覚があっても、周りの人は、いちいち説明してくれるケースばかりではありません。発達障害者の人が、おとなしい人、まじめな人、言い張らない人で、そばにいる人が親切な人が多い、時間の制約がなくて、教える時間があると、教えてもらえる可能性は高いです。それ以外だと教えてもらえないかもしれません。
単語がわからなかったら、症状がない「周辺者」たちは、どうやっているかというと、「流す」「わからなくても、調べない」という人や、「一応、調べておく」「こっそり後で、知っている人に教えてもらいに行く」などの人が多いです。その場で、「その意味、なによ?」とはっきりと聞くことをするのは、大人になると少なくなります。場の空気や時間の制約もあるため、聞きづらい場合も多いからです。
では、発達障害者はどうするかというと、はっきりと「こっちじゃないの?」と大きな声で聴いてしまう人もいます。「わからないからいいや」と流してしまう人もいます。「調べるって、どうやって?」と迷い続ける人もいます。この部分は、性格もあるので、どれを選ぶかは「当事者」の行動によってきまります。これで、発達障害があるか、ないかで、なにが違ってくるかというと、修正力があるかどうかです。発達障害の人が少ない環境で、いつも失敗する人というのは、意外と決まっています。グループによっては、「たいてい、この人が間違える」「たいてい、この人が聞いてない」と分かっているので、その人だけ重点的に教えるか、間違えないように誰かがフォローするか、それとも、その人は責任のあるようなことは、最初から頼まない、任せないなど、グループであらかじめ行動を決められます。
発達障害の症状がある「当事者」がいるとどうなるかというと、「当事者」のフォローができる人がいるか、フォローしたいと思っている人がいるかどうかで決まってきます。発達障害の人は、思い込みがあり、勝手に脳内で考えてしまっているので、「周辺者」は予測がつきません。それが重なると、そばにいる「周辺者」は支援疲れを起こしていたり、「関わりたくない」と思って距離を取っていたりして、フォローしない状態で行く場合があります。理由は、コミュニケーションが壊滅的にできない場合があるからです。そういう状態では、単語がわからなかったら、誰が調べるかというと、誰も調べないままとなり、発達障害者が自分でやっていくこともなく、ミス連発、ほかの人のせいにして、逃げる人が続出して、問題だらけで、「当事者」が「なんで、どうして?」といい続けて、なんて、状態になります。
単語がわからなかったので、「調べよう」という気持ちになる発達障害の「当事者」は少ないようです。この、単語がわからなくて、調べる気持ちが「当事者」にあるかどうかで決まってくるようです。
同音異義語は、似たような意味合いのものもあるので、会話では、見分けがつかないのですが、似ている意味なら、何とかついていけるようです。問題は、単語は聞き取れたけれど、それで会話が理解できたかということです。単語だけ聞き取って、英語を聞き取ったなんて言う日本人はいません。ところが、発達障害者の中には、その状態に違和感を感じなくて、ほかの人も単語しか聞いてないだろう。もしくは、気づけない。そういう人もいるそうです。単語しか聞いてないのに、会話ができていると思い込んでしまうそうです。たどたどしい、英語しか話せない日本人とは会話を続けないといけない状況じゃない限りは、外国人は話そうとはしませんが、日本語は話せているはずの発達障害の「当事者」だと、会話ができているから、大丈夫と錯覚してしまう状況になってしまいやすいのが、発達障害の症状です。
単語だけしか聞き取れなくて、天然ボケな発言をしたら、教えてくれる人がいますが、聞き取れないのに、思い込んで、「私が絶対に正しい」と持論を振りかざしてしまう発達障害者もいます。それは症状になるのですが、自覚がないと、大変です。自覚があっても、周りの人は、いちいち説明してくれるケースばかりではありません。発達障害者の人が、おとなしい人、まじめな人、言い張らない人で、そばにいる人が親切な人が多い、時間の制約がなくて、教える時間があると、教えてもらえる可能性は高いです。それ以外だと教えてもらえないかもしれません。
単語がわからなかったら、症状がない「周辺者」たちは、どうやっているかというと、「流す」「わからなくても、調べない」という人や、「一応、調べておく」「こっそり後で、知っている人に教えてもらいに行く」などの人が多いです。その場で、「その意味、なによ?」とはっきりと聞くことをするのは、大人になると少なくなります。場の空気や時間の制約もあるため、聞きづらい場合も多いからです。
では、発達障害者はどうするかというと、はっきりと「こっちじゃないの?」と大きな声で聴いてしまう人もいます。「わからないからいいや」と流してしまう人もいます。「調べるって、どうやって?」と迷い続ける人もいます。この部分は、性格もあるので、どれを選ぶかは「当事者」の行動によってきまります。これで、発達障害があるか、ないかで、なにが違ってくるかというと、修正力があるかどうかです。発達障害の人が少ない環境で、いつも失敗する人というのは、意外と決まっています。グループによっては、「たいてい、この人が間違える」「たいてい、この人が聞いてない」と分かっているので、その人だけ重点的に教えるか、間違えないように誰かがフォローするか、それとも、その人は責任のあるようなことは、最初から頼まない、任せないなど、グループであらかじめ行動を決められます。
発達障害の症状がある「当事者」がいるとどうなるかというと、「当事者」のフォローができる人がいるか、フォローしたいと思っている人がいるかどうかで決まってきます。発達障害の人は、思い込みがあり、勝手に脳内で考えてしまっているので、「周辺者」は予測がつきません。それが重なると、そばにいる「周辺者」は支援疲れを起こしていたり、「関わりたくない」と思って距離を取っていたりして、フォローしない状態で行く場合があります。理由は、コミュニケーションが壊滅的にできない場合があるからです。そういう状態では、単語がわからなかったら、誰が調べるかというと、誰も調べないままとなり、発達障害者が自分でやっていくこともなく、ミス連発、ほかの人のせいにして、逃げる人が続出して、問題だらけで、「当事者」が「なんで、どうして?」といい続けて、なんて、状態になります。
単語がわからなかったので、「調べよう」という気持ちになる発達障害の「当事者」は少ないようです。この、単語がわからなくて、調べる気持ちが「当事者」にあるかどうかで決まってくるようです。
障害者のスキルレベル
発達障害の症状がない人は、一般スキルを、日常生活で学んでいきます。家庭、学校、友達、職場、いろいろなグループで、その場所で出会った人たちが教えてくれたり、自分で学びます。
ところが、発達障害の症状を持っている発達障害の「当事者」の人たちは、症状がない人が学べることを、スムーズに理解ができません。そのために、別に研修が必要になります。子供のころに発見された場合は、「療育」という形で研修を受けます。大人になっていた場合は、SSTセミナー、デイケア、就労支援施設での研修などの方法で、一般社会スキルを学んでいきます。
発達障害の「当事者」の一般社会スキルレベルは個人差があります。(定型発達の社会スキルレベルとは違います)
スキルレベル 高い
発達障害の症状に自覚がある。自分の症状をほとんど把握している。
発達障害の症状に合わせた対応方法を理解している。把握している。
定型発達の人の脳の動きをある程度理解している。
薬など、お医者さんに通って、症状が安定している。
認知行動療法が必要じゃないレベルまで達している。
会社で、ジョブコーチに指導してもらわなくても、仕事に支障が出た場合の対処法を学んでいる。
スキルレベル 中
高レベルの人の半分ぐらいの状態になっている。
症状の理解は、半分ぐらいはわかってきた。
症状に合わせた対応方法は理解したけれど、まだ、実行すると不安定だ。
定型発達の人の脳の動きとの違いは、分かりつつある。
定型発達の人の脳の動きとの違いは、分かりつつある。
お薬の効果がある時間は、安定しつつある。
認知行動療法は受けているけれど、どうしたらいいのか、わかってきている。
ジョブコーチをつけてもらって、仕事の場での安定を模索している段階。
スキルレベル 低め
発達障害の症状の勉強は初期段階。
自分の症状の自覚が弱い。
対応方法まで学べる余裕がない。
人に聞いてばかりいるけれど、持論を言い張ってしまう。
定型発達の人の脳の動きをよくわかっていない。
定型発達の人の脳の動きをよくわかっていない。
お医者さんに通うかどうか迷っている。もしくは、通っているけれど、薬の検討を考えている段階。もしくは、薬の量の調整段階。
認知行動療法まで、やってもらっていない。もしくは、認知行動療法をやり始めたばかり。
ジョブコーチがつく前。もしくは、ジョブコーチを付けたばかりで、なにがなんだかわかってない。
日常生活で安定し始めるのは、中レベルを超えてからになります。つまり、中レベル以上じゃないと、日常生活もお仕事も、どんな場所に行っても、安定はせず、周りは困惑する状態になります。発達障害の人は、中レベル以上は目指さないと、周りの人は、困り続けることになります。
発達障害の段階に合わせて、日常生活でも、お仕事の場でも、「周辺者」のサポートが変わってきます。
言葉での折り合いがつけられません
発達障害の人との会話で、「この人、なんで、自分の希望ばかり口にして、相手の言葉を聞かないのだろう?」という流れになることも多いです。理由は、
「相手が何かを言っているのは、わかるけれど、俺の気持ちは、相手はわかっているので、それを伝え続ければ、受け入れてくれさえすれば、うまくいくだろう」
「事情はともかく、抑えられない。自分の希望を伝えているのに、理解力がないな。なんて、物分かりの悪い相手なのだろう?」
「俺が困っているのに、なぜ、わからないのだろう?」
などなど、心の中は、そのことでいっぱい。
「希望通りにならない!!! キー!!!」
となるそうで、周りの人は、「自分の希望だけ叶えばいいと思ってるの?」と不思議でたまりません。症状を知っている人たちでも、「症状だとわかっているけれど、さすがに全部、合わせられない。こっちの都合もある」となっていき、それが続くと、「勘弁してくれよ」「さすがに悪気がなくても、疲れるよ」となっていき、最後は、「逃げる」という流れになりやすいです。
言葉で、お互いに折り合いなんて、まず、つけられない。それが発達障害の人の症状です。自覚があっても、「わかっているけれど、つい、自己主張したら、相手が受け入れてくれそうに感じる」と錯覚するそうで、「受け入れてくれると錯覚する」という理由は、実は、相手の遠慮、気がね、全体を見ての判断、場の雰囲気から我慢しているだけ、本当はかかわりたくなくて逃げたかったけれど、言い出せないだけ。という状態だったりします。はっきり言われないので、発達障害の「当事者」は、「もっと、強く言えば、受け入れてくれるし、自分の意見が通るはず」と錯覚するようです。
そして、受け入れてくれるかというと、「愛想をつかしてますが、わからないようです」という書き込みが多くみられるのが、実態のような気がします。「困っているのですが、いくら言ってもわかってもらえません」とお互いが言い合っている。それは症状からくるものですが、止まらない負の連鎖のような気がします。
「折り合いはつけられない」それをわかりだすのは「周辺者」のほうが圧倒的に早いです。慣れている人は、さっさと逃げます。親切な人、逃げられない立場の人が言い出せずに、ストレスが溜まっていき、ノイローゼになったので、会社を辞めましたなんてコメントも並んでいます。発達障害の当事者のほうは、「なんで、怒られたの?」「なんで、受け入れてもらえないの?」で、思考が停止します。
