ASDとADHDの人は、職場で症状が発覚して、診断が出たら、ジョブコーチがついてもらえるケースがあります。その場合は、環境作りをしてもらえます。静かになれる環境。日程表、作業工程表とか、カレンダーの書き方とか、仕事の進め方も教えてもらえますが、仕事以外の場所では、ジョブコーチがつきません。そのため、「当事者」「周辺者」が自力でしないといけなくなります。子供の発達障害者の場合は、両親はペアレントトレーニングがあるようですが、ファミリーやグループに対しての、トレーニングマニュアルは、ものすごく少ないです。発達障害児童のための育児書、関連本の数は膨大ですが、大人の発達障害者と、その周辺者のマニュアルは、まだまだ少ないようです。皆さん、どうしているかというと、自分で、マニュアルを作っているようです。
定型発達の人向けの確認では、環境では、発達障害の症状がある人はミスやトラブルが多くなります。見通しが甘すぎたりして、相手に連絡しなくてもいいやと勘違いしてしまい易く、それに本人が気づかない。障害者であると認定してもらっても、「私は普通だ。どこが違うんだ」という「当事者」のコメントをちらほら見かけます。「周辺者」の方は、「どこが違うのかと言うのが、漠然としているけれど、他の人と何か違うように感じていた」というコメントがたくさんあります。意識がそこまでずれる理由は、サリーとアンの問題と同じだからのようです。自分以外の人の側から、物事を見ることができない。一応、説明してもらうけれど、「大丈夫だよ」と過信するADHDの人は多いようですし、「俺の方が正しい」というASDの人も多く、定型発達からすると、「なぜ、それで違和感を感じないの?」と理由はわかりません。サリーとアンの問題を解ける側と解けない側の意識の違いです。
実際の会社や、いろいろな場所では、優先順位を決めないといけないことだらけ。判断が難しく、あっちもこっちも考えないといけない。サリーとアンだけの登場人物の問題より複雑になります。そんな問題を、発達障害者側は、「常に自分の側からしか、物事を判断できない脳」なので、違和感がないそうです。違和感を感じる発達障害者の人も大勢いるようですが、その後の動きが違うそうです。気を取り直して、対応をできる範囲でやっていこうとする人もいますし、すねて、いじけて、逃げてと言う人も多いようです。
こういう症状があり、さらに確認と説明を何度も重ねないと難しいのに、「俺は悪くない」「この程度は許される」「他の人に相談しなくてもいいや」「確認はしたはず」「話をした時点でOKになっていると思い込んでいる」なんて、脳の人のままだと、「周辺者」は、手伝えることもない状態なので、確認できるのは、説明できるのは、症状を自覚し、症状を把握し、対応したいと思っている、「当事者」だけしか難しいようです。
身近な人に「ASD、ADHD」の症状が出たら? どうしたらいいのか、本、資料、インターネット情報をまとめています。現在、カサンドラ症候群状態です。その記事も載せています *前はアスペルガーと表記していました
免責の範囲は
発達障害者は、「どうやっても、直らないから、そのままにしておきます」というコメントをちらほら見かけます。免責範囲はどうなっているのかというと、お医者さんや弁護士の先生たちの見解だと、「いくら、発達障害者だとしても、放置して、さらに問題を起こして、周りのせいにしたり、尻拭いを強要したりするのは、無理でしょう」となっているようです。理由は、大人になって、発覚した発達障害者のほとんどが、「学校を卒業できているから」だそうです。ここで、卒業できないほどだと、「担任の先生も、周りも気づいていたはず」となり、それが気づけない症状だと、性格の範囲で、「グレーゾーンの人がほとんどですよ」と書いているお医者さんもいました。
ただ、グレーゾーンでも、起こしているトラブルの数と質が違うだけで、似たようなトラブルは、何度も起こしている状態である。と言うことには、変わりなく、発達障害の症状がありますよとなった段階で、本人が気づいた段階で、その後、放置して、本も読まない、対応もしない、と言う発達障害者の場合は、「距離をとってください」と言うお医者さんの指導が多いようです。
