始めに

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脳の回路が違う?

 矛盾する二つのことが同時に成り立つと思う。それが、アスペルガー症候群の脳の錯覚であるらしいです。
 説明をしておいても、それ以外の部分を想像して動くことができなかったりする。言われた部分しか考えられないらしく、
 「この時間に来てください」「別の場所にいるのでいけません」というのが同時に成り立つはずだということを言い張られたことがあります。でも、それが理解できない発達障害の人もいるらしいです。

 概念の錯覚は、個人差があり、集団での役割、時間配分、地図とか、いろいろな錯覚で問題を起こしているアスペルガーの人は多いようです。失敗したときに、どこが違っているのかを説明しておく必要はあるそうですが、「そもそも、理解するのが難しい」らしく、よって、発達障害者の「当事者」自身が、「何とか理解したい。迷惑をかけたくない」と心から思わないと、聞く耳を持たず、そのままにされるケースも多数。ここで誤解と錯覚で、同じような問題を繰り返す原因になるそうです。

 一つ一つ、起こった問題ごとに、指導してもらい、注意してもらい、中には、すべて決めてもらって指示してもらうだけのほうがいいというレベルの発達障害者の人もいるそうです。ここに個人差がありすぎるので、自分はどの程度のことができるかということを、普段からマニュアル化をしておくほうが安全のようです。

 あまりに問題が出るようなら、聞く耳を持つまでは距離を取るほうがいいという指導をするお医者さん、カウンセラーなどの「専門家」も多いようです。症状の理解をしてもらわないと、どうしようもないので、そこをするかどうか、自覚があるかどうかが決め手になるようです。

 気づける範囲で、あらかじめ注意してしまうということもできますが、今度は、ごちゃごちゃして、脳の整理ができない発達障害者もいるし、パニックになったら、どんなに注意しておいても、それらがすべて吹っ飛んでしまい、順序も優先順位もぐちゃぐちゃになる人もいるようです。そして、注意してもらったことを、何度、教えておいても、聞き漏らしたり、覚えておけない人もいます。直前に注意しても、それすら忘れてしまう。それが障害レベルということになるようです。

フリーズする脳

 理解不可能な状況の時に、受け止められなくて、脳がフリーズ状態になりやすいのが発達障害の人の脳のようです。定型発達の人だとフリーズしそうになったら、とりあえず、いったん休憩したほうがいいからと、その場を離れて、いったん考えるのをやめるのが一般的な反応ですが、発達障害の人は、考えがぐるぐる回り、フリーズ状態になり、周りの様子が気づけない。注意されても、「いったん中止しようよ」と言われても、止められないらしいです。フリーズ状態になったら、音すら聞こえないらしく、周りから言われても、一か所集中で、「なぜ、なぜ、なぜ?」が頭に駆け巡るらしいです。

 一般的な人だと、ごちゃごちゃして、考えがまとまらなくても、雑音は聞こえていますし、周りの人の声も聞こえてきて、余計にプレッシャーとなったり、ますます、混乱しますが、発達障害の人は、声も音も聞こえなくなるらしくて、周りの人は、「これだけ注意しているのに」と怒ってしまいやすいです。

 症状を理解しても、どうしてもフリーズもパニックも起こりやすいのが発達障害の人のほうで、フリーズしたり、パニックしたら、静かなところで休ませる。しばらく待つなどの処置をして、その後、軽く説明をして、してはいけないことへの注意や、どうしたらいいのかの指導などを行うのが一般的のようです。

 あらかじめ、訓練で、小さいパニック状態の時から、「深呼吸しよう」「いったん、脳を休めよう」と「周辺者」が働きかけておいたほうがいいようです。そういう小さいことの積み重ねも、SSTの対応になるようです。ソーシャルスキルトレーニングの内容を把握して、できるものを日常に取り入れておかないと、パニックになったり、フリーズするたびに、右往左往します。あらかじめ、ソーシャルスキルトレーニングとは、どんなものかを把握してもらっておくことが大切のようです。

 フリーズしやすい、パニックになりやすい部分を抑えるというのは、とても、難しいようですが、落ち着く方法を学ぶことはできるので、だんだんと、それに慣れておく必要があるようです。

変化も少なく、報われない人と、どう関わるか

 お医者さんや、いろいろな人に相談するにしても、決めるのは「当事者」と「周辺者」になります。

 お互いに、「よくなることはありません。その状態が続きますが、その人とどうなりたいですか? 正直に決めてください。あなたが決める範囲ですよ」というアドバイスがとても多いようです。状況は、周りの人には、伝わりにくいです。発達障害者の場合は、概念が分かっていないか、抑えられないか、両方持っているかのどれかで、よって、「周辺者が望むほど、よくなることはない」と書いてあるものばかり。その状況で、

