始めに

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「周辺者」は、「発達障害者」に付き合うか、距離を取るか

 発達障害かもしれないとわかったときに、すでに支援疲れを起こしているケースが多いようです。症状をなんとなく漠然と理解できてくると、そばにいる「発達障害者」の状態を見て、「このまま付き合うか?」「ちょっとだけ、どうしても支援が必要な部分だけ、必要最小限助けて、距離を取りつつ、様子を見る」「攻撃的で、金銭面も問題だらけ、心が持たない、逃げる」「取り組んでくれそうだから、手伝う」「熱心に取り組み始めたから、がんばって助け続けよう」など、「周辺者」は、だいたいの気持ちが固まってくると思います。

 それらをどうするかの目安があるようです。

「発達障害者」がどの程度、障害症状を取り組むか?
「発達障害者」が自覚があるかどうか。
「発達障害者」が日常生活で起こしてしまうトラブルの分量と、深刻度
「発達障害者」の性格
「周辺者」の気持ち
「発達障害者」「周辺者」の懐事情
「周辺者」の余裕度
「発達障害者」と「周辺者」の関係性

 これらによって違ってくるので、個人差がありすぎて、「誰か、決めてくれ、もう、わからない!!」とお手上げになる「発達障害者」「周辺者」が多いようです。そういう場合は、自分と似たケースをインターネットで調べたり、お医者さんに相談したり、親しい人に相談したり、そういうことで、時間をかけて考えていかないといけないようです。

「周辺者」かどれかを決めないといけないようです。

とことん付き合います

それなりに障害に付き合っていきます

そんなに時間もお金もないし、熱心に取り組む気持ちもないので、応急処置だけして、必要最小限の付き合いでとどめます

愚痴を言いながら、振り回されて「嫌だ!!」と言い続けます

「こんなはずじゃなかった。ちゃんとした人と家族でありたかった」と嘆き続けます

どんなにミスやトラブルを怒っても、嫌な気持ちになるから考えない、逃避する

発達障害者は悪気ないのはわかっても、やっぱり付き合えないから、距離を取る

努力したけれど、障害のせいなら、あきらめる。今までのトラブルや感情はすっぱり捨てて、この人の支援を、できる範囲でやって行こう

 支援を続けるか、それとも支援をしないで、距離を取るかを決めるのは「周辺者」になります。周りの人はアドバイスはしてもらえますが、本人以外は決められない範囲が多いので、そこの気持ちを固めるのは、大変です。愚痴や、ぼやきは、吐き出してもいいとは思いますが、「発達障害者」とやっていくと決めたら、相手にぼやいたり、怒ったりすると、家族は破綻しますし、夫婦だと別居、最後は離婚まで行くしかなくなるようです。

一緒にやっていくと決めたら、愚痴を吐き出す場所は、その場所以外の、発達障害を理解してくれる行政機関や、カウンセラー、医者、自助会などのほうがいいようです。嫌だ、受け止められないと思っても、その場所は割り切っていかないと、難しいため、「そのグループは破綻するので、一切の愚痴をその場所で言わない」と決めてくださいと指導している、お医者さんもいるようです。離婚する、距離を取る場合も同じようです。

 ただし、家族や親族、同僚、友達は「応援者でしかない。発達障害者自身がトラブルを減らす当事者です」というのを考えておいて、行動しないといけないようです。サポートも、必要以上に手助けするのは、やめて見守ることを考え、どうしてもできない範囲を手助けする程度にとどめるのがいいようです。

距離を取り、相手と話をしても無理だと割り切ったほうがいいようです。

報われない気持ちをどうするか

 発達障害は、本人の努力ではどうすることもできない範囲がたくさんあります。努力して目に見えてよくなるということが難しいのが現状です。根治治療法は、まだないため、症状緩和できる薬は、ADHDのドーパミンの改善のためのお薬ぐらいで、あとは、落ち込みやすい、イライラするなどの気分障害に対してお薬を使うケースがある程度で、残りは行動療法で補っていくしかないのが実情です。認知にゆがみがある場合は認知療法も必要ですし、一般感覚を身につけたり、自分に合った対応方法を学んだり、会話での注意点、普段からチェック体制を怠らない、メモを活用する、なんにでも名前シールを貼っておく、ものの置き場所を決めておく、周りの人に協力体制を頼むなどぐらいしか難しくなります。ADHDの症状の程度によっては、改善が早い場合もあるようですが、残念ながら、ASDのほうは、相当厄介になります。そもそも、自分が一般的な多数派の脳の動きと違う動きをしているということに自覚がない、その脳の動きが違うために、多数派と動きが違ってきてしまい、その軋轢でトラブルが起こるということの自覚がなければ、難しくなります。自覚があっても、「これぐらいは許される」「周りが俺に合わせたらいい」という考えの人もいるため、そこに固執しやすい脳の性質もあるため、大変になります。あまりに行動が、問題が多くなると、「周辺者」は疲れ切り、「支援疲れ」を起こしてしまいます。
 発達障害だと発覚する前にすでに支援疲れ状態になっているケースだと、気持ちの立て直しもしないといけないため、最初の段階で、言い合いになり、けんかが多くなることもあるようです。

 報われない障害のために、症状が出てしまっている「当事者」も発達障害の周りにいる「周辺者」も、努力したくなくなる、支援疲れを起こすというのは、頻繁に起こるようです。ここをどうするかというと、気持ちの整理を徐々にしたり、疲れ切ったら、しばらく休んだり、無理をしないのがいいようです。報われようとすると、悲しくなるし、むなしくなるので、「報われようとしない」この考えが基本に持っておく必要があるようです。

 じゃあ、どうしたら、気持ちが立て直しができるかというと、報われようとすると疲れるので、報われない相手と、どうかかわるか、割り切るか、付き合いきれないと見放すか、距離を取りながら様子を見るか、それでも、がんばろうとするか、それをゆっくりと、発達障害の症状で悩んでいる人たちがどうしているのかを参考にしながら、考えていくしかなさそうです。

 報われようとしない、「自分は目一杯努力はしたけれど、障害だったから、通用しなかった。でも、悩んだ分だけ、私は成長できた」と考えて、切り替えられるようになるまで、気持ちを整理をしていくしかないようです。

発達障害の人が自覚してから、スタート

 発達障害の「当事者」の人は、怒られているのはわかるけど、なんで怒っているのかわからないから、そのままにしておいて、でも、症状が軽めのために、社会的に問題が起きても、そのまま放置されたままという人も多いようです。症状が重すぎて、会社で問題を繰り返している障害者の人は、さすがに必要性を感じて、「お医者さんに行こう」となる人も多いようですが、葛藤があるらしく、何か月か悩んでから行きましたという人も多いし、会社に勧められて、診断を受けた。うつ病やほかの病気で医者に行ったら、発達障害だとわかったなど、様々なケースがあるようです。
 ところが、見過ごされがち、本人が困ってない、自覚してない発達障害者の人も、たくさんいるようです。トラブルになって、自覚がないため、「周りのせいだ!!」「運が悪かった!!」「このままでいいんだ!!」という人も大勢います。中には借金を繰り返したり、転職を繰り返しても、自覚しないなんてケースも多数みられるようです。相談するのは、家族や会社の人のほうで、本人は、わかってない。こういう人の場合は、一応、社会適応は、それなりにできているために、「医者に行った方がいい」と、周りは言いづらいため、そのままになっています。

 これらの人がお医者さんには行きたがらない。必要性を感じない。行っても、すぐに途中で行かなくなる。という書き込みもたくさん見られます。

 こういう人たちが自覚してお医者さんに行くまで、「数年かかりました」というケースも多いようです。自分の子供に発達障害の診断がついて、親のその人も診断が出ても、「子供は発達障害じゃない。俺もおかしくはない。どこも悪くない」と受け入れないケースも多いようです。障害を受け止める期間は、個人差があるようです。数か月の人、数年かかる人、さまざまのようです。子供が発達障害者だと、学校で、勧められるため、小児の精神科医に行かないわけにもいかず、行くようですが、それでも「わが子は障害者じゃない」という親もたくさんいるそうです。

 症状がわかって、「もしかして、発達障害者かも?」と自覚してないと、お医者さんに行っても、効果は薄いそうです。本人が、「周りの人が合わせてくれたら、それでいい」「俺は間違ってない」と言い張るケースでは、「周辺者」は、無理してサポートするのは、やめておいたほうがいいようです。大人の発達障害者の場合、金銭も伴うケースがあり、肩代わりは「最初からしないでください」とお医者さんが指導しているのが多いようです。サポートはほどほどで、距離感を取り、無理をしない範囲で、障害者として、「当事者」がどうするかを決めてもらわないと「周辺者」はどうしようもないのが現状です。

