始めに

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お医者さんに通わない人コース

 発達障害の症状もわかり、でも、「お医者さんに通う勇気が出ない」「通えるだけの経済力と時間がない」「当事者が嫌がって、通わない」「当事者がお医者さんに診断は受けたけれど、途中でやめた」「薬も飲まない、非協力的な当事者である」「当事者、周辺者が理解してくれない」「当事者、もしくは、周辺者が自覚してないので環境が整わない」などの理由から、お医者さんに通えそうもない、とりあえず、通わないままやっていこうと思っている人のコースになります。
 応急処置をまず、することになります。それは固定ページの、「応急処置」の記事で書いてあります。
 そして、障害の勉強をして行くことになります。症状の把握は、出版されている本だけだと、不十分となります。「生の意見が聞きたい」「実際に困っている当事者、周辺者の対応方法を知りたい」「気持ちの整理って、どうやったらいいの?」となるからです。発達障害の症状について、触れている本は、一般の人向けです。症状が重すぎる、カナータイプの自閉症に近いレベルの症状が出ている、環境的にも問題がありすぎて、暴力的なところがある、金銭問題で、ものすごく大変な状態になっている、取り組まない、依存して解決しようとしている。などなど、ここまでの状態だと、具体的対応策が知りたくなるので、そこはネットで補っていく必要がありますが、ここで気をつけないといけないのは、ネット情報は、妬み、そねみ、愚痴、悪口、だらけのサイトも多いこと。ここは、安全そうだと言う、コメントが書き込まれているサイトのものを選び、発達障害の「当事者」「周辺者」のブログを読む場合は、愚痴は、少なめ、具体的な対応策が書かれて、文章がしっかりしている人で、価値観が似ている人、症状の一致点が多い人の物を、読むのがお薦めとなります。

 その後、具体的に、どうしたらいいかというと、

お医者さんに診断を受けずに、今後の指針だけ決めてもらいたい人のコース

発達障害者支援センターに、利用したいプランを相談してみるのもいいかもしれません。カウンセリングだけを受けたい人、ウエイクスラー検査を受けて、デイケアは自力でやっていきたいと告げて、方針だけ決めてもらうなど、お医者さんに「発達障害者である」という診断は出さないでほしいと願っていることを最初に、発達障害者支援センターなどにお願いして、そういうお医者さんを紹介してもらう。お医者さんには、診断まで望んでいないこと、ウエイクスラー検査を受けて、自分の症状だけを把握したいことをお願いする。今後の指針だけは、考えたいので、そこを、お医者さんに相談して、あとは自力でやれそうになったら、自分でマニュアルを作って、環境作りを「周辺者」と行っていく。カウンセリングも、発達障害の症状を知っている人じゃないと、アドバイスは具体的にならず、不満がたまるので、そこも気をつけた方がいいそうです。

検査とか、怖い、カウンセリングだけ受けたい

気分障害、衝動性、多動性があまり出てない人だと、薬なしでも行けるかも知れないので、とりあえず、ウエイクスラー検査をやると、「お前は発達障害者だ」と言われるのが怖い、受け止められないと言う人もいると思うので、お医者さんに通いたくないと言うコースです。「当事者がどうしても嫌がって、自覚しないし」という状況もあるので、本来は好ましくないのですが、ウエイクスラー検査項目を見て、「当事者」が「できる」「できない」の点数を「周辺者」と一緒に、自己判断してみて、今後の目安にする。それで、できない項目に関して、ネットなどで、具体的な対応策を調べて、自分で、デイケアプランを組む。マニュアルも自力で作ります。でも、あくまで、素人判断なので、お医者さんに、ウエイクスラー検査だけはお願いした方が、安全で、確かな具体的プランが立てられるので、応急処置的な方法となります。