「受け入れますか? 嫌ですか?」を決めるのは、「当事者」と「周辺者」になります。一応、受け入れるけど、いやなこと、トラブルの連続で、「もう、いいや」となる人もいるし、立ち止まっても、徐々に変化していく人もいますが、周辺者は、

「悪気がないけれど、トラブルだらけで、時に、周りの人のせいにしてしまう人をかばい続ける、つまり、ボランティア活動が続けられる気持ちでいられますか?」という選択を選ばないといけないようです。中には、その状況から逃げることもできない人も多く、ぼやくしかなく、疲れ果てるなんてのも、書き込みでたくさん見かけました。

 その人にどっぷりそばにいると疲れるので、適度に距離感を保ちながらも、かかわっていくしかない場合もあるし、距離を取れるのなら、取ったいい場合もありますし、決めるのは、「周辺者」が自分で、周りに相談しながら、考えていくしかなさそうです。

「一生、その状況は良くなりません。問題だらけの人は、そのままです。その人にボランティア活動して、お礼も言ってもらえない、時に、あなたのせいにされることもありますが、耐えますか?」と聞かれたら、たいていの人は、「それは、ちょっと困る」と思うのではないかと思います。そこに責任感を感じないほうがいいと思うので、無理しないほうがよさそうです。

取り組む人だけ先に進もう!

「対応してくれないんです」という書き込みは、ものすごくたくさん見かけます。そして、それに対してのアドバイスは、大体同じです。「だったら、あなただけ、先に進んで対応してみて、待ってはどうですか?」というもの。もしくは、「待っても無駄なので、その人は難しいので、あなただけでも、できる行動を探しましょう」というものです。

 取り組む人だけ先に進み、相手がその状況を受け入れてくれるのを待つというのも一つの方法のようです。非協力的で、理解もしてくれない人がそばにいたら、イライラしますが、そこも流さないと難しいようです。どんなに、「協力してよ」「理解してよ」と言っても、気持ちの問題です。相手の気持ちは、よほどのことがない限りは、受け入れられないようです。意外と、本や漫画を読んで、「目からうろこ」と言って、受け入れる方もいるようですが、その辺は、どうなるかはわかりません。

 対応して頑張ろうと思っている人だけでも、前に進んでみて、状況を見ながら、行動していく、そういうアドバイスがたくさんありました。それしか、ないのかもしれません。

習うより慣れろ

 発達障害者の意見で、よくあるのが、時間がかかりますが、とにかく、数をこなして、自分の障害がどんなものなのかを知る必要があり、やがて、自分の気持ちが落ち着いて、「自分の状態に慣れてくる」というのがあります。まず、障害者であることを受け入れるので、葛藤する人もいるようですが、発達障害はの方で、トラブルだらけの人生だと、「ああ、自分のせいじゃなかったんだ。病気のせいだったんだ」と安心感を得る人も多く、やがて、「病気なら、仕方ない。もがいても、あがいても、限界はあるし」と思って、受け入れるようです。アスペルガーの人だと、すぐに受け止めて、「できないのなら、それでいいや」という人も多いようです。悩む人もいるらしく、その違いは、アスペルガーの、受動型や積極奇異型、孤立型も関係あるのかもしれません。何とか、社会に溶け込もうとするのは、受動型が多いようです。溶け込もうとすればするほど、悩んでしまう性質なので、無理はしないほうがよさそうです。ほどほどを目指しましょうと言ってもアスペルガーにほどほどは難しいようですが、それも自分で障害の性質を理解して、徐々に慣れていくしかなさそうです。

 「周辺者」も状況に慣れていきます。どんどんハードルが下がり、気持ちも下がり、ため息をつきたくなり、「じゃあ、できることだけでも、がんばって」という気持ちになり、それを「当事者」がやってくれるかどうかで、「周辺者」の気持ちも変わってきます。

 「当事者」「周辺者」の両方が、状況に慣れ始めて、どういう対応がいいのかが、どんどんわかり始めるまでは、葛藤と混乱の連続ですが、無理をしないほうがいいようです。人によっては、慣れるまでに何年もかかる人もいるらしいです。「もしかして、アスペルガーかもしれないとは思っていたけれど、勇気が出なくて、病院に行ってないです」と思って、数年ももやもやしている人もいるため、その気持ちを作れるかどうかは、個人差があるようです。