免責になるのは、発達障害の人が気づけなかった場合になるだけで、気づいた後は、放置していいかというと、現実的には無理でしょうと言う状態のようです。ただ、自覚できないというのが、症状の一つで、自覚して取り組むまでの期間が永遠に来ない人もいますし、その部分がどうなるかは、わからないようです。
ただ、グレーゾーンでも、起こしているトラブルの数と質が違うだけで、似たようなトラブルは、何度も起こしている状態である。と言うことには、変わりなく、発達障害の症状がありますよとなった段階で、本人が気づいた段階で、その後、放置して、本も読まない、対応もしない、と言う発達障害者の場合は、「距離をとってください」と言うお医者さんの指導が多いようです。
免責になるのは、発達障害の人が気づけなかった場合になるだけで、気づいた後は、放置していいかというと、現実的には無理でしょうと言う状態のようです。ただ、自覚できないというのが、症状の一つで、自覚して取り組むまでの期間が永遠に来ない人もいますし、その部分がどうなるかは、わからないようです。
アイデンティティの作り替え2
「アイデンティティの作り替え」の時は、住んでいる国が違うと書きましたが、障害の自覚をするまでは、その国の基準で動いてしまうのが、自然だと思っています。ところが、自覚した途端、「帰国子女」のような感覚になってしまうようです。発達障害の「当事者」は違う国に住んでいるとは思っていませんし、帰国したつもりもありません。周りから見ると、そう見えると言う状態になります。多数派が定型発達で、「当事者」は少数派なだけで、多民族国家だとよくあることですが、日本は、琉球やアイヌなどの民族もありますが、一応、単一民族となっています。そのため、地方習慣が違うというのは、たくさん存在しますが、基本部分の基準は、一応知っています。でも、発達障害の「当事者」は、知らない、気づけない、気づかなかった、教えてもらっていても、自分が正しいと思っていた、などいろいろな理由で、わからないまま、自覚ないままの状態で、大人になってしまっているケースも多いようです。
自覚する人が、とても少ないと言われている、ASD、ADHDの症状の人たち。理由は、自覚しているのなら、その部分に気づいており、少しずつ改善されるから。改善できないぐらいまで、脳の状態が、それに違和感を感じないようです。
そんな人たちが、いきなり、「帰国子女?」「日本にずっと住んでいたのに?」と戸惑う状態が、自覚し始めたときです。アイデンティティは、そこまでで、すっかりとできあがっています。文法だって、自己流で、基準も自己流で、違和感は、少しはあるけれど、「周りが悪いんだ」「この程度は許される」もしくは、それに気づきもしない。と言う状態から、「あなたの基準は、言葉は、文法は、日本人の多数派の基準と、ちょっと、違ってるよ」と言われて、帰国してすぐに適応は、できないようです。
思い込んでいる基準も一人一人違います。理由は、それぞれの育った環境と、持って生まれた性質によって、「こだわる部分が違う」から、だそうです。よって、ASD、ADHD同士なら、わかり合えるんじゃないか? というのは、難しいようです。「同じこだわりを持っている部分が多い人同士の発達障害者なら、わかり合えるかもしれない」となるようです。つまり、同じ性質を持っていても、違う国の習慣を身につけて、違う国の感覚や考えを持ち、文法も日本人の多数と、いくつかずれており、認知のゆがみや、独特のこだわりもあり、自己他者同一視もあり、と言う状態が、ASDの症状を持っている人の状態のようです。帰国した国も、住んでいた地域も違う、それがASD一人一人の特性になるため、帰国子女と言いながら、ASDの人同士も、わかり合えるというのが難しいため、助け合うと言うことも難しく、グループ活動も、「当事者」同士でも、難しいようです。
アイデンティティは、「当事者」が自分のペースで、帰国子女と同じなのだから、ゆっくりと適応できそうな範囲を、適応できそうな速度で、していくのがいいようです。できない範囲は、無理をせず、「これは、どうしてもできない」と捉えて、周りの人と、その部分を話し合って、環境を変えていく必要があるようです。