 とりあえず、思いついた方法ですが、自分なりのプランを組んでみるのもいいかもしれません。

 障害の症状を受け止めそうもない、自覚もなく、取り組む気もない「当事者」の場合は、難しいので、「周辺者」だけ、環境を整えて、当事者「やってみたら」と促す状況を作ることになります。その場合は、期間を決めて、どうしても「当事者」が取り組みそうもなかったら、「当事者」の気持ちができあがるまで、待つか、諦めるコースになるかも知れません。

ハードルを低くしていく

 大抵の発達障害者が「障害かもしれない」とわかって陥るのが、「できる発達障害の人がやっているレベルまで行きたい」「定型発達の人がやっていることと同じ目標にしたい」「定型発達だらけの人の集まりと同じ幸せがほしい」という願いです。これは、目標にするのは、不可能だそうです。理由は、高学歴発達障害の人と同じレベルは無理ですし、家庭環境が違うかも知れないし、知的水準、教育水準、生活水準が違っていたら難しい。

 よって、自分の生活環境と症状と、経済力、周りの人の力量と性格、などから考えて、できそうなことを、目標設定にする。ハードルは、最初は、割と高めの人が多いそうです。
「あそこの発達障害のグループで円満だから、私のところも、トラブルが無くなり、共同作業ができて、お互いの意志の疎通が図れなかった部分が改善し、誤解も解け、和解もできて、浮気を二度としないし、借金なんて、絶対にしなくなるし、そこが目標です」なんて、ことを望むと、まず、無理だそうです。借金は繰り返す人も多いし、和解も無理だし、トラブルは減ったかも知れないけれど、やらかすし、転職しないと言ったけれど、結局、配置換えで、大変だし、と言うのが現実だそうです。そして、それを「周辺者」は許すような諦めるような心境になっていく。症状の勉強を重ねると、「これは無理だ」とハードルが下がり続けます。借金や転職とかだと、お金が無くなって、もう、絶望的になりますが、そこまで行っていたら、さすがにどうするかと言うことになりますし、許容範囲は、人それぞれになるようです。
 許容できないことだらけですが、下げ続けて、ハードルが、できあがっていくのかも知れません。グループでの誤解が解けて、和解して、仲良く暮すなんてことは夢のような感じのグループもいるようですし、望める範囲が思いっきり低くなると、やりきれなくなります。あまりに低すぎても、大変ですし、割り切れる範囲を模索していくことになるみたいです。

 諦めきった後、希望を見いだして、もう一度、がんばろうと言う気持ちになって、やっと、落ち着き始めるようです。

自分で自分を褒めましょう

 発達障害の症状を持った人に対して、理解する人もいれば、理解してくれない人もいます。手伝ってくれる人もいれば、見向きもしない人もいます。偏見の目で見る人もいれば、温かい目で見守ってくれる人もいます。温かく、理解してくれて、手伝ってくれる人がいる環境とは限りません。理解者、支援者がいない発達障害の「当事者」「周辺者」は、どうしたらいいかというと、結局、「自力」「孤軍奮闘」になってしまいやすく、これだと長くは続けられません。
 とりあえず、「できそうなところだけやって、できなくても、がんばっている自分を褒める」「誰が認めてくれなくても、自分は認めよう」ということで、呪文を唱えることも必要になります。

今まで辛かったね
がんばりすぎなくてもいいよ
できる範囲でいいよ
周りに誤解されても、何が何であろうと、あなたはがんばっているよ
一人で、たくさんの経験が増えて、強くなっていると思うよ
あなたは、あなたのままでいいよ
できる範囲の努力はしているのだから、認めてもらえなくてもいいんだよ

 思いつくまま、日記やブログに綴って見るのもいいかもしれません。そして、流していく。マインドフルネスのように、あるがままを受け止め、今の自分に集中し、自分を受け止める。達成感は、ものすごく低い物になるかも知れないけれど、経験値はつくという感じになります。

 カサンドラ症候群や、燃え尽き症候群、PTSD状態の人は、なかなか、一人では、立ち直れないと思うので、自助会など、上手に利用して、息抜きをしたり、カウンセリングを受けたりして、癒やしを優先する方がいいのかも知れません。