 状況を一生受け止めない、「当事者」「周辺者」はあきらめてくださいと書いてあるものが多いです。ほどほどに受け止めて、それなりに対応し、できなくても、そのうちにできるかもしれないと受け止めて、そして、習うより慣れろという状況がいつか、来るといいと思っています。

カサンドラ対処法4

 カサンドラ症候群は、書籍もありますし、ネットにも情報が書かれてあります。でも、そのどれも、気持ちを変えるほどのものにはなりません。情報を仕入れても、心の変化はすぐには起きないことが多いようです。すぐに受け入れたという人は、結婚に対してのイメージがそもそも違っていたらしく、「夫には、そこまで期待してないので」というものでした。
 多くの人は、結婚に期待しているものがたくさんあるので、そういうイメージが崩れて、どんなに努力しても、その状態にならないということを受け止められない人も多いようです。望んでいるハードルがどんどん低くなっても、アスペルガー、ADHDの症状を持っている「当事者」のトラブルは減るどころか、よくなることはなく、「また、ですか?」という気持ちが積み重なっていくだけの場合が多いです。
 ものすごく、取り組みたいというレベルの人は、少ないらしく、受け止めている、自覚しているけれど、「どうしたらいいの?」というタイプの人か、「自分はトラブルは起こしてない。周りが悪いんだ。自分は正しいことを言っているんだ!」と言い張って、自覚なし、対応なしのタイプの人に分かれます。

 取り組んでくれても、取り組まなくても、大変であることには変わりなく、「周辺者」は、疲れ切ります。心の中に疲れがたまってきて、「だれか、なんとかして」と思ってしまい、カサンドラ状態が良くならない人も多いようです。アスペルガー、ADHDだと分かってから、途方に暮れて、対応法を学び、でも「当事者」は学ぼうとしないし、取り組まないとやっていられない状態で、「周辺者」は受け入れるどころじゃなくなって、追い詰められます。

 カサンドラ症候群の状態から抜け出した方の書き込みの多くは、「症状を理解すること」「あきらめること」「心が落ち着くこと」「やる気が出てくること」の状態になるまで、早くて一年、掛かっているようです。数年かかっても、抜け出せない人も多いようです。「当事者」の症状や状態によって違ってくるし、「周辺者」が気にするか、責任感が強いか、価値観を手放せるか、なども関係あります。

 個人差がありますが、数年はかかると思って、ゆっくりと気持ちを落ち着けつつ、症状の勉強をして、「当事者」は悪気はないのだと理解していくしかないようです。時間がかかります。

修行です

 発達障害のそばにいる「周辺者」は、「悪気がないのだから、許さないと、対応もできないけれど、心がついていかない。毎日が修行です」というコメントをあちこちで見かけました。いくら修行でも、さすがに、毎日だとつらいので、時々、修行するぐらいの気持ちで、適当に流すところは流し、自分の世界観を持って、距離感をもっていたほうがいいようです。そのために、趣味の時間を大切にして、リフレッシュ方法を見つけて、なんてことがいいようですが、カサンドラ症候群の状態では、そうはいきません。
 その期間は、修行は禁物。なぜなら、悪化するからだそうです。心が動かないぐらいの状態になったら、もう、何もしない。少しは動けるようになっても、無理はしない。修行は元気になってから、できそうならやるだけで、できそうもないのなら、距離を取るしかないと思いますが、もしも、保護しないといけない立場だったら、そうもいかないので、その辺は、周りと相談しながら、無理をしない範囲でやっていくしかなさそうです。

 うまくいかないことも多いことはわかっていても、意思の疎通が測れない人と一緒に、ずっとやっていくことは、難しいです。そして、「私は正しい」とか、気持ちが通じ合わない人と一緒にいたら、疲れます。
 修行とは言っても、やっぱり、やれないことも多いので、無理はしないほうがいいようです。

トラブルを分けて考えよう

「また、やったの?」
「対応してよ」
「自分でやろうよ」
「お金まで問題を起こしたの?」
「なんで、私が、助けないといけないの?」
「トラブルが多すぎだ、ついていけない」
「もう、知らない」

 などなどの感情は、発達障害の「当事者」のそばにいたら、「周辺者」は、たくさんたまり続けるようです。そして、「当事者」が取り組まない限りは、減りません。取り組む「当事者」は少ないようです。取り組んでも、劇的に減ることはなくて、よって、「やっていられない」という感情は、減ることはないとコメントがとても多いようです。その人たちの気持ちの切り替えは、
「当事者に期待しないこと」「相手が変わることは基本ない!」と思っておくことのようです。