自覚があり、発達障害者が「主張するのをやめる」という状態になるまでは、言葉の折り合いはつけられない。そういう症状です。
「当事者」が自覚して、当事者が症状を知る。それが抑止力となるようです。自覚していない発達障害者の人と言葉で議論は難しいようです。医者に診断を強制的に受けさせられる環境に、日本はなっていないので、結局、「医者に行かないまま、自覚ないまま、自己主張が強い、発達障害者がたくさんいる」という状態のままのようです。
「相手が何かを言っているのは、わかるけれど、俺の気持ちは、相手はわかっているので、それを伝え続ければ、受け入れてくれさえすれば、うまくいくだろう」
「事情はともかく、抑えられない。自分の希望を伝えているのに、理解力がないな。なんて、物分かりの悪い相手なのだろう?」
「俺が困っているのに、なぜ、わからないのだろう?」
などなど、心の中は、そのことでいっぱい。
「希望通りにならない!!! キー!!!」
となるそうで、周りの人は、「自分の希望だけ叶えばいいと思ってるの?」と不思議でたまりません。症状を知っている人たちでも、「症状だとわかっているけれど、さすがに全部、合わせられない。こっちの都合もある」となっていき、それが続くと、「勘弁してくれよ」「さすがに悪気がなくても、疲れるよ」となっていき、最後は、「逃げる」という流れになりやすいです。
言葉で、お互いに折り合いなんて、まず、つけられない。それが発達障害の人の症状です。自覚があっても、「わかっているけれど、つい、自己主張したら、相手が受け入れてくれそうに感じる」と錯覚するそうで、「受け入れてくれると錯覚する」という理由は、実は、相手の遠慮、気がね、全体を見ての判断、場の雰囲気から我慢しているだけ、本当はかかわりたくなくて逃げたかったけれど、言い出せないだけ。という状態だったりします。はっきり言われないので、発達障害の「当事者」は、「もっと、強く言えば、受け入れてくれるし、自分の意見が通るはず」と錯覚するようです。
そして、受け入れてくれるかというと、「愛想をつかしてますが、わからないようです」という書き込みが多くみられるのが、実態のような気がします。「困っているのですが、いくら言ってもわかってもらえません」とお互いが言い合っている。それは症状からくるものですが、止まらない負の連鎖のような気がします。
「折り合いはつけられない」それをわかりだすのは「周辺者」のほうが圧倒的に早いです。慣れている人は、さっさと逃げます。親切な人、逃げられない立場の人が言い出せずに、ストレスが溜まっていき、ノイローゼになったので、会社を辞めましたなんてコメントも並んでいます。発達障害の当事者のほうは、「なんで、怒られたの?」「なんで、受け入れてもらえないの?」で、思考が停止します。
自覚があり、発達障害者が「主張するのをやめる」という状態になるまでは、言葉の折り合いはつけられない。そういう症状です。
「当事者」が自覚して、当事者が症状を知る。それが抑止力となるようです。自覚していない発達障害者の人と言葉で議論は難しいようです。医者に診断を強制的に受けさせられる環境に、日本はなっていないので、結局、「医者に行かないまま、自覚ないまま、自己主張が強い、発達障害者がたくさんいる」という状態のままのようです。
発達障害の一括情報サイト
発達障害に対して、調べるのに、たくさんのサイトを渡り歩かないと、情報は集められない仕組みとなっています。行政、お医者さん、SSTセミナー、自助会、民間の業者のケアの内容、ボランティア募集、ヘルパーの情報、書籍、講演会、支援者団体、支援施設などの情報です。
お仕事情報、児童の障害者は、また、別のサイトでまとめたほうがいいかもしれません。
「こういう情報が欲しい」「これに困ってる」「こんな書籍が欲しい」「発達障害者のそばにいますが、どこに行ったらいいの?」「発達障害に対して、わからないことだらけ。お医者さんに通うほどじゃないと思ってます」「年齢が高すぎて、行ってもしょうがないと思うけれど、子供と疎遠になっていて」「ヘルパーが欲しいけれど、やっぱり補助はしてもらないのでしょうか?」
などなど、「よくある質問の答え」サイトもまとまっていると、安心になる気がします。発達障害者支援センターにお越しください。その場所は都道府県内で、「え、そこまで行けない」「行っている暇がない」「交通費がかかりすぎて、とても無理」という人も多い気がします。そういう人のために、サイト発信してもらえたらと考えます。
不安になりやすい発達障害は、その状態から、性格的に問題がある人と、発達障害と混同されて、知られている部分がある気がします。しっかりした一括情報サイトがあって、誰でも閲覧することができる状態になったら、不安が解消される気がします。コメントなどを受け付けない、発信だけなら、サイト管理も、比較的楽だと思うので、考えてもらえたらと思います。
お仕事情報、児童の障害者は、また、別のサイトでまとめたほうがいいかもしれません。
「こういう情報が欲しい」「これに困ってる」「こんな書籍が欲しい」「発達障害者のそばにいますが、どこに行ったらいいの?」「発達障害に対して、わからないことだらけ。お医者さんに通うほどじゃないと思ってます」「年齢が高すぎて、行ってもしょうがないと思うけれど、子供と疎遠になっていて」「ヘルパーが欲しいけれど、やっぱり補助はしてもらないのでしょうか?」
などなど、「よくある質問の答え」サイトもまとまっていると、安心になる気がします。発達障害者支援センターにお越しください。その場所は都道府県内で、「え、そこまで行けない」「行っている暇がない」「交通費がかかりすぎて、とても無理」という人も多い気がします。そういう人のために、サイト発信してもらえたらと考えます。
不安になりやすい発達障害は、その状態から、性格的に問題がある人と、発達障害と混同されて、知られている部分がある気がします。しっかりした一括情報サイトがあって、誰でも閲覧することができる状態になったら、不安が解消される気がします。コメントなどを受け付けない、発信だけなら、サイト管理も、比較的楽だと思うので、考えてもらえたらと思います。
得意なことはものすごく覚える。まったく覚えないこともある。
不思議に感じますが、同じ人なのに、落差のある行動がたくさんあるのが、発達障害のようです。「勉強はできます。でも、記憶が悪いです」意味不明で、何のことなのか、わからずに確かめると、本に書いてあるものは、覚えられる。行動で見ると覚えられない。さっき聞いたことを忘れる。理路整然とした、体系づけられたものは覚えられる。でも、漠然とした、ふわーとしたものは覚えられない。
この差は、「当事者」じゃないとわかりません。「国語は得意です。数学は苦手です」のように、共通した認識があれば、理解はできます。学生時代に、そういう人をいくらでも目撃しているので、違和感もありません。でも、耳で聞いたことが、全部抜けていきます。でも、勉強はできます。という生徒を、あまり知らないのではないかと思います。本人も気づいてなかった。「社会人になって、自分で知りました。怖くなりました」という発言も多く書き込まれています。
単語だけしか聞いてない、覚えてない、時系列で並べられると覚えられない、メモで並んでいても、並べ方に違和感を感じて、覚えられない。順序が逆になるだけでパニックになる。いろいろな症状から、「覚えられません」と言われても、個人差がありすぎて、周りの人は、違和感を感じます。
しっかりと症状を知り、その症状に合った対応方法が確立されて、福祉の面が充実し、働く環境も、家庭環境も、整えてくれるのを手伝ってもらえる。なんて言う状態には、すぐにはならず、「自分で、マニュアルを作ってください」というのが、発達障害者の人たちの自己防衛の方法のようです。
マニュアル作成ソフトがある、マニュアル作成の補助を行政がしてくれる、マニュアル作成の支援者がいる。なんて、環境にならないと、難しいのかもしれません。
3大困り項目
金銭問題、意思表示、会話の理解。これが三大困り項目のようです。経済的不安が一番強いらしく、続いて、自分の思ったことを発信する意思表示と、相手の会話の内容を理解できないことが多い、会話の理解。これが一番、困っている発達障害の当事者が多いようです。「周辺者」の場合は、お仕事関係の人は、意思の疎通が図れないのが一番なのかもしれません。家族関係だと、金銭も、意思の疎通もあるし、人間関係が一番、困るのではないかと思います。
ADHDとASD、どちらが多く、行政に相談に通っているかというと、「ADHDの人は、人口の5%の人がいると言われているけれど、自覚がない、性格の範囲と言われているから、実際に、トラブルになりやすいASDの人のほうが多いんじゃないか?」と言われているようです。ADHDとASDの両方の症状を持っている人、さらに、重ねて、統合失調症、うつ病、双極性障害、解離性障害、依存症、LD、チック、などなど、たくさんの合併症もあるそうです。発達障害で、一番、みんなが困っているのは、やはり、「お互いの意思の疎通がはかれない」部分のようです。
ほかの部分は、ヘルパー、家族の支援があると、違う人も多いので、相談しない人も多いのかもしれません。ADHDで依存症があり、アルコール、暴力、ギャンブル、浪費などで、借金や、そのほか、家族が逃げてしまいやすい状態で、「当事者」が困って相談にくる場合は、相談するようですが、「困り感がない人も多い」障害になります。本当に困り切っても、「俺は、そんなに弱くない」「家族が支えてくれたらいいんだ」と言い張る人もいるようです。
意思の疎通が図れない場合、発達障害の人が、調べたいことを調べる場合、もしくはリマインダーのお知らせ機能などを使う場合、クラウド検索する人工知能で、フォローがしてもらえる時代が来るといいですが、人工知能も、「検索ワード」を考えるのは、人間のほうになります。音声認識も、間違えないかどうかを確かめるのも人間です。人間が使いこなせなければ、意味がなく、それを使いこなせない発達障害では、難しいかもしれません。
現場での対応も、周りが発達障害の症状を知っている人が通訳をしたほうがいいかもしれません。支援者、サポーターは、お仕事の支援では、行政が働きかけをしていますが、数は少ないし、ファミリー、学校バージョンは、まだまだのようです。
現場での対応も、周りが発達障害の症状を知っている人が通訳をしたほうがいいかもしれません。支援者、サポーターは、お仕事の支援では、行政が働きかけをしていますが、数は少ないし、ファミリー、学校バージョンは、まだまだのようです。
金銭管理はグレーゾーンの人も、金融機関に、発達障害者用の、フォロープランがあると違うかもしれません。オレオレ詐欺などに引っかかりやすいのも発達障害の特徴なので、考えてもらえたら、いいのにと思います。
意思の疎通は、行政法人で、「発達障害通訳派遣センター」というのができたらいいのにと思います。ジョブコーチだけでは、難しいと感じます。その行政法人に、自分の特徴を登録するシステムで、通訳が派遣されるようなシステムがあったらいいのかもしれません。
成人用のサポートノートが配布されています
発達障害の支援で、自分の住んでいる地域以外で、「発達障害」「成人用」「サポートツール」「サポートガイド」「サポートノート」「サポートブック」などを検索するとPDF形式、ワードで扱える形式のものが、行政のホームページからダウンロードができるところが、あちこち見つかります。でも、そのノートも自分に必ずしも必要な項目ばかりじゃないものが多いようです。目的が「就労支援」「お医者さん受診用」「生育記録」「心の状態」「行動記録」など、様々な形で、行政ごとに違っています。PDF、ワード形式は、編集をするソフトがあります。それらを使って、自分で編集して、自分で使いやすくしてから、白紙のルーズリーフに、余白設定をしてから印刷して、自分なりのマニュアルニートに活用してもいいかもしれません。著作権があったり、編集不可の場合もあるかもしれませんから、気を付けてください。個人で、使用する分には、大丈夫かもしれません。
