始めに

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人が癒やします

 カサンドラ症候群。脱却したいともがいたり、逃れたいと逃げたり、なんとかしたいとがんばったり、色々な気持ちが、何度も折り重なって、やがて、見えてくる道があったとき、脱却の道が見える気がしました。

 発達障害の実態がほぼ分かった上で、「ああ、この人は、どうやっても、こういうことをずっと続ける人だ」と、「周辺者」が、脳が納得できたとき、ここから気持ちが落ち着き始めます。一見すると、「なんとかなりそう」と見える期間から、「どうやっても、難しい」期間への以降がスムーズなケースも多数あります。性格的に、「こりゃ無理だ」という人もたくさん居て、すでに見放しているケース。最初から、例え、家族や同僚、親戚、友達、グループの人であっても、「さほど心配してない。相手の範囲だ」と割り切っているケースの場合も、カサンドラ症候群にまではなりません。責任がともなったり、自分で決断しないといけないのに、一緒のグループに居るために、決断が遅れたり、様々な理由で、もがきますが、まず、「ずっと遅れ続ける」「ずっと問題が起き続ける」「そして、ずっと言い訳している」「ずっと、文句を言う」「ずっと、相手のせいにする」とか、たくさんのことの処理を優先して、それらを割り切れるとしても、そこで、達成感がない。罪悪感が残る。放置していいの? 到着点がここでいいのか? 葛藤があるときは、割り切れません。割り切りたいと思ってから、すでにどっぷりつかっていて抜けきれない。それがカサンドラ症候群のやっかいな部分です。

 色々な人の意見は、「人に癒やされました。同じ立場の人と荷下ろししました。分かってくれる人が居たので、切り替えられました」が多いようです。
 自助会やお医者さん、友人や知人、カウンセラーなどで、良い人に恵まれたら、人に受け止めてもらう。これが一番癒やされるようです。残念ながら、それは、「当事者です」と言うケースがほぼないようです。症状を持ってない人に癒やされたと言う人が多数のようです。自分で癒やすのは難しく、人が癒やしてくれる。このケースが多いようです。カサンドラは孤独なので、「理解してくれる人が居た」「受け止めてくれる人が居た」「やれるだけ私はやったんだ」と思える心が作れたら、癒やされるようです。それが、たとえ、症状を知らない人でも、「あなたが辛いのであれば、いつでも、そばにいるよ」「いつでも、一緒に泣くよ、笑うよ、寄り添うよ」この心が通い合えるようなシチュエーションで癒やされるようです。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医