「これ、してもいいよ」と特別に許可をする場面もあるのではないかと思いますが、この部分で、その後、違う条件の時に、許可も取らずのOKだと勘違いするというケースがあります。
なぜ、こんなことが起こるのかというと、許可をもらった時のイメージが「当事者」と「周辺者」と異なるから起こるようです。「今日はいいよ」という言葉が入っていないと、もしくは、その言葉を聞いていないと、とにかく「いいよ」で、今後も全部OKだと勘違いして、そのまま、次の時も「いいといったじゃないか」と言い張ってしまいます。
それで、よく確かめると、「条件が違っているからダメなんだよ」と教えると「そんなことは初めて聞いた。早く言わないほうが悪い!!」と言われたりして、「周辺者」は、「なんで??」と驚きます。天然エピソード程度のものならいいですが、二度と取り戻せないようなケースだとトラブルになってしまいます。
この、勘違い、思い込みの積み重ねで、確認をしても、その確認でも、さらに思い描いたイメージが違ってきて、意思の疎通は図れないという場合もあります。こうなったらお手上げです。
自覚がある人の場合は、わかるまで、何度も説明を試みます。自覚がない人の場合は、説明しても聞かず、「お前が悪い」で耳に届きませんから、泣き寝入りです。
条件が異なっても、OKだと言い張ったり、発達障害の自覚を持つまでは、持ったとしても、「でも、なんで、私が悪いの?」という人も多いようです。こういう人の場合は、聞く耳を持つまで、そのタイミングまで待つしかないようです。何年もかかっても、自己破産しても、会社をつぶしても、仕事を失っても、奥さんを失っても、それでも、「わからない」という発達障害者も多いようです。だから、「障碍」と名前がつくようです。