脳の中身は見えない

 発達障害者の「当事者」と「周辺者」は、お互いに歩み寄れない部分がたくさんあります。「当事者」は好きで、その症状で生まれたわけではありません。でも「周辺者」も、では、無理して、その症状の部分を我慢するしかないのかということになって、平行線です。悪気はない、でも、何かが起こりやすい、自覚がない障害者の場合は、そして、自覚があっても、うまく適応できず、周りに説明したり、周りに助けてもらいやすくする環境づくりが整ってない場合は、トラブルがずっと続きます。

 これらがおこる原因は、発達障害者も、その周辺者も、お互いの脳は見えないからです。では、これらを埋めることができるのは、どうすればいいかというと、お互いに、どういう感覚なのかを学ぶしかないのですが、これを学ぶ機会は、実は、発達障害者かもしれないと自覚が出てからになり、発達障害の存在自体すら知らない時だと、「なんで、こんなにミスするの?」「なんで、ミスするのを許してくれないの?」となっていて、その積み重ね後に、すぐに「じゃ、切り替えて、今までの感情を捨てます」なんてことができる人が、ほとんどいないことが原因です。

 切り替えるには、発達障害の症状に詳しい、精神科医、心療内科医、臨床心理士などにカウンセリングをしてもらって、「大丈夫ですよ」「一緒に、がんばって環境づくりをしていきましょう」と言ってもらえるだけでも、違ってくるそうですが、なかなかそれをするだけの気持ちは生まれにくいのが、日本の状況です。カウンセリングを無料、もしくは格安で受けられる状態で、できれば、最初は匿名で受けられたら、発達障害のことを相談しやすくなるのかもしれませんが、なかなか難しい状況のようです。

約束を守らない

 発達障害の「当事者」は約束を守らないことを、何度も続けることがあります。ADHDの場合は、約束したことを忘れてしまう。内容を忘れてしまう。それで問題になっても、わかってない。など、たくさんの理由があるようです。ASDの場合は、そもそも理解できてない。自分の実力がわかってない。概念がわかってない。約束を破ったら、どうなるかが想像できない。などなど、こちらも、たくさんの理由があります。

 約束を何度も破られたら、周りが嫌がるということを、気づけない人も多いようです。気づいていても、「それでも、忘れちゃうんだから、いいじゃない」と言い張るADHDの「当事者」も多いようです。

 それで、これをどう折り合いをつけたらいいのかというと、「できる約束をすること」がいいようです。ADHDの場合は「できるよ」と見通しが甘いので、何度も失敗を重ねた後、「周辺者」のほうがADHDの「当事者」の力量に合わせて、調整して約束をしたほうが安全のようです。
 アスペルガーの場合は、予想がつかない、概念がわかってない、自分がどう動いたらいいのかわかってない。できるかどうかがわかってない。など、かなり問題がある状態の人の場合は、何度も失敗を重ねた後、「こちらのほうがいいと思うよ」と周りの人が勧めても、それでも「できる」とハードルを下げたがらない人が多いようです。理由は、「本当にできると思っているから」「現状維持が好きだから」「できない理由は、周りが無理解だからと思い込んでいるので」など、色々と複雑のようです。何度も、失敗を重ねて、「あなたには、こっちの方法が合っているよ」と気長に勧めて、ものすごく時間をかけて、本人の力量に合った約束ができるようになっていくようです。

 残念ながら、約束を何度しても、失敗を繰り返し、反省せず、周りのせいにして、自分が被害者だと思っている、方法を変えなかったり、ハードルを下げなかったりする発達障害の「当事者」の場合は、あきらめたほうがいいようです。その場合は、「周辺者」が代行したり、サポートしすぎたりすると、「ほかの人にやってもらえば済む」という間違った認知が出来上がる発達障害の「当事者」もいるので、助けすぎたりせず、「周辺者」が犠牲になりすぎるようなことはやめたほうがいいようです。

 距離を取りつつ、「周辺者」が行動を自分のペースを守りながらやるしかなさそうです。場合によっては「当事者」が被害者ぶって、何度もなじったり、攻撃されるケースもあるようです。その場合は、逃げるように指導する「専門家」もいますので、自分で考えて、無理しないほうがいいようです。

努力目標を定めましょう

 「発達障害かもしれない?」とわかった後、とりあえず、資料を調べ、時にお医者さんに行ったり、でも、迷いが多いのが、発達障害の症状です。けれど、症状の度合い、診断してもらった医師、対応してくれた行政担当者などによって、違いが大きすぎて、「いったい、私はどうしたらいいのだろう?」と迷ってしまいやすい状況になっています。外国だと、小さい時に発見されやすく、国によっては医療現場と学校などが連携されていて、ケアを考えてくれるため、「当事者」「周辺者」は、それに従って動いていくことができますが、日本では、成人の発達障害に対して、取り組もうとなったのが、国の基準が変わったのが、十数年前で、それ以降に、地方自治体に発達障害者支援センターができて、受け皿はとりあえず用意されたけれど、それにかかわっている職員や、お医者さんなどが、「当事者」「周辺者」が安心して任せるレベルにはなっていないのが現状のようです。
 そのため、「当事者」「周辺者」は自分たちで、どう動いていいのかを、自分たちで調べないとどうしようもなくなっている状態です。お医者さんは診断と投薬はしてもらえても、行動指導はしてもらえなかったというのも、多いようです。一部、デイケア施設を持っている病院の医師の場合、行動改善指導をしてもらえたというのもあるようですが、やはり、ある程度は自力になるようです。そこで、「じゃあ、自分は、どうしたらいいのか?」を目標を立てて、やっていくしかなさそうです。

努力目標10点コース(100点満点中)
 
 落ち込むのも嫌だし、日常生活が困っていても、別に構わないし、治らないし、行動改善なんて、嫌だしと思っているのなら、最低限の、症状の理解と対応をして、開き直って生きていく。というコースになるのかもしれません。ただし、「周辺者」は助けてくれる人もいますが、ほとんどの人が、「そこまで、がんばらないのなら、困っていなさそうだし、こっちも最低限の付き合いでとどめます」という「周辺者」が多いことを覚悟したほうがいいようです。

努力目標30点コース

 あまり、がんばれる性格じゃないし、無理もしたくない。でも、あまり、周りに迷惑もかけたくないので、それなりにやれたらいいと思っているのであれば、自分がしたいと思う程度の症状の把握と、行動をしていき、1~2年ぐらいかけて、気長に、取り組むのがいいようです。気持ちを落ち着け、症状理解に一年。残りの一年で、対応策をやりたい範囲だけやることにして、3年目で、トラブルが減ったらいいなと思って、取り組むのがいいようです。

努力目標50点コース

 平均レベルぐらいは取っておきたい。何事も中程度が好きという人のコースになります。ちょっと無理は必要になります。気持ちを落ち着け、症状把握に一年、対応策を考え、覚えていくのに一年、さらに一年かけて、定着させていくコースになります。よって、3年ぐらいを目安に気長に取り組むコースとなり、本や資料に書いてあるもので、自分が一番問題と思っているものと、さらに、できそうなものを取り組んで行くのがいいようです。できなくても、無理をしない。成人となってから、取り組むため3年はかかると考え、1,2年は下積み生活となるため、その間、「周辺者」「当事者」は、トラブル、言い合いになるのは、「障害の症状だから」と思いながら、気持ちを作っていくのがいいようです。

努力目標70点コース

 やるからには、平均以上はやりたい人のコースになります。ものすごく気長に4~5年はかけて、取り組んでいくか、それとも、本を読むのが好きだったり、目標に対してがんばれるのであれば、気持ちに合わせて、ペースを上げたり、下げたりして、自分の症状に取り組むことになるようです。気持ちをゆっくりと作っていき、症状の把握もゆっくりと2年はかけて勉強し、その間、取り組めそうなもの、トラブルが起きていて、すぐに対応したほうがいいものを、やっていくのがいいようです。さらに、気になる症状が出たら、追加していく。そうして5年ぐらいかけて、寛解状態になるのを目標に取り組むのがいいようです。成人になってからの取り組みなので、できないことも多いようですが、がんばりたいと思うところまで、やってみてもいいかもしれません

努力目標90点コース

 このコースを選ぶ人は、もともと、学習が好きであり、まじめであり、何事も真面目に取り組みたがり、ものすごいまでの知識欲、記憶力、馬力、過集中がある人が多いようです。自分で、どんどん調べてやっていき、どこまでも追及して、自分の欠点を見直し、できる範囲を伸ばし、社会適応ができている人も多いようです。元々、できるため、症状の把握が早い人も多いし、もしくは、粘り強く、とことん調べる人も多いようです。そして、がんばって取り組んで、自分でブログを書いていたり、サイトを立ち上げたり、著作物があったりします。高学歴、社会的地位が高い人も多いようです。

*どのコースも、それなりに時間がかかるのは、説明に時間がかかるからです。さらに、癇癪を起しやすい。パニックになりやすいなど、感情処理も学ぶ必要があるため、そちらにも相当の時間がかかるようです。



 残念ながら、自覚がなく、もしくは自覚していても、「どうせ治らないんだろう?」「医者に行っても無駄」「努力する意味がない」「周りが合わせれば済む」「俺がどうしてこんな目に遭うんだ!!」「どうせ、やってもできないんだ」など、開き直ったり、周りに過剰に求めたり、いじけたりしている人が取り組むというのが、なかなか難しいようです。気持ちの切り替えが早い人も多い障害ですが、反対に、ずっと、そのまま、開き直り、いじけ、すねて、なんて人もいますので、ここは性格のようです。性格の場合は、なかなか切り替えられないものなので、そこは「神様の範囲」となり、「当事者」が自覚を持って取り組んでくれるのを「周辺者」は待つしかないようです。

どの基準で考えたらいいの?

