始めに

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「周辺者」は、「発達障害者」に付き合うか、距離を取るか

 発達障害かもしれないとわかったときに、すでに支援疲れを起こしているケースが多いようです。症状をなんとなく漠然と理解できてくると、そばにいる「発達障害者」の状態を見て、「このまま付き合うか?」「ちょっとだけ、どうしても支援が必要な部分だけ、必要最小限助けて、距離を取りつつ、様子を見る」「攻撃的で、金銭面も問題だらけ、心が持たない、逃げる」「取り組んでくれそうだから、手伝う」「熱心に取り組み始めたから、がんばって助け続けよう」など、「周辺者」は、だいたいの気持ちが固まってくると思います。

 それらをどうするかの目安があるようです。

「発達障害者」がどの程度、障害症状を取り組むか?
「発達障害者」が自覚があるかどうか。
「発達障害者」が日常生活で起こしてしまうトラブルの分量と、深刻度
「発達障害者」の性格
「周辺者」の気持ち
「発達障害者」「周辺者」の懐事情
「周辺者」の余裕度
「発達障害者」と「周辺者」の関係性

 これらによって違ってくるので、個人差がありすぎて、「誰か、決めてくれ、もう、わからない!!」とお手上げになる「発達障害者」「周辺者」が多いようです。そういう場合は、自分と似たケースをインターネットで調べたり、お医者さんに相談したり、親しい人に相談したり、そういうことで、時間をかけて考えていかないといけないようです。

「周辺者」かどれかを決めないといけないようです。

とことん付き合います

それなりに障害に付き合っていきます

そんなに時間もお金もないし、熱心に取り組む気持ちもないので、応急処置だけして、必要最小限の付き合いでとどめます

愚痴を言いながら、振り回されて「嫌だ!!」と言い続けます

「こんなはずじゃなかった。ちゃんとした人と家族でありたかった」と嘆き続けます

どんなにミスやトラブルを怒っても、嫌な気持ちになるから考えない、逃避する

発達障害者は悪気ないのはわかっても、やっぱり付き合えないから、距離を取る

努力したけれど、障害のせいなら、あきらめる。今までのトラブルや感情はすっぱり捨てて、この人の支援を、できる範囲でやって行こう

 支援を続けるか、それとも支援をしないで、距離を取るかを決めるのは「周辺者」になります。周りの人はアドバイスはしてもらえますが、本人以外は決められない範囲が多いので、そこの気持ちを固めるのは、大変です。愚痴や、ぼやきは、吐き出してもいいとは思いますが、「発達障害者」とやっていくと決めたら、相手にぼやいたり、怒ったりすると、家族は破綻しますし、夫婦だと別居、最後は離婚まで行くしかなくなるようです。

一緒にやっていくと決めたら、愚痴を吐き出す場所は、その場所以外の、発達障害を理解してくれる行政機関や、カウンセラー、医者、自助会などのほうがいいようです。嫌だ、受け止められないと思っても、その場所は割り切っていかないと、難しいため、「そのグループは破綻するので、一切の愚痴をその場所で言わない」と決めてくださいと指導している、お医者さんもいるようです。離婚する、距離を取る場合も同じようです。

 ただし、家族や親族、同僚、友達は「応援者でしかない。発達障害者自身がトラブルを減らす当事者です」というのを考えておいて、行動しないといけないようです。サポートも、必要以上に手助けするのは、やめて見守ることを考え、どうしてもできない範囲を手助けする程度にとどめるのがいいようです。

距離を取り、相手と話をしても無理だと割り切ったほうがいいようです。

報われない気持ちをどうするか

 発達障害は、本人の努力ではどうすることもできない範囲がたくさんあります。努力して目に見えてよくなるということが難しいのが現状です。根治治療法は、まだないため、症状緩和できる薬は、ADHDのドーパミンの改善のためのお薬ぐらいで、あとは、落ち込みやすい、イライラするなどの気分障害に対してお薬を使うケースがある程度で、残りは行動療法で補っていくしかないのが実情です。認知にゆがみがある場合は認知療法も必要ですし、一般感覚を身につけたり、自分に合った対応方法を学んだり、会話での注意点、普段からチェック体制を怠らない、メモを活用する、なんにでも名前シールを貼っておく、ものの置き場所を決めておく、周りの人に協力体制を頼むなどぐらいしか難しくなります。ADHDの症状の程度によっては、改善が早い場合もあるようですが、残念ながら、ASDのほうは、相当厄介になります。そもそも、自分が一般的な多数派の脳の動きと違う動きをしているということに自覚がない、その脳の動きが違うために、多数派と動きが違ってきてしまい、その軋轢でトラブルが起こるということの自覚がなければ、難しくなります。自覚があっても、「これぐらいは許される」「周りが俺に合わせたらいい」という考えの人もいるため、そこに固執しやすい脳の性質もあるため、大変になります。あまりに行動が、問題が多くなると、「周辺者」は疲れ切り、「支援疲れ」を起こしてしまいます。
 発達障害だと発覚する前にすでに支援疲れ状態になっているケースだと、気持ちの立て直しもしないといけないため、最初の段階で、言い合いになり、けんかが多くなることもあるようです。