発達障害、カサンドラに詳しい専門家を選びましょう

 発達障害に詳しいお医者さんというのが、まず、ほとんどいないそうです。児童精神科医、小児科医で詳しい人という人はいますが、「大人は受け付けていません」というのも多いそうです。
 カウンセラー事情ですが、こちらも、心理学を勉強していて、カウンセリング技術は勉強していても、「発達障害には詳しくない」という人も多いそうです。
 そのため、精神科医とカウンセラーの人に相談しても、発達障害独特の事情をわからないため、「一般論で相談に乗る」というパターンで、患者さん、クライエントの満足度が極めて低くくなる。適応障害と言われるカサンドラ症候群の人が多いらしく、一般の本の人生相談のようなコメントぐらいしか教えてもらえなかったと言う、書き込みコメントが多く見られました。

 本当は、人生の指針になるような導いてくれるぐらいのお医者さん、カウンセラーの人が理想ですが、そういう人は、診断してもらったり、受け付けてもらうのも争奪戦だそうです。中には、電話の問い合わせの段階で、「症状の軽い方は受け付けておりません」とはねられるそうです。

 ただでさえ不安なので、そうなると、「どこに行ったら?」と言う状態。発達障害の支援センターのほうも、民事不介入で、そこまで親身に相談に乗れる訳もなく、一般論で語るしかなくて、と言う状態ですから、「結局、自力」となりやすいようです。

 そして、同じ悩みを共有できる団体、自助会に参加する形が多くなるようです。自助会に出席する前に悩みきっていますから、疲れ切ってますから、泣いてしまう人もいるし、積極的に、対応策を学ぼうとする人もいるし、バラバラのようです。
 気持ちを共感してもらう作業があると、安心感が出て、人間はやる気になる生き物です。共感してもらわず、「一人で決めたいし、相談も必要ない」という強い方ばかりじゃないので、共感がほしい場合は、自助会を利用した方がいいようです。対応策を話し合いたいとか、共感だけがほしいとか、話だけを聞きたいとか、目的が違ってくるので、事前にチェックできるのであれば、チェックした方がいいかもしれません。

 詳しい専門家が育ってくるのは、法律が変わって、これからのようです。たくさんの本が出版され始めましたので、まずは自分で、調べて、実態も調べて、専門家に相談できる気持ちの状態を自分で作るところまでは、自力でやらないと行けないようです。

役割を降りましょう

 役割分担。この言葉の呪縛は意外と重いのが、日本社会。役割果たさないと、役立たずとなるイメージが根強く、とても、大変です。でも、実際、その言葉の呪縛があるから、「人目を気にする日本人」となります。
 この価値観を手放さないとやっていられないのが、障害者との生活になるようです。それは、精神、身体障害の人も同じで、発達障害も同じになるようです。その家庭、その部署、そのグループでの、役割を、できる範囲だけやってもらう形が、障害者との共存となります。身体、精神の方は、意志の疎通が図れるために、環境を整えやすいです。ごく稀に、「障害者だから、できるわけがない」と言ってやらない方もいらっしゃるようですが、線引きがしやすいです。ところが、発達障害の場合は、意志の疎通からして、まず無理で、そうなると環境を整える前に精神がやられます。だから、役割はいったんおります。環境を整えるために必要なのが自覚している発達障害者かどうかです。自覚しそうなひとなら、説得というか、理解してもらうために本を読んでもらえますが、自覚しそうもない、障害者受容をしていかなさそうなら、一年か、二年で見切りをつけて、距離を考えて、役割分担も、引き受けずに、グループでの、負担を考えない方がいいそうですが、グループが回っていかないと、遅れを取ります。会社だと、それで評価が出てしまうし、今後の自分にも影響が大です。家庭だと、役割を果たしてもらわないと、二人分、やらないと行けなかったりします。そんな状態では難しく、負担を考える時期が、重要になります。結婚したばかり、結婚して、子供がいる、親も介護が必要で逃げられない、なんて立場の人だと、もう、お手上げです。役割を果たさないと、と考えすぎるのをやめて、「できる範囲だけ、できない範囲は諦める」という考えで、いかないと、難しいようです。諦めも肝心と言われますが、気持ちは追いつかないことのほうが多いようです。気持ちの整理は徐々につけて行けるようになるのが理想ですが、なかなか難しいようです。

