ASD、ADHDの症状を知れば知るほど、「なんなんだろう?」となります。よくわからないというのが、「周辺者」の気持ちです。違和感を感じるのは、「周辺者」だけで、「当事者」は、「ああ、やっぱり」「そうだったのか」と納得するらしいです。受け止められるのは症状の理解だけ。その症状から起きることまで想像はできないようです。そのため、「周辺者」の気持ちを本などで知ったりすると、「なんで、違うんだろう?」と思うらしいです。
お互いに住んでいる国が違う。それほど、理解するのが難しいようです。国が違えば、習慣も考え方も、概念も違う。言語は一緒ですが、「当事者」と「周辺者」とは、「指示代名詞は使わず、固有名詞を使う」「状態、程度を表す副詞より、具体的な数値や表現を使う」「言葉を省略してはいけない」など、文法が違っていたり、言葉の解釈が違っていたり、そこまでのカルチャーショックが起きるようです。そのカルチャーショックを知って、ホームシックになるか、状況を楽しもうとするかは、その人の性格もあるようです。
旅行に行って、戸惑うことばかりになることも多いです。旅行なら、いつかは帰国しますが、その外国に住むとなると大変です。その国の習慣に慣れないといけない。日本での価値観は通用しないこともあります。それぐらいのことが「当事者」に起こっているようです。ここに慣れるには、それまでのアイデンティティを作り替えないといけないようです。すべてを捨てる必要はありませんが、「当事者」「周辺者」はこだわりを捨てないといけない部分も多いようです。
「こうしてもらわないと」「こうするべき」という言葉は禁句になるようです。「こうしてみたら?」「こうしてみようか」というやり方で、価値観を埋めないと難しいようです。
ASDの文化、言葉の理解、習慣は、「周辺者」と違いすぎるようです。そのために、自分の持っている価値観はすべて吐き出して、新たな自分を作り替えていく作業が必要のようです。そのためにリセット作業が必要なので、心の中の嫌な部分を吐き出して、自分の考えにとらわれず、罪悪感も持たず、ASDの場合は、突き放しや、見放しも必要な場合があることを理解して、考えを徐々に切り替えていく必要があるようです。