ただ、成人用のサポートノートは、子供用のと一緒に配布されている場合が多いようです。成人用のほうが圧倒的にサポートツールの数は少ないです。
ワードなどの編集は、できる人も多いかもしれませんが、どうしてもできない場合は、近くにいる人や、支援を頼めそうな人にお願いするしかないかもしれません。
項目をチェックしておき、どうして、パニックになるのか、トラブル行動の整理などをノートに作っておいて、見直すことが、トラブルの予防策になるようです。新しい人間関係で、発達障害をカミングアウトしている人の場合は、共同作業があるような場合、相手とコミュニケーションが必要な場合は、それらのサポートノートの抜粋バージョンを作っておき、一枚の紙で渡せるように、複数をいつでも持ち歩いていたほうがいいかもしれません。病院などに通院する場合、看護婦さんが「発達障害の症状を知らなかった」というケースも多いようですし、学校の先生も「発達障害の名前と、漠然とした症状程度しか知らない。どんな配慮が必要なのかを知らない」という人もいるようです。もしも、頼めるのであれば、周りの人に、あらかじめ、どうやって動いたらいいのか、誰に紙を渡したらいいのか、などのサポートを発達障害の症状がある人は聞いておくのが、安全です。
発達障害のことを、仕事先の人、病院、学校、行政の担当者で「詳しく知ってますよ」という人が、まずいないだろうと思って行動して、ノートを作っておき、必要に応じて、一枚か二枚ぐらいにまとめて、サポートツールとして活用していくのも、いいかもしれません。
ただ、成人用のサポートノートは、子供用のと一緒に配布されている場合が多いようです。成人用のほうが圧倒的にサポートツールの数は少ないです。
ワードなどの編集は、できる人も多いかもしれませんが、どうしてもできない場合は、近くにいる人や、支援を頼めそうな人にお願いするしかないかもしれません。
項目をチェックしておき、どうして、パニックになるのか、トラブル行動の整理などをノートに作っておいて、見直すことが、トラブルの予防策になるようです。新しい人間関係で、発達障害をカミングアウトしている人の場合は、共同作業があるような場合、相手とコミュニケーションが必要な場合は、それらのサポートノートの抜粋バージョンを作っておき、一枚の紙で渡せるように、複数をいつでも持ち歩いていたほうがいいかもしれません。病院などに通院する場合、看護婦さんが「発達障害の症状を知らなかった」というケースも多いようですし、学校の先生も「発達障害の名前と、漠然とした症状程度しか知らない。どんな配慮が必要なのかを知らない」という人もいるようです。もしも、頼めるのであれば、周りの人に、あらかじめ、どうやって動いたらいいのか、誰に紙を渡したらいいのか、などのサポートを発達障害の症状がある人は聞いておくのが、安全です。
発達障害のことを、仕事先の人、病院、学校、行政の担当者で「詳しく知ってますよ」という人が、まずいないだろうと思って行動して、ノートを作っておき、必要に応じて、一枚か二枚ぐらいにまとめて、サポートツールとして活用していくのも、いいかもしれません。
マニュアルを読んでも、「違う箇所がある」場合
発達障害の症状はたくさんのものがあるようです。具体的な例を知っていくと、やがて、なんとなく、症状はわかってきますが、それは、症状がない人が想像する発達障害者の脳でしかありません。発達障害のお医者さんというのは少なく、そういう人が診断してくれるという状態にはなっていません。そして、グレーゾーンの人は、「診断してもらって、あとは自力で」という形で放置されている人も多いようです。就労支援が必要ないケースだと、行政も相談に乗りにくいし、お医者さんも、「家族相談までは、無理です」というのが実情です。
発達障害のグレーゾーンで、家族で考えないといけない部分は、自力で調べることが多くなり、そして、マニュアルを読んでも、「でも、うちのケースと違う」「合併症があるから、声かけの内容が違う」「アスペルガーがあるからADHDだけで考えられない」「依存症の対応方法と発達障害の対応方法が違っている」などがたくさんあります。総合的に判断してくれる人がいたならと、強く感じます。
お医者さんには、どこが悪いのかがわからない場合、総合的に判断してくれる科がありますが、発達障害の場合は、総合判断をしてくれても、家族や金銭問題までは、「ご自分で」「ご家族で」「職場で」となり、誰に相談して、誰と決めたらいいの? と迷宮入りします。
マニュアルを読んで、「ADHDでは、この方法でいいけれど、ASDがあるし、さらに学習障害があるし、そして、依存もあるし、解離性? 統合失調症? 躁うつ病?ここは弁護士に相談したほうがいいの?」一人でたくさんの症状があったりします。
そういうときのために、「総合的に、どこに相談に行ったらいいのかを紹介してくれるような、悩み事相談の、総合プランナーのような人がいたら、違う気がします。「ここは、ライフプランナーに、こっちは弁護士がいいでしょう。ここは人生相談の範囲なので、お近くの頼りになる方に、ここはお医者さんに、ここは、カウンセラーの範囲です」と仕分けしてくれたら、助かるのにと感じました。
そして、症状から、最適なお医者さん、弁護士さん、カウンセラーを紹介してくれる、なんていう夢のような、総合お悩み相談室が、行政にあったら、違うかもしれません。民間の相談所でも、多くの人が、相談したいと思うのではないかと思いました。子育ての相談、病気、金銭、人間関係の悩みなど、複合的に問題が絡んでいたら、とても、一人では抱えきれない人が多い気がします。そして、配偶者は、一人で決断しないといけなくなると、カサンドラ症候群にまで追い込まれます。
総合悩み相談所があったら、多くの人が助かるのかもしれません。
発達障害のグレーゾーンで、家族で考えないといけない部分は、自力で調べることが多くなり、そして、マニュアルを読んでも、「でも、うちのケースと違う」「合併症があるから、声かけの内容が違う」「アスペルガーがあるからADHDだけで考えられない」「依存症の対応方法と発達障害の対応方法が違っている」などがたくさんあります。総合的に判断してくれる人がいたならと、強く感じます。
お医者さんには、どこが悪いのかがわからない場合、総合的に判断してくれる科がありますが、発達障害の場合は、総合判断をしてくれても、家族や金銭問題までは、「ご自分で」「ご家族で」「職場で」となり、誰に相談して、誰と決めたらいいの? と迷宮入りします。
マニュアルを読んで、「ADHDでは、この方法でいいけれど、ASDがあるし、さらに学習障害があるし、そして、依存もあるし、解離性? 統合失調症? 躁うつ病?ここは弁護士に相談したほうがいいの?」一人でたくさんの症状があったりします。
そういうときのために、「総合的に、どこに相談に行ったらいいのかを紹介してくれるような、悩み事相談の、総合プランナーのような人がいたら、違う気がします。「ここは、ライフプランナーに、こっちは弁護士がいいでしょう。ここは人生相談の範囲なので、お近くの頼りになる方に、ここはお医者さんに、ここは、カウンセラーの範囲です」と仕分けしてくれたら、助かるのにと感じました。
そして、症状から、最適なお医者さん、弁護士さん、カウンセラーを紹介してくれる、なんていう夢のような、総合お悩み相談室が、行政にあったら、違うかもしれません。民間の相談所でも、多くの人が、相談したいと思うのではないかと思いました。子育ての相談、病気、金銭、人間関係の悩みなど、複合的に問題が絡んでいたら、とても、一人では抱えきれない人が多い気がします。そして、配偶者は、一人で決断しないといけなくなると、カサンドラ症候群にまで追い込まれます。
総合悩み相談所があったら、多くの人が助かるのかもしれません。
差別ではありません。方法を知りません
発達障害の人が、「ひどい」「差別だ」「傷ついた」と書いている内容を読んで、「そうだろうか?」というものをちらほら見かけます。流すところを流さない、確認が必要な部分で、してないのに、配慮を求めすぎている。過剰要求で、発達障害者ができないことは、相手がたくさん配慮をすれば済むと思っていたり、説明が下手すぎる発達障害者なのに、説明を聞いた側が「理解できてない」と怒っていたり、発達障害者以外は、「多分、原因って、これだろうな」と分かります。ところが、発達障害者に対して、周りの人は、どう感じて、どこまで話していいのか、わからないのです。差別になると困る。でも、傷ついたと言っている、こちらの要求したいこともある。一緒に行動しろと言われても、困るし。発達障害者で、社会適応をできていたり、会社が配慮している発達障害者は、どんな人かというと、「おとなしい人」「真面目な人」が多いような気がします。努力する発達障害者。ぼやかない発達障害者。不当だと言い続けない発達障害者。つまり、発達障害じゃなくても、適応がしやすいタイプの人になります。
発達障害に対しての、差別をしているわけじゃなく、現場が混乱していて、確認作業ができない場所や人というのは、どこでも存在しています。障害がない人でも、ミスが多い人、確認が取れずらい人、時間にルーズな人、金銭感覚がない人はたくさんいます。発達障害者は、トラブルを起こしやすい人に引っかかりやすいです。では、発達障害者以外は、どうしているかというと、「困った上司だけど、仕事だから流そう」「会話を聞いてない上司だけれど、こちらが気づいて、補助しながら仕事を進めよう」「ミスが多い、相手のせいにする同僚だけれど、関りは、最小限にしておこう」と考えています。これらに、いちいち、反応していたらきりがありません。
発達障害者は、相手が良識がある人か、間違っている人か、どんな人か、わからないけれど、自分も振り回すし、相手にも振り回される。そういうケースも多いです。発達障害者だけが悪いわけじゃないケースもたくさんあります。
発達障害者が差別と感じてしまうケースの場合は、実は差別ではなく、「どうやって、かかわっていいのか」と感じています。発達障害者じゃなくても、最小限で、流して付き合っているので、発達障害の症状っぽい人だと、さらに困ります。差別ではなく、流しています。一般のトラブルメーカー、問題が起きやすい人、ミスが多い人と勘違いしているからです。
発達障害者だとわかったら、今度は、一般の症状がないトラブルメーカーとの違いが判りません。一般のトラブルメーカーと同じ対応をしてしまいがちです。つまり、差別ではなく、トラブルメーカーと勘違いして、でも、障害者だから気を遣うし、方法を知らない。それが実態です。
発達障害に対しての、差別をしているわけじゃなく、現場が混乱していて、確認作業ができない場所や人というのは、どこでも存在しています。障害がない人でも、ミスが多い人、確認が取れずらい人、時間にルーズな人、金銭感覚がない人はたくさんいます。発達障害者は、トラブルを起こしやすい人に引っかかりやすいです。では、発達障害者以外は、どうしているかというと、「困った上司だけど、仕事だから流そう」「会話を聞いてない上司だけれど、こちらが気づいて、補助しながら仕事を進めよう」「ミスが多い、相手のせいにする同僚だけれど、関りは、最小限にしておこう」と考えています。これらに、いちいち、反応していたらきりがありません。
発達障害者は、相手が良識がある人か、間違っている人か、どんな人か、わからないけれど、自分も振り回すし、相手にも振り回される。そういうケースも多いです。発達障害者だけが悪いわけじゃないケースもたくさんあります。