性格の部分も受容する

 発達障害者のグレーゾーンは、「性格の範囲」とされる方も多いそうです。では、どこまでが性格なのでしょうか? 実際は、お医者さんでも、診断がまちまちだそうで、人によっては、「大丈夫です」「発達障害の可能性があります」と両極端になるそうです。

 発達障害では、「こんな症状があります」と言われても、その症状の人で、発達障害の疑いが、あまりない人もいます。これに関しては、障害に対しての症状勉強を重ねると、大体の基準が予想できますが、あくまで、素人判断になります。実際に診断してもらって、初めて、「発達障害者」となるのですが、多くの発達障害者の人は、ほかの精神病の発症後、発達障害が発覚したと言うケースが多いそうです。

 発達障害かどうかは、まだまだ、しっかりとした基準浸透まで、至ってないようです。医療関係者でさえ、一定になってないので、書かれている本も、まちまち。「小さい頃から神童だった」「成績優秀者」「どこまでも真面目」「記憶力抜群」と書かれている本も、たくさんあります。実際に、どうですかとなると、IQはバラバラです。130の人もいますし、85ぐらいの人もいるそうです。そして、テストの点数がひどかったと言う人も多いようです。先生に褒められたことがない。怒られてばかりと言う人もいます。

 発達障害者の症状が、バラバラすぎて、お医者さんにマンツーマン指導してもらわないと、なかなか難しい人も多いようです。自力でやっている人は、成績優秀者で、社会的成功者賀多いようです。

 学業が優秀、一流企業に勤めている、と言う人でも、こだわりが多い、コミュニケーションが一方通行、でも、「どこまで性格なの?」「浮気してばかりいるけれど、発達障害者って、浮気する人ばかりじゃないよね」「依存症になるADHDの人ばかりじゃないはず」となっており、結局、判別は難しく、性格の部分も、障害と合わせると、トラブルの範囲として、合わせて考えないと難しいようです。そこも受け止める必要があるけれど、それも時間がかかるようです。一つの人格として、その人の行動パターンとして、一緒に考えて、受容することが必要のようですが、トラブルメーカーにしか受け止められないので、なかなか難しいようです。

省略だらけの日本語です

 時々、聞き返す人がいます。聞き取れなかったのかと思うぐらい、何度も何度も。確かめてみると、聞き取れなかったのではなく、どれの何を指すのかがわからなかった。固有名詞が出てきたとします。「いったい、だれの?」「どこの?」「どれを指すのだろう?」と、とっさにわからないそうです。「周辺者」は、暗黙の了解でわかります。ところが、ASDの場合は、その都度、修飾語をつけないと無理だそうです。「眼鏡を取ってください」と言われた。その場に、眼鏡は、一つしかないのに、「え、どれですか?」と聞き返す。この場合は、机の上にある眼鏡だとすると、「机の上にある」とつけないと、わからないそうです。「見たらわかるのに」と思うのは、「周辺者」の脳が、取捨選択ができるから。ASDの人は、たくさんの情報処理を、一度に行い、取捨選択ができず、過去も現在も混ざるらしく、どの時点の、どの眼鏡?とまでなってしまう錯覚が起るらしく、「周辺者」からすると、「察しが悪い人」「空気が読めない人」となってしまいます。気が利かない人なので、当然、「この人に頼むのはやめよう」「絡むのはやめよう」となっていきます。「当事者」は気づきません。

そのため、「君、空気が読めないね」「天然って言われない?」と周りに指摘されても、ASDで自閉症状が強めの空気が読めないタイプの人だと、「周りから差別されている」「何が悪いのか、わからないよ」となるそうです。

