「当事者」「周辺者」の両方の書き込みで多いのが、「私たちが困っているのに気づいてほしい」「私が苦しんでいるのに気づいてほしい」「トラブルが多いのを自覚してほしい」「できないのだから、あきらめてほしい」「できないからと言って、何もかも、手助けできない」
こんな言葉がたくさん並びます。お互いに、相手が合わせてほしいという要求です。一般的な人とのやり取りなら苦労しないと思ってしまいやすい「周辺者」。できないのに要求されても、できないのだから、だれか、救ってほしい、理解してほしい、私に合わせてほしいと願う発達障害の「当事者」お互いに、気持ちはすれ違う要求になっています。こういう場合は、とても難しいようです。
お互いに、苦しい立場であり、相手の立場まで見えるのは「周辺者」ばかり。「当事者」で、自覚して、周りの状況の理解を少しずつ深めて、でも、それでも合わせられないという「当事者」の方も、稀にいるようですが、インターネットの書き込みの場合は、「うまくいってますよ」というものはほとんどありません。そういう人は現実に満足しているので、書き込む必要がないからです。困ったことを、どこに相談していいのか、難しい問題で、だから、匿名のネットで書き込んで、答えを求める人が多いようです。
困っていない発達障害の「当事者」は症状が軽く、社会に溶け込んで、だれかが助ける人がいて、日常でものすごい問題になるところまではいってなくて、自覚も弱いから溶け込んでいる、そういう人なのかもしれません。
書き込んでいるレベルの人は、困っている人ばかり。溶け込みたい。でも、小さい時に発覚したのならいいけれど、大人になって発覚して、「いったいどうしたら? こんなに苦しいから、だれかわかって、私をサポートして」と思って書いている、「当事者」の書き込みが多いようですが、障害が出ていても、知的障害が伴わない場合は、「ある程度のことは、自分で処理をしましょう」というのが、一般的な基準のようです。
でも、実際は、複雑です。自覚がある、ない。症状が軽い、思い。周りのサポートがある、ない。困っているのは、「当事者」か「周辺者」か。この辺で、全然違ってきます。
「当事者」のほうは、「俺たちに求めないでほしい」と思っているようですが、社会の仕組みでは、求められる方が自然となり、できない場合は、「当事者」自身が、自分で工夫して、周りに合わせられないまでも、対応を考えていかないといけない状況が多いようです。
「周辺者」のほうも、わかってもらえないことが多いです。それは、どこか他人事で、発達障害の実態が、社会に浸透していないため、困難さは、実際に経験者しかわかりません。言葉で聞いても伝わることはほとんど無理のようです。ところが、一度でも経験したら、「これは大変だ」とわかるのですが、「周辺者」は、自分のことでも大変で、実際に「当事者」がトラブルを続出すると、いやになり、距離を取り始めます。
お互いに苦しい部分を支えあうのは難しくなる状況は、社会的に認知が低いから。そして、行政の取り組みがまだまだで、学校や職場での相談窓口もなく、サポート体制も弱いからです。
コミュニケーションが取れない、失敗が多すぎる。そういう人を支え続けられなくなるほど「周辺者」は追い込まれやすいです。お互いに苦しいので、できるだけ、無理をしないこと。支えてくれるのは、お互いの立場を知っている人で、余裕がある人だけなので、色々な人に助けを求めても難しいことを理解して、うまく気持ちを切り替えていけるようにするのを、自分の環境づくりをするしかなさそうです。
サポーターがたくさんできるような社会の仕組みができていない以上、自分で考えて行動するしかないので、無理は禁物です。