自覚する人が、とても少ないと言われている、ASD、ADHDの症状の人たち。理由は、自覚しているのなら、その部分に気づいており、少しずつ改善されるから。改善できないぐらいまで、脳の状態が、それに違和感を感じないようです。
そんな人たちが、いきなり、「帰国子女?」「日本にずっと住んでいたのに?」と戸惑う状態が、自覚し始めたときです。アイデンティティは、そこまでで、すっかりとできあがっています。文法だって、自己流で、基準も自己流で、違和感は、少しはあるけれど、「周りが悪いんだ」「この程度は許される」もしくは、それに気づきもしない。と言う状態から、「あなたの基準は、言葉は、文法は、日本人の多数派の基準と、ちょっと、違ってるよ」と言われて、帰国してすぐに適応は、できないようです。
思い込んでいる基準も一人一人違います。理由は、それぞれの育った環境と、持って生まれた性質によって、「こだわる部分が違う」から、だそうです。よって、ASD、ADHD同士なら、わかり合えるんじゃないか? というのは、難しいようです。「同じこだわりを持っている部分が多い人同士の発達障害者なら、わかり合えるかもしれない」となるようです。つまり、同じ性質を持っていても、違う国の習慣を身につけて、違う国の感覚や考えを持ち、文法も日本人の多数と、いくつかずれており、認知のゆがみや、独特のこだわりもあり、自己他者同一視もあり、と言う状態が、ASDの症状を持っている人の状態のようです。帰国した国も、住んでいた地域も違う、それがASD一人一人の特性になるため、帰国子女と言いながら、ASDの人同士も、わかり合えるというのが難しいため、助け合うと言うことも難しく、グループ活動も、「当事者」同士でも、難しいようです。
アイデンティティは、「当事者」が自分のペースで、帰国子女と同じなのだから、ゆっくりと適応できそうな範囲を、適応できそうな速度で、していくのがいいようです。できない範囲は、無理をせず、「これは、どうしてもできない」と捉えて、周りの人と、その部分を話し合って、環境を変えていく必要があるようです。
カサンドラの原因
カサンドラ症候群は、一般的に、「意思の疎通が図れないこと」による、配偶者の孤独となっていますが、書き込みを読んでいると、その程度じゃないことが多い。意思の疎通がはかれないことによる、障害の症状による、二次的被害から来るストレスも原因になっているように、感じます。仕事関係、子育て、金銭、人間関係、これらの方でも被害は出ます。配偶者、もしくは近くにいる人は、現実対処に追われます。実は、こっちの方が、ストレスで疲れ果てる原因になっていることも多くて、意思の疎通が図れないことから来る、いらだちだけじゃない、配偶者も多いと思います。
配偶者の願いというのは、実はたくさんあります。自分がイメージした家庭、自分がイメージした生活、選ぶもの一つにとっても、価値観がずれまくると大変です。そういう部分の共有ができない相手と暮らすのは、一緒に動くのは、話し合いができないのは、とても大変で、カサンドラ症候群の本来の意味とずれている部分のほうも、考えた方がいいのではないかと思いました。
金銭、子育て、仕事、日常生活、人間関係、これらは仕分けして、それごとに対応策を紙に書き込んで、配偶者に見てもらって、図式化した方が、伝わるかもしれません。合理的で、感情がない方がわかりやすい、ASDにとっては、その方が、相手の願いはわかるとは思います。ただし、「自分の意思だけを尊重していくのが家族だ」と捉えている、配偶者の場合は、難しいようです。少しは聞く耳を持ち、自分の症状を少しは理解していて、そのうえ、「相手を責めない」という条件で話し合わないと、難しいようです。
発達障害者側は、過去のことは、どうでもいい。ミスが起こっても、それも過去。と流しています。未来に関係があることは、後にわかったとしても、つなげて考えることができず、理解できな人も多いようです。こういう人の場合は、発達障害の本すら読まず、対応策も打たないで、「自分はできる」と勘違いしていますから、聞く耳を持たない状態で、難しいようです。自覚があって、取り組んでいく気持ちがある人じゃないと、難しいので、取り組んでいく人の場合は、カサンドラの原因を、理解してもらうことの努力ができるかもしれません。でも、時間がものすごくかかるようです。説明に時間がかかりすぎるからです。
