私の感想です。「発達障害かもしれない」と言われて、数年経ちました。いろいろな事がありました。たくさんの変遷をたどりました。感情のもつれも、しっかりと残っています。そして、私の周りの関係者も巻き込んでしまっているため、状況を見て、定型発達の人たちは、すでに、「この人は、こういう人だ。今後も、こんな動きをするだろう」と予想しており、症状が重い、トラブルを起す、2人の人に対してのスタンスが決まってしまいました。
説明だけで、ものすごく膨大の数、かかりましたが、会話のボールを投げても、ほとんど受け止めず、自分の重要な単語だけ受け止めて、それだけで判断して、自分の言いたいことだけ言ってくる。ように感じています。
周りのスタンスは決まり、私の気持ちも、変わらないと感じていますが、「まだ、なんとかなるわよね」と、数年前の、「発達障害かもしれない」と言ったときの続きができるかのような動きをしているように感じています。そのときの続きは、誰も続けたいとは思っていません。なにか、分かった時、その都度、私達はどうするかは、伝えてますが、それらは、スルーされたかのようにマイペースな動きを繰り返しています。
数年前の続きは続けられないと、今後も言い続けるし、相手も、マイペースに自分の言いたいことをいい、したいことを伝えてくる。かみあわない状況が続くんだろうと予想しています。