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カサンドラの対処法3

 いろいろな方がカサンドラの対処法を工夫しています。森田療法や心理カウンセラーの心屋仁之助さんを参考に取り入れている人もいるようです。森田療法は、まじめな人向け、心屋さんのほうは、緩めが好きな人向けのようです。

 森田療法だと、避けたいと思っていることをハードルを低めから取り組んで、恐怖心や嫌だという気持ちを慣れさせたり、気になることがたくさんあるのなら、それを考える時間をなくさせるぐらい忙しく日程を組んじゃって、考えるよりたくさん行動してみて、行動してから考える。考えすぎるよりは、ASD、ADHDの症状が出ている「当事者」を、とりあえず受け入れて、別のことをする時間をたくさんしてみて、ASD、ADHDの「当事者」のことを忘れるぐらいにほかの時間を優先してみる。そういう方法もあるようです。忘れるぐらいで、距離を取りつつ、冷静になれる状態になってから、ちょっとだけ、そのことを考える。そういう方法もあるようです。

 心屋さんの場合は、「とりあえず、受け入れてみる」「迷惑をかけられた相手でも、悪気があったわけじゃないし、何か理由があるし、相手に『そのままでいいよ』『ありがとう』と思う」「相手から、学ぼう。たくさんの考える課題ができて、自分が成長できて、ありがとう」と考える。「『こうすべき』『こうしないと』を捨てる」「よい人に見られたいという意識を捨てる」相手も、自分も許す。相手も自分も未熟でいい。そんな感じの受け入れ方をしている「周辺者」が多いようです。自分を許すというのは、「ああすればよかった」「こういう方法もあったのに」と、あとから思い出すのをやめることから始めて、「その時に気づける範囲で、やったのだから、その結果で、問題が起きても、しょうがない」「アスペルガーの人は、どんなに頑張っても、努力で何とかなるわけじゃないから、しょうがない」「ASD、ADHDの人は、自分がしていることが、どこが間違っているか、気づけない。だから、謝る必要がないと思っている『当事者』に、謝ってほしい、治ってほしいと、つい、思ってしまうことはあきらめて、『当事者』は、私に、ステップアップする機会を与えてくれた。当たり前と思っていた世界が、違うことも多いと気づかせてくれた人と思う」という、課題をもらえてハッピーと考える方法です。相手を責めるのをやめて、「当事者」「周辺者」は手探りで行動しているのだから、うまくできないのは当たり前。「当事者」「周辺者」の両方とも、自分の願いがすれ違ってしまうけれど、それは、お互いに相手に願うのは、無理なのだから、歩み寄るのもの難しいけれど、考える時間をくれて、課題をくれて、それで、その課題をこなせなくても、自分を許す。そういう感じで受け止めるようです。

 カサンドラになる人は、本で書かれていましたが、しっかり者、なんでも、自分でやろうとする。ほかの人の課題も引き受けてあげようとする、困っている人を助けてあげようとする、そういう人が多いようです。「相手の課題も引き受けちゃう」ここが一番ネックになっています。「当事者」の課題は、「当事者」のものです。その「当事者」ができないと、「私やほかの人に迷惑をかける」「将来に困ったことが起きる」という部分を「周辺者」は気づけます。「当事者」は気づけない人が多いです。教えてもらうと気づける「当事者」もいます。気づけても「それぐらい、そちらが我慢しろ」「そちらが何とかしろ」という「当事者」の場合は、距離を取りつつ、「課題をくれてありがとう」と思って、相手から、「謝罪や対応は期待しない」という考え方になります。「ごめんね」と言える「当事者」でも、「当事者」がやらないといけないことは「当事者」の範囲になります。「周辺者」は、どうしてもやらないといけない部分だけを考え、それ以外は、あまりやりすぎないのがいいようです。カサンドラ状態なのであれば、「『当事者』は、今、この瞬間だけで生きていて、本人はわかってなくて、とにかく『怒らないでくれればいいから』としか思ってない人なのだから、あきらめよう」と思うしかないようです。カサンドラ状態ならば「当事者」は課題をくれた人。「当事者」は謝ることも、対応もできない人と認識して、「周辺者」は、「自分のことを優先しよう」「とにかく考えずに動こう」ということをたくさん増やす方法もあるし、ゆるく考えて「私も、相手も許す」「お互いにしたいことをしよう」とする、そういう方法もあるようです。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医