始めに

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優しい人のそばに

 グループ活動を維持するかどうかを決めて、自分の役割分担を決めてと言う作業を繰り返しながら、リセットして行く。その間、必ず訪れるのが気持ちのやりきれなさ。それを解消は発達障害者とは無理だと言われています。気持ちのやりとりができないからです。元々、性格が優しい人で、助けたいなと周りが思っているケースの場合は、インターネットで調べたりはしません。お医者さんや行政のプログラムで、なんとかやっていけるケースがほとんどです。、むしろ、性格はさほど悪くはないのだけれど、ものすごくやらかす、もしくはやらかす数の割には反省しない。周りの人のせいにしているけれど、グループが破綻しているところまで行かない。色々なケースがあるみたいです。金銭で破綻、性格的に暴力的なケースは割と早めに切り上げて、グループの周辺者は、さっさと逃げるため、もうその時点でおしまいで修復するかどうかも目処が立てやすい。見捨てると言うケースが多いようです。尻拭いがなんとかできて、でも、本人が一年経っても成長が見えないケースも多い。気づいた時には、手遅れで、問題だらけなのに、本人が言い張り、でも、なんともならず、中途半端なケースだと、ずるずると行くようです。
 なんとかしようともがくとたいていは燃え尽きて、これ以上は無理だと疲れ果てます。そして、やる気をなくす。そこから立ち直ると言うのをする場合は、いったん、完全に休みます。ちょっとだけ離れて休むケースの場合も同じですが、続けるためには気持ちを持たせるために、心の優しい人に励ましてもらうということを繰り返すと、なんとか、また、やる気が出てきたりします。

 分かってもらおうと、もがくと逆効果になるらしく、分かってもらえない。悲しい。と、素直に思った方がいいようです。自助会を利用したり、色々な人と関わって、ゆっくりとリセットされて、その上で、なんとか頑張ろうとしていく形になるみたいです。できるだけ心が優しい人に癒やされると言う環境があると良いみたいです。

リセットしましょう

 修復と言っても、結局のところ、最初は気持ちを落着け、少しは冷静になってから、修復作業に入るみたいです。最初にやるのはリセット作業。
 切り替えられる何かを探す。これが、なかなか無いんです。ゲームしたり、好きなことをしたり、旅行したり。それらをしても、楽しめる心になれない。
 発達障害者の場合、切り替えても切り替えても、現状維持か、元に戻りたがる。それだとトラブルは減らない。そんなせめぎ合いが続きます。無理せず、ゆっくりと、関係を修復し、新たな関係を作っていくことをしないといけませんが、足並みは揃いません。「当事者」「周辺者」のどちらか、気持ちを切り替えたいと思ったほうが、先に取り組みます。発達障害者の中には、「切り替えたよ。あとは君を待ってるだけだから」と言いながら、何も切り替えなかったり、切り替えたつもりで、全然、変わってなかったり、変わったつもりでも、「そこも違う、あそこも違う」と状況に合ってなかったり、早い話が、世間一般の人が発達障害者に期待するような基準を超えられる人のほうが、ほとんど居ません。切り替えたつもりでも、切り替えてないように「周辺者」は感じてしまうレベルの人が多いようです。療育をしても直らない子供も多いのだから、大人になっていたら、まず無理で、諦める基準を考えないと行けなくなります。様子を見ながら気持ちを作っていく形になります。これがリセットの方法の一つ。状況を変えつつ、心もリセットしつつで、ゆっくりと進めるしかないようです。その上で、楽しめる何かを探しつつ、リセットできるようにして行き、ゆっくりとリセットされていくようです。

まずは、休もう

 修復プログラムと言っても大げさじゃなくて、たいていは、グループがあると、必ずと言っていいほど意見が食い違うことが出てくる。最初から、話し合える人だと、そもそも、トラブルの数も少ない上に、自立している同士なら、トラブルになる前に食い止められます。ところが、「当事者」もしくは、「周辺者」が折れないとか。片方が折れまくったあげく、責任転嫁だらけとか、もう、グループとしてすでに破綻しているケースまで行けば、グループ状態は維持する必要は無く、グループとして無理して合わせず、時たま合流程度でいいのかなと思います。このケースなら、最初に結論が出ているので、修復プログラムは要らないか、必要最小限でいいのかなと、お医者さんなどには指導されるケースが多いようです。