 日本基準、グループ基準、家族の基準、自分の基準。これらを全部考えて、「ほかの人の事情をわかってはいるけれど、とにかく自分優先したい」と思ってしまうのがADHD。「ごちゃごちゃして、選択できない!」となるのが、ASDのようです。それを予防する方法は、とりあえず、発達障害の「当事者」が、それぞれの基準を把握するところから始めないと、どうしようもないのですが、「面倒だから、やりたくない」「一応、把握しようと思っているけれど、覚えきれない」「ごちゃごちゃして、整理して考えられない」というADHDの人もいます。自分の症状に合わせて、対応方法を周りの人、お医者さん、カウンセラーなどに相談しながら、考えていかないと大変になります。

 ASDの場合は、もともと真面目な人が多いため、本を読んで整理することができる人だと、自分で取り組んだり、周りに確認したりして、時間をかけてやっていく人もいます。
 取り組んでいく人は、これらのことをゆっくりと整理しながら、時間をかけて環境を整えていく必要があるようです。症状の把握、基準の把握だけで、一年はかかるようですし、その後の環境を整える、対応策を考えて取り組んでいくのに、さらに一年かかります。この間、発達障害のお医者さんを発達障害者支援センターに紹介してもらったり、診断してもらったりする場合でも、かなりの時間がかかります。どちらにしても、気長な作業になるため、すぐに効果を求めるとつらくなるので、途中で中断しても、自分を責めたりしないで、気持ちを作りながら取り組んでいくしかないですが、「周辺者」は、先が見えるため、気持ちが折れて、「付き合いきれない」という書き込みがたくさん見られます。「当事者」も「周辺者」も、時間がかかるものだと覚悟して取り組まないと、大変なようです。


 「周りの基準より、俺が何より正しいので、そんなことはしなくてもいいんだ!!」と言い張る人もいます。「俺に回りが合わせれば、世界は回っていく!!」とまで思い込んでいる人もいます。「面倒だから、周りの人にやってもらっていきたい」と思っているADHDの人もいます。実際には、トラブルの原因になっているのは、発達障害の症状が出ている人の脳の動きが一般的な人と違い、少数派になっているため、社会基準は多数派の、一般的な脳の動きをする人の感覚に合わせて動いていきますから、「合わせなくていいよね」「俺に合わせろ!!」は通用しない場所が多いようです。家庭内や小さいグループでは、発達障害者が主導権を握りやすい場合もあり、その場合だけ、発達障害者の意見が通りやすくなることもありますが、その場合は「周辺者」は無理をしない。合わせて、自分の生活が壊れるのなら、無理をして合わせなくてもいい。という指導をされる場合もあります。

 どちらにしても、発達障害の症状が出ている「当事者」の努力から始めてもらうしか、難しくなります。当事者が、症状の把握、基準の把握、自分がどう対応していいのかの把握をしてもらってからじゃないと、「周辺者」は何も考えられないので、待つしかないようです。

単語だけ聞いて判断

 ADHDの症状の一つに、会話について行けないというのがあります。これは、色々な症状があるため、原因は、一つでは、ないようです。会話が聞き取れない。単語しか聞いてない。冒頭だけで判断して聞くのをやめる。文節ごとに聞いている。そもそも、最初から聞く気がない。途中であきらめて、聞かなくなる。

 これらの症状をわかりやすく言うと、英会話に似ているようです。英単語しか聞き取れない人では、相手の言いたいことは理解できないケースも多くなりがちです。聞き取れなくなったら、そこでおしまいになるのが英会話。それが日本語で起こってしまうのですから、どこでも、意思の疎通がはかれないことになりますが、当事者は違和感がありません。気にしないのも症状の一つ、物事を先延ばしにする、忘れてしまう、覚えていられないのも症状にあるためです。

 会話が危なっかしい日本に来たばかりの外人と一緒に共同作業をしたら、どうなるでしょうか? 日本人の一般的な感覚や、日本の常識も、危ない状態で、会話も単語が聞き取れる程度の人に大事なお仕事を任せられる人は、ほとんどいないのではないかと思います。日本語がたどたどしい外人なら、はっきりと「聞き取れなかった」「わからない」と言われて、一緒にいる日本人も、どこに問題があるのかは、ある程度、予想がつくので、日本人のほうが、判断して、どこまで任せるか、どの程度、意思の疎通がはかれるのか、わかります。これが、日本人同士で、見た目ではわからず、一応、聞いているかのような態度にも見える人で起こったら、大変わかりにくくなる。これが、ADHDの状態です。

 ADHDの人で自覚がない人の場合、注意されたり、怒られても、すぐに忘れていき、しかも、「周りがかばってくれるだろう」「誰かがやってくれるだろう」と思い込んでいたら、周りの人は大変になります。

 「周辺者」は外人と共同作業をしているのだという気持ちで、説明したり、判断する必要があるようです。無理をして、共同作業しないほうがいい場合もあるかもしれません。決めるのは、「周辺者」のほうが安全かもしれません。

カサンドラ症候群のタイプ

 ASDの配偶者、もしくは近しい人がかかる症候群のようですが、正式に病気として扱われていないのが実情です。まだまだ、支援の手が回らないため、配偶者、家族、同僚、近くにいる人たちが、感情の破綻をきたして起こす症状です。

 ところが、これにもタイプがあるようです。元々は、共感してもらえない配偶者に対してのわだかまりの意味で、抑うつ、自信喪失、頭痛、だるさ、イライラ、悲観、など、たくさんの症状がある症候群ですが、人によって、違っています。

共感してもらえないことが一番つらい場合
 一般的な対応をしてもらえる相手だったらという望みがかなえられなくて、感情のやり取りをしたいという希望が強いから起こるようです。この場合は、ある程度の割り切りが必要のようです。

意思の疎通がはかれなくて、イライラする場合
 意思の疎通を図れないのが、ASDの特徴の一つです。それを「何とかがんばれば、意思の疎通が改善されるかもしれない」というのは、カサンドラ側からの望みであり、それが最適とは限らないようです。環境づくりをして見たり、距離の取り方を考えてみたり、いっそ、完全に距離を取ったり、色々な方法があるようです。

色々な方法を試してみても、発達障害だと改善されなくて、自信を喪失した場合
 開き直るしかないようです。割り切るしかないようです。どこまでが症状で、どこまでが性格や環境によるものかを判別して、悪気がない部分、症状の部分は、あきらめるしかないようです。改善するためには、本人の症状が軽く、そして取り組む気がある場合のみで、そういう人のほうが少ないのが現状だと受け入れるしかないようです。

やることはやっているけれど、抑うつが続いて、やる気が失せた
 割り切れない感情になってしまっている場合は、距離を取るしか方法がないらしく、しばらくは、自分の心を優先して、行政や医師、カウンセラーなどを利用して、気持ちを軽くすることで、軽減されるかもしれません。ただし、状況は良くなるにしても、時間がかかるため、どうしてもやる気が起きないのなら、距離の取り方を変えるしかないようです。

先が見えなくて、悲観してしまう、イライラする、落ち込む。抑うつ気分になる
 悲観しても、抑うつでも、イライラしても、環境も状況も変えられませんが、自分の感情を休ませたり、なごませたりすることは、できるかもしれません。気分転換の方法を考える。自助会に参加して、励ましあうことをしてみたり、ブログで自分の心を吐き出したり、絵を描いたり、音楽に親しんだり、自分を表現する方法で発散してみたり、色々と方法があるようです。

