実際に、初めて「アスペルガー症候群」と聞いたとき「ADHD」と聞いたとき、名前だけで、イメージがほとんど、わきませんでした。インターネットでは、あまりよくない意味で、本来のイメージと違う意味で描かれているらしいですが、よくわかりません。本来の症状と、インターネットでの「アスペ」と書かれているものが違っている気もします。実際のアスペルガーの症状を知っていくうちに、さらに訳が分からなくなっています。理由は個人差がありすぎるから。本には「小さいころから神童だった」「めちゃくちゃお勉強ができる」というイメージで描かれているものも少なくありません。実態は、「そんなに勉強はできたことはない」という人の書き込みもたくさん見られます。知能指数は、80ぐらいから130ぐらいまで、開きがありすぎるようです。そして、その知能で、実際に動くときに、うまく、知能を生かせないから、難しくなると書かれているものも多いようですが、ここも個人差がありすぎるようです。
アスペルガーと自閉症の違いも分かりにくいです。自閉症というのも、名前は浸透しつつあるようですが、実態は難しくて、漠然としたイメージで、映画やドラマで触れた程度しか、一般人は知りません。
ADHDのほうも、発見されるまでは、元気が良すぎる。走り回りすぎる。抑えられない。やんちゃすぎる。など、たくさんの部分が人によって違うようです。鍵、携帯、財布、眼鏡などを、ひと月に何回も失くす。という人までいるようですが、「そういうことはほとんどない」という人まで、色々のようです。
一般人に浸透率が低い理由は、ほとんどの人が、実態を知らない状況のまま大人になっているからです。ボランティア活動が盛んな、欧米と違って、日本人は、そういうことに対して、積極的に手伝うより、「ご本人の問題だから」と様子を見て、距離を取ります。手伝ってほしいと言われても、自分の時間を考えて、無理はしないで手伝う程度になります。
ところが、発達障碍者の人は、大人になってから発見される人も多く、トラブルだらけで、傷ついた心のまま、診断を受けると、誰かにすがりたくなります。でも、それを理解してくれる人は、同じ症状を持った人ぐらいで、診断が同じでも、症状が違いすぎて、知能指数も、取り組み方も、育った環境も違うので、なかなか共感しあえる関係も作れないし、アスペルガーに至っては、相手の立場になることが、そもそも、難しく、周りの人もかかわれないようです。
障碍者である自分をわかってほしいというのが、アスペルガー、ADHDの人の書き込みに多いですが、こういう実態なので、わかってくれるのは、発達障害のことに詳しい人と、同じ症状で悩んでいる人だけになることは、知っておいた方がいいと思います。
発達障害の近くにいる、家族、同僚、友達など「周辺者」も同じで、ほとんどの人は、発達障害者の実態は知らないので、「気にしなくていいよ」としか言ってもらえず、共感はしてもらえるのは、同じ立場の人だけになりますが、それも、環境も、症状も一人一人違いすぎて「私のほうがもっと、大変なのよ」と思ってしまいがちですが、症状が大変なのを言い合っても「私の方だって、もっと」となりますから、ある程度の割り切りが必要になるようです。
割り切るまで、気持ちの問題ですから、相当、時間がかかるようです。障害を受容するのは、ものすごく時間がかかるのは、そういう実態だからのようです。
この状況をよくするには、行政の取り組みが変わるしかなく、幼稚園、小学校で、障害が見つけやすい状態にしていくしかなく、学校での取り組みも、専門家を派遣して、サポート体制を変えて。欧米のように、取り組んでいき、そして、その状況で育った人の数が増えるまでは、難しいようです。
このページは、アスペルガー表記のままにしてあるます。知った当時は、アスペルガーという名称で知ったからです。