始めに

基準のページは、左の固定ページとなります。すぐ下のラベルはブログ記事の項目別になっています。右の目次は、ブログ記事の目次となります。

集団心理が分からない

  私の感想です。また、トラブルが起きました。相手の気持ちが分からない。そのため、廻りの人たちの心の移り変わりも分からないらしく、集団心理が分からないようです。

 話の流れについていけないというのも、ありますが、トラブルの質によっては、たくさんの要素が含まれるため、優先順位の判断基準が曖昧なことも多いため、ついていけないらしいです。

 トラブルを起す人、それに振り回されている私たちの側の両方のグループには、たくさんのコミュニティーが関わっています。お仕事の関係、生活の関係、お友達関係など、いくつも存在しますが、その人たちが、どう思うか分からず、頼んでしまっています。すでにトラブルだらけで、関わりをストップされている状態で、謝罪はしたけれど、症状の勉強はほとんどせず、どうやって行くかの改善は示されたけれど、見当違いのものだったため、返事もできませんでした。

 症状を持っている人は複数、私の周りにいますが、発達障害の可能性が高いという状況で、それだとは限りません。ただ、症状が似ているものがいくつもあるため、対応方法を参考にして動いている状態です。そんな状態では、関われるわけも無く、危ない状態は続いています。

 何らかの病気の可能性が高く、トラブルの質が危険な状態の人が、謝罪しただけで、「私は障害者だから、流してもらえる。手伝ってもらえる」と勘違いしていますが、事態は、非常に重く、周りの人は優しい心を持っている人もいるし、普通の対応の人もいるし、距離を取りたがっている人もいるし、けれど、危険な人に対しては、たとえ、優しい心を持っている人でも、「それだけのトラブルを起す人とは危なすぎるため、近づけない」というレベルで見ているため、共同作業もできないし、手助けも禁止されています。お医者さんのサイトをいくつも確かめて、弁護士のサイトもたくさん調べましたが、ほとんどが同じ結論でした。でも、症状が重すぎて、そう言う周りの気持ちには一つも気づけず、「私が困っているのだから、助けなさいよ」と勘違いしています。けれど、私達はそのトラブルを起しまくっている人に、「病院に行ったら?」とは言えません。できるのは提案程度。「社会性を身につけてください」も言えません。それも提案程度です。私達の側ができるのは、私達に依頼があったことに関しては、「できません」という程度しか難しい状態が続いています。今後も、それが続くんだろうと予想してします。

スタンス決定後

  私の感想です。「発達障害かもしれない」と言われて、数年経ちました。いろいろな事がありました。たくさんの変遷をたどりました。感情のもつれも、しっかりと残っています。そして、私の周りの関係者も巻き込んでしまっているため、状況を見て、定型発達の人たちは、すでに、「この人は、こういう人だ。今後も、こんな動きをするだろう」と予想しており、症状が重い、トラブルを起す、2人の人に対してのスタンスが決まってしまいました。

 説明だけで、ものすごく膨大の数、かかりましたが、会話のボールを投げても、ほとんど受け止めず、自分の重要な単語だけ受け止めて、それだけで判断して、自分の言いたいことだけ言ってくる。ように感じています。

 周りのスタンスは決まり、私の気持ちも、変わらないと感じていますが、「まだ、なんとかなるわよね」と、数年前の、「発達障害かもしれない」と言ったときの続きができるかのような動きをしているように感じています。そのときの続きは、誰も続けたいとは思っていません。なにか、分かった時、その都度、私達はどうするかは、伝えてますが、それらは、スルーされたかのようにマイペースな動きを繰り返しています。

 数年前の続きは続けられないと、今後も言い続けるし、相手も、マイペースに自分の言いたいことをいい、したいことを伝えてくる。かみあわない状況が続くんだろうと予想しています。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医