始めに

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説明できない人とは

 発達障害の「当事者」によっては、自覚症状がない、もしくは、自分の症状すらわかっていない人がいます。こういう人の場合は、役割分担すら難しい状態になります。発達障害の症状と状態によっては、社会適応できるだけじゃなく、リーダー的役割もできるぐらいの知能指数の高い人もいます。反対に、一人でやると、トラブルだらけの人まで、症状によって分かれます。その目安は、自覚があり、なおかつ、自分の症状の説明ができるかどうか。
 障害の症状勉強をしていくと、やがて、自分のどこが違っているのかがわかり、自分の症状の説明ができて、さらに、「こんな対応をしてくれるとありがたいです」とまで、付け加えることができる「当事者」の人までいます。ここまで行くと、トラブルになっても、対処がしやすいのですが、個人差がありますが、ここまで到達できる人のほうが、「少ない」と言われているようです。症状が重ければ重いほど、「え、俺はおかしくないよ。君が間違っている」と言い張るようです。そして、説明するには、本を読まないといけない、調べないといけませんし、さらに理解しないと難しい。この作業が、人によっては、ものすごく時間がかかる人がいます。知能指数だけじゃなく、症状の状態によって違ってくるようです。あとは性格的に真面目であるとか、教えてもらえる環境だったかどうかにも、よるようです。一般的に、幼稚園、小学校の低学年で症状が発覚してから、落ち着くには、高校ぐらいまでかかると言う人も多いようです。大人の場合は、著書を書いている人たちは、何年もかかって、落ち着いてから、本を発表しています。数年とか十年とか、書いてあることも多いようです。
 障害発覚後、1,2年では、症状の把握と気持ちを落着けるぐらいまでしか、無理なのかも知れません。説明できる「当事者」まで行っていたら、周りはサポートができますが、自覚もない、症状すらわかってない、自閉症状が重すぎて、理解できることは難しい人もいますので、その場合は、適度な距離感が必要で、サポートしすぎない方が良いとされているようです。家族は疲れ切っているし、同僚だと、そこまで介入できません。もっと、遠い関係性だと、何も言えないケースも多いです。

 障害の症状を勉強した上で、自分の症状を説明できるかどうかが、一つの目安になるようです。*障害の症状の勉強すらしない人、自覚すらない人は、別です。

心の状態に応じて、読む本を変える

「発達障害かもしれない」と言うことがわかって、心の変遷をたどります。「当事者」「周辺者」のそれぞれが、それぞれの環境と性格によって、たどる変遷が違ってきます。そのときの状況と心に応じて、読む本を変えないと、「ものすごく混乱しやすい」「却って、心の状態が悪化する」「不安が募るばかり」になりやすいようです。

「当事者」の場合
 最初は、発達障害の症状の解説本と、発達障害の「当事者」の自叙伝と解説本の二冊程度が良いようです。間違っても、「カサンドラ症候群」向けや、発達障害者の家族向け解説本は、読まない方がいいようです。まず、最初に、自分は、「何者であるか?」という、アイデンティティーを作ってからじゃないと、難しいようです。心の状態が落ち着くのは個人差があります。症状を知って、ショックを受けて、落ち着いてきて、私が悪かったのではなく、症状からくるものだと気づき、そして、自分が他者からどう見えていたのか、わかってしまい、さらにパニックになりやすく、やがて、それも落ち着きを取り戻し、「私は、私のしたい道をたどろう」という気持ちになってから、初めて、カサンドラ症候群の本とか、発達障害者家族向けの本を、参考程度に読むということも可能になるようです。でも、気分が悪くなる人も多いため、「無理して読まない方が良い」のかもしれません。あくまで参考図書で、「当事者」向けの本を、段階を踏んで、リラックス方を学んだり、環境を整える、ソーシャルスキル本を読んだり、怒りを収める、アンガーマネージメントの本を読んだり、読める本を心の状態に合わせて、セレクトした方がいいようです。