動きも会話もロボットのようで、感情が感じられない
 
この場合は、改善されましたという報告がほとんどないみたいです。一応、医者に行っていますが、効果がほとんど感じられないというケースもあったし、そもそも、医者に行く必要を感じていない当事者も多いようです。意思の疎通を図るということは、ほとんどないため、家族で共有して、楽しい思い出を作るという希望を持っていたら、まず、あきらめたほうがいいようです。個人で楽しむ家族と割り切るか、それとも、別の道を模索するのか、配偶者が考えて決断するしかないようです。

一緒に決断できなくて、結局、当事者じゃなくて、自分が決めないといけないことだらけになってイライラするとき
 この場合は、改善することが、少ないようです。自覚がほとんどない発達障害者の場合は、そもそも、何が悪いかさえ分からないため、この状態が一生続くことも覚悟しておいた方がいいらしく、そのうえで、「それでも、この人と一緒にやっていくか?」を決めるのは、配偶者である、そばにいる自分で決めないといけないため、かなり孤独でつらい作業になるようです。経済的に、もしも、子供がいたら、それも考えていかないといけません。一人で何でも判断していくと大変になります。どうするかは、じっくり考えて決めるしかないようです。

生活のトラブルが不安

 一緒に行動するときに、ルール決めとか、細かいやり取りがいっぱいあって、その中でも生活の不安が強いケースは、ケースごとにルール決めが必要のようですが、言い張られる「当事者」の場合は、とても、難しく、マイルールだらけの人だと、大変になり、折り合いが付けられるかどうかで決まってくるようです。指導の本を参考にしながら、取り組むことになりますが、程度によってはお医者さんに指導してもらった方が良いそうです。症状が軽い人でも、暗黙の了解のズレの説明と理解が大変になるため、ルール表などを作って、習慣づけるなど、たくさんの工夫を重ねて、ルールを一緒に作って行く必要があるようです。

トラブルの質が怖すぎて生活の不安が強いとき
 
 トラブルによっては取り返しがつかず、中には、金銭、お仕事、生活に影響が出すぎて、疲れ切るケースもあるようです。金銭問題を繰り返す。お仕事が続かない、言葉や行動で暴力的だったり、支配的だったり、「周辺者」が恐怖や不安が強くなってしまうケースの場合、お医者さんでさえ、「当事者」を見放すケースも多いため、このケースは、「周辺者」が逃げるしかない状態もあるようです。カサンドラ症候群というよりは、適応障害や障害者支援疲れのケースに当たりますので、お医者さん、カウンセラーに「周辺者」の方がケアしてもらうコースになるようです。

 ASDの「当事者」の近くにいて、カサンドラ状態にまでなってしまったら、決して無理をしないで、一人で抱え込まず、相談する場所を確保して、自分を優先したほうがいいようです。グループ行動が制限される相手と割り切って、可能な部分だけを一緒に行動すると考えたほうがいいようです。自分の心を優先したほうがいいようです。

 カサンドラは、ASDに対して、差別的な気持ちは、まったくなくても、一緒にいるうちに、気持ちのすれ違いや、意思の疎通がはかれなかったり、トラブルだらけだからこそ、起こってしまう心の動きによるもので、イライラしたり、どなってしまったり、何かに八つ当たりしたり、抑うつになったり、落ち込んだり、悲観したり、やる気がなくなるだけで、人間は、そこまで聖人君子でいられる人のほうが稀です。一人で抱え込まないほうがいいようです。

どちらが配慮?

 書き込みによくあるのが、発達障害者側からの「配慮してください」というもの。合理的配慮をしてくださいと法律が変わっていますが、現場は、まだまだのようです。けれど、合理的配慮をしてほしい場合は、発達障害者のほうが働きかけないと、難しいようです。行政の場では、配慮は必要になっていますが、民間の場所は努力目標でしかないからです。

 発達障害者の人がいるグループは、全員、発達障害の症状を自ら勉強して、発達障害者が快適になるように努力すべきである。と考えての発言もたくさんあるようですが、実際は、そんな理想は、発達障害以外の、問題を抱えている人でも、配慮はしてもらえません。遅刻が多い、問題発言、行動が多い人の場合でも、注意されておしまいです。一から、その問題を教えてもらえる、指導してもらえることは、社会人以降は、ほとんどないのが実情です。高校生ぐらいまでは、先生からの指導があるかもしれませんが、それも、万全の体制とは言い難いのが実情のようです。

 発達障害者は、社会スキルを身に着けて、自分のいる場所での理解してもらう努力をするのは、自分自身でお願いします。というのが、仕事現場以外の状況なので、社会スキルを発達障害の「当事者」が身に着けてない場合は、周りは配慮ができません。周りに配慮してもらうには、具体的に、症状が知らない人で動けるように、お願いの仕方を、発達障害者自身が自分で考えないといけなくなっています。

 一般の今の日本の基準は、小さいころに気づけなかった障害だとしても、大人になって気づいても、「できるだけ、当事者が社会適応できるように努力してください。そのためのお手伝いをしましょう」というのが、行政、学校、会社、医療関係の基準になってます。そのため、「ご本人が自分で努力されて、自覚された方のみ、承ります。それ以外の方は、配慮は難しくなります」という状況のため、自覚されない、努力されない発達障害者の周りにいる「周辺者」が混乱してしまう状況になってます。「現場で判断してください。ジョブコーチを頼まれるのなら、承ります」という状況になっているようです。「じゃ、ファミリーは?」「PTAは?」「同僚は?」「うちのグループは?」と、コーチが派遣されない現場では、手探りで処理しているのが現状となってます。

 発達障害の啓蒙活動のための講師の派遣を行政は行っているようですが、その派遣をしてもらいにくい場所もたくさんあります。そこの垣根がスムーズになるまで、まだまだのようです。

 自分の症状を、知らせるだけじゃなく、具体的に、「5W1Hを省略せずに、説明してもらえるとありがたいです」「3分以上の説明は聞いても、忘れてしまいやすいです」「作業工程表があると助かります」「全体の流れを表にしてもらえると理解できます。お願いします」と低姿勢に頼まないと、周りは嫌な顔をされることがあります。どちらかというと、そちらが普通の社会人への態度になります。本人が努力を怠っていると、周りが錯覚するからです。嫌な思いをしないように、自分の症状を知らせる努力と、周りへの頼み方の方法を、症状を知っている人に教えてもらった方がいいかもしれません。発達障害者以外の人が、「絶対に配慮しないといけない」という状態になることは、ほとんどないので、どちらが配慮という実情は、「発達障害者が配慮してほしいのであれば、自分で配慮してもらえる努力が必要なのに、発達障害者がそれを訴える手段を知らないので、できていない現場だらけ」という状態で終わっています。

会話に時差がある

 発達障害の中でも、ADHDは、早合点、単語しか聞いてない、聞き飛ばしが多い、そもそも聞いてない。などの理由から、会話が通じないと言われています。ASDの場合は違います。話について行けない、何が言いたいのか理解が遅い、もしくはできない。流れが変わるとパニックを起こす。情報が過多すぎると、整理できない。たくさんの理由で、会話をしても、本当に理解するまで、何時間もかかる、何週間もかかる。下手したら、一年、いや、それ以上経ってから、「あの会話の本当の意味は、それだったんだ?」と気づけるようになるそうです。一生、気づけない人もいるようですので、会話するのだけでも、一苦労になります。

 会話をしていても、返事がものすごく遅い場合があります。「え、今頃、その話?」という返事が突然返ってきて、「意味が分からない」と周りは戸惑うことも多いようですが、ASDの「当事者」は違和感がありません。まじめなために、ずっと、ぐるぐる考え続けて、違うことで、「あ、そういうことか」と気づけたり、自分で気づいたり、そういうことを自問自答して、やっと結論が出るようです。会話に時差があると、物事によっては、「決定するときじゃない。既に遅い」ということも多く、それが、期限付きのものだと、「手遅れだよ」と言われて、「えー!!」という状態もなるようです。重要なことは、確認しておいた方がいいようです。確認に対しては、報告、連絡、相談のことについての本での解説本を読んで、参考にして、確認については、ソーシャルスキルの本などにも載っています。自分に合った、確認の方法を取っておいた方が、安全となります。ただ、会話に時差ができてしまうのは、本人が、わざとやっているわけじゃないので、悪気はありません。そこを責められると、ますます「パニック」が起きやすくなるそうです。

ビジョントレーニング

 有名なボクサーが取り入れているようですが、ADHDにも効果があると言われているようです。視力がアップするのではなく、目を使う動作をアップする。目を使う脳の力をアップする方法のようです。専門の場所で習うのもよいですが、ゲームでも、こういうものはたくさん出ています。

 読み飛ばしが多い。見たものを目も取るのが遅い。目を使う動作が遅いことによって、不利益がある人向けのようです。こういうトレーニングも、少しだけやってみるのもいいかもしれません。