 良く怒られると自覚していても、これだと抑止力にならず、トラブルに見舞われやすくなります。早めに、こういうことのテストが、幼稚園、小学校の入学時じゃなく、小学校の4年生や中学生ぐらいで判別できるテストがあったらと感じます。

説明を省く癖がある

「これをするのは初めてです」
「××を見るのは初めてです」

 こう言われたら、「周辺者」は、それに関するものすべてが初めてだと思います。「当事者」のほうは、限定的に考えていることが時々あります。ある条件の下にやるのが初めてだとして、それでも、「初めてです」と当事者が言ってしまい、「あれ?」と感じます。ところが、これがASDの脳の症状がある人にかかると、「本当に初めての経験となる」らしく、トラブルの素になります。よくよく確かめてみると、似たような経験は、している。ちょっとだけの変更程度、手順が逆になっただけ、それでも、ASDの当事者からすると「本当に初めてなんですよ」と感じるらしく、それで、「嘘つき。前やったくせに」となって、戸惑います。

 この逆バージョンで、思い込んでいて、相手に条件の部分、細かい説明を省いて、省略しすぎて説明して、「なんで間違えるんだ!!」と「周辺者」に怒ることもあります。確認すると、明らかに当事者が間違えています。「周辺者」からすると、あきれかえるぐらいの、言い逃れやいいわけに聞こえます。ここで性格が影響し、すぐに謝れる、確認する「当事者」だと、トラブルまで行く前に修正ができる。「お前が悪い」と「周辺者」が悪いと思い込む「当事者」だと、永久に修正は不可能になります。

 自覚があるかどうか、これがとても重要らしく、あとは、修正してくれる「周辺者」が多いかどうかも関係あります。一対一で、二人しかいなくて、立場が「周辺者」が弱いとなると、上司とか、家族、親族の年長者、グループリーダーとかだと、大変になります。

 こういう場合は、共同作業はできないため、関わりを最小限にして行くしか方法がないらしく、お医者さんも「そういう人の場合は、ほとんど説明しても効果がなく、薬も飲まなくなり、行動療法も効かないし、無理でしょう」と、説明されるケースも多々あるようです。

 意志の疎通の図れないケースは、自覚がない「当事者」だと要注意のようです。

名前を呼ばれても

 名前を呼ばれて気づかないと言う人は、時々見かけます。違う人と話をしていて気づかないと言うのなら、誰でもあります。会議中に呼ばれて、資料を見すぎて、考えている間に話しかけられて、気づけないということもチラホラあります。この回数が、ものすごく多い人は、発達障害の症状の可能性があるそうです。

 理由は、考え事をしていた。よそ見ばかりしていて、気づけない。何かを見ていて、意識がそれに集中していた。などなど、過集中という症状からくるものや、情報があふれていると、それの処理に脳が追いつかないから起るもの、会話を聞き取れない、会話の流れについていけないもの。脳の特性から来るものの場合は、自分は、そういう症状があるということを意識して、周りの人にも、それに気づいてもらってフォロー体制を整える必要があるそうです。

 聞いてない回数が多すぎて、怒られたりして、すねたり、いじけたり、相手のせいにする発達障害の「当事者」も多いそうです。その場合は、教えてあげる気持ちがある「周辺者」だけが教え続けて、後の人は、白けていて、「まただよ」と言う空気感になって、できあがったグループで、後から、「発達障害かも知れない」となってからだと、グループ体制を変えることも難しいようです。