 カサンドラ症候群の本を読まれた「当事者」の方の意見で、気づいたのは、「取捨選択ができてない」「そのときの感情で言っている内容に振り回されている」ということです。症状がない人は、暗黙の了解がわかっているので、「このとき、こうやって考えてしまうのは、人間だから、しょうがないな」と理解できます。でも、「当事者」は、「理解不能」「何言ってるの?」となるようです。お互いに捉える感覚の違いは埋められない人も多いようです。「当事者」でも、「空気が読める」「感情がわかる」という人もいます。そういう方は、「カサンドラ症候群」向けの図書も参考資料にしてもいいのかも知れません。

「周辺者」の場合
 最初は、症状の解説本と、同じように、発達障害社家族向けの自叙伝も兼ねた対応本を読んでみて、心を落着けることを優先した方が良いみたいです。カサンドラ症候群の本を読んで、受け止めきれない心のやりきれなさに共感を持ったり、自助会に参加できるまでになっていたら、その感情を癒やす本を読んだり、アンガーマネージメントの本、マインドフルネスの本など、徐々に参考図書を増やした方がいいのかも知れません。知識の勉強だけで、一年は見た方がいいようです。理由は、一冊で全部網羅している本というのがないから。いろいろな図書を手に取り、その後、自分に合った本というのが、「当事者」と違って、選べる「周辺者」も多いので、自分の価値観に近い人の本を参考にして、「当事者」が大人の対応ができてない部分に関しては、子供向けの発達障害の本を参考にしてもいいようです。段階を経て、症状の勉強をして、気持ちが落ち着くまで、かなりの時間がかかっている人が多いようです。症状を知り、根治治療がない、薬も一部だけ、環境を整えるだけ、自覚がない発達障害者だと、「お医者さんも面倒も見てくれないケースが多い」など、ショックなことの連続で、受け止めきれないことがたくさんふりかかり、今までのトラブルをねぎらってくれる人もいないし、これからのトラブルも、「大変ですね」とか、「がんばりましょうね」程度で、それで、癒やされるわけがなく、どっぷりと大変なトラブルの処理が永遠に続く感じで、絶望に陥る場合も多いし、どうやっても「当事者」が変わらない、世間からは自由で勝手気ままに見えるけれど、本人の脳の特性で悪気がないと気づいて、「怒り、イライラ、どうしてくれる??」と言う気持ちの置き場が、「周辺者」もない状態で、カウンセラーに相談しても、「でも、環境はそのままだし!!」と愚痴りたくなりますが、「対応方法だけは、調べればわかるようになった」と言う安心材料は与えられて、その中で、自分ができることはなにか? と模索して、「当事者」のそばにいる自分のしたいと思うことがわかるようになり、アイデンティティーができあがっていくようです。修行の末に、悟りを開く、そんな苦行状態に感じますが、その経験は、糧にしようと考えてないと、見返りは、ほとんどない、ボランティアみたいな形なので、大変です。「当事者」の犠牲者にはならず、先人の知恵を学び、障害者の家族の意見に触れて、自分のしたい道を見つけていく、その段階にあった、本を、選んだ方がいいようです。

 「当事者」「周辺者」の両方とも、気持ちが落ち着くまでは、「相手側の本は読まない方が良い」とされているようです。その間に、気持ちの毒みたいな、悲しみ、イライラ、怒り、不安、などは、感情を持っている人間の性みたいなものなので、その部分の言葉に傷つきやすいことを考えて、気持ちが落ち着くまでは、「相手側の言葉は、流す」と、呪文を唱えて、不安にならないようにしたほうがいいようです。

 永遠に、「当事者」が自覚がないケースも多く、わかっちゃいるけどやめられない、ADHDの人も多く、その場合は、「周辺者」ができることは限られており、距離を取り、振り回されない方が良いようです。
 

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医