「遅刻は減らない」
「言い訳ばかりしている」
「文句が多い」
「助ける回数は減ることはない」
「トラブルだらけ」

 これらが減らないとしたら、やりきれなくなりますが、だんだんと、心のほうがマヒしてきます。カサンドラ症候群の状態になったら、安全のために「距離を取ったほうが良いようです」この状態が少し良くなったり、でも、悪くなったりを繰り返す場合は、心のよりどころとして、「少しは良くなってよ」と思いたくなりますが、ならないようです。変えることができるのは、「周辺者」の心後掛けだけ。「もう、矢でも鉄砲でも持ってきてよ」「あまりかかわらないようにしよう」という開き直りの心境まで行くしかないらしいです。

 付き合うか、付き合わないかを決める。トラブルになっても、いちいちへこまない。慣れる。どうせ、変わらない。浮気する人は浮気が治らない。借金をする人は借金を重ねる。こだわりが強い人はこだわりが強いまま。「でも、私はかかわらない」もしくは、「適当に処理する。無理しない」という感情をもって、開き直るしかないようです。

 処理する場合ですが、一つ一つ一喜一憂するのをやめて、最低限、「これだけは対応しないと、まずい!」というものだけ選別して、対応をする程度にとどめて、全部を背負いこまないほうがいいようです。問題を分けて考えたほうがいいようです。相手の範囲、自分の気持ちの処理、トラブルの処理などを分けて、それぞれを考える。残りは考えない。というスタンスで行かないと、心が持たないようです。お金の問題なら、お金だけ。遅刻の問題なら遅刻だけを考える。言い訳が多いのを聞いていられないのなら、それを聞き流す心をどう作るかだけを考える。文句を言われるのなら、リフレッシュの方法だけを考える。

「相手が借金したり、浮気したりして許せない」という場合は、「相手が変われば」ではなく、「浮気する、借金する人を許すか、許さないか」という部分で決めたほうがいいようです。文句ばかり言われるのなら、音楽プレーヤーで耳をふさぐ、耳栓を使うなどの対応をする。遅刻するのなら、遅刻を想定して動くしかない。相手がそれでも遅刻するなら、予防策として、周りに説明をあらかじめしておく。借金とか、浮気は、もう、個人で対応するのは難しいので、頼りになる人に相談したほうが良いようです。

 全部は一度に処理できないので、処理したいときに、処理しないといけない順番で考えて、無理をしないのが一番、いいようです。

 アスペルガーやADHDの人は、「相手に罪悪感もなく、自分が正しいと思ってしまう脳だ!」ということを理解して、「そもそも、事情を理解することは難しい脳なので、あきらめる」覚悟が必要です。無理をしないように、したほうがいいようです。

家庭教師が必要?

 発達障害の「当事者」「周辺者」は、自分で判断できなかったり、理解できない場合は、家庭教師のような存在の人が必要になります。大人の場合は、「精神科医」に相談します。ただ、親身になって指導してくれるかどうかは、先生によって、まちまちのようで、診断だけ出して、「あとは自力で」というケースも、ちらほら見かけました。反対に、「とても、親切で頼りになるし、なんでも答えてくれるし、心の安心感も見てくれます」という先生まで、千差万別のようです。

 家庭教師が必要なレベルの「当事者」は、とても多いらしく、「周辺者」がその役目を果たさないといけないことも多いようですが、何から何まで面倒を見ていたら、日常生活に支障が出ます。ほどほどを目指し、必要な部分だけは、考えたほうがいいようですが、無理はしないのがいいようです。

 WAIZ-Ⅲの検査を、診断で使う先生もいるようです。それによって、苦手なことも、ある程度できることも、わかるそうですが、本人が苦手と思っている結果と違うこともよくあるそうです。自分の状態を知っておいたほうが、何かといいのかもしれませんが、お金はかかるようです。

悲しい基準が違う?