発達障害者が差別と感じてしまうケースの場合は、実は差別ではなく、「どうやって、かかわっていいのか」と感じています。発達障害者じゃなくても、最小限で、流して付き合っているので、発達障害の症状っぽい人だと、さらに困ります。差別ではなく、流しています。一般のトラブルメーカー、問題が起きやすい人、ミスが多い人と勘違いしているからです。
発達障害者だとわかったら、今度は、一般の症状がないトラブルメーカーとの違いが判りません。一般のトラブルメーカーと同じ対応をしてしまいがちです。つまり、差別ではなく、トラブルメーカーと勘違いして、でも、障害者だから気を遣うし、方法を知らない。それが実態です。
感情カード、表現カード作成
自閉症の子供用に、意思表示カードがあります。ほとんど使わないという児童もいるそうですが、「役に立ってます」という補助訓練用のカードになります。自分の気持ちを表すのが、とっさに出ない。大人になってもASDの人に見られる症状の一つ。そんな時、どの感情に近いのかをカードを作っておいて、選んで、
「今、この状態かもしれない」と配偶者、家族に見てもらう。もしくは、気持ちの整理に使うカードです。
100円均一のリングノートを利用して、自分で作ってもいいかもしれません。針金で、くくってあるだけのノートですから、簡単に手で外れます。ただ、リング部分を一つずつ、ずらしながら外すので、面倒ではありますが、ノートを外して、パソコンで、絵柄と感情表現を印刷していきます。年賀状などの作成ソフトなどを使うと、絵も文章も一緒に載せて、カード図案を作成できます。後は、それを応用して、絵を変化させて、感情表現の文章も変更しながら、プリンターで印刷します。印刷したノートは、リングに戻して、ノートが完成します。手間はかかるので、面倒なら、子供用の感情表現カードや、ボードがインターネットにありますから、一覧表を印刷して、はさみで切るか、そのまま壁に貼り付けて、使用するようです。子供のやることを、大人でやるのは、恥ずかしいという人も多いので、あくまで家庭用です。配偶者や親に向けて、感情の表現を伝える方法です。
「保留にしたい」「考え中」「時間がほしい」「説明だけしたい」「話し合いたい」
「家族会議を開きたい」「説明だけしてほしい」「悲しい」「せつない」「わかってほしい」「甘えているわけじゃない。やる気はある」「やる気はあるけれど、やり方がわからない」「方法を教えてほしい」「絵で説明してほしい」「図で説明してほしい」「選択肢があったら、選べるかもしれない」「何をしていいのか、見当もつかない」
などなど、自分に合った、感情や行動の意思表示を、絵をつけて作って、指差しをして、頭の整理法に使用してもいいかもしれません。本当は、行政の人が、ボードを作ってくれて、無料で配布してくれたら、支援ツールがもっと増えたら、助かるのにと思います。
「今、この状態かもしれない」と配偶者、家族に見てもらう。もしくは、気持ちの整理に使うカードです。
100円均一のリングノートを利用して、自分で作ってもいいかもしれません。針金で、くくってあるだけのノートですから、簡単に手で外れます。ただ、リング部分を一つずつ、ずらしながら外すので、面倒ではありますが、ノートを外して、パソコンで、絵柄と感情表現を印刷していきます。年賀状などの作成ソフトなどを使うと、絵も文章も一緒に載せて、カード図案を作成できます。後は、それを応用して、絵を変化させて、感情表現の文章も変更しながら、プリンターで印刷します。印刷したノートは、リングに戻して、ノートが完成します。手間はかかるので、面倒なら、子供用の感情表現カードや、ボードがインターネットにありますから、一覧表を印刷して、はさみで切るか、そのまま壁に貼り付けて、使用するようです。子供のやることを、大人でやるのは、恥ずかしいという人も多いので、あくまで家庭用です。配偶者や親に向けて、感情の表現を伝える方法です。
「保留にしたい」「考え中」「時間がほしい」「説明だけしたい」「話し合いたい」
「家族会議を開きたい」「説明だけしてほしい」「悲しい」「せつない」「わかってほしい」「甘えているわけじゃない。やる気はある」「やる気はあるけれど、やり方がわからない」「方法を教えてほしい」「絵で説明してほしい」「図で説明してほしい」「選択肢があったら、選べるかもしれない」「何をしていいのか、見当もつかない」
などなど、自分に合った、感情や行動の意思表示を、絵をつけて作って、指差しをして、頭の整理法に使用してもいいかもしれません。本当は、行政の人が、ボードを作ってくれて、無料で配布してくれたら、支援ツールがもっと増えたら、助かるのにと思います。
コーディネーターが必要
発達障害者の人のコメントを読んでみて、たくさんの疑問があります。相手に聞けばいいことなのに、違う人に、コメントを読んでくれる人に、怒ったり、説明を求めています。ところが、現場の状況の説明が、わかりにくいうえに、「え、それって、相手のせいなのだろうか?」「多分、定型発達なら、怒ったりせず、よくあることと、受け流すだろう」「相手の人と良く話し合えば解決するのではないだろうか?」と感じることも多いです。
「私、発達障害と診断されたばかりなんです」という人のコメントなら、「症状を知らないから、言えるのだろう」と、定型発達は想像できますが、「発達障害者として、長年苦労してきて、この仕打ちは耐えられない」という文章とともに、コメントしているので、「症状を知っているのに、なぜ?」と感じます。理由は、発達障害の症状も、相手の立場も、どんな行動をしたらいいかも、まだ、理解不足で、SSTなどをしてなくて、どんな行動をしたらいいのか、自分に合った方法を確立していないのではないかと感じます。「発達障害の勉強はしています」と言い張る方もいますが、どれぐらい障害の勉強をしているかは、主観なので、周りの人は、その言葉だけでは、わかりません。
発達障害者の人は、行政に相談したら、精神科医に診断後なら、支援員、ケースワーカー、ソーシャルワーカーなどがついて、補助をしてもらえるようです。コメントだけなので、実態が分かりづらいですが、人によっては、「何もしてもらえない」という人もいるし、反対に「とても、お世話になって、弱みも受け止めてもらえるし、お仕事、生活の相談もできて、助かっています。ときに、お仕事を見つける時、病院に同行もしてもらえます」という、落差のあるコメントが書かれてあります。
発達障害者支援センターができ始めたのは、発達障害者自立支援法という法律ができて、それから、ハード面を整え、内部の人間も、仕事のノウハウが蓄積されつつある状態ですが、そこで働いている人が、ベテランとは限りません。どんな場所でもそうですが、異動もあるし、できる人、できない人が同じ場所にいます。発達障害以外だと、相手の状況を見て、自分から働きかけて、できるだけサービスが受けられるように努力ができますが、発達障害は、「何をしたらいいの?」「私は障害者なんだから、配慮してよ。もっと、気づいてよ」という状態のようです。
発達障害者の支援者が増えたらいいですが、職員の数を明らかにしている、発達障害者支援センターの実態を見ると、とても、足りないのではないかと思います。お仕事の現場で、サポーターを作りましょうという働きが、行政で行われるようですが、最初は手探り状態で、それが浸透するかどうかは未知数です。どんな試みもそうですが、「やりましょう」という最初の思惑通りにいかず、そのうち、グタグタとなって、発達障害者が望むような行政サービスにはならないのが多いようです。作業所と呼ばれるところでは、たくさんの不満のコメントが並んでいる実態のようです。
発達障害者には、一人ひとり、その人の個性に合った生活スタイルを考えてくれる、コーディネーターが必要な気がします。ライフプランを考えてくれるフィナンシャルプランナーのような資格を、行政主導で作って、日常生活の支援をしてくれる人を育てないと、難しいような気がしますが、予算があるわけもなく、よって、現場の人たちにしわ寄せがきて、「だれか、なんとかしてくれ!!」とコメントが並ぶようです。フィナンシャルプランナーは銀行などでは、よく無料相談会を見かけます。年金や積立金のために、無料で行っています。経営のために、コーディネーターを置いて無料で相談会を開くなんて言う場所は、発達障害者の場合は、どこになるのでしょうか?
発達障害者の人は、「初めて会う人は、発達障害の症状を知らない人だ」というのを心に置いて、「一般人も配慮なんてしてもらえないのが普通なんだ」というのも考えたうえで、行動しないと難しいと、コメントを読んで思いました。
作業所、支援員、ジョブコーチ、会社に対しての発達障害者の不満のコメントを読むと、「コーディネーターが身近でいたら、違ってくるだろうに」と感じました。
「私、発達障害と診断されたばかりなんです」という人のコメントなら、「症状を知らないから、言えるのだろう」と、定型発達は想像できますが、「発達障害者として、長年苦労してきて、この仕打ちは耐えられない」という文章とともに、コメントしているので、「症状を知っているのに、なぜ?」と感じます。理由は、発達障害の症状も、相手の立場も、どんな行動をしたらいいかも、まだ、理解不足で、SSTなどをしてなくて、どんな行動をしたらいいのか、自分に合った方法を確立していないのではないかと感じます。「発達障害の勉強はしています」と言い張る方もいますが、どれぐらい障害の勉強をしているかは、主観なので、周りの人は、その言葉だけでは、わかりません。
発達障害者の人は、行政に相談したら、精神科医に診断後なら、支援員、ケースワーカー、ソーシャルワーカーなどがついて、補助をしてもらえるようです。コメントだけなので、実態が分かりづらいですが、人によっては、「何もしてもらえない」という人もいるし、反対に「とても、お世話になって、弱みも受け止めてもらえるし、お仕事、生活の相談もできて、助かっています。ときに、お仕事を見つける時、病院に同行もしてもらえます」という、落差のあるコメントが書かれてあります。
発達障害者支援センターができ始めたのは、発達障害者自立支援法という法律ができて、それから、ハード面を整え、内部の人間も、仕事のノウハウが蓄積されつつある状態ですが、そこで働いている人が、ベテランとは限りません。どんな場所でもそうですが、異動もあるし、できる人、できない人が同じ場所にいます。発達障害以外だと、相手の状況を見て、自分から働きかけて、できるだけサービスが受けられるように努力ができますが、発達障害は、「何をしたらいいの?」「私は障害者なんだから、配慮してよ。もっと、気づいてよ」という状態のようです。
発達障害者の支援者が増えたらいいですが、職員の数を明らかにしている、発達障害者支援センターの実態を見ると、とても、足りないのではないかと思います。お仕事の現場で、サポーターを作りましょうという働きが、行政で行われるようですが、最初は手探り状態で、それが浸透するかどうかは未知数です。どんな試みもそうですが、「やりましょう」という最初の思惑通りにいかず、そのうち、グタグタとなって、発達障害者が望むような行政サービスにはならないのが多いようです。作業所と呼ばれるところでは、たくさんの不満のコメントが並んでいる実態のようです。
発達障害者には、一人ひとり、その人の個性に合った生活スタイルを考えてくれる、コーディネーターが必要な気がします。ライフプランを考えてくれるフィナンシャルプランナーのような資格を、行政主導で作って、日常生活の支援をしてくれる人を育てないと、難しいような気がしますが、予算があるわけもなく、よって、現場の人たちにしわ寄せがきて、「だれか、なんとかしてくれ!!」とコメントが並ぶようです。フィナンシャルプランナーは銀行などでは、よく無料相談会を見かけます。年金や積立金のために、無料で行っています。経営のために、コーディネーターを置いて無料で相談会を開くなんて言う場所は、発達障害者の場合は、どこになるのでしょうか?