 発達障害者が自分の症状を把握してない上に、性格が言い張るタイプだと、たいていは、すぐには受け入れない。受け入れたとしても一時的、もしくは一部。その状態で、グループのことを模索していくことになります。たいていは、言い張る状態の「当事者」が多いからこそ、トラブルが減らずに、年齢が高くなっても、そのまま症状が残ったままなので、諦めるところは諦める形が基本となるようです。発達障害の症状を持っている「当事者」の近くに居る「周辺者」の場合は、諦めきれないことがあっても、さすがに徐々に変化していけます。諦めきれないなら、もうグループから離れた方がいいとお医者さんから指導されるケースもあるので、その辺は時が経つにつれて、自分の感情処理と状況で気持ちが変化して行きます。
 でも、問題なのは、自閉症状。これがとてもやっかい。性格なのか、症状なのか、ちっとも取り組まないのに、「権利だけは主張する」「自分の実力に合ってないものを選択したがる」などを続けていき、気持ちの切り替えも難しくなります。と言う事で、無理せず、距離を取るために、まずは休むということをしてくださいとお医者さんやカウンセラーが指導するケースが多いようです。状態と気持ちを合わせていく感じです。たいていは心配事があると、切り替えられないので、休むと言うのを、自分の状況に合わせて、罪悪感を持たずに行くのがいいみたいです

修復プログラム

 発達障害の人とやっていくとなると、すでに傷ついているケースがほとんど。トラブルだらけで、問題だらけなので、切り替えポイントでスパッと切り替えられるような実態なら、そもそも、発達障害者との人間関係には悩んでないし、本も読んでないはず。ハンパないレベルのトラブルの数々の末に、何かおかしいと発覚して、そこから発達障害を学んで、同時に修復も必要になるようですが、そもそも、すでに気持ちが離れているケースの場合は、まず、距離を取った方がいいみたいです。心の距離、物理的な距離、手伝うのを徐々にやめたり、フォロー体制を見直したり。

 そういうことについて、調べていこうかなと思っています。

寄り添う優しさ

 発達障害の症状が出ている「当事者」で、自覚なし、問題を繰り返し、周りのせいだと言っていたりするケースの場合、長引くうえに、同じことの繰り返しで、カサンドラ症候群、支援疲れになっているケースの「周辺者」は、休むように、本に書かれていますが、その程度では、基本、良くならないようです。
 じゃあ、どうしたらいいのかというと、本人が諦める、距離を取ろうと脳が納得する状態になり、さらに、そばに寄らないようにして行くことができるようになるためには、やはり、「発達障害の症状が出てない人に癒やしてもらう」というケースが多いみたいです。共感。「大変だったね」とか、そばについていてくれる人が一人でも居る。「孤立」じゃなく、「つながっている」のが、安心感につながるようです。

 優しい人じゃないと難しいうえに、状態を知っている人の方が良く、さらに、寄り添ってくれる、寄り添い方法を知っている人のほうがいいみたいです。カウンセラーで、カサンドラ、発達障害に理解がある人が増えていけば、なんとかなりますが、未だ、お医者さんにしろ、カウンセラーにしろ、「その程度なら」と軽く対応する人が多いみたいです。全否定される行動を長年続けられると心がむしばまれ、気力を失うというのは、囚人と看守の心理学実験などで明らかになっているようです。人間の脳は、不思議ですから、やはり、その状況で絶望を感じると抵抗する気力を失う。それを救ってくれる状態になるのは、優しい人の心。それを身近で得られたらいいのですが、友達、親戚、親は、寄り添い方を知らない。支援じゃなくて、「説教が混じる」共感じゃ無くて、「アドバイスしてくる」という状態になってしまい安い。共感して、寄り添ってくれて、ただ、話を聞いてくれるだけじゃなく、つらさを背負ってくれるような、そんなカウンセリングが受けられるシステムが、日本にあったら、発達障害者も、支援者も、周辺者も、なんとかなるような気がします。アイデアとか、場所とか、そういうことには予算が避けないみたいですが、何か方法があったらいいなと願います

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医