SSTは、症状が出ていない「周辺者」も、小さいころから、自分なりに身に着けています。その場合は、身近な人をお手本に、自然に覚えていきます。それ以外だと、親や教師、友達や知り合いに教えてもらって、身についていることも多いです。ASDの「当事者」は、理解できなかったため、「覚えなくてもいいや」と流してしまっていたケースも多いようです。それを大人になり、修正するのは、ものすごく大変な作業になるようです。できるのは、応急処置程度だと思っておいたほうがいいようです。定型発達レベルのことができなければいけないと思うと、「当事者」はつらくなります。社会適応をどの程度にするかを決めるのは、「当事者」が考えていく必要があります。できることの範囲は、同じASD、ADHDの診断を受けた人でも、個人差がありすぎるようです。こだわりが強すぎるという人もいるし、全くこだわらない人もいるからです。わからなければ、お医者さんや「周辺者」とよく話し合って、理解していく必要があるようです。社会適応は、「できる範囲でやれたら、それでいい」「できなくても、落ち込まない」「できなくても、できることを探そう」と思わないとつらくなります。「当事者」も「周辺者」も割り切りが必要のようです。
SSTの見本は、自分と似たようなレベルの人を考えて、「周辺者」はまねをしている場合が多いです。自分ができないことを目指しても、無理だからです。それと同じで、ASD、ADHDの「当事者」も、同じような症状で悩んでいる人のブログなどを参考にしてもいいかもしれません。