配偶者の願いというのは、実はたくさんあります。自分がイメージした家庭、自分がイメージした生活、選ぶもの一つにとっても、価値観がずれまくると大変です。そういう部分の共有ができない相手と暮らすのは、一緒に動くのは、話し合いができないのは、とても大変で、カサンドラ症候群の本来の意味とずれている部分のほうも、考えた方がいいのではないかと思いました。
金銭、子育て、仕事、日常生活、人間関係、これらは仕分けして、それごとに対応策を紙に書き込んで、配偶者に見てもらって、図式化した方が、伝わるかもしれません。合理的で、感情がない方がわかりやすい、ASDにとっては、その方が、相手の願いはわかるとは思います。ただし、「自分の意思だけを尊重していくのが家族だ」と捉えている、配偶者の場合は、難しいようです。少しは聞く耳を持ち、自分の症状を少しは理解していて、そのうえ、「相手を責めない」という条件で話し合わないと、難しいようです。
発達障害者側は、過去のことは、どうでもいい。ミスが起こっても、それも過去。と流しています。未来に関係があることは、後にわかったとしても、つなげて考えることができず、理解できな人も多いようです。こういう人の場合は、発達障害の本すら読まず、対応策も打たないで、「自分はできる」と勘違いしていますから、聞く耳を持たない状態で、難しいようです。自覚があって、取り組んでいく気持ちがある人じゃないと、難しいので、取り組んでいく人の場合は、カサンドラの原因を、理解してもらうことの努力ができるかもしれません。でも、時間がものすごくかかるようです。説明に時間がかかりすぎるからです。
返事が出るまで時差がある
日本国内には時差はありませんが、発達障害者の頭の中には、時差が多いことが多いようです。この場合の時差というのは、答えを求めたり、対応を求めたりしても、反応が遅いことになります。その理由は、考える時間が、ものすごく必要だからのようです。理解するまで、時間差があるため、「いつの返事ですか?」と言うのが突然、返ってくることがあります。発達障害かもしれないとわかるまでは「天然ぼけ?」と、思われている人も多いようです。答えがずれる。答えを出すのが遅い。その理由は、イメージしていることが伝わるのに、時間がかかるからのようです。本来なら、子供の頃に見つかって、療育を受けたり、適切な指導を受けたり、ご両親が教えたりしていけば、少しは、その部分が解消できるのですが、大人になるまで発見されない場合は、家庭環境で、教えてもらえない、親子関係がよくなかった、教師が見つけてもらえるほど、顕著な行動が見られなかった、と言う人も多いからのようです。親切な人や、教えてくれる人もいますが、それを、「相手の方が間違っている」と認識してしまい易いのが、ASD。わかっていても、「でも、俺はこれを選びたい」と思うのがADHD。そのうち、忘れてしまい、もめ事なんてなかった、トラブルなんてなかったと感じてしまい、何度も同じ間違いを繰り返しても、「この程度はよくあること」と流してしまうことが多い人が多いらしく、そういう人は、「自分のミスはなかった」と認識しています。ものすごい数のミスを続けていても、自覚がない人は多いようです。車にキー閉じ込みを一年で、何度もしていたり、鍵を、スマホを、めがねをなくしても、「それでも気にしない」というADHDの人もいるそうです。金額的に、かなり大変な状態になっていても、「別にいいじゃないか」となり、誰かが「助けてくれるから」と安易だったりするようです。さすがに、金額が大きくなると、「付き合いきれない」と、周りはなりますが、ASDの人は、自分の側からしか物事を捉えないので、深刻度がない人も多いようで、怒られたら、「うるさい」で、おしまいの人も多いようです。流す癖が強い人が、障害がわかり始めて、自覚して病院の受診を勧められて、そのとき、「大丈夫ですよ」と言われて、安心する人も多いようですが、この場合も、受診時の受け答えは、「当事者」が「問題ない」と答えていたりするから、医師の方も、「問題がないだろう」と判断しているケースも多いようです。後に、きっちりと調べてくれる医師に受診したら、診断が出てしまったと言う人も多いようです。