 報われない障害のために、症状が出てしまっている「当事者」も発達障害の周りにいる「周辺者」も、努力したくなくなる、支援疲れを起こすというのは、頻繁に起こるようです。ここをどうするかというと、気持ちの整理を徐々にしたり、疲れ切ったら、しばらく休んだり、無理をしないのがいいようです。報われようとすると、悲しくなるし、むなしくなるので、「報われようとしない」この考えが基本に持っておく必要があるようです。

 じゃあ、どうしたら、気持ちが立て直しができるかというと、報われようとすると疲れるので、報われない相手と、どうかかわるか、割り切るか、付き合いきれないと見放すか、距離を取りながら様子を見るか、それでも、がんばろうとするか、それをゆっくりと、発達障害の症状で悩んでいる人たちがどうしているのかを参考にしながら、考えていくしかなさそうです。

 報われようとしない、「自分は目一杯努力はしたけれど、障害だったから、通用しなかった。でも、悩んだ分だけ、私は成長できた」と考えて、切り替えられるようになるまで、気持ちを整理をしていくしかないようです。

発達障害の人が自覚してから、スタート

 発達障害の「当事者」の人は、怒られているのはわかるけど、なんで怒っているのかわからないから、そのままにしておいて、でも、症状が軽めのために、社会的に問題が起きても、そのまま放置されたままという人も多いようです。症状が重すぎて、会社で問題を繰り返している障害者の人は、さすがに必要性を感じて、「お医者さんに行こう」となる人も多いようですが、葛藤があるらしく、何か月か悩んでから行きましたという人も多いし、会社に勧められて、診断を受けた。うつ病やほかの病気で医者に行ったら、発達障害だとわかったなど、様々なケースがあるようです。
 ところが、見過ごされがち、本人が困ってない、自覚してない発達障害者の人も、たくさんいるようです。トラブルになって、自覚がないため、「周りのせいだ!!」「運が悪かった!!」「このままでいいんだ!!」という人も大勢います。中には借金を繰り返したり、転職を繰り返しても、自覚しないなんてケースも多数みられるようです。相談するのは、家族や会社の人のほうで、本人は、わかってない。こういう人の場合は、一応、社会適応は、それなりにできているために、「医者に行った方がいい」と、周りは言いづらいため、そのままになっています。

 これらの人がお医者さんには行きたがらない。必要性を感じない。行っても、すぐに途中で行かなくなる。という書き込みもたくさん見られます。

 こういう人たちが自覚してお医者さんに行くまで、「数年かかりました」というケースも多いようです。自分の子供に発達障害の診断がついて、親のその人も診断が出ても、「子供は発達障害じゃない。俺もおかしくはない。どこも悪くない」と受け入れないケースも多いようです。障害を受け止める期間は、個人差があるようです。数か月の人、数年かかる人、さまざまのようです。子供が発達障害者だと、学校で、勧められるため、小児の精神科医に行かないわけにもいかず、行くようですが、それでも「わが子は障害者じゃない」という親もたくさんいるそうです。

 症状がわかって、「もしかして、発達障害者かも?」と自覚してないと、お医者さんに行っても、効果は薄いそうです。本人が、「周りの人が合わせてくれたら、それでいい」「俺は間違ってない」と言い張るケースでは、「周辺者」は、無理してサポートするのは、やめておいたほうがいいようです。大人の発達障害者の場合、金銭も伴うケースがあり、肩代わりは「最初からしないでください」とお医者さんが指導しているのが多いようです。サポートはほどほどで、距離感を取り、無理をしない範囲で、障害者として、「当事者」がどうするかを決めてもらわないと「周辺者」はどうしようもないのが現状です。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医