感情の流れは漫画で勉強

 女性のほうが、発達障害の症状が目立たない人が多いと言われています。ASDは特に、男性が多いと言われているようです。女性はその中でも受動型が多いようですが、理由は、女性ならではの立場があるからのようです。グループ行動を好む。そして、漫画をよく読んで、大人になっていくからという説があるらしく、驚きました。ドラマをよく見るのも女性が多い。そのため、感情などに対して、わかりやすく、セリフで説明が出てくるような漫画だと、「そういうことなのか」という認知がたくさん出来上がるそうです。知らずに社会スキルを漫画やドラマで身に着けているそうですが、ただし、本当に理解できているかというと、難しいようです。なんとなくわかっている感じのようですが、それでも、何もしないよりは、社会スキル、感情の流れなどが、感覚でわかるようです。社会スキルを身につけたい、感情について勉強したい場合、同性、異性の恋愛もの、学園もの、お仕事物などのドラマ、漫画を読むのもいいかもしれません。ただし、SFやファンタジーの要素が入ったものは、認知が歪んでしまうので、それらは作り物であり、現実ではないということがわかる人のみ、見たほうがいいかもしれません。

 症状を知っている人に、フィクション要素が少なめで、リアル感がある、価値観が歪まない漫画はどれなのかを教えてもらってもいいかもしれません。マンガ、ドラマ、映画で気持ちを勉強するのもいいかもしれません。

ゲシュタルト療法2

 言葉で、語り掛けるのもいいですが、独り言を言うのがはばかられるのなら、実際にブログなどに書いてみて、整理するのもいいかもしれません。


 エンプティチェアーのブログバージョンだと、
A「いっぱい言いたいことがあるの」
B「いいよ、聞くよ」
A「ありがとう」みたいなやり取りを書いてみて、一人芝居のような形で、再現します。

 ドリームワークは、夢ノートをブログでつづってもいいかもしれません。実際に見た夢を書き込んで夢診断してくれるサイトもあるので、利用してもいいかもしれません。

 できないことをするのは、自分の言いたいことが伝わらないのなら、言いたいことをイメージして、相手が受け止めたという形で終えます。実際はASD、ADHDの「当事者」が相手なので、受け止めてくれることはかなわない夢なので、自分の願望を表面化するだけになります。

 トップ、アンダードッグは、「ASD、ADHDの人と、かかわりたくない」「いや、頑張るべきだ」「必要ないだろう」などとたくさんつづってみるのもいいかもしれません。

 ブログなので、下書きのままで、非公開で保存ができます。気が済んだら、削除して終えます。気持ちの掃き出しはできますが、発達障害の人が相手だと、現実と違いがありますから、あくまで、自分の心の気づきと癒し、浄化が目的になるようです。

 


ゲシュタルト療法1

 カサンドラ症候群の人の両方の一つに、ゲシュタルト療法があるようです。自分の内面の整理に、カサンドラ状態の人が使うといいかもしれません

トップ・アンダードッグ
 
 ロールプレイで、両極端なキャラクターになってみる方法です。勝ち犬、負け犬療法という意味のようです。うまく行っているとき、精神的に強い状態と、うまくいってなくて、精神的に弱っている状態の、両方を再現する方法のようです。こうするべきだ、それはしなくてもいいという反証での言い合いもあります。
 両方を語ってみて、問題点を気づいていく方法です。気持ちが落ち着いて、客観的に冷静に見られるようになる方法になります。自分の感覚を知るための方法です。
 
エンプティ・チェア
 
 目のまえに空の椅子があるとイメージして、そこに語り掛けます。自分の聞いてほしいことを語って、感情を吐き出します。気になる相手になり切って、相手の意見を言ってみる。相手には自分の言いたいことを言う。これを繰り返します。

ホットシート
 
 たくさんの人に、気づいたことを教えてもらう方法です。

未完の行為

 したかったのに、事情でなしえなかったことを、やる方法です。実際にやってみる場合と、今後もできないのであれば、イメージワークをしてみます。今はいない相手だったら、相手がいるものと仮定して話をしてみます。

ドリームワーク

 自分が見た気になる夢を再現します。夢の中の登場人物になり切ったりします。夢のキーワードで自分を知ります。

できないことをする

 積極的じゃないのであれば、積極的に過ぎるぐらいの人物になったり、自信がないのなら、自信に満ち溢れた人になってみます。身近な誰かになったり、あこがれのスターになったり、色々と試してもいいかもしれません。




 

オーソモレキュラー

 欧米で取り入られている療法だそうです。食事療法になります。発達障害の場合は、ビタミンとミネラルが足りないと言われています。
 ナイアシン、ビタミンB6、マグネシウムなど、補うのがいいようです。食事になると、海藻類、果物、野菜、ナッツ類がいいようです。
 天然だしを取り入れたり、野菜ジュースを時々飲むなどの方法もいいようです。

写真、絵で確認

 イメージができない。それが、ASDの特徴の一つです。言葉で理解できないということはたくさんあるようです。全体のイメージをわかってないと、難しく、言葉で説明して、考え込んで、突然、「あ、そうか」と理解できるそうで、ずっと前に質問した答えを、何週間も経ってから、「あの答えは、これがいい」と言い出して、症状がない「周辺者」は、「え、なんのこと?」となることもよくあるそうです。

 イメージがわからないと脳が納得せず、理解度が低くなります。全体イメージを見せる必要があり、それが作業工程表、日程表、イメージ図、フローチャート、アイデアツリーなどになります。これらのものを作って、説明するとわかりやすくなるそうです。

 イメージを伝えて、言葉だけだと理解度が低いことが多いようです。絵や写真で、実物を見て、「ああ、なるほど」と伝わることも多いようです。想像するのが大変なのも、症状の一つなので、実際に、写真を見て確認するなどの作業も必要なケースもあるようです。

日本基準、グループ基準、独自基準

 日本基準と、今属している基準が違うことはよくあります。家庭、学校、会社によって、ルールが違っています。このルールの違いに戸惑うのが、ASD。ルールより、自分の希望のほうが大事と思うのがADHDだそうです。

 これらにより、日本基準をまず、知ってもらう必要があり、その説明は難しいため、本などで知識を得てもらうことが下準備として必要になりますが、「面倒だから、やらない」「僕は間違ってないから、日本基準は僕のと同じ基準のはずだから、やらない」という感覚でとらえるらしく、そこを説得するだけで骨が折れるようです。

 日本基準を知ってもらう。会社、学校などの所属団体の基準を知ってもらう。そのうえで、家庭基準と照らし合わせて、最適な選択をしてもらう、というのが、できないのが、ASDになります。これらを埋めるには、たくさんの知識が必要になります。一般的には、なんとなくの形で、日本基準を知り、会社基準、学校基準、所属団体の基準を知っていき、その場にあった行動を選んでいけますが、ASDの「当事者」は、これらがたくさんあると、「どう動いたらいいの?」となるか、「俺がルールブックだ!!」となるか、性格や環境によって違ってくるようです。

 トラブルを自覚して、症状の知識を理解してもらうという下準備をしてもらってから、日本基準、会社基準、家庭基準の違いと、優先順位などを教えていく必要があるようですが、ずっと、それらが理解できないという人も多いようです。無理せず、徐々にできる範囲だけ、理解できるような説明を続ける必要があるようです。

納得してからやっと動く

 ASDの人は、自己中心的で頑固と勘違いされてから発覚することが多いです。ところが発覚してからも、なかなか自覚しないようです。取り組みもしないようです。理由は、生まれてからその脳で違和感を感じないのも症状だからのようです。

 自覚して、取り組むようになったら、色々なことが改善されていくようになるそうです。ただし、自閉症状の重い人は、難しいようです。理由は、自覚していると、つまり、自分の症状に納得しているので、症状の知識を身に着け始め、そして、身に着けるのが大変でない限りは、本来のまじめさもあり、どんどん変化が起こるというのも多いようです。自覚する前、納得する前と同じ説明をしているはずなのに、変化が出ます。「同じ説明をしているのに、なぜ?」と思われますが、脳の反応により、説明が理解できるようになったために、対応していこうという気持ちが出るからだそうです。つまり、納得していない前、自覚していない前、症状の知識がない時に説明しても、難しいということになります。
 対応を話し合う前に準備が必要なのは、このためです。症状知識を持ち、自覚してもらい、どこに問題があるかを聞いて、その上、説明に納得してもらうには、骨折した時に「骨にはカルシウムがいいんだよ。だから、牛乳を飲もう」というのと同じで、なぜ、それが必要なのかをわかってからじゃないと、取り組まないようです。