障害を自覚するかどうかで、診断に差が出ます。それも、時差に関係があるようです。自分のトラブルを自分の側からだけじゃなく、周りの側からの意見も取り入れて考えられるようになっているか。周りの感覚をわかっているか。この部分で、時差ができるようです。
時差を埋めるには、発達障害の本をしっかりと読んで、障害の症状を勉強して、理解しているかどうかが重要のようです。気づける時期が来る「当事者」ばかりじゃないそうです。一生、周りのせいにする。もしくは、「俺はおかしくない」「この程度は許される」という障害者も多いようです。自分の側からだけじゃなく、「周辺者」の側から見た状態を把握できるかどうか、それにかかっているようです。ASDで本を読んで理解できる障害者なら、理解してくれる時期が来るかもしれませんが、ADHDを併発している人、ADHDで、本を読んで理解するのが難しい人の場合は、子供向けの本で理解を深めた方がいいかもしれません。わかりやすい絵で説明されているものも多いようです。
障害を自覚するかどうかで、診断に差が出ます。それも、時差に関係があるようです。自分のトラブルを自分の側からだけじゃなく、周りの側からの意見も取り入れて考えられるようになっているか。周りの感覚をわかっているか。この部分で、時差ができるようです。
時差を埋めるには、発達障害の本をしっかりと読んで、障害の症状を勉強して、理解しているかどうかが重要のようです。気づける時期が来る「当事者」ばかりじゃないそうです。一生、周りのせいにする。もしくは、「俺はおかしくない」「この程度は許される」という障害者も多いようです。自分の側からだけじゃなく、「周辺者」の側から見た状態を把握できるかどうか、それにかかっているようです。ASDで本を読んで理解できる障害者なら、理解してくれる時期が来るかもしれませんが、ADHDを併発している人、ADHDで、本を読んで理解するのが難しい人の場合は、子供向けの本で理解を深めた方がいいかもしれません。わかりやすい絵で説明されているものも多いようです。
落書き帳タイプ、きちんとノートタイプ
ASDとADHDは症状が似ていますが、違っている部分もあります。ASDとADHDの症状の両方が出ている場合、ノートの取り方でわかるそうです。
学生時代のノートが自由帳のような人は、ADHDの傾向が強く、きちんと、誰が見てもわかりやすい理路整然とした、先生に褒められるようなノートを書く場合は、ASDの傾向が強いようです。ただ、ASDは個人差があり、本人は理路整然としていると感じているノートを書く場合もあるようです。
大人になっている方は、書類の書き方でも見分けられます。行飛ばしで、読んでしまう、行を間違えて書いてしまうのは、ADHDの傾向が強く、きっちりと最後まで読まないと気が済まないようなのは、ASDの傾向が強いようです。
ブログや書き込みサイトの書き方も、ASDは絵文字も使わないし、きっちりと、自分なりのルールで書き込むようです。硬い文章の方も多いようで、読みにくいと言われる人もいるようです。反対に、絵文字が多くて、色もたくさん使い、画像もたくさん使っているブログを書く人は、ADHDの傾向が強いようです。
ASD、ADHDの人は、自分の症状でマニュアルを作る人も多いようですが、その作り方もASDなら、きっちりと理路整然と書き込み、しっかりと作り込む人もいるようです。ADHDは、面倒な人は、マニュアルすら作らず、放置します。それより、楽しい時間を過ごしたい人も多いようです。少しは対応策をしたいと思って、マニュアルを作る場合は、落書き帳ノートでいいようです。思いついたことを、好きな場所に書いていき、後で読み直してわからなくても、そのままでいいようです。文章を組み立てるのが苦手な人の場合は、単語を書く。思いついた文章を書くだけにする。まとめる必要はないそうです。
