始めに

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症状がそこにあるだけ

「夫がアスペルガーと思ったときに妻が読む本」
 宮尾 益知 著 滝口 のぞみ 著

この本はとても、参考になります。とあるサイトで、この本ですくわれたというものが紹介されていました。

 たくさんのヒントがあります。そして、この本で繰り返し書かれているのが、「症状が出ている人が悪いわけでも、症状を受け止められない人が悪いわけでも、理解できな人が悪いわけでも、対応できない人が悪いわけでも、症状に気づけなかった人が悪いわけでもない」「誰が悪いわけでもない」という内容です。実際に、ほかの病気だと、すぐに、「そうだ」とわかります。ところが、発達障害の場合は、知的障害を伴わないために、成人で、見た目に出ておらず、認知がところどころおかしいと感じられる状態のために、そこが分からないのです。足が悪い人に「歩け」なんていう人はいないし、耳が聞こえない人に「聞いてよ」なんて言わないし、目が見えない人がいたら、「大変だな」と思うのが普通です。でも、脳の中身は見えない。これがものすごく重要で、そして、知的障害を伴わないというのが、ネックになっているようです。わかりづらいのです。だから、「注意し続けたら」「何とかわかってもらえるかも」これが「周辺者」が錯覚してしまうところになります。障害なのだから、どんなの努力しても難しい。ただし、障害だと分かるまでに、たくさんのトラブルがあって、それからやっと「発覚」となり、この時点で感情のもつれだらけになり、「今までのことはなに?」とか「障碍だと、こんなひどいことをしてもいいの?」「私は、あなたのなに?」となるわけで、「周辺者」は受け止めきれません。期待した部分がたくさんあり、それらも、全部、「難しいの?」となるために、「周辺者」は、「かなりのフォローが必要だよね」となり、受け止めきれずに、相手を責めたくなります。


 発達障害の「症状が、そこにあるだけ」というとらえ方を、この本では解説されていました。それはわかっていても、「でも、現実は、トラブルだらけだけど、どうすればいい?」となります。症状があっても、誰かがフォローしたりすることになり、負担も大きいし、期待にも応えてはもらえず、不満がたまります。

 「症状を理解し、受け止め、対応でき、症状が少なくなる」なんていうのが理想ですが、ほとんどの人が、「理解してもらえません」「受け止められません」「なぜ、できないのでしょう?」と書き込みをしています。理由は、一般的なことを期待してしまう心は、そんなに簡単に捨てられないからです。

 夫が理解するのに、二年かかりました。療育を小学校から初めて、少し落ち着いたのが中学校になってからです。症状は出ますが、対応が落ち着けるようになってきました。トラブルが減ってきたように感じます。

 こういう書き込みのほとんどが、「かなりの日数がかかりました」というのが多い。早い人で二年ぐらいだそうで、それも、障害の症状が出ている人が、ものすごく熱心に取り組んでいたからというケースであり、それ以外は、「100回はいい続けています」「一年間、注意し続けています。一向に減りませんが、覚えては要られるようになりつつあります」「二年かかって、自分の苦手なこと、なにができないかを理解し始めています」「自分の障害は、どういう状態なのかを受け止められるようになりつつあります」と書いているケースが多数。多くの人は、受け止めて、症状を理解してだけで、数年もかかっている。そして、「周辺者」は心を折れながらも、言い訳するのを認めるのではなく、「こういう方法があるよ」と気長に、どんなに嫌な思いをしても、言い続けたりしたようです。そんな長い時間の葛藤を繰り返すのは、とてもじゃないけどと思う人が多いようですが、家族だと、そして、子供が障害の人だと、その生活を続けるしかないため、頑張っているようです。

 残念ながら離婚、別居も多いようです。どれを選ぶかは「周辺者」「当事者」がそれぞれ決めることになるようです。気長にがんばるか、距離を取って、かかわらないか、完全に別れてしまうか。それを選んでも、大変のようです。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医