 一般的なことでは、泣かないという投稿をよく見ます。「感情が分からないから。何が悲しいのかわからない。ただ、自分のことでパニックになったら、感情的になって、泣きたくなる」というのがあり、「困ることだと泣くけれど、感動したり、別れたり、ドラマで、泣かない」という発言があって、驚きでした。

 実際に、「泣きません」という書き込みは多数みられます。一般感覚とのずれは、どうしても想像もできず、「そういうものなのか」と驚きですが、そういう感覚の違いの把握は、「周辺者」「当事者」の両方が、一応、知っておく必要はあるみたいです。理解はできなけれど、把握する。違いは知っておく、それが、けんかをしないコツみたいです。

 外国人と文化が違えば、「なぜ、怒る?」というのがありますが、子供の頭を撫でたら、怒られる国もあるようですし、「お別れのバイバイ」のジェスチャーが違う国も多いです。そういうものだと把握して、お互いに、そこに違和感を持たず、ふるまうしかなさそうです。

 「困っているからやめて」と注意しても理解できない発達障害者は多いようです。「だって、私は困ってないから」「私は気にしないよ」「私に合わせてよ」という「当事者」だと、本人が本気で理解できる時まで待つしかないようです。注意しても直らないままの人も多いようです。無表情の人もいるらしく、表情が少しあっても、「何が悪いのか、わからないよ」という人もいるようです。個人差がありすぎますので、「当事者」に説明したほうがいいケースは、相手の状態に合わせて、説明をしたほうが良いそうです。

「悪気がないから?」

 発達障害の人のそばの「周辺者」の意見で多いのが、「悪気がないのは、わかるのだけれど」となります。その次の言葉は、「でも、不快だし」「傷つくし」「ずっと、フォローしないといけないの?」「我慢の限界があるし」というものが並びます。

 発達障害の「当事者」もぼやき、「周辺者」もぼやきの状態だと、うまくいかないため、励ましたり、ほめてもらえたり、そういう第三者のサポートがあったら、モチベーションの維持ができるかもしれません。

 実際に、そばにいる「周辺者」には、切実な問題が付きまといます。意思の疎通が図れないため、「周辺者」が決めないといけない。決めても「いやだ」と反発されてうまくいかない。言葉の暴力、金銭の問題が絡む人もいます。信用を無くしてしまったなんていうのも、たくさん書き込みがされていました。「ごめんなさいと、なぜ、私が言い続けないといけないのだろう?」という書き込みも多いです。「当事者」も、なぜ、私がこんな目に遭うのだろうか?と思っているようです。

 これらを解消するには、行政の状態を変えるしか方法はないかもしれません。バックアップ体制を変えないと、難しいと思います。小さいときから、専門家のテストがあったら違うのですが、そういう状態は、人権問題も絡むので、まだまだのようです。子供の特性に合わせて、一人ひとりカリキュラムが違う学校なんていうのがあったら、違ってくるかもしれません。

 支援法となってから、子供の発達障害が見つかる確率が上がり、その親も調べることになり、仕事場でも見つかる人も増えて、と言っても、グレーゾーンの人は、見過ごされているようです。グレーゾーンでも、意思の疎通が図れないというのは、大変になります。

 「当事者」の要望もたくさんあり、「私の技量に合わせて、仕事ができたらというのも多いです。「周辺者」は、「当事者」の自覚がないと、大変となり、「いったい、どうしたら?」という困っている人たちも多いようです。

「周辺者」は、「悪気がないから、許されるのでしょうか?」「許し続けるのも限界があります」と言っているケースも多数あります。これらを解消するには、職場のサポーター制度が早く導入されて、それで、学校のうちから、発達障害の人とどうやってかかわる形がいいのかを、考えられる環境ができたら、いいのかもしれないです。

「悪気がないから」と言われても、「実際にトラブルは、どうするの?」と切実な状況の人も多いです。一人で、抱えないようにと言われていますが、実際は、家庭で起こっていたら、「抱えたくなくても、抱えないとどうしようもないじゃないか」という状態です。
「周辺者」は、決して無理をしないようほうがよさそうです。

お互いを思いやるのは無理!

 アスペルガーを助けようとする「周辺者」もいますが、途中で、疲れ始めます。理由は、相手が分かってないことだらけで、自分の思い通りにしようとするだけなので、「周辺者」の思いやりは、「次から、この人に頼めばいいや」と勝手に認知されてしまうケースが多いからだそうです。

 アスペルガー当事者は、悪いとさえ思っておらず、助けてくれ無くなれば、不満タラタラですが、「聞き流してください」「罪悪感を持たないで」「アスペルガーが相手なら、こっちも自己中心的でいいよ!」という意見が多数、上がってました。一般的には、そんなかかわりは、しないので、「それでいいの?」とおっかなびっくりな対応となりますが、長く付き合ってくると、もしくは大きなトラブルの後だと、「それが正解」と気づけるようになるみたいです。