パソコンツールやスマホツールを利用するなら、アイデアノート系のアプリがたくさんあるので、それらを使ってもいいようです。アイデアツリーノート系のメモツールもたくさん出ています。それらをつかって、メモ化すると、楽かもしれません。入力が面倒な人は、スマホもパソコンも音声入力を利用するのもいいみたいです。思いついたときにメモで入力できるようなものは、たくさん出ています。自分で探してみてもいいかもしれません。
有名なのは、Evernote。オフィス系だとonenote、グーグルだとキープになるのかもしれません。
学生時代のノートが自由帳のような人は、ADHDの傾向が強く、きちんと、誰が見てもわかりやすい理路整然とした、先生に褒められるようなノートを書く場合は、ASDの傾向が強いようです。ただ、ASDは個人差があり、本人は理路整然としていると感じているノートを書く場合もあるようです。
大人になっている方は、書類の書き方でも見分けられます。行飛ばしで、読んでしまう、行を間違えて書いてしまうのは、ADHDの傾向が強く、きっちりと最後まで読まないと気が済まないようなのは、ASDの傾向が強いようです。
ブログや書き込みサイトの書き方も、ASDは絵文字も使わないし、きっちりと、自分なりのルールで書き込むようです。硬い文章の方も多いようで、読みにくいと言われる人もいるようです。反対に、絵文字が多くて、色もたくさん使い、画像もたくさん使っているブログを書く人は、ADHDの傾向が強いようです。
ASD、ADHDの人は、自分の症状でマニュアルを作る人も多いようですが、その作り方もASDなら、きっちりと理路整然と書き込み、しっかりと作り込む人もいるようです。ADHDは、面倒な人は、マニュアルすら作らず、放置します。それより、楽しい時間を過ごしたい人も多いようです。少しは対応策をしたいと思って、マニュアルを作る場合は、落書き帳ノートでいいようです。思いついたことを、好きな場所に書いていき、後で読み直してわからなくても、そのままでいいようです。文章を組み立てるのが苦手な人の場合は、単語を書く。思いついた文章を書くだけにする。まとめる必要はないそうです。
パソコンツールやスマホツールを利用するなら、アイデアノート系のアプリがたくさんあるので、それらを使ってもいいようです。アイデアツリーノート系のメモツールもたくさん出ています。それらをつかって、メモ化すると、楽かもしれません。入力が面倒な人は、スマホもパソコンも音声入力を利用するのもいいみたいです。思いついたときにメモで入力できるようなものは、たくさん出ています。自分で探してみてもいいかもしれません。
有名なのは、Evernote。オフィス系だとonenote、グーグルだとキープになるのかもしれません。
カサンドラからの回復に必要なこと
カサンドラ症候群から立ち直った人たちや、「専門家」が言っていることを書いておきます。
・障害の症状の問題で、トラブルを起こしている「当事者」「周辺者」の対応が悪いわけじゃないということを受け止めること。
・誰かを責め続けても、つらくなるだけ、加害者意識、被害者意識を持たない方がいい。
・障害の症状を勉強すること。ただし、神経質になりすぎる傾向があるので、漠然と受け止めたほうがいい。
・あの時、ああしておけばよかったという意識は、空に投げる。その時に気づける範囲で、「当事者」「周辺者」は動いていただけ。その意識があると、たくさんのミスが許せなくなるから。
・「私だけがこんなにつらい目に遭って」と感じる時は、症状の勉強もしない。周りの人に八つ当たりしがちな心境になるので、外に出て発散して、別のことで消化したほうがいい。落ち着くまで待つ。
・少し落ち着いてきて、少しは、症状が受け止められるようになってから、自助会、コメント書き込みをして、周りの人とつながるようにして、共感性を高め、自尊心を回復し、傷ついた心をいやしたほうがいい。
・孤立しないようにする。助けてもらえる人の確保をしておく。行政、家族など。ただし、素人の人は、気休めを言われておしまいなので、そういう人には、軽くぼやく程度にする。「専門家」に相談するにしても、すべての精神科医が、発達障害に詳しいわけじゃないので、しっかりとお医者さんは選ぶ。