 自覚が出るまで何年もかかる人が多いようです。トラブルを自覚してから、「発達障害かもしれない」というところにたどり着いてから、病院に行こうという気持ちになるまで、さらに何年もかかるようです。人によっては、病院に行く気持ちが一生起きないだろうという状態の人もいるようです。とりあえず、本で調べよう、ブログを読んでみようという気持ちになるには、大失態をして、取り返しのつかないことをして、「これは、まずい」と本人が本気に思ってからじゃないと気持ちは出来上がらないようです。そこまでしても、「この程度」と言って忘れてしまう症状の人も多いようです。この場合は、自覚もないし、トラブルを起こして、周りのせいにしている人も多いようです。病院に行く、もしくは自力で調べるようになって、自覚して、納得できて、初めて、周りの意見を、「少しは、聞いてもいいかもしれない」という気持ちが出来上がってきます。やがて、症状を知ってしまい、自分と他者との違いに気づき始めて、どうしていくのかは、性格や環境によって違うようです。取り組まない人の場合は、ずっと取り組まないままで、逃げたり、逃避したり、ほかの人のせいにしたり、放置したり、それを繰り返すそうです。

 取り組む人の場合は、そもそも、負けず嫌いで、頑張り屋で、まじめ、記憶力もよく、読解力もある、知識欲が旺盛だったりするようです。学歴も高く、社会的に成功している人も多いようです。性格と症状、環境、自覚しているかどうかによって、対応するか同課が決まってくるようです。そして、納得してからは、変化が速いようです。納得していないままの状態で説明しても、難しいようなので、本人が納得できる形での支援が必要になるようです。

理解するためのポイント

 ASDの人の意思の疎通がはかれない原因の一つが、言葉が伝わらない。理由は、そのまま受け止めるから。理由もわかってなくて聞いていると理解ができない。よって、わかってない。そういうことみたいです。

下準備段階(当事者、周辺者)

発達障害の解説本、ビジネス、日常マナー本、発達障害者の具体的症状例が載っている本、ソーシャルスキルトレーニングの本を読んで、予備知識をつけておく

                  
                    
全体の流れを最初に説明

ポイントごとに、なぜ、それをするのかを軽く説明

つまずきやすいポイントは、繰り返し説明

指示代名詞は使わない

具体的数値を使う

主語、目的語、修飾語などを、省略しない

5W1Hを心掛けて、会話をしておく

最後に、大事なポイントを確認する


 こういうのを何度も繰り返すと、どこにつまずきポイントがあるのかが、わかるそうです。あいまい表現では理解できない。概念がわかってない部分は、最初に確認する。つまずいたポイントを、一般感覚とASD感覚の違いを説明する人が、把握しておかないと難しい。らしいです。説明する方が、感覚を理解していないと、「なんで、わからないんだ?」とイライラするからです。ASD症状を持っている「当事者」も、自分の症状を自覚していないと、イライラして聞くことができないそうです。

 理解できない理由の、つまずきポイントは個人差があり、その人なりの癖があるそうです。育った環境や性格も影響があるそうなので、その人に合った説明方法を模索して、試していき、何度も繰り返していくと、理解スピードが上がるようです。でも、上がらないままの人もいるそうなので、そういう人は、「専門家」に相談するしかなさそうです。症状が軽い人だと、改善が早いようです。

ASDの「当事者」の人は、ビジネスや、一般マナー本を読んでもらった方がいいようです。「ほうれんそう」報告、連絡、相談の本も出ていますので、「なぜ、相談や連絡が必要なのか?」も解説されているので、そういう本も「当事者」の人が読むと理解度が早いかもしれません。発達障害の実情を知るために体験談も読んだ方がいいようです。さらに、自分のレベルに合ったSSTの本を一冊は読んでおいた方が理解が早いようです。症状の知識が、「当事者」「周辺者」の両方で必要になるようです。

脳習慣改善プログラムが治療

 ADHDのほうは、症状によってはお薬を使って、脳の状態を、落ち着かせて、行動や習慣の改善をしていくことが治療になるようです。
 アスペルガー症候群は、落ち込んだり、イライラしたり、そういう状態でお薬を使いますが、脳の認知のゆがみや考え方の癖などに対しての根本治療がないために、脳の習慣的になっている部分を改善していくことが治療になります。

 考え方の癖を取るのは、行動日誌をつけたり、認知行動療法のコラム法を使ったり、色々な方法があるようです。これを個人でやることは、指導してもらわないとなかなか難しいそうです。ある程度、指導してもらって、方法を学んだあと、自分でやっていくことになるそうですが、それまでは、自力でやれるというのは難しいようです。そのため、指導教官が必要になります。脳習慣改善指導教官は、大人の発達障害の場合は、精神科医、心療内科医、臨床心理士などに頼んだ方がいいようですが、発達障害の診断ができる、投薬の指導ができるのは精神科医になるようです。

 ダイエット、体を鍛える場合に、そういうサービスを提供している会社に、通う人がいます。高いお金がかかりますが、食べるもの、生活習慣などを見てくれて、改善策を考えてくれて、鍛え方の指導、食事の内容の指導などもしてくれて、はげましてくれて、やっていくことになります。これの脳バージョンが、必要のようです。くじけそうになる部分は、発達障害のほうが、もっと大変になります。好きでそういう脳を持って生まれたわけじゃないという部分と、他者との違いに苦しみますし、「同じように、欠点がたくさんあるのに、どうして、わたしだけ?」という疑問だらけのなか、気を取り直してやっていかないといけないので、自分でやっていくのは大変のようです。自力でやる場合は、そういう感情の部分も、色々な方法で処理をしないといけませんし、脳習慣改善も自分でマニュアルを作ってやっていくことになります。

 自力でやると、時間の制約などもないし、好きな時に中断できますが、お医者さんやカウンセラー、SSTセミナー、デイケアなどを利用してやるのもいいですが、セミナー、デイケアが自分の症状レベルに合っていないと、効果が薄くなります。進み具合も、自分に合わせてもらえる状態になるようなマンツーマン指導がいいのですが、そういう指導は、仕事の現場だとジョブコーチ派遣などを利用できるようですが、家庭での、ファミリーコーチは、民間の会社などで、いくつか見かけました。

 脳習慣改善プログラムにどの程度取り組むかは、自分の症状と感情を考えて、考えたほうがいいようです。

カサンドラFAQ

発達障害の症状が受け止められない

 トラブルだらけの人を支え続けるのも大変です。配偶者の行動や言葉から傷つけられたこともたくさんあり、嫌になることも多いと思います。心の傷をいやすには、自助会に参加する。SNSなどを利用する。日記をつける。障害の詳しい人たちに相談する。お医者さん、カウンセラーに相談するなどがあるようです。


発達障害の具体的な症状でどうしていいのかわからない

 本を調べる。ほかの人たちはどうしているのかインターネットなどで探してみる。お医者さん、発達障害者支援センターに相談するなどを考えてみるしかなさそうです。


発達障害の配偶者に対して、イライラする

 発達障害者にイライラすると、お互いに大変になります。距離を取りましょう。精神的に距離を取るには、本などで感情整理の方法を勉強したり、カサンドラの先輩たちの意見を参考にしてみるのもいいですし、自助会に参加するのもいいようです。

発達障害の症状に対して、ガミガミ言ってしまう

 発達障害者の人は、理解できないから、聞いてなかったり、逃げたりします。ガミガミ言っても効果がないということを理解して、効果のある方法を模索しましょう。褒めたり、おだてたり、なだめたりしても、効果が出ない場合は、なぜ、それをしないといけないのかが理解できてない場合もあります。理解してもらうために、何回も繰り返し、教えないといけないケースも多いようです。

発達障害者がやろうとしない

 自覚があってもやろうとしない場合は、働きかけても難しい人も多いようです。お医者さんに行くこともしないという場合は、難しいので、あきらめる、時期が来るまで待つしかない場合も多いようです。いつまで経っても、死ぬまで自覚ないという人もいるようなので、覚悟がいる場合もあります。

発達障害者が自覚がない

 自覚がない人は多いそうです。症状によるもので、たくさんの人に注意され続けても、生まれてから、その脳で生きてきて、「不都合はない。周りが悪い」と勘違いしたままの人も多いようです。自覚が出るタイミングまで待つか、あきらめるしかないようです。お医者さんのほうから説明した場合に、聞く耳を持ったケースもあるようです。

何をしても、効果が薄いため、やる気を失った

 周辺者の心の休養が大事です。しばらく休んでください。無理をしないでください。

「私のやり方が悪いのだろうか?」と悩む

 発達障害の人に対して、悩むのは当然です。やり方が悪いとかではなく、個人差があるため、方法を試していると考えたほうがいいようです。対応方法を調べて、学んで、模索して、探してみましょう。全体のイメージを知らないと理解できない場合は、図に書いて、全体イメージを最初に伝えてから、対応を教えていくのもいいそうです。

