症状が治まって、現れなくなる。完全治癒ではなくて、その状態を「寛解」というらしい。この言葉は精神障害でよく使われるそうですが、ASD、ADHDでも、言葉を使われる方もいました。症状が治まる。というか、トラブルが圧倒的に少なってくる状態になる人もいるにはいるようです。軽度の状態の発達障害の人で、自覚があり、取り組み、自分でしっかりと症状を調べまくるぐらいの熱心な人に多いようです。
寛解状態まで行けば、安心と勘違いしている発達障害の「当事者」がいますが、実は、ここはゴールではないようです。それは、「周辺者」にも、希望があるから。自分で選びたい選択肢がある。こだわりがある。どうしても、人生で、仕事で、これだけはという部分もある。そのため、「寛解状態だから、いいじゃない」と発達障害の人が思っていても、「周辺者」は、「もう、疲れたよ」「今後も、この状態は耐えられない」
「子供のがいるからね。それで、ちょっと、距離を取りたい」などの言葉もチラホラ書かれてありました。
ゴールが一人ひとり違い、症状に個人差がありすぎるため、どれが正解なのかは、わかりません。その時の気持ちで動いて、それが正解なのかはわからない。
寛解まで行かない人もたくさんいるため、大変になります。「寛解」を目指せたらいいですが、ハードルはいくつもあります。自覚してもらえないのなら、自覚するまで待たないといけないし、対応をできるようになっても、手探りで、問題だらけ。
寛解まで行けたらいいなと思ってますが、心は折れることばかりです。そして、「なんで、私がこんな目に」と、つい思ってしまう。症状に対して、どんな気持ちになるかは、「当事者」「周辺者」のそれぞれの考えによるみたいです。
寛解まで行けたら理想ですが、いけないかもしれないし、それまでに心が折れて離れてしまうこともありますが、どんな状況でも「当事者」が悪いわけでも「周辺者」が悪いわけでもないのかもしれません。「症状」がそれだけ重く、大変な状態です。行政のバックアップがしっかりしてきたら、変わっていくかもしれません。どの選択肢を選んでも、誰のせいでもないと思っておかないと、全員がつらくなりそうです。