 素直な発達障害者で、謝る癖があるケースの場合は、修正しやすいようです。

補完して聞いてあげる人が必要

 発達障害の症状から、「あらかじめ知っているだろうから、省いて話す」という特徴が出る人がいます。「会議の資料を用意してください」「え、どの会議?」というやりとりがあったとします。うっかり、言い忘れたということは、誰でもありますが、これが、何度も続く人の場合、脳内で浮かんでいる言葉を省いて説明しているという自閉症状の場合もあるようです。「○○の会議」をただ、「会議」で「そんなの決まっているじゃないか!!」と思い込んで話している、「当事者」。「周辺者」の立場に立って、説明ができない。だから、「○○の」を付け加えない。生まれつき、それができなくて、訓練しても、どうしても、難しい人の場合は、自閉症状が強い人となります。そうなると、「当事者」の説明は、「自分がわかるように説明している」のを繰り返すことになり、「イメージが伝わりにくい」となり、当然のことながら、聞いている側は、勘違いしやすい。
 「当事者」が説明を受ける立場でも同じことが起ります。勝手に、イメージを付け加えて、正しく伝わらない。「当事者」が間違えてイメージを作ってしまう。それの繰り返しだと、トラブルだらけとなります。
 この場合、補完して聞いてあげる。トラブルにならないように資料作成して、やりとりする。でも、自覚がない「当事者」だと、「お前のほうが悪いだろう。ちゃんと伝えているのに!!」いきなり理不尽に言い張り、それが続くと、「周辺者」も、「まただよ」「責任転嫁だ」「ちゃんと聞いていてほしい」「伝えてあるのに」と感じてしまい易いようです。

 自覚がある発達障害の「当事者」としか、やりとりができません。自覚がない人の場合は、自覚が出るまで待っても、一生、自覚なしで行く方も多いらしく、最小限の関わりしか難しく、条件が許せば、「周辺者」は、逃げたり、避けたりした方がいいケースもあるようです。

 自覚がある「当事者」の場合も、「当事者」が自分の症状を把握して対応を身につけるまでは、「はい」「いいえ」の答えで済むように、補完して聞いてあげるしか、「周辺者」はできません。療育を受けていない、大人の「当事者」が、トラブルを減らせるようになるまで、最低でも一年半はかかるそうです。本を読んで、症状を把握し、障害を受け入れて、気持ちを作り、の作業で、数年かかる人も多いそうです。

 「当事者」は、自分ができる範囲の役割だけ果たし、少なくともリーダーシップは、「当事者」が取らない方が無難のようです。

パニックになったら

発達障害のパニック状態は、一見、「空気が読めない?」「この人、わかってないの?」「何度言えばわかるの?」「言葉の意味がわかってないの?」「聞いてないの?」と、「周辺者」には、見えることがあります。

名前を呼ばれても気づけない
 実際は、脳の中で、いろいろなことを考えていて、反応が鈍くなっていると言われているようです。目に見える風景の処理で忙しいとか、さっきまでの言葉の処理で、頭の中がいっぱいとか、人が多すぎて、どの人の言葉を聞いていいのか、わからなくなる。たくさんの理由があるそうで、その一つ一つを日常生活の中で、覚えてもらう必要があるそうです。聞くときに、緊張しすぎるのなら、リラックスしたり、情報整理しやすいように説明して対応を教えるなどで、覚えてもらうのがいいそうです。

会話について行けない
 この場合、グループ行動で、他の人が、一番聞き取れない人に合わせると言うことができる現場とできない現場があります。友達同士なら、途中で、わかる範囲だけ説明を加えられますが、顔見知り程度、会社での出来事だと、途中で止めるわけにいかないので、そのままになります。あとで、説明してもらえばいいですが、それすら気づいてもらえず、フォローなしで、失敗につながることがあるので、自分の状態を知っている理解者を作っておく必要があるそうです。初対面だらけの場合は、もう、難しいので、その場の感じで進められて行くケースが多く、トラブルにつながりやすいので、「当事者」が自覚しておいて、確認するしかしょうがないです。自覚してない「当事者」の場合は、次から相手にしてもらえなくなるかも知れない。

物、人にぶつかる
 とっさの時に、情報処理が追いつかないために、起るそうです。「そんなの、立ち止まればいいじゃないか」と「周辺者」は、あきれますが、それができないから、障害と名前がつく。処理は追いつかないので、そばにいる理解者が、手を引っ張って、立ち止まらせるぐらいしか、方法がないようです。子供の場合は、ぶつかって、痛いと怒りだし、なんてことで、トラブルに発展しやすいようです。