できないことが多いので悲観的になる

 できないことを探すと、症状のない人も、たくさんあります。できることを探して、できないことはあきらめて、「私が引き受ける範囲じゃない」と考えたほうがいいそうです。できることを考えて、改善スピードが遅くても、それがこの人のスピードだと考えるしかないそうです。

トラブルだらけで、どうしていいのか分からない

 トラブルの質が軽くても、回数が多いとイライラしますし、一年以上も、注意しても直らないと言うケースも多数。発達障害の解説の本の中でも、詳しい解説の本を調べて、対応策を練ったり、それでも、改善しない人が多いそうです。諦める、取り組む、基準を考えるなど、工夫して、できないことは割り切るなど、少しずつ改善に取り組んでいく人が多いようです。

トラブルの内容が深刻すぎて、生活が維持できなくなったことが一番不安に感じる

 生活が維持できないケースの場合は、お医者さんでさえも見つからないようです。発達障害を取り組む気がない「当事者」の人のトラブルの内容によっては、「周辺者」は支えきれず、距離を取る、逃げるしかないケースもあるようです。金銭問題を起しすぎる、暴力的、支配的な言葉や行動、お仕事が続かない、依存がひどく自立を一切せず、人に押しつける、生活が立ちゆかなくなるほどの問題など、このケースは良くなったということは、ほとんどなく、最終的には、「当事者」から離れました。と言う「周辺者」が多数のようです。諦めきる、疲れ切る、気力が無くなりきる、支援できる状態ではないというケースはカサンドラ症候群だけじゃなく、さらに、障害者支援疲れ、適応障害部分も含まれているため、「当事者」が取り組む心を作らない場合は、「周辺者」に覚悟が必要となり、離れるケースが多いようです。ちゃんとした専門家に相談した方が良いケースとなるようです。


 *障害に対して、チーム体制を組んでバックアップができる仕組みが子供のうちから取られるというシステムが日本にないので、身近にいる人たちが模索しながら、対応しなくてはいけなくなり、現場が混乱しているというのが実情のようです。できない範囲は引き受けず、「お医者さんの範囲」「当事者の範囲」「行政の範囲」「神様の範囲」と考えて、責任を感じすぎないようにした方がいいようです。

発達障害者、配偶者、行政、お医者さんの範囲

 カサンドラ症候群の仕分けをして、行動の目安表を作るとわかりやすくなると思います。

「発達障害者の人が引き受ける範囲」「お医者さんの範囲」「行政の範囲」「配偶者の範囲」を仕分けしてみて、行動を考えるのもいいようです。


発達障害者の範囲

症状を知る。SSTをやる。お医者さんに相談する。自分の行動でしてはいけないことを覚える。できる範囲を考える。トラブルを減らす努力をしてみる。どうしてもできないことは相談する。確認を怠らない。相談しないとトラブルになることがあることを覚える。連絡は密に行う。


配偶者の範囲

症状を知る。SSTの補助をする。お医者さんに相談する。トラブルになりそうなことを予想して確認、連絡、相談をする。トラブルを減らす努力をしなくても、無理をさせない。やってもらえない場合も多いけれど、自分のせいだとは思わないようにする。相手の範囲まで引き受けない。割り切る。判断をしないといけない部分があることを覚悟する。

お医者さんの範囲

診断、治療、カウンセリング、認知行動療法、投薬、環境づくりの指導など。

行政の範囲

行政で受けられるサービスの提供。相談、お医者さんの紹介、適切な施設の紹介など。




神様の範囲

 「周辺者」ができることは限られています。発達障害者が自覚するかどうか、取り組むかを決めるのは「当事者」になります。取り組んでくれないのも、症状があるからです。理解しないまま行動してしまうのも、脳の症状になります。対応せず、自覚せずの場合は、神様の範囲になります。しばらく、その部分は、「当事者」には期待せず、相手の心が受け入れる、対応していくのを待つしかないようです。


ワーキングメモリー、ドーパミン、認知に分けてみよう

 発達障害の症状から来るトラブルの原因は、たくさんあるようですが、代表的なものは、ワーキングメモリーの容量不足、ドーパミンの量や機能の問題、認知の問題などがあります。認知はASDの人に多いようです。ドーパミンはADHDの人の原因として考えられています。

どこに問題が出やすいのかは、ウェイクスラー検査などを受けたら、わかりやすくなるようです。日常的な行動からも予測されます。それらの原因別に、対応方法があります。

ワーキングメモリー

メモを活用する。指示の量を減らしてもらう。作業工程表を作成してもらう。大事な用件はメモを渡してもらうか、自分で作る。マルチタスクを減らす。行動を簡素化する。

ドーパミン

お医者に相談して、お薬などを検討する。薬を使って、効き目を考えながら、ソーシャルスキルトレーニングをしていく。ドーパミンに関係のあるサプリメントを検討する。食材を工夫する。アロマセラピーなどを使ってみる。やる気が出やすい行動を心掛ける。やる気が起きないときは無理をしない。行動する時間や分量を考える。

認知

行動日誌を作る。認知行動療法を考える。認知のゆがみを取るために、自分の症状の理解をしていく。一般的な行動と、自分の行動の違いを知る。

 個人差があるようですが、認知はかなりの時間がかかるようです。早い人で3か月で改善がみられるそうです。ワーキングメモリー、ドーパミンは一か月ぐらいは続けてみて、様子を見ながら進めるのがいいようです。改善される人もいますが、自閉症状が強い人、症状が重い人は、なかなか大変だそうです。

  ASDには、ほかにもたくさんの、自閉症状があるようです。こだわりが強かったり、感覚過敏が合ったり、そういう部分も、症状別で環境を整えていくのもいいかもしれません。

フローチャートとアイデアツリー

 発達障害の症状で、100回注意されても、治らない。という人がいるようですが、一度、紙に書いて、解説したら、「一回で良くなった」という事例があったようです。嘘みたいな話ですが、そこまでじゃなくても、「絵での説明をしてもらったほうが理解できました」というのがありました。

 文字を書いて、その文字を〇で囲んで、矢印でつなげて、わかりやすく書く。そういうので全体のイメージができていないと、動けないという人もいるようです。ASDに多いそうですが、全体のイメージができて、初めて、納得して動けるという人もいます。言葉が羅列しても、わからないそうです。

フローチャート


やること

手順1


手順2


気を付けること

アイデアツリー

やることー目的ーかかる時間ー飽きてしまったら?

予算ー休むことを心がけよう

 というように、適当に紙に書いて、イメージを伝える方法もあるようです。作業工程表も日程表も、自分用に見やすく作る工夫が必要になるそうです。

聞き飛ばし、聞き逃し、解釈違い?

 会話についていけない。でも、その理由が一人ひとり違うそうです。


会話を聞いている場合
単語しか聞いてない。興味のあるフレーズしか聞いてない。聞いているけれど、解釈を間違えている。

会話が聞き取れない場合
会話の速さについていけていない。概念がわかっておらず、途中でわからなくなる。話の展開が多すぎるためついていけない。

会話を聞いてない場合
興味がないので、横を向いている。途中で気が取られる出来事が起こって、そちらに興味が行ってしまった。途中で飽きてしまった。概念がわからないので、聞くのをやめた。

忘れてしまった場合
会話は一応、なんとなく聞いていたけれど、あとで説明することができない。聞いていたけれど、覚えておけなかった。すぐに忘れてしまった。


 症状が違いすぎるので、その人に合った環境づくりをしていくことが、治療になります。
お金を落とすといけないという症状の人は「財布に5000円まで」書類の処理が危ない人は、「重要な書類は持たせない」「期日がある書類は重要ボックスに入れる」聞き取れない、会話についていけない、聞きたくない、解釈間違いが多い人は、「ICレコーダーの活用」「メモの活用」忘れっぽい人は「付箋を活用」などの応急処置をしたほうがいいそうです。

でも、本人がどうしてもできない範囲が多いため、周りの人も協力が必要になります。代行してもらえばいいという態度で、頼むと、嫌がる人も多いので、気を使う必要があります。
応急処置の方法は、SSTのマニュアルに書いてあります。マニュアルのレベルは、初心者レベルから、知能指数が高い人向けまでたくさんあります。子供用もあります。自分の症状レベルに合わせて、子供用から、大人向けの高度レベルまで、症状別で対応を考えたほうがいいようです。自分用の対応マニュアルをルーズリーフを活用して作っていくのがよさそうです。