・自分を許そう。対応が悪かったとしても、それは、障害が特殊で、簡単にはわからない人が多い症状で、見た目に出ていないから、気づいた時には、大変な状態がたくさんあるとしても、自分のせいじゃないと思ったほうがいい。
・自尊心を取り戻そう。自分の没頭できる、表現できる世界観を持って、自分自身の感覚を取り戻したほうがいい。映画、音楽、運動などの趣味などで、自分の感覚を取り戻すようにしていく。状態がひどい人は、無理なので、軽くやってみる程度から始めたほうがいい。
・割り切ることも必要。障害の症状を受け止める。生活のために、自分の立場のために、お金のために、割り切れるようなら割り切る。受け止めきれないのなら、受け止めきれないのが普通だと思って、流す。無理をしない。受け止められる範囲だけにしておく。
・障害の症状を受け止めよう。ただし、しっかりと症状の知識を調べてからにしたほうがいい。個人差がありすぎるため、ほかの人の症状が当てはまらないことも多い、合併症が多いので、その知識に振り回されない。未診断の場合は、似ている症状を参考程度に取り入れる。本来は、お医者さんに診断してもらう必要があるけれど、自ら医者にかかる「当事者」は圧倒的に少ないので、応急処置と考える。
・普通は目指さない、目指せない。見た目に出ていないだけで、脳の中は、混乱し、パニックしやすく、怒られても、わからず、説明してもらっても理解できず、「当事者」は、永久に「普通にはなれない脳である」という状態なので、普通を目指すと大変すぎる。
・立場は要求しない。普通の能力も要求しない。世間の基準には、絶対についていけない脳だと理解する。「周辺者」も同じように立場に合った行動はしなくてもよい。「障害の症状があるから、できない方が当たり前」と受け止めて、ある程度の社会適応はしないと回っていかないので、そこの折り合いをつける。自分で、基準を決めたほうがいい。
基準目標は、個人差がありすぎるので、個人が納得できる基準を決めたほうがいい。「当事者」「周辺者」の目標が違っていてもいい。共感できない症状だから、目標がずれているほうが自然であると受け止めたほうがいい。
・「当事者」が、その時に気づいた範囲で、その時にできる範囲でできたら、「それでよし」と考える。
「なんでできないの?」「私にも望みがあったのに」と考えがちだけれど、それらはかなえられないので、あきらめるように、徐々にシフトしていった方がいい。無理をしない程度で、できることを、スモールステップ、スローステップで進むのが、「当事者」にとっての普通の状態だと考える。大人で発覚していても、脳は未発達で、「未熟なまま」「子供感覚のまま」の人も多いととらえたほうがいい。自分の子供の時を思い出す。
・カサンドラ症候群の状態になっている「周辺者」は、義務、権利などに縛られず、社会的立場や、発達障害者の気持ちを優先することなく、自分の気持ちで決めるほうがいい。そうしないと、振り回されやすく、ぶれやすくなる。
・障害の症状の問題で、トラブルを起こしている「当事者」「周辺者」の対応が悪いわけじゃないということを受け止めること。
・誰かを責め続けても、つらくなるだけ、加害者意識、被害者意識を持たない方がいい。
・障害の症状を勉強すること。ただし、神経質になりすぎる傾向があるので、漠然と受け止めたほうがいい。
・あの時、ああしておけばよかったという意識は、空に投げる。その時に気づける範囲で、「当事者」「周辺者」は動いていただけ。その意識があると、たくさんのミスが許せなくなるから。
・「私だけがこんなにつらい目に遭って」と感じる時は、症状の勉強もしない。周りの人に八つ当たりしがちな心境になるので、外に出て発散して、別のことで消化したほうがいい。落ち着くまで待つ。
・少し落ち着いてきて、少しは、症状が受け止められるようになってから、自助会、コメント書き込みをして、周りの人とつながるようにして、共感性を高め、自尊心を回復し、傷ついた心をいやしたほうがいい。