発達障害者の人は、「初めて会う人は、発達障害の症状を知らない人だ」というのを心に置いて、「一般人も配慮なんてしてもらえないのが普通なんだ」というのも考えたうえで、行動しないと難しいと、コメントを読んで思いました。
作業所、支援員、ジョブコーチ、会社に対しての発達障害者の不満のコメントを読むと、「コーディネーターが身近でいたら、違ってくるだろうに」と感じました。
取捨選択ができない
発達障害の人は、「真に受ける」という症状がある人もいるようです。症状がない人でも、真に受ける人はいますが、本気にしてしまう度合いが違います。「え、それに気づかないの?」ということを繰り返し、天然ボケの人だと思われます。性格が良い人ばかりではないので、「頑固」「自己中心的」と勘違いもされます。
脳の症状なので、直せないようです。こだわりはあちこちに出ますし、真に受けてしまうし、取捨選択というのが、一般的な人と違って、できないため、会話中に、「え、それを本気にするの?」「そこを気にするの?」と驚きます。この部分、聞きにくいため、発達障害者は、「傷ついているのに」と思っていて、一般人は、「でも、あなたのこだわりや無神経な一言に、周りも傷ついているし、嫌がっているのは、気づけないのに、なぜ?」という戸惑いの反応を見せます。この部分が、「これだから、〇〇〇は」という差別用語が、インターネットに飛び交ってしまう原因になっています。インタネットの悪い言葉として、発達障害が浸透してしまっている理由は、いろいろな原因がありますが、これも原因の一つとなっているようです。空気が読めないという部分は、どうしようもないのですが、障害をカミングアウトしても、周りの人の反応は様々で、うまくいくとは限りません。
「発達障害者だから、配慮してくれ」という意見が、書き込みコメントなどに並んでいますが、発達障害者の人のほうも歩み寄らないと難しく、でも、歩み寄れない、わからない範囲も多く、そして、どうしたらいいのかというと、発達障害者の症状を知っている専門家を、小さいうちに、講師として招いて講演会を開く程度しか、無理なのかもしれません。
コメディも含めた、堅すぎない内容の障害者の理解をしてもらえるドラマがヒットする。爆発的な売り上げになるぐらいの小説が出る。国民的なアイドルが、実は発達障害で悩んでいて、カミングアウトして受け入れられる。金メダリストで、国民栄誉賞を取るようなレベルのスポーツ選手が出て、世間の人が受け入れてくれる。という奇跡が起きてくれたら、変わってくるかもしれません。でも、発達障害の症状がある人はカミングアウトをしづらいのが、今の日本です。ちょっと前まで、病気のカミングアウトさえ、暗いこととされていました。有名アナウンサーが告知し、キャスターが告知し変わりつつあります。性同一障害に関しても、ちゃんと受け止める時期に来ているというスタンスに、テレビなどが変わってきています。理由は、有名な司会者が、自分の意見をしっかりと隠さず言って、その司会者の性格や性質を、視聴者が、受け入れたからのようです。発達障害の場合も、いつの日か、有名な人が出て、発達障害の部分と本人の個性の部分を、周りが認識して、受け入れられるような社会になっているかもしれません。
空気を読める必要はないけれど、空気が読めないというのが症状であるということが理解し、浸透する日が来たらいいのかもしれません。
コミュニケーション支援ボード(アスペルガー向け)
知的障害の人向けにコミュニケーション支援ボードがあります。ASDもコミュニケーションに問題が出やすいので、ASD向けの支援ボードがあったらと感じました。すぐに言葉が思いつかないのが特徴なので、その支援ボードを指させば、少しは落ち着けるかもしれません。
症状の勉強中は、まだ、パニックになりやすいです。そういう状態の時の補助カードを自分で作成して、指さすのも方法かもしれません。
「現在、考え中。二時間時間をください」
「一週間ほど猶予をください」
「考えてもわかりません」
「どうやって考えていいのかわかりません」
「選択肢があったら選べます」
「できる範囲までやりますが、残りのサポートをお願いできませんか?」
「状態の説明をお願いします。すぐには選べません」
「自分の立ち位置がわかりません」
「周りの人への聞き方がわかりません」
「図で書いてください」
などのカードで作っておいて、自分は、こういう症状があるんだなというのを、発達障害者と、周辺の人が慣れるまで使うのも方法です。
発達障害に依存(ギャンブル、アルコール、浪費など)があったら
発達障害者は、依存症状が出やすいそうです。定型発達の人でも、ギャンブル、アルコール、浪費などの依存状態までの人は出ますが、脳の性質が違うことと、会話がかみ合わないことから、「周辺者」だけで対応は難しいので、お医者さんにご相談くださいと、本、マニュアルに書かれていることが多いです。
なぜ、難しいかというと、ストレス耐性に弱い、脳内物質が関係ある、コミュニケーションが取れにくい、認知がゆがみやすい。などがあるからです。ストレスは、カウンセリングや投薬で和らげる必要があるかもしれないし、脳内物質の影響から、依存が出やすく、そして、その状態が良くないことであるという部分の説明を、家族が説明しても、聞き入れない、軽く考える、自分を許してしまう。そういう人も多いそうです。お医者さんを勧めても、難しいケースも多く、「周辺者」が疲弊しきって、家族やその他の人間関係が悪化します。そこに金銭の問題が絡みやすいのが、ギャンブル、アルコール、浪費です。あまりにひどいと嘘をついてまで、ギャンブルをしたり、飲酒したり、物欲がひどかったりして、周りの人や消費者金融に借金をして、そこで、ASD、ADHDの脳の症状から、それが、どれぐらい危ないことかを気づけない発達障害者の人もいるそうです。ここまで来ていたら、家族や、同僚とかだと無理なので、発達障害に詳しい精神科医、カウンセラーの診療を受けたほうがいいそうです。ところが、この治療が、なかなか受診してもらえない上に、受診できたとしても、そこから立ち直るまで、ものすごい時間がかかるそうです。一般的な依存と違い、脳内物質の影響もあるため、こういうケースは、家族が崩壊する危険もありますし、会社だと首になるケースも多いそうです。
家族だったら、どこまで支援ができるかというと、「励まし程度で、当事者ではないので、あまりにひどかったら、暴力、金銭問題がひどすぎる状態であれば、距離を取ってください。ひどい時は、手助けせずに、逃げてください」というところまで行くそうです。
指導法としては、「そこまで?」と思われますが、あまりにひどいなら、別居もしてもいいかもしれないというのもあるし、アルコールなどだと、入院も必要になるケースもあるようです。
人に依存してしまうというケースも多いようです。共依存関係になってしまうケースと、発達障害者のほうだけ依存したがって、「周辺者」が逃げたがるなんてケースも多く、こういうケースだと、家族、友達だとしても、「無理して付き合わないこと。犠牲者にならないこと。代行、援助は行わないこと。本人ができる努力をしていこうとしないなら、見放してください」というきつい注意が本に書かれていることが多いようです。
当てにする人がいると、治りにくいために治療の一環として、見放しというのも必要になるらしく、かなり驚きました。代行、援助は、「発達障害者」が自覚があり、取り組むケースのみ、必要最小限のものを、お医者さんや発達障害のことを相談している行政の人と相談しながら、考えていく必要があるようです。
お医者さんに相談したほうがいいと、本に書かれているのは、そういう理由だそうです。
なぜ、難しいかというと、ストレス耐性に弱い、脳内物質が関係ある、コミュニケーションが取れにくい、認知がゆがみやすい。などがあるからです。ストレスは、カウンセリングや投薬で和らげる必要があるかもしれないし、脳内物質の影響から、依存が出やすく、そして、その状態が良くないことであるという部分の説明を、家族が説明しても、聞き入れない、軽く考える、自分を許してしまう。そういう人も多いそうです。お医者さんを勧めても、難しいケースも多く、「周辺者」が疲弊しきって、家族やその他の人間関係が悪化します。そこに金銭の問題が絡みやすいのが、ギャンブル、アルコール、浪費です。あまりにひどいと嘘をついてまで、ギャンブルをしたり、飲酒したり、物欲がひどかったりして、周りの人や消費者金融に借金をして、そこで、ASD、ADHDの脳の症状から、それが、どれぐらい危ないことかを気づけない発達障害者の人もいるそうです。ここまで来ていたら、家族や、同僚とかだと無理なので、発達障害に詳しい精神科医、カウンセラーの診療を受けたほうがいいそうです。ところが、この治療が、なかなか受診してもらえない上に、受診できたとしても、そこから立ち直るまで、ものすごい時間がかかるそうです。一般的な依存と違い、脳内物質の影響もあるため、こういうケースは、家族が崩壊する危険もありますし、会社だと首になるケースも多いそうです。
家族だったら、どこまで支援ができるかというと、「励まし程度で、当事者ではないので、あまりにひどかったら、暴力、金銭問題がひどすぎる状態であれば、距離を取ってください。ひどい時は、手助けせずに、逃げてください」というところまで行くそうです。
指導法としては、「そこまで?」と思われますが、あまりにひどいなら、別居もしてもいいかもしれないというのもあるし、アルコールなどだと、入院も必要になるケースもあるようです。
人に依存してしまうというケースも多いようです。共依存関係になってしまうケースと、発達障害者のほうだけ依存したがって、「周辺者」が逃げたがるなんてケースも多く、こういうケースだと、家族、友達だとしても、「無理して付き合わないこと。犠牲者にならないこと。代行、援助は行わないこと。本人ができる努力をしていこうとしないなら、見放してください」というきつい注意が本に書かれていることが多いようです。
当てにする人がいると、治りにくいために治療の一環として、見放しというのも必要になるらしく、かなり驚きました。代行、援助は、「発達障害者」が自覚があり、取り組むケースのみ、必要最小限のものを、お医者さんや発達障害のことを相談している行政の人と相談しながら、考えていく必要があるようです。
お医者さんに相談したほうがいいと、本に書かれているのは、そういう理由だそうです。
実態に合ってない支援
発達障害者の人は、できることとできないことの差が大きいそうです。そして、能力が高いのに、ミスが多いとか、会話に問題があって、意思の疎通が図れないけれど、知識は多い。というIQの高い人ばかりじゃありません。「80前後です。できないことだらけで、ミスだらけで、もう嫌になる。何のために生まれてきたの?」という悲惨の意見の人もいれば、「IQは130です。学校の成績は上位です。なのに、行動を起こすとミスが多いのです。なぜ?」「知識はありますが、雑談が苦手で、コミュニケーションが取れません」という人もいます。この差が、発達障害の支援が現状に合っていない原因の一つのようです。
レベルが高いのに、平均レベル以下の人の支援のセミナー、ワークに参加してしまう。こういう人も多いです。紹介されたからという理由で、苦痛ながらも続けてしまう人もいるようです。ばかばかしくなっていかなくなる人もいるようです。反対に、ついていけない。個別指導してほしいと思っている人もいるようです。
発達障害者の人は支援をしてもらっても、本人の力量に合っていないと苦痛になり、やる気が薄れていきます。セミナー、ワーク、作業所など、紹介を受けても、「こんなのしても、俺に合ってない」「やりがいがない」となるそうです。「俺は、ここまでひどくない」という人もいるため、状態には合ってないようです。
発達障害以外の人でも、働いている会社、所属しているグループ、通っている学校など、状態に合ってない場所もありますが、場所に合わせて、行動を変えることができる人も多いです。よけいなことを言われても、できない点を指摘されても、すねたりせず、「適当に流す。必要な部分だけ聞く」という取捨選択行動ができたりします。ところが発達障害者は、この取捨選択を、「全部聞いておきたい」というASDのまじめな人もいるし、「興味ないから聞かない」「忘れる」というASD、ADHDの人もいます。「覚えておけないんだ」というADHDの人もいます。取捨選択して、自分に合った方法に慣れ、場所に合わせて行動ができるようになるまで、かなりの時間がかかるようです。適応は難しく、やがて、「面倒だから逃げる」「俺、ここまでひどくないよ」と腐るようになります。
個別指導をしてもらえる環境というのを、子供のうちからやってもらえる年齢ではなくなって、大人になってしまい、それでも、ミスが多いとなると、家族、会社の同僚、そのグループのほかのメンバーにしわ寄せが来ます。
「周辺者」は、発達障害の人と脳の動きが違います。定型発達の人同士でも、考えも脳の働きも違うので、戸惑いますが、発達障害の場合は、「どうして、そこで傷つくの?」「どうして、そうやって考えるの?」と思ってしまうぐらい、定型発達の人は、合わせるのが難しく、それを「私に合わせた支援をしてよ」「配慮をしてよ」とお願いされても、想像するしかないため、行政の担当者も、そして、発達障害の身近にいる「周辺者」も、「どこを、どうしたらいいの?」と気を使って、言えなくなることも多いです。希望通りの支援は、発達障害の症状が出ている人が、支援者のケースなら叶うのかもしれませんが、実際は難しいようです。
