今まで、トラブルだらけで、アスペルガー、ADHDの「当事者」の人は、診断がつくと、「自分のせいじゃなかったんだ」と安心する人も多いようです。それで、「だったら、精神科医の先生に教えてもらおう」と切り替えられる人も多いようですが、「周辺者」は違います。流れで把握しているため、「発達障害者だから、悪気がなかったのだから、今までのことを水に流してほしい」と言われて、すぐに「いいよ」と言える状態じゃない人のほうが多いようです。理由は、発達障害の症状だとしても、「不愉快だから」だそうです。そして、「今後も、これが続く?」「感謝してもらえるわけじゃない人を支えるの?」「え、いったい、どうしたらいいの?」「発達障害って、一生治らないんだろう!!」「困るー!! なんで、私がこんな目に遭うの!」「もっと、普通の人と接したい!」と思ってしまいやすい。それが人間の自然な感情だと書かれてあるものが多かったです。それで、無理に切り替えられるわけもなく、そばにいる「当事者」が発達障害だと分かってすぐに、対応方法を切り替えられるわけじゃなく、「当事者」も「周辺者」も時間が必要です。
まず、症状の把握をして、発達障害のマニュアルを読み込んで、どうしたらいいのかを考え、感情の処理をして、というだけで、ものすごい時間がかかります。その間、葛藤の連続。とてもじゃないけど、受け止めきれないという人が多いようです。しかも、「当事者」は、取り組んでくれる人のほうが少ないらしく、「がんばって、取り組んでやっています。順調です」なんて人のほうが少ない。「何かしらあるものですが、それは私の障害からくるものだから、流すところは流し、でも、できる範囲は、何とかやっていますよ」という人のほうが多いようです。それは、取り組む人の場合。障害に取り組まない「当事者」「周辺者」も多く、無理解な人も多いようです。「当事者」「周辺者」の両方が取り組もうと思わないと、なかなか難しく、その気持ちが出来上がるまでには、年月が必要のようです。
トラブルの感情の処理は、とても、難しいですが、障害のマニュアルを読んで、「当事者」「周辺者」のブログなどで体験談を読んで、そうして、状況を徐々に受け入れて、「この人に悪気がないんだ」と「周辺者」があきらめる、状況を受け入れるというのが多いようです。「当事者」も同じように、自分の限界を知り、でも、できることも多いのだと、もっとひどい状態の人もいる。でも、できる範囲を頑張ろうとしていくようです。
状況を受け入れて、少しでも対応していこうという気持ちがある「当事者」「周辺者」の組み合わせの場合は、そのうちに、徐々に気持ちが出来上がるのを待つしかないようです。
問題なのは、「相手が悪い!!」「私のせいじゃない」「なんで、私がやらないといけないんだ」で思考停止している場合。「当事者」がそのケースは、残念ながら、とても多いので、この場合は、「トラブルだらけだったのは、障害の症状だったのか。これで、勉強になった。今後、巻き込まれないように、うまく距離を取って付き合っていく方法だけを考えて、相手に無理して合わせない。ペースに乗らない。自分のペースで動こう」と考えたほうがいいらしいです。
「周辺者」のほうが無理解で、非協力的だったら、「当事者」は、大変となりますが、症状に理解してもらえる人に助けてもらうことを優先し、相手に理解してもらえない部分は流すしかないようです。相手の気持ちは相手のものであり、「なんで、私の気持ちをわかってくれないんだ!!}と嘆いても、相手は、変わらない人も多いようです。
価値観の違いは埋められないことが多いようです。あきらめも肝心のようです。つらいことが多いので、共感してほしい欲求が強くなる時もたくさんあります。親だから、配偶者だから、家族だから、知り合いだからと、相手に期待したくなりますが、難しいケースも多いようです。