・孤立しないようにする。助けてもらえる人の確保をしておく。行政、家族など。ただし、素人の人は、気休めを言われておしまいなので、そういう人には、軽くぼやく程度にする。「専門家」に相談するにしても、すべての精神科医が、発達障害に詳しいわけじゃないので、しっかりとお医者さんは選ぶ。
・自分を許そう。対応が悪かったとしても、それは、障害が特殊で、簡単にはわからない人が多い症状で、見た目に出ていないから、気づいた時には、大変な状態がたくさんあるとしても、自分のせいじゃないと思ったほうがいい。
・自尊心を取り戻そう。自分の没頭できる、表現できる世界観を持って、自分自身の感覚を取り戻したほうがいい。映画、音楽、運動などの趣味などで、自分の感覚を取り戻すようにしていく。状態がひどい人は、無理なので、軽くやってみる程度から始めたほうがいい。
・割り切ることも必要。障害の症状を受け止める。生活のために、自分の立場のために、お金のために、割り切れるようなら割り切る。受け止めきれないのなら、受け止めきれないのが普通だと思って、流す。無理をしない。受け止められる範囲だけにしておく。
・障害の症状を受け止めよう。ただし、しっかりと症状の知識を調べてからにしたほうがいい。個人差がありすぎるため、ほかの人の症状が当てはまらないことも多い、合併症が多いので、その知識に振り回されない。未診断の場合は、似ている症状を参考程度に取り入れる。本来は、お医者さんに診断してもらう必要があるけれど、自ら医者にかかる「当事者」は圧倒的に少ないので、応急処置と考える。
・普通は目指さない、目指せない。見た目に出ていないだけで、脳の中は、混乱し、パニックしやすく、怒られても、わからず、説明してもらっても理解できず、「当事者」は、永久に「普通にはなれない脳である」という状態なので、普通を目指すと大変すぎる。
・立場は要求しない。普通の能力も要求しない。世間の基準には、絶対についていけない脳だと理解する。「周辺者」も同じように立場に合った行動はしなくてもよい。「障害の症状があるから、できない方が当たり前」と受け止めて、ある程度の社会適応はしないと回っていかないので、そこの折り合いをつける。自分で、基準を決めたほうがいい。
基準目標は、個人差がありすぎるので、個人が納得できる基準を決めたほうがいい。「当事者」「周辺者」の目標が違っていてもいい。共感できない症状だから、目標がずれているほうが自然であると受け止めたほうがいい。
・「当事者」が、その時に気づいた範囲で、その時にできる範囲でできたら、「それでよし」と考える。
「なんでできないの?」「私にも望みがあったのに」と考えがちだけれど、それらはかなえられないので、あきらめるように、徐々にシフトしていった方がいい。無理をしない程度で、できることを、スモールステップ、スローステップで進むのが、「当事者」にとっての普通の状態だと考える。大人で発覚していても、脳は未発達で、「未熟なまま」「子供感覚のまま」の人も多いととらえたほうがいい。自分の子供の時を思い出す。
・カサンドラ症候群の状態になっている「周辺者」は、義務、権利などに縛られず、社会的立場や、発達障害者の気持ちを優先することなく、自分の気持ちで決めるほうがいい。そうしないと、振り回されやすく、ぶれやすくなる。
大変になるけれど、自分が目指す基準を、「当事者」「周辺者」が決めたほうがいいようです。お医者さん、行政の人などは、細かい部分は気づかないので、言われたことに振り回されず、自分で決めたほうがいいようです。納得できるまで、考えた結果で、「当事者」「周辺者」が幸せと感じるラインでいいようです。ただし、借金、暴力、反社会的行動、「周辺者」に大変な迷惑になるようなことは除きます。上記に書いたことは、症状の程度が軽めの人、グレーゾーンの人の「周辺者」の言葉です。実際には、ものすごく重い症状の人もいて、どんなに症状を説明しても、自分の世界だけで生きていて、周りに興味なしのロボットのような動きをする人もいるので、そういう人だと、難しいようです。
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ページの用語
「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医