問題が起きたところを、適切に支援してもらえるグループになれるように、発達障害の症状が普及すればいいのにという意見をよく見かけます。ほかの障害の症状は普及しているでしょうか? 目の見えない人のための介助犬の導入、エレベーターの設置後の、周りの人の支援は行き届いたでしょうか? なかなか普及していない気がします。ほかの障害の人でも、ハード面を整えて、そして、周りの人が動けるようにするソフト面の普及は、その後、何度も改善されたり、ニュースで取り上げられたり、学校や会社で導入されたりして、やっと、社会的レベルの浸透につながっている状態です。足の不自由な人、目の見えない人は、ずっと、長いこと、存在していても、なかなか支援してもらえなかったのですから、発達障害という名前がやっと知られてから、その症状の正しい知識が普及するのは、気が長くなるぐらい遠い先のような気がします。
実態に合っていない支援だと嘆くよりも、「自分ができることの努力をしたほうがいいよ」というのが、発達障害者の人のための行動のような気がします。「周辺者」ができるのは、今の実態に合っていない支援の中で、できる行動は何かを、考えることなのかもしれません。診断を受けるほどじゃないグレーゾーンの発達障害者の人が、自分で、周りの人に説明ができるような、そういうマニュアルを行政が作ってくれるようなシステムがあったりしたらいいのかもしれません。行動特性表があれば、どんな場所でも、その人に合った支援を周りの人も考えやすくなるからです。
行政がしてもらえないのであれば、自分なりに未熟なりに手探りで作っていくしかなく、グレーゾーン、診断が出てもお医者さんに通わない発達障害のそばにいる人が手伝って、行動特性表を作成してもいいかもしれません。
レベルが高いのに、平均レベル以下の人の支援のセミナー、ワークに参加してしまう。こういう人も多いです。紹介されたからという理由で、苦痛ながらも続けてしまう人もいるようです。ばかばかしくなっていかなくなる人もいるようです。反対に、ついていけない。個別指導してほしいと思っている人もいるようです。
発達障害者の人は支援をしてもらっても、本人の力量に合っていないと苦痛になり、やる気が薄れていきます。セミナー、ワーク、作業所など、紹介を受けても、「こんなのしても、俺に合ってない」「やりがいがない」となるそうです。「俺は、ここまでひどくない」という人もいるため、状態には合ってないようです。
発達障害以外の人でも、働いている会社、所属しているグループ、通っている学校など、状態に合ってない場所もありますが、場所に合わせて、行動を変えることができる人も多いです。よけいなことを言われても、できない点を指摘されても、すねたりせず、「適当に流す。必要な部分だけ聞く」という取捨選択行動ができたりします。ところが発達障害者は、この取捨選択を、「全部聞いておきたい」というASDのまじめな人もいるし、「興味ないから聞かない」「忘れる」というASD、ADHDの人もいます。「覚えておけないんだ」というADHDの人もいます。取捨選択して、自分に合った方法に慣れ、場所に合わせて行動ができるようになるまで、かなりの時間がかかるようです。適応は難しく、やがて、「面倒だから逃げる」「俺、ここまでひどくないよ」と腐るようになります。
個別指導をしてもらえる環境というのを、子供のうちからやってもらえる年齢ではなくなって、大人になってしまい、それでも、ミスが多いとなると、家族、会社の同僚、そのグループのほかのメンバーにしわ寄せが来ます。
「周辺者」は、発達障害の人と脳の動きが違います。定型発達の人同士でも、考えも脳の働きも違うので、戸惑いますが、発達障害の場合は、「どうして、そこで傷つくの?」「どうして、そうやって考えるの?」と思ってしまうぐらい、定型発達の人は、合わせるのが難しく、それを「私に合わせた支援をしてよ」「配慮をしてよ」とお願いされても、想像するしかないため、行政の担当者も、そして、発達障害の身近にいる「周辺者」も、「どこを、どうしたらいいの?」と気を使って、言えなくなることも多いです。希望通りの支援は、発達障害の症状が出ている人が、支援者のケースなら叶うのかもしれませんが、実際は難しいようです。
問題が起きたところを、適切に支援してもらえるグループになれるように、発達障害の症状が普及すればいいのにという意見をよく見かけます。ほかの障害の症状は普及しているでしょうか? 目の見えない人のための介助犬の導入、エレベーターの設置後の、周りの人の支援は行き届いたでしょうか? なかなか普及していない気がします。ほかの障害の人でも、ハード面を整えて、そして、周りの人が動けるようにするソフト面の普及は、その後、何度も改善されたり、ニュースで取り上げられたり、学校や会社で導入されたりして、やっと、社会的レベルの浸透につながっている状態です。足の不自由な人、目の見えない人は、ずっと、長いこと、存在していても、なかなか支援してもらえなかったのですから、発達障害という名前がやっと知られてから、その症状の正しい知識が普及するのは、気が長くなるぐらい遠い先のような気がします。
実態に合っていない支援だと嘆くよりも、「自分ができることの努力をしたほうがいいよ」というのが、発達障害者の人のための行動のような気がします。「周辺者」ができるのは、今の実態に合っていない支援の中で、できる行動は何かを、考えることなのかもしれません。診断を受けるほどじゃないグレーゾーンの発達障害者の人が、自分で、周りの人に説明ができるような、そういうマニュアルを行政が作ってくれるようなシステムがあったりしたらいいのかもしれません。行動特性表があれば、どんな場所でも、その人に合った支援を周りの人も考えやすくなるからです。
行政がしてもらえないのであれば、自分なりに未熟なりに手探りで作っていくしかなく、グレーゾーン、診断が出てもお医者さんに通わない発達障害のそばにいる人が手伝って、行動特性表を作成してもいいかもしれません。
単語のイメージがずれる
会話をしていて、変だなと気づかれるタイプの発達障害の人の場合は、一つの事柄や、単語に対してからして、イメージがずれている場合があります。最初は、「価値観の違いだろうか?」とほとんどの人は、流すと思いますが、何度も会話をしていくと、「あれ?」と気づき、約束を守ってもらえなかったり、意味が違っていたりして、かみ合わなくなり、問題に気づくケースも多いようです。
期日が決まっている、大事な要点があるのに、「忘れた」「覚えてない」という人も多く、ひどくなると「そんなことは言ってない」もしくは、違う形で覚えているなんて言うケースもあります。これらは、イメージの違いからくることも多く、「一般的にはこっちの感覚」というので、暗黙の了解があると、説明をしないままで、あいまいなまま、会話をしてしまい、お互いに、思っていること、感じていることが違っているというケースがあるようです。
イメージのすり合わせをしたくても、いくら会話をしても、かみ合わない、合わせられないという発達障害者もいますから、大変になります。発達障害の症状の自覚を発達障害の症状のある「当事者」のほうがわかっていないと、会話のすり合わせすら難しくなります。裁判などで、発達障害者と離婚したくても、長引いた。金銭問題、借金問題で、言うことが違ってきて、嘘ばかりつかれて、どうしたらいいのか、お手上げになる。そんなケースも発達障害にはあるようです。
単語一つとっても、一般的には、こんなイメージで、単語を使う。というのさえも、「私の中のイメージは、こっちだ!!」と言い張られてしまうことが多く、特にASDの症状が強すぎると、こだわりだらけとなり、イメージがずれまくります。イメージを一般感覚は、こちらになるよという説明しても、その説明すら、最後まで聞けない。なんて言う重症の人だとお手上げになります。
この場合は、イメージのずれが多くなるのであれば、きちんと、全体像を見せる。要点を紙に書いて渡す。全体の流れ、作業工程表、なども作らないと、難しいようです。お仕事などで、ジョブコーチをつけてもらっている障害者であれば、慣れているかもしれませんが、「病院も行きたくない」「私は間違ってない」「あなたたちのほうが合わせればいい」という発達障害者の場合だと、周辺者が、紙に書いて渡しても、難しいようです。
発達障害者のほうが、自分の症状を知り、どんな間違いがあったのかを書き留め、自分の弱点と、得意分野を知ったうえで、周りの人も、会話の方法を学び、そうやっていかないと、発達障害者と会話もできないようです。
会話法を、「当事者」「周辺者」が学び、一般的な概念も学び、単語などのイメージがずれている場合も修正できるようにしていき、ということができて、初めて、約束がちゃんとできるかもしれませんが、「そこまでしたくない」というのが実情です。発達障害者と約束をできるだけしない。はい、いいえの答えで済むような会話で済ます、症状を把握してもらう。発達障害者は自己主張しすぎない。など、たくさんの注意点を考えて、行動ができるようになって、初めて、一緒に何かをできるようになるようです。それまでは、かなりの時間がかかると思うので、症状の勉強をしていくしか、なさそうです。
期日が決まっている、大事な要点があるのに、「忘れた」「覚えてない」という人も多く、ひどくなると「そんなことは言ってない」もしくは、違う形で覚えているなんて言うケースもあります。これらは、イメージの違いからくることも多く、「一般的にはこっちの感覚」というので、暗黙の了解があると、説明をしないままで、あいまいなまま、会話をしてしまい、お互いに、思っていること、感じていることが違っているというケースがあるようです。
イメージのすり合わせをしたくても、いくら会話をしても、かみ合わない、合わせられないという発達障害者もいますから、大変になります。発達障害の症状の自覚を発達障害の症状のある「当事者」のほうがわかっていないと、会話のすり合わせすら難しくなります。裁判などで、発達障害者と離婚したくても、長引いた。金銭問題、借金問題で、言うことが違ってきて、嘘ばかりつかれて、どうしたらいいのか、お手上げになる。そんなケースも発達障害にはあるようです。
単語一つとっても、一般的には、こんなイメージで、単語を使う。というのさえも、「私の中のイメージは、こっちだ!!」と言い張られてしまうことが多く、特にASDの症状が強すぎると、こだわりだらけとなり、イメージがずれまくります。イメージを一般感覚は、こちらになるよという説明しても、その説明すら、最後まで聞けない。なんて言う重症の人だとお手上げになります。
この場合は、イメージのずれが多くなるのであれば、きちんと、全体像を見せる。要点を紙に書いて渡す。全体の流れ、作業工程表、なども作らないと、難しいようです。お仕事などで、ジョブコーチをつけてもらっている障害者であれば、慣れているかもしれませんが、「病院も行きたくない」「私は間違ってない」「あなたたちのほうが合わせればいい」という発達障害者の場合だと、周辺者が、紙に書いて渡しても、難しいようです。
発達障害者のほうが、自分の症状を知り、どんな間違いがあったのかを書き留め、自分の弱点と、得意分野を知ったうえで、周りの人も、会話の方法を学び、そうやっていかないと、発達障害者と会話もできないようです。
会話法を、「当事者」「周辺者」が学び、一般的な概念も学び、単語などのイメージがずれている場合も修正できるようにしていき、ということができて、初めて、約束がちゃんとできるかもしれませんが、「そこまでしたくない」というのが実情です。発達障害者と約束をできるだけしない。はい、いいえの答えで済むような会話で済ます、症状を把握してもらう。発達障害者は自己主張しすぎない。など、たくさんの注意点を考えて、行動ができるようになって、初めて、一緒に何かをできるようになるようです。それまでは、かなりの時間がかかると思うので、症状の勉強をしていくしか、なさそうです。
困り感がない
発達障害の症状がある「当事者」、発達障害者の周りにいる「周辺者」のどちらにも、「自分は困っていないので、対応を変える必要がない」と思いこんで、発達障害の本すら読まないで、症状も勉強しない人も多いようです。
理由は、様々です。
本当に困っていないから、やらない。
問題がどこにあるかわかってないけれど、流してしまう。
面倒だから、考えない。
お金などの問題もなければ、いいやと流す。
自分のほうに非があると考えない。
説明すら聞く耳も持たない。
相手のせいだと思っていて、被害者だからと逃げる。
問題を見つめるのが怖い。
「もしも、障害者だったら?」という可能性が出るので、否定したい。
障害者というイメージの悪さから、そのことを考えたくもない。
私は普通だ。ちょっと変わっているだけだと思い込んでいる。
問題があっても、誰かが何とかしてくれると勘違いしている。
などがあるようです。では、こういう人に、「あなたの行動に周りは困っていますよ。嫌がっていますよ。少しは対応してください」という気持ちを理解してもらい、少しでもやっていこうという気持ちにさせるには、どうしたらいいのかというと、
「本当に困ってもらってください」という状態にして、周りが手伝わない。という方法があるそうです。この方法を使えるのは、場所や時間、金銭なども絡むので、よく考えないといけませんが、できないことも多いようです。なぜなら、自分も困ってしまう状態になるかもしれないから。悪化しないだろうか? という不安もあるので、大変です。お医者さん、発達障害者支援センターの人、ケースワーカー、支援員などに相談しながら、自分で決めなければいけませんが、とても、難しいです。
金銭問題、ギャンブル依存症だと、さすがに、お医者さんに相談したほうがいいケースも多いようです。脳の衝動性が関係がある場合は、お薬を使うケースもあるからです。それ以外に、対応をしない場合は、その人がやらないといけないことは、「代行しないでください」「援助もしないでください」というのが、お医者さんの指導方法にあります。周辺者が犠牲者になると、発達障害の脳の特性から、間違った認知が形成されることもあり、「私が困っている。前は助けてくれた。助けてくれれば済む」という考えにとらわれて、発達障害者は、それ以外の方法を取らなくなる人も多いようです。ギャンブル依存だと、家族は崩壊する可能性もあります。会社に借金をしたりする場合だと、大変になります。お医者さんに相談しながら、周りの人が助けるというのは、考えないといけないようです。