思考ぐるぐるで、聞こえなくなる
 トラブルに弱い。そのため、説明すら聞こえなくなる。静かな場所で、静かに脳を落着けるのが先になります。部屋の隅に行き、壁の方に顔を向け、耳を塞いで、呼吸を整える訓練をするのを繰り返すそうです。

重要書類を捨てる、紛失

ADHDの家族、同僚のコメントで、時々見られるのが、「重要書類なのに、見てもいない、確認してもいないで、ゴミ箱に捨てる」というもの。恐ろしすぎて、大変そうですが、結構、あちこちで書かれています。書類を紛失するケースは、ものすごく多く、それに対しての書き込みコメントは、ありすぎるぐらいです。
 このケースの場合、同僚、同じグループの人、家族、親族、友達などは、「さすがに付き合いきれない」となっていき、最後には、「またか」となって、関わりを避けようとしていきます。それが、相手が障害の症状からくるものだとしても、「当事者」が自覚もしておらず、対応もし試ないで、悪びれないし、謝らない。なんてケースも多数。
 すべてに対して、フォローしていたら、「周辺者」の神経が持ちませんし、時間もありません。二重チェックして、体制を組むのが理想ですが、基本、「なんで、そこまでしないといけないのか。自分の時間をそこまで使えない」と思う人が大半です。

 結局、よほど、重要じゃない限りは対応はせず、怒りたくなるのを抑えるのも、状況によります。「周辺者」は、自分の心の余裕度を見て、付き合い方を決めていくしかなく、「当事者」の責任の範囲だからと割り切るしかなさそうです。冷たいようですが、いちいち、合わせていたら、生活が破綻してしまうので、ほどほどの距離感で、怒ってしまうのもしょうがないし、相手が変わろうともしてないなら、ものすごく距離を取ってもいいと言われているぐらいです。ただし、家族だと、そうも行かない。未成年の「当事者」以外は、家族は、見守るのが基本。ですが、見守っていると、ものすごく損失することもあり得ますから、その辺は、「周辺者」は怒りながらも、対応をしなくてはいけなくなり、疲れ果てます。支援疲れまで行ってしまったら、もう難しいので、思いっきり距離を取って、しばらく休む。行政に相談する。家族で分担を考え直してやってみる。などで、休むしかしょうがないようです。休めない「周辺者」は心だけでも、休めるようにカウンセリング、自助会などを利用する。などで切り替えていくしかないようです。

 無理は絶対にしない。重要書類を勝手に捨てる、紛失の場合、目に届かなくて、当然なので、ADHDの「当事者」に対しての距離感は、考えていかないと難しいようです。
 これから、大掃除の季節がやってきますし、シュレッダーに大事な書類をかけてしまう。なんてことも。ADHDの人の場合、対応方法を学んでいても、ものすごく時間がかかりすぎる人も多いらしく、考えるのに時間がかかる。重要度の仕分けがわからなくなる。あれもこれも処理しようとすると、パニックになる。などで、ものすごく時間がかかるようです。

