発達障害の「当事者」はできる人はものすごくできることがあって、記憶力が抜群で、才能にあふれて、でも、こだわりが強くて、自閉症状もあって、日常で困るというレベルの人もいますが、個人差がありすぎて、色々なことが難しすぎる人もいるようです。ADHDを併発していると記憶が悪くて、すぐに忘れてしまうというのも多く、ところが、ASDとの併発していると他者との比較ができないため、自分が正しいし、間違っていないし、周りが怒ると、「怒るほうが悪い」となって、被害者のように感じてしまう人がいるようです。
見た目、年齢、普段の仕事ぶり、日常生活で、さほども問題が出ていなくて、なのに、いくつか、不思議な行動をしていたら、「注意をし続けたら、何とかなるのでは?」と錯覚するようですが、「どんなに注意しても、指導しても直りませんでした。時間の無駄でした」という書き込みをいくつか見つけました。障害と名がつくぐらいですので、やはり、そんなに甘くはないようです。何度も訓練をして、事前準備をしても、直前まで、しっかりと注意点と確認をしても、とっさの時にパニックになり、すべてぶっ飛んで、めちゃくちゃなことをしてしまい、怒られて、さらにパニックとなり、言い張ってしまうという状態になる人もいるようです。だからこそ、障害と名がつくようですが、これが少しずつ改善されるようになるには、時間がかかるようです。
ソーシャルスキルトレーニングは、日常で、自力でやっていく必要があります。実践で使えなければ意味がないからです。相手の話を5分だけ聞いてみる。相手が話しているときは、顔をきょろきょろしないとか、そういう訓練を重ねておく必要がありますが、どうしても、脳は、それを嫌がります。自閉症状は、とても難しく、「いやだ!!」と拒絶反応が強くなるようです。お薬も、「効いた」という人と、「かなり使っても、効果が分からない」という人もいて、色々のようです。
ハードルを低めにしないと心が折れるので、少しでもできたら、OKとしておかないと気持ちが持たないようです。ハードルは低めで設定して、もしも、できなくても、落ち着く練習をして、深呼吸をしたり、空を見たりして、気持ちの切り替える訓練もしておいたほうがいいようです。
できない脳である。という部分をわかっておかないと、「当事者」「周辺者」はつらいようです。症状が出ていない人のレベルに合わせるということは、難しい数式を解きながらマラソンをし続けるぐらい苦痛であると書いていた人がいて、「そこまで?」と驚きました。泳げないのに、顔を水につけられないのに、水泳をし続けろと言われても、できません。単語も知らないのに、イタリア語で話せと言っても、できません。それぐらい大変だと書き込まれているものが多いです。
「当事者」の人でときどき見かける書き込みで、「私に合わせてくれたら、うまく行ってるのに、なぜ、私の状態をそのまま受け入れてくれないのか?」というのがありますが、仕事の場では、さすがに、難しいことも多いようです。アメリカ人が日本語が話せないのに、アメリカの文法で、アメリカの習慣を取り入れ、日本人に合わせろと言っても、ほかの人は日本人ですから、「なんで?」となります。その感覚からスタートして、いきなり、「日本語を話せるようにならないと、難しいのか」と思って、習い始めても、日本語を話せるようになるまで、日本の習慣を覚えるのも時間がかかります。お互いに、違う国から来た人、そして、アメリカ人と話しても、難しいんだな。そもそも、アメリカの感覚が標準だと思っているのだなと思っているなら、誰も、それに対して、合わせろとは言いませんが、日本人の顔をしていたら、わかりません。そういう状態が、発達障害者の問題をわかりにくくしている気がします。