 アスペルガーの「当事者」は変わりません。変わることはできません。基本、「理解してもらおうとするのは不可能」と思っておかないと、難しいようです。「話し合いはできません」「相手に合わせていると限がありません」「相手が嘘を言いふらしても、それでも、自分の生活を優先しましょう」というものばかり。「身の安全を図ってください」というのが多くて、驚きますが、トラブルだらけで一緒に共同作業をし続けた人、大きなトラブルの後に言い訳が「なんじゃ、それは?」というものを聞いてしまった人など、「相手に合わせてください」というものが少ないです。

 「相手に合わせてもいいけれど、無理をしないで、考えてみましょう」というケースは、「当事者」が取り組んでいて、なおかつ、「周辺者」の気持ちも「合わせてもいいよ」という場合のみ。それ以外は、「無理をしないで」というものばかり。中には、「逃げてね」というものも多いようです。お医者さんに、「そう勧められました」という意見もちらほら載っていました。意見を書いている人たちは、「一通り、努力はしてみました」「何年も、話し合いを試みました」というものばかり。みんな、経験してから、そう感じてしまうようです。

 お互いに相手を思いやって、かかわろうという基本的な人間関係は、アスペルガーでは難しいようです。

表情読みトレーニング

 相手の表情が分からないという、アスペルガーの「当事者」もいます。複雑すぎなければ、わかるという人もいて、個人差があるようです。反対に、読めすぎて、考えすぎるという人は、受動型に多いようです。

 表情読みのトレーニングとして、子供は、表情カードで、ゲームなどの時に覚えるようです。大人に応用するとしたら、まず、表情の画像をインターネットで検索すればいくらでも出てくるので、どんな表情なのかを、「周辺者」と一緒に確かめてみてもいいかもしれません。漫画と写真と両方あります。そして、どの程度把握できるかを、自分で確かめておいたほうが、「当事者」は、安心です。「周辺者」は、表情テストで、レベルを把握してから、言葉での補い方を考えておいたほうがよさそうです。表情トレーニングは、インターネットの画像検索で、いくらでもできるので、「当事者」のトレーニングとして使ってみてもいいかもしれません。

表情を読めない?

 アスペルガーは、表情を読むことができないと言われているようですが、ちらほら見かけるのが、「読めるときもありますよ」「怒られているのぐらいは、いくら何でもわかる」「たぶん、嫌がられているというのはわかります」というもの。ただし、理由はわからない時も多いようです。今までで学習したことで覚えていた場合は、「もしかして、あれと同じかも」とわかるときもあるようです。

 表情が読めないというより、相手の顔を見ていない。というケースも多いようです。他には、自分の言葉を伝えるのに必死で、相手にお構いなしだったというケースもあるようです。空気が読めないわけじゃないけれど、でも、いったい、なぜ、怒られているのかまでは、わからないことも多いようです。症状がない「周辺者」も、時々、「なんで、怒ってるのだろう?」というケースもあります。仲が良くないと、理解できないことも多いです。怒りっぽい人もいるし、無反応の人もいるし、マイペースすぎて、自由すぎる人もいます。人それぞれ、違うため、どうやって読み取っているのかは、「周辺者」もわかってないところがあります。その都度、説明するしかないそうです。

 「前にも言ったでしょう?」ではなくて、「この場合は、こっちのほうがいいよ」という提案で教えてほしいと書いていた「当事者」が何人かいました。でも、毎回、聞かれると、「周辺者」も疲れてしまいます。ほどほどに、教えていくしかないようです。

自己肯定

 発達障害だと、できないこと、うまくいかないこと、大変なことだらけの状態が多いです。そうすると、「なぜ、うまくいかないのだろう?」と、時々、ため息をつきたくなる。もしくは、自己否定の気持ちが強くなってしまいます。どんなに励まされても、気持ちは晴れない場合も多いです。状況の詳しいことは知らない人から、気休めも言われたりします。「人の気も知らないで」「だったら、あなたがやってみてよ」と、ぼやきたくなる時もあります。カサンドラ状態まで行くと、もう大変です。そう時の場所が、自助会となるようです。

 同じ悩みを境遇する。「大変だよね」「つらかったよね」「あるよね」「あなたが悪いわけじゃないよ」「頑張ってきたね」など、ねぎらったり、やさしい声をかけてもらえたり、状況は違う部分も多くても、共感できる部分が多いため、「自分だけじゃないんだ」という気持ちとなり、心が少し軽くなるようです。それは、症状を知っている人同士じゃないと難しいです。