本が読めるか、読めないか

 発達障害の中のLD、学習障害の症状を持っていると、「本が読みづらい」「本の理解が遅い」「補助で説明してもらって、初めて、イメージをつかめる」などの状態になりやすいそうです。併発しやすい障害ですが、学校卒業をしていて、就職していても、軽く、そういう症状を持っていて、自覚なかったと言う人も、ちらほらいるようです。そもそも、他者との違いを意識すらしないASDの人だと、違和感なく、その年齢まで来てしまうケースも多いようです。「相手がおかしい」「周りは天然だと、俺のことを言うけれど、俺は天然じゃない」と言ってしまう人も多いようです。
 本が読めないと、自分の症状の勉強が、ほとんど進みません。そもそも、共同作業すら、できません。資料を渡して、相手にイメージを伝えようとしても、正しく伝わらないことも多いため、トラブルだらけになります。本が読めるか読めないか、ここの部分も重要で、それができない、苦手の人だと、共同作業は難しくなり、家族やグループ、同僚との意志の疎通が図れないし、役割分担も割り振れない。そんな状態です。
 できる範囲だけやってください。と言っても、自覚がないので、「お前が悪い」と言い張る、「当事者」も多いので、「周辺者」は困り果てます。本が読めないことが気づいたら、その人は、主張するのをやめてもらいたいのですが、「当事者」本人は、「相手が悪い」「お前のほうが、おかしい」と思い込んでいますから、トラブルになったら、責任転嫁されて、大変となります。
 資料を見せて、共同作業ができない場合、自覚しており、カミングアウトしているケース以外だと難しくなるため、同僚の人が、困っていて、インターネットなどに相談している件数は、計り知れないぐらいあります。家族の相談もとても多いです。

 大人になってしまっており、今更、脳の部分について、どうしたらいいのかという状態になります。発達障害以外の人だと、発見されやすく、目が見えないなら、見えないなりの行動を、足が動けないなら、動けないなりの行動を考えてくれますが、脳が一般的と動きが違うから、「あまり動かないで」「リーダーシップは、あなたは取れない」「主張されてもこまる」と周りから言われても、脳は見えないので、「当事者」は自分が正しいと思って、動いてしまいます。その動きの範囲は、その現場で手探りで作り上げていくしかないのですが、それすら聞く耳を持たない「当事者」も多いので、お手上げとなり、距離を取るしかしょうがなくなるケースも多数。

 本を読めない人は、動画などを見るしかしょうがなく、参考動画などは、まだまだの状態です。国が、そういう動画を発信してくれたらと思いますが、差別などにつながりやすく、デリケートな問題ですし、難しいのかも知れません。本が読めない人だと、症状把握と、対応を学ぶスピードは確実に落ちると思うので、寛解状態になるのが、かなり遅れることになるかもしれません。

自閉症の感覚から来る説明

「相手にわかるように説明しましょう」これができない人は、ちらほら見かけます。「あ、ほら、あれだよ、あれ」「だから、あれで、あっちで」説明を省きまくります。それで、伝わらないと、笑ってごまかしちゃう。なんて人は、ちらほら見かけます。ほとんどの人は、「性格的に、そういう人なんだ」で、流します。やがて、「あなた、いつも、そうやって、説明下手なんだから」と周りに何度も言われて、上手になる人もいれば、いつまでも、上手にならない人もいます。
 ところが、自覚がある人ならいいですが、「聞いている方の理解力がない!!」と言い張る人がいます。怒りっぽい性格だから、高飛車な人だから、と思われて、周りの人は関わりを遠慮します。これが、自閉症状の感覚から来るものだとすると、一生わからない可能性があるそうです。自閉症状が強すぎて、相手の感覚が全くわからない、「あなた、変わっているわね」と言われて、「俺は個性的で素晴らしいんだ!!」と解釈するタイプの人も多いようです。それで、仕事など、重要なことで、一緒に行動するとなると話が違ってきます。自閉症状の強い人だと、しょっちゅうぶつかります。当然、進みづらくなる。やがて、その人と一緒に仕事をしなくなる。自閉症状が強い人が、怒り出す人も多く、「お前のせいだ」と言いがかりをつけれるし、理由を説明しても、説明してもきりがありません。諦めるしかない。そういう人も多いようです。

 自閉症状が重すぎる場合は、お医者さんも、「説明するのに時間がかかる」「私でも無理な患者さんがいる」と言っていることもあります。家族、友達、同僚で、手に負えるはずもないです。薬があったら、手術方法があったらと思いますが、そこまで至っていないようです。

 自閉症状が重すぎる人の周辺者は、距離を取るしかしょうがなく、泣き寝入りばかりして、尻拭いばかりして、支援疲れを起こしやすいようです。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医