困り感がない人は、「距離を取ってください。犠牲者にならないように。お互いに無理をしないように。様子を見ながら、対応を考えましょう」ぐらいしか、先生も指導ができないようです。加減しながら、距離を取りながら、発達障害者の状態を考えないといけないようです。
周辺者のほうが困り感がなく、発達障害者のほうが「支援と理解をお願いします」と頼んでも、「病院に行くなんて」「薬なんて、必要ない」「発達障害? 甘えているだけよ。やればできるはず」なんていう家族も多いようです。職場の上司、同僚なら、適切な指導をしてもらったほうがいいので、ジョブコーチの依頼なども考えられますが、家族に対しての、指導をしてもらえるというのが難しいようです。発達障害者のほうが状態と伝えないといけませんが、コミュニケーションが下手だったり、説明ができなかったりします。お医者さんからの説明が頼めるのであれば、お願いしたり、ケースワーカーや支援員の人が説明してもらえるのであれば、一緒に行って、説明をしてもらったりなど、発達障害者の人が考えなければならず、そういう部分を考えることが苦手な発達障害者の人だと大変のようです。
困り感のない人は、楽天的に、状況を軽く考え、流すケースが多いようです。けれど、後で、困り切る状態になってしまうことも多いようです。状況を見て、考えないといけないようです。
理由は、様々です。
本当に困っていないから、やらない。
問題がどこにあるかわかってないけれど、流してしまう。
面倒だから、考えない。
お金などの問題もなければ、いいやと流す。
自分のほうに非があると考えない。
説明すら聞く耳も持たない。
相手のせいだと思っていて、被害者だからと逃げる。
問題を見つめるのが怖い。
「もしも、障害者だったら?」という可能性が出るので、否定したい。
障害者というイメージの悪さから、そのことを考えたくもない。
私は普通だ。ちょっと変わっているだけだと思い込んでいる。
問題があっても、誰かが何とかしてくれると勘違いしている。
などがあるようです。では、こういう人に、「あなたの行動に周りは困っていますよ。嫌がっていますよ。少しは対応してください」という気持ちを理解してもらい、少しでもやっていこうという気持ちにさせるには、どうしたらいいのかというと、
「本当に困ってもらってください」という状態にして、周りが手伝わない。という方法があるそうです。この方法を使えるのは、場所や時間、金銭なども絡むので、よく考えないといけませんが、できないことも多いようです。なぜなら、自分も困ってしまう状態になるかもしれないから。悪化しないだろうか? という不安もあるので、大変です。お医者さん、発達障害者支援センターの人、ケースワーカー、支援員などに相談しながら、自分で決めなければいけませんが、とても、難しいです。
金銭問題、ギャンブル依存症だと、さすがに、お医者さんに相談したほうがいいケースも多いようです。脳の衝動性が関係がある場合は、お薬を使うケースもあるからです。それ以外に、対応をしない場合は、その人がやらないといけないことは、「代行しないでください」「援助もしないでください」というのが、お医者さんの指導方法にあります。周辺者が犠牲者になると、発達障害の脳の特性から、間違った認知が形成されることもあり、「私が困っている。前は助けてくれた。助けてくれれば済む」という考えにとらわれて、発達障害者は、それ以外の方法を取らなくなる人も多いようです。ギャンブル依存だと、家族は崩壊する可能性もあります。会社に借金をしたりする場合だと、大変になります。お医者さんに相談しながら、周りの人が助けるというのは、考えないといけないようです。
困り感がない人は、「距離を取ってください。犠牲者にならないように。お互いに無理をしないように。様子を見ながら、対応を考えましょう」ぐらいしか、先生も指導ができないようです。加減しながら、距離を取りながら、発達障害者の状態を考えないといけないようです。
周辺者のほうが困り感がなく、発達障害者のほうが「支援と理解をお願いします」と頼んでも、「病院に行くなんて」「薬なんて、必要ない」「発達障害? 甘えているだけよ。やればできるはず」なんていう家族も多いようです。職場の上司、同僚なら、適切な指導をしてもらったほうがいいので、ジョブコーチの依頼なども考えられますが、家族に対しての、指導をしてもらえるというのが難しいようです。発達障害者のほうが状態と伝えないといけませんが、コミュニケーションが下手だったり、説明ができなかったりします。お医者さんからの説明が頼めるのであれば、お願いしたり、ケースワーカーや支援員の人が説明してもらえるのであれば、一緒に行って、説明をしてもらったりなど、発達障害者の人が考えなければならず、そういう部分を考えることが苦手な発達障害者の人だと大変のようです。
困り感のない人は、楽天的に、状況を軽く考え、流すケースが多いようです。けれど、後で、困り切る状態になってしまうことも多いようです。状況を見て、考えないといけないようです。
発達障害が浸透しない理由
時々、見かける、発達障害者のコメントがを要約すると、「なんで、発達障害ばかり、責められないといけないの? 悪気がないのに。症状のために、どうしても、抑えられなかったり、できなかったりするだけなのに。不公平だ。書かれているコメントは、発達障害者との共存する内容のものは、ほとんどない。それより、変わった行動だから、どうしたらいいのかばかりだ」こんな感じです。理由は、発達障害の人の人数が、一般社会だと少数派になるためと、小さいころに発見される制度に、長い間、なってなかったこと。さらに発達障害者の社会生活地位向上のためのグループ行動が少ないからのようです。発達障害の症状から、グループ行動ができないため、発達障害者同士でも、分かり合えず、よって、発達障害者の意見をまとめる団体は、できる状態じゃないので、「日常で、こんなことを困っています」という、個人での書き込み程度しか、訴える方法がないからです。
発達障害の家族のための団体は、あちこちにあります。それは、コミュニケーションが取れるため、お互いに共感しやすく、流すところは流し、まとめるところだけまとめというチーム力が、発達障害者よりもあるからです。発達障害の症状から、協調性は難しく、よって、発達障害の症状をまとめようという有名なお医者さんがテレビで活躍するか、発達障害の根治治療薬が出るか、ノーベル賞を取ってしまうほどの研究論文が出ない限りは、なかなか浸透しないかもしれません。
「被害ばかり見ないで、私たちと共存を図りましょう」と発達障害者側からの提案のコメントが見られますが、実際に、一般企業は、利益追求の目的が第一で、社会ルールにのっとって、社員の待遇も考えて、という状態で、発達障害者に配慮するより、「まず、自分」という社員が多くなり、会社でのグループ行動で足を引っ張られると、「忙しいのに」となってしまい、結局、共存以前の状態で、「困っているのです」で終わってしまっています。
脳の特性が違うため、脳で起こっていることは、多数派の定型発達は想像するしかなく、お医者さん、カウンセラーの人も発達障害の症状がない状態で、理解につとめようとしているため、実際に脳で起こっている症状は確かめようがなく、手探りの状態で、症状に詳しいお医者さん自体が少なすぎて、発達障害者自身が、学者やお医者さんとして、症状の正しい知識の普及をしないと、難しいように感じます。実際、医師国家免許をパスできる頭脳レベルの発達障害者はいるようですが、そういう人は、知識力も、記憶力もあって、自分の症状に気づいてないか、困っておらず、困っていないと、興味も持たず、よって、症状を正しく語ってくれる発達障害者のお医者さんや学者さんは、ほとんどいない状態のようです。
IQの高い発達障害者の人にアンケートを取り、正しい、症状を把握するところから、行政がしてくれたら、そして、そのアンケートのもとに正しいマニュアルができたら、違ってくるのかもしれません。
間違ってないよ。気づけないだけだよ
発達障害の人は、認知がゆがんでいたり、我慢できなかったりして、間違った判断をしても気づけない人がいます。
問題点を指摘されて、「それでも、間違ってない。気づけなかっただけだから」という言い分をする発達障害者も多いそうです。
「気づけなかったのに、言い張ったら、間違っているのでは?」と聞いても、「だから、その時は、正しいと思っていたのだから、それで、気づけなかっただけでしょう? 間違ってないじゃない」と思い込んでいるそうです。定型発達の人からすると、その時の判断が間違っていたら、気づけなくても言い張ってはいけないのでは? と感じますが、「あとで気づいたから、いいじゃないか」と言い張ってしまうそうです。理由は、それも症状の一つだからだそうです。
「間違った判断を言い張ってしまう」「理由があるから、謝らなくてもいい」この感覚があるため、定型発達の人は、「いくらなんでも」と感じるようになり、回数が多いと、「さすがにちょっと」となり、そして、それが、間違えても許されないケースもあるため、「いいじゃない。後で気づいたから」では、取り返しもつかないります。
言い張られると、一般的な人は、遠慮をします。強く言い張るのなら、根拠があるのかもしれないとか、面倒な人かもしれないとか、忖度のような気持ちが働き、その場では言い返せない雰囲気になります。それが、のちに、「やっぱり、こちらが正しかった」となると、発達障害者の人は、「信用できない人」となり、やがて、「仕事を一緒にするとトラブルだらけの人」となり、「もう、仕事を一緒にしたくない」となっていき、「関わりたくない」までのレベルになります。このレベルになって初めて、「この人、ひょっとして、発達障害?」と気づかれる状態が、発達障害の症状です。
「間違ってないよ、気づけないだけだよ」と流し続ける人の場合は、さすがに、「周辺者」のほうが、確認を行うほうがいいのですが、「これは確認しづらい」「相手の範囲だから口出しできない」というのがたくさんあるのが、日本社会です。発達障害の症状がわかってからは、「間違っていたかもしれない。ごめんなさい」と発達障害の人が言ったほうがいいのですが、インターネットの書き込みでは、最後まで「俺が正しい」と言い張られて、なんてものが多いようです。
「気づけないだけ」がたくさん重なりすぎると、さすがに大変になります。相手の側に立って考えないといけないことは、たくさんありますが、「言ってくれたらいいじゃない」と言い張るASDの人も多いです。現実は、気づけないだけだとしても「それぐらいは、気づくべき」なんて場所もあるために大変です。その場によって基準が変わります。気づけないのは許されないケースもあるので、確認が大事になります。でも、確認しづらいケースは、どうしたらいいのか、その場で考えていくしかないようです。
問題点を指摘されて、「それでも、間違ってない。気づけなかっただけだから」という言い分をする発達障害者も多いそうです。
「気づけなかったのに、言い張ったら、間違っているのでは?」と聞いても、「だから、その時は、正しいと思っていたのだから、それで、気づけなかっただけでしょう? 間違ってないじゃない」と思い込んでいるそうです。定型発達の人からすると、その時の判断が間違っていたら、気づけなくても言い張ってはいけないのでは? と感じますが、「あとで気づいたから、いいじゃないか」と言い張ってしまうそうです。理由は、それも症状の一つだからだそうです。
「間違った判断を言い張ってしまう」「理由があるから、謝らなくてもいい」この感覚があるため、定型発達の人は、「いくらなんでも」と感じるようになり、回数が多いと、「さすがにちょっと」となり、そして、それが、間違えても許されないケースもあるため、「いいじゃない。後で気づいたから」では、取り返しもつかないります。
言い張られると、一般的な人は、遠慮をします。強く言い張るのなら、根拠があるのかもしれないとか、面倒な人かもしれないとか、忖度のような気持ちが働き、その場では言い返せない雰囲気になります。それが、のちに、「やっぱり、こちらが正しかった」となると、発達障害者の人は、「信用できない人」となり、やがて、「仕事を一緒にするとトラブルだらけの人」となり、「もう、仕事を一緒にしたくない」となっていき、「関わりたくない」までのレベルになります。このレベルになって初めて、「この人、ひょっとして、発達障害?」と気づかれる状態が、発達障害の症状です。
「間違ってないよ、気づけないだけだよ」と流し続ける人の場合は、さすがに、「周辺者」のほうが、確認を行うほうがいいのですが、「これは確認しづらい」「相手の範囲だから口出しできない」というのがたくさんあるのが、日本社会です。発達障害の症状がわかってからは、「間違っていたかもしれない。ごめんなさい」と発達障害の人が言ったほうがいいのですが、インターネットの書き込みでは、最後まで「俺が正しい」と言い張られて、なんてものが多いようです。
「気づけないだけ」がたくさん重なりすぎると、さすがに大変になります。相手の側に立って考えないといけないことは、たくさんありますが、「言ってくれたらいいじゃない」と言い張るASDの人も多いです。現実は、気づけないだけだとしても「それぐらいは、気づくべき」なんて場所もあるために大変です。その場によって基準が変わります。気づけないのは許されないケースもあるので、確認が大事になります。でも、確認しづらいケースは、どうしたらいいのか、その場で考えていくしかないようです。
サリーとアンに、登場人物が増えたら?