 自助会に参加をためらわれる人も多いようです。そういう場合は、同じ悩みを共有するサイトの閲覧でも癒されるようです。ただし、サイトによっては、辛辣な言葉が含まれる場所もあるので、そこはしっかり選んだほうがよさそうです。言葉によってはスルーして、共感できる部分だけを読んで、自分の心を慰めて、また、日常生活を送れるようにする。そういう作業も必要になります。慰める場所は、一つだけじゃなく、様々な人と、悩みを分かち合って、悩みを分散させて、心を軽くする必要があるようです。

精神・発達障害者しごとサポーター

「厚生労働省は、職場で働く精神障害者を同僚が支援する「精神・発達障害者しごとサポーター」を創設し、今年度中に2万人を養成する方針を固めた。

 来年4月に施行される改正障害者雇用促進法に基づき、身体障害者と知的障害者に加え、精神障害者の雇用も一定規模以上の企業や公的機関に義務づけられることに合わせた措置で、職場定着を支援する狙いがある」という記事が発表されました。

 お仕事の場でのサポートだけじゃなく、学校や生活に根差したほうもお願いしたいと切に願います。障害者だけじゃなく、それにかかわる人のケアもしてくれたら、ありがたいですよね。

「専門家」にしてもらえること

 時々、見かける書き込みで「お医者さんや、発達障害者センターの相談員は、何もしてくれない」というものがある。お医者さん、相談員の人に、どう相談したらいいのか、どこまでしてもらえるのかの整理がついていないのかもしれません。

残念ながら、人生相談じゃないため、家族関係のすべてを、その人たちが相談に乗れるわけじゃなくて、症状の部分で、どうしたらいいのかのアドバイスがもらえるだけ。やりきれない気持ちを受け止めてもらえる。気持ちの整理の手伝い。など、いろいろあるようですが、具体的に手助けの行動はしてもらえない。主体者は、相談している人になるから。「当事者」「周辺者」が動かないと、どうしようもない。

「当事者」は社会スキルを身に着けて、どう動いたらいいのかを自分で考えないといけない。トラブルになったら、どう行動したらいいのかを、信頼できる人たちに相談はできるけれど、対処をするのは自分となり、どうしてもできないことに対してのサポートを周りと考えることになるけれど、何から何まで、頼んでいたら、周りに嫌がられるし、周りも疲れてしまう。

 「周辺者」は、「当事者」が取り組まないのなら、それをあきらめるか、説得続けるか、どうかかわるかを決めないといけないし、「当事者」が取り組むとしても、どうしたらいいのかを一緒に考えたりしないといけない。

 決めるのは、それぞれ自分でしかなく、でも、時々、逃げたくなるぐらい、いやなこともあったりする。そういう気持ちの整理を、相談したりして、また、取り組む気持ちを作る。その気持ちの整理を、相談できるのが、「専門家」となるようです。葛藤の繰り返しで、気持ちは沈むときもあれば、がんばろうとするときもあります。一人で取り組むのは難しいので、その相談場所として、お医者さん、発達障碍者センターの人になるようです。ただし、発達障害者に詳しいお医者さんじゃないと難しいようです。発達障害者センターの相談員の人も、対応がまちまちのようです。

 どこまで取り組むか、どうするのか、どう決めるのかは、「当事者」「周辺者」のそれぞれが決めないといけないようです。

解離性障害と併発型

 時々、ちらほら見かけるのが、発達障害と同時に「解離性障害」も出ていますという「当事者」。この場合は、とても厄介です。本人は、自分が感じている状態が真実だと思い込んでいる。解離の状態を収めるには、「自覚」がなによりで、精神科医、心療内科医、臨床心理士など、「専門家」じゃないと難しいようです。

 記憶にまで問題が出ているため、マニュアル通りに指導しても、注意した「周辺者」のほうがおかしいのだと思い込んでいるため、かかわるのは難しいようです。この場合は、距離を取りつつ、「専門家」とよく相談したほうがいいようです。ただ、親子のケースの場合も多く、「当事者」が子供だと、距離はとれないし、指導も注意も必要で、とても、大変になっている場合が多いようです。

理解するのに何日もかかる

 野波ツナさんの著書、「旦那さんはアスペルガー」で、お医者さんの言葉が印象的でした。

「わかってもらおうとするのが無理です」
「理解するのに二週間もかかる人もいます」

結構衝撃的でした。その時に、いちいち説明し続けるしかないという。症状は個人差があり、ここまで行かない人も多いようです。でも、症状が重すぎて、周りが助けないと回っていかない人もいるようです。