ASDの症状を知っている人は、「サリーとアンの問題」を知っている人が多いと思います。この問題は、他者の心の中を推測できるかのテストです。状況が変わっていくとき、その状況を知らない相手がどう考えるかがわかるかを子供向けのテストにしています。大人になるとサリーとアン程度の問題はわかるようになる人が多いそうです。ところが、この状況が変わっていく部分が複雑だったら、登場人物が増えたら、どうなるか? 発達障害以外でも複雑すぎて、「定型発達でも判断できないよ」なんて問題はがおおいです。仕事でも、職場でも、友人でも、子供の学校の関係者、ママ友、PTA、入っているサークルや、活動団体などで、たくさん起きます。いろいろな人がいるグループ構成の団体は、どんな場所でもあるからです。
登場人物が、増えたら、サリーとアン程度の問題がさらに、違う要素も含まれて、複合的な判断が必要な場面は、仕事じゃなくても、たくさん出てきます。それらが、どの程度判断できるかは、発達障害でも、定型発達でも、個人差が出ます。
サリーとアンの問題は、判断用に、大人のレベル問題があったら、いいのかもしれないと感じました。現実は、サリーとアンと、ほかの人もいれば、それぞれの事情が重なり、優先順位を付けて判断しなければいけないことだらけです。接客業なら、お客様がいて、会社の人がいて、上司がいて、違う部署の人がいて、会社の基準があり、その中で、どう動けばいいのか、マニュアルがある場合と、臨機応変にいかなければいけないことだらけで、「指示してもらえばいい」だけでは済まない状況がたくさんあり、それを判断できないのに、「私の判断は正しい」と言ってしまう、アスペルガー症候群の人も多いそうです。ここにADHDやLDなども重なると、お手上げです。「一体、どの症状で、そんな判断になるの?」という状況で、お医者さんに解説してもらうしかしょうがないぐらいの状態です。
サリーとアンの時の間違った判断だらけのASDの人は、自分の症状を知ろうとしない人もいます。ASDの「当事者」だと、間違った判断だらけになりますから、確認しても確認してもきりがありません。ASDの人の判断を採用しない。という選択肢しか方法がないのですが、ASDには「言い張る」のも特徴にあり、周りは大変です。
発達障害は目に見えない障害のため、初対面では、ほぼ、わかりません。会話をちょっとした程度では、相手の力量もわからないし、判断がおかしいと気づけるぐらいまでの距離間で、一緒に作業をするようになって、初めて気づきます。
例えば、サリーとアンの問題の大人バージョンが、「サリーとアンが大人になっていて、仕事先が同じで、同僚にトーマスもいて、上司にビルもいました。サリーが書類ケースに封筒を入れました。のちに、サリーがいないときに書類ケースから、その封筒をアンが取り出して、自分の引き出しに入れました。トーマスがそれを見て通りかかり、封筒は上司に届けるべきだと勝手に判断して、アンが行ってしまった後に、封筒を持っていき、上司のビルの机の上において置く。『それぞれが、封筒は、どこにあると言うでしょうか? それぞれは、後で会った時に、封筒を持って行ったことを口頭で伝えればいいと思っています』」なんて問題になったら、大人のアスペルガーの人は、どう判断するのでしょうか? 答えは、サリー、アン、トーマスは、自分が置いた場所だと思い込んでいる。なぜなら、お互いに、確認を取る前だから。ビルだけは、「なんだ、この封筒は?」と思っている。という状態ですが、サリーとアンの問題が解けないASDは、「全員、『ビルの机の上』と言うに決まっている」と言ってしまうかもしれません。あるいは、「なんだ、この問題は。持っていくときにメモを置いておくのが常識だ」というASDの人もいるし、「問題の出し方が間違っている」と問題にケチをつけるASDもいるようです。こういうことが日常で、いつも、起こりがちなのが、ASDの特徴なので、大変になります。
大人になると、トラブルになっても、なんとなく、「どうすればいいのかがわかる」というのも多いし、「複雑すぎて、自分では結論が出ない」というのもあります。ところが、ASDの人で自覚がないままだと、「これが正しい答えだ!!」と間違った判断を言い張って、判断の正否がすぐにわからない場合も多く、混乱してしまいます。
重症じゃないASDの人だと、「自分には判断はできない」と気づけるようになる人もいるそうです。「判断はできないけれど、判断はしてはいけないと気づける」という状態の人だと、お仕事の現場も混乱しにくいそうです。でも、現実は、重症の人ほど、「俺だったら判断できる」と言い張ってしまうし、間違った判断を自分がしていることに気づけないそうです。優秀なお医者さんに診察してもらえる順番や、一般企業就職の障害者枠は、重症な人が優先されているようです。でも、グレーゾーンや、症状が軽い人のほうを優先したほうが、一般の会社は、混乱する数が減るだろうし、定型発達の人も助かるのでは? という意見もあるようです。重症の人の場合は、作業所のほうを改善して、専任のお医者さんが時々診断するシステムがあり、カウンセラーに時々、お話を聞いてもらえる状態にして、常にジョブコーチをつけて、その人たちが働きやすい場所を作って、賃金もある程度保証されて、というバックアップ体制を敷かないと難しいという意見も多いようです。
まだまだ、発達障害の状態にあった社会にはなっていないため、現場の人たちが困っています。
登場人物が、増えたら、サリーとアン程度の問題がさらに、違う要素も含まれて、複合的な判断が必要な場面は、仕事じゃなくても、たくさん出てきます。それらが、どの程度判断できるかは、発達障害でも、定型発達でも、個人差が出ます。
サリーとアンの問題は、判断用に、大人のレベル問題があったら、いいのかもしれないと感じました。現実は、サリーとアンと、ほかの人もいれば、それぞれの事情が重なり、優先順位を付けて判断しなければいけないことだらけです。接客業なら、お客様がいて、会社の人がいて、上司がいて、違う部署の人がいて、会社の基準があり、その中で、どう動けばいいのか、マニュアルがある場合と、臨機応変にいかなければいけないことだらけで、「指示してもらえばいい」だけでは済まない状況がたくさんあり、それを判断できないのに、「私の判断は正しい」と言ってしまう、アスペルガー症候群の人も多いそうです。ここにADHDやLDなども重なると、お手上げです。「一体、どの症状で、そんな判断になるの?」という状況で、お医者さんに解説してもらうしかしょうがないぐらいの状態です。
サリーとアンの時の間違った判断だらけのASDの人は、自分の症状を知ろうとしない人もいます。ASDの「当事者」だと、間違った判断だらけになりますから、確認しても確認してもきりがありません。ASDの人の判断を採用しない。という選択肢しか方法がないのですが、ASDには「言い張る」のも特徴にあり、周りは大変です。
発達障害は目に見えない障害のため、初対面では、ほぼ、わかりません。会話をちょっとした程度では、相手の力量もわからないし、判断がおかしいと気づけるぐらいまでの距離間で、一緒に作業をするようになって、初めて気づきます。
例えば、サリーとアンの問題の大人バージョンが、「サリーとアンが大人になっていて、仕事先が同じで、同僚にトーマスもいて、上司にビルもいました。サリーが書類ケースに封筒を入れました。のちに、サリーがいないときに書類ケースから、その封筒をアンが取り出して、自分の引き出しに入れました。トーマスがそれを見て通りかかり、封筒は上司に届けるべきだと勝手に判断して、アンが行ってしまった後に、封筒を持っていき、上司のビルの机の上において置く。『それぞれが、封筒は、どこにあると言うでしょうか? それぞれは、後で会った時に、封筒を持って行ったことを口頭で伝えればいいと思っています』」なんて問題になったら、大人のアスペルガーの人は、どう判断するのでしょうか? 答えは、サリー、アン、トーマスは、自分が置いた場所だと思い込んでいる。なぜなら、お互いに、確認を取る前だから。ビルだけは、「なんだ、この封筒は?」と思っている。という状態ですが、サリーとアンの問題が解けないASDは、「全員、『ビルの机の上』と言うに決まっている」と言ってしまうかもしれません。あるいは、「なんだ、この問題は。持っていくときにメモを置いておくのが常識だ」というASDの人もいるし、「問題の出し方が間違っている」と問題にケチをつけるASDもいるようです。こういうことが日常で、いつも、起こりがちなのが、ASDの特徴なので、大変になります。
大人になると、トラブルになっても、なんとなく、「どうすればいいのかがわかる」というのも多いし、「複雑すぎて、自分では結論が出ない」というのもあります。ところが、ASDの人で自覚がないままだと、「これが正しい答えだ!!」と間違った判断を言い張って、判断の正否がすぐにわからない場合も多く、混乱してしまいます。
重症じゃないASDの人だと、「自分には判断はできない」と気づけるようになる人もいるそうです。「判断はできないけれど、判断はしてはいけないと気づける」という状態の人だと、お仕事の現場も混乱しにくいそうです。でも、現実は、重症の人ほど、「俺だったら判断できる」と言い張ってしまうし、間違った判断を自分がしていることに気づけないそうです。優秀なお医者さんに診察してもらえる順番や、一般企業就職の障害者枠は、重症な人が優先されているようです。でも、グレーゾーンや、症状が軽い人のほうを優先したほうが、一般の会社は、混乱する数が減るだろうし、定型発達の人も助かるのでは? という意見もあるようです。重症の人の場合は、作業所のほうを改善して、専任のお医者さんが時々診断するシステムがあり、カウンセラーに時々、お話を聞いてもらえる状態にして、常にジョブコーチをつけて、その人たちが働きやすい場所を作って、賃金もある程度保証されて、というバックアップ体制を敷かないと難しいという意見も多いようです。
まだまだ、発達障害の状態にあった社会にはなっていないため、現場の人たちが困っています。
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ページの用語
「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医