 わかってもらえない人だと認識して説明しながら、フォローをし続ける。トラブルは多い。なんて状態では、「周辺者」は大変です。「周辺者」は、自分の気持ちや生活をまず第一に考えたほうがいいようです。

 話を聞こうと思っている「当事者」の場合は、短めに説明をし続けたら、いつかは、「当事者」がマニュアル化できるかもしれないけれど、それは重症じゃない人も場合。ADHDやLD、解離など、併発症状がある場合は難しくなります。どの程度取り組むかは、「周辺者」が決めて、折り合いをつけていくしかなさそうです。

今までのトラブルの感情の処理

 今まで、トラブルだらけで、アスペルガー、ADHDの「当事者」の人は、診断がつくと、「自分のせいじゃなかったんだ」と安心する人も多いようです。それで、「だったら、精神科医の先生に教えてもらおう」と切り替えられる人も多いようですが、「周辺者」は違います。流れで把握しているため、「発達障害者だから、悪気がなかったのだから、今までのことを水に流してほしい」と言われて、すぐに「いいよ」と言える状態じゃない人のほうが多いようです。理由は、発達障害の症状だとしても、「不愉快だから」だそうです。そして、「今後も、これが続く?」「感謝してもらえるわけじゃない人を支えるの?」「え、いったい、どうしたらいいの?」「発達障害って、一生治らないんだろう!!」「困るー!! なんで、私がこんな目に遭うの!」「もっと、普通の人と接したい!」と思ってしまいやすい。それが人間の自然な感情だと書かれてあるものが多かったです。それで、無理に切り替えられるわけもなく、そばにいる「当事者」が発達障害だと分かってすぐに、対応方法を切り替えられるわけじゃなく、「当事者」も「周辺者」も時間が必要です。

 まず、症状の把握をして、発達障害のマニュアルを読み込んで、どうしたらいいのかを考え、感情の処理をして、というだけで、ものすごい時間がかかります。その間、葛藤の連続。とてもじゃないけど、受け止めきれないという人が多いようです。しかも、「当事者」は、取り組んでくれる人のほうが少ないらしく、「がんばって、取り組んでやっています。順調です」なんて人のほうが少ない。「何かしらあるものですが、それは私の障害からくるものだから、流すところは流し、でも、できる範囲は、何とかやっていますよ」という人のほうが多いようです。それは、取り組む人の場合。障害に取り組まない「当事者」「周辺者」も多く、無理解な人も多いようです。「当事者」「周辺者」の両方が取り組もうと思わないと、なかなか難しく、その気持ちが出来上がるまでには、年月が必要のようです。

 トラブルの感情の処理は、とても、難しいですが、障害のマニュアルを読んで、「当事者」「周辺者」のブログなどで体験談を読んで、そうして、状況を徐々に受け入れて、「この人に悪気がないんだ」と「周辺者」があきらめる、状況を受け入れるというのが多いようです。「当事者」も同じように、自分の限界を知り、でも、できることも多いのだと、もっとひどい状態の人もいる。でも、できる範囲を頑張ろうとしていくようです。

 状況を受け入れて、少しでも対応していこうという気持ちがある「当事者」「周辺者」の組み合わせの場合は、そのうちに、徐々に気持ちが出来上がるのを待つしかないようです。

 問題なのは、「相手が悪い!!」「私のせいじゃない」「なんで、私がやらないといけないんだ」で思考停止している場合。「当事者」がそのケースは、残念ながら、とても多いので、この場合は、「トラブルだらけだったのは、障害の症状だったのか。これで、勉強になった。今後、巻き込まれないように、うまく距離を取って付き合っていく方法だけを考えて、相手に無理して合わせない。ペースに乗らない。自分のペースで動こう」と考えたほうがいいらしいです。
 「周辺者」のほうが無理解で、非協力的だったら、「当事者」は、大変となりますが、症状に理解してもらえる人に助けてもらうことを優先し、相手に理解してもらえない部分は流すしかないようです。相手の気持ちは相手のものであり、「なんで、私の気持ちをわかってくれないんだ!!}と嘆いても、相手は、変わらない人も多いようです。

 価値観の違いは埋められないことが多いようです。あきらめも肝心のようです。つらいことが多いので、共感してほしい欲求が強くなる時もたくさんあります。親だから、配偶者だから、家族だから、知り合いだからと、相手に期待したくなりますが、難しいケースも多いようです。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医