→「ルーズリーフを活用しよう
→「マニュアルを作ろう

行動基準表

会話の流れについていけない      3
会話が聞き取れないことが多い     2
空気が読めないと言われたことがある  1
パニックを起こしやすい        4
キョロキョロよそ見している      2
忘れ物が多い             1
書類の書き間違いが多い        2
書類などの整理ができない       1
落ち着きがないと言われ続けた     2
時間、約束を守れないことがある    1
聞き間違いが多い           5
聞き飛ばしが多い           3
イライラしやすい           2
間違い電話が多い           1
用件を忘れる             2
用事を忘れる             3
地図が読めない            2
道を間違える回数が多い        1
電車の乗り換えなどが上手ではない   2
聴覚、触覚、嗅覚などが過敏      3
すぐに怒る              2
思ったことをすぐに口にする      1
お金の管理が苦手           1
こだわりが強すぎる          2
変化についていけない         2
予定を立てられない          1
右と左がわからなくなる時がある    2
集中できない時がある         2
癇癪を起す              1
返事ができないことが多い       2
概略、概念がわかってないことが多い  1

などなど、数え上げたら、たくさんあるかもしれませんが、これらを自分でレベルを考えて、行動基準表を作っておき、お仕事などに活用するのもいいかもしれません。


グループ準備項目

 お仕事、趣味、お出かけ、習い事、子供のこと、日常のこと、忘れないように連動項目メモを作っておいた方がいいようです。

 発達障害の人は、連動で考えられず、天気の配慮、服装の配慮、持っていく金額のこと、持っていくカバンの大きさ、前の日までに用意しておかないといけないもの、これらがいくつも抜け落ちるという人がいるようです。症状が出ていない「周辺者」は、これらをどうしているかというと、ほとんどが頭の中で整理して、前日までに鞄に用意しておきます。ところが、ADHDは、「あ、用意してない」という人もいるようです。前の失敗を忘れて、何度も「あ、用意してない」「忘れた」「それよりスマホがない」「鍵が所定の位置に見つからない」なんてことだらけで、朝は戦争!なんて人もいるようです。

 頭の中にごちゃごちゃするのであれば、グループ項目をノートに書いておいて、あらかじめ見ておくのが安全です。
 「この用事だと、こういうものが必要になる」「気を付けないといけないこと」をまとめて書いておく。こういうのも、自分用マニュアルに加えてもいいかもしれません。

 買っておいた方がいいものなども書き入れておくと便利のようです。

電子ツール活用

 ICレコーダーで、カレンダー連動になる技術があったらいいのにと、つい思ってしまいます。発達障害者の症状を読むと、判断が無茶苦茶、時系列で考えられない、機嫌が守れない、忘れることが多数ある。これらはコンピューターでのカレンダー機能を使えたら、とてもいいのですが、グーグルカレンダーなどで、自分で入力して、グループ共有するという方法もありますが、それができる人ばかりではありません。家庭用に、もっと簡単にできるものがあったらと感じました。
 一つ一つの事項に、タグをつけて、関連付けし、日付連動で、お知らせ機能、それが終わったら、自動廃棄、なんてシステムがあればいいのですが、人間はそれを自力で自分の脳で考えていかないといけません。メモ帳や電子ツールで、管理はできますが、それを使いこなすのは、「当事者」になります。
 年配者が増えてきているのだから、忘れてしまうということも増えるし、カレンダー遠隔操作機能が家族間でやり取りできたら、とても、助かるとは思います。レコーダーに吹き込み、もしくは、自分で入力するときに自動タグ機能があったら、とても楽になります。

 そんな夢のツールがいつかできるかとは思いますが、現在は、ある程度は自分で管理しないといけません。アナログで管理するには、カレンダーに書き込む、家族間連絡板を作る、忘れないように覚書の板を作っておく必要があります。ホワイトボードに書き込んで、これらを消していき、忘れないように、いつでも見られるように工夫が必要になります。ここに、タグはつけられないのであれば、色分けして、黒板ならチョークの色を変える。ホワイトボードならペンの色を変えて分別していく必要があるようです。

 シール、色分け、ホワイトボード、メモ帳を活用して、やっていくしかなさそうです。これらを「当事者」だけでやると大変になるので、「周辺者」も確認してあげることも必要のようです。

精神科医も詳しくない?

 次々と、法律が変わり、発達障害の基準が変わっているため、大人の発達障害が発見されやすくなってきたようです。
 でも、もともと、発達障害は子供が中心になっています。そのため、発達障害に詳しいのは、子供相手の専門医が多いようです。子供のことを長年診療してきた人が、大人向けの本も書いているというのが多いようです。
 精神科医なのに、診断だけ出して、その後のケアがなかったという書き込みがインターネットに多いのも、そのせいです。ところが、大人の発達障害のほうも、子供のほうも、障害の症状が重い人なら、新規受付していますとか、診てもらえるまで数か月待ちなんてのも、ざらだそうです。
 詳しくない精神科医に診てもらっても、診断が正しいかどうかもわからないし、もちろん、カウンセリングもできないし、デイケアもない病院も多いので、最初に病院選びから苦労するようです。

 子供が学校に勧められて、病院に行ったというケースで、大人も見つかった場合は、大人と子供と一緒に家族全体で、お世話になっているというのも多いようです。

 発達障害の施設も、法律ができたために、新たに作られたというのも多いようです。当然、そこに所属している職員全員が、症状に詳しいわけがないようです。ずっと、勤めている人ばかりではないと考えて、自分から、症状を勉強して、自分で、症状の説明をして、知りたい情報を手に入れる努力が必要になるようです。

 行政も、精神科医も、看護婦も、発達障害の症状に詳しくない人かもしれないと思いながら、やり取りしたほうが安全のようです。

初めてやることは、マンツーマン指導が必要

 発達障害だとわかった後、「この程度はできるよね」というのが難しいそうです。理由は、ちょっとでも違うと、「???」となるからだそうです。そして、言われないと、そのままにしていくらしく、わからないままにしておしまいにする。注意されたら、「なんで、この人、怒るのよ」となるらしく、周りの人はわかっているのに、本人だけが気づいていない状態になるようです。

 これを防ぐには、日常生活で初めてのことは、すべて研修が必要な人なのだと思い、見本を見せる必要があるようです。そして、見本を見せるにしても、一つの工程を見せたら、すぐにやってもらうということを繰り返さないと危ないらしく、一度に全部見せても、覚えきれないらしいです。覚えられる発達障碍者の場合は、いくつかの工程を連続で見せて、メモを書いてもらうということを繰り返して、作業工程を覚えてもらうことになります。そして、次にやるときにも、そばについていて、覚えているかどうかの確認作業が必要になります。

 でも、すべてのことにマンツーマン指導をしていたら、大変になります。そのため、仕事現場では、発達障害の症状をカミングアウトしているのなら、ジョブコーチをつけてもらうのが安全のようです。症状を知っている人が仕切ってくれた方が、仕事でのミスが減ります。

 これが家族になると、子供が発達障害だと、「当事者」は療育を、「周辺者」はペアレントトレーニングになるようです。ところが、大人だけが発達障害であるとなると事情が変わってきます。「当事者」は、SSTのセミナー、デイケアに通い、「周辺者」は、民間のコーチスタッフをつけるとなると、相当お金がかかるようです。
 行政主導で、教育コーチ、ファミリーコーチが必要なのではないかと、思いますが、まだまだのようです。発達障害のグレーゾーンの人も、安心して、低料金で利用できるファミリーコーチ制度ができたら、もしくは、学校にそういう指導するコーチが短期間だけでも派遣してもらえたらと思いますが、実情はまだまだのようです。

定型発達は遠慮してます。環境づくりは自分で

 発達障害の人に症状があっても、家族以外では、会社、公共の場所に周りにいる「周辺者」は、言いづらいです。遠慮しています。けれど、ケアレスミスを毎日のように繰り返されたら、さすがに、「ほかの人がやったほうが早いので、あの人の分も、周りでサポートしてください」という上司や同僚の意見になっていくことがあります。ここまでなっても、発達障害の症状が出ている「当事者」が自覚をしていないと、「とてもじゃないけれど、言えない」「いくら言っても、理解してくれないから、あきらめました」「私たちがやったほうが早い」という状態になってしまうこともあるようです。

 「私は発達障害です」と障害を明らかにして働いている。障害者枠で働いている場合でも、周りの症状が出ていない「周辺者」たちは、「どうやって、声を掛けたらいいの?」「どんな環境づくりが必要なの?」「なんで、ミスが多いの?」「どこまで頼めるの?」と思っています。そして、遠慮をしていることも多いようです。そして、周りの人からいきなり、「ここが困るんだけど」と言われて「ひどい、傷ついた」とネットで書き込みしている発達障害者がかなり多いことに驚きました。説明文を読んでいると、定型発達の人は、別に間違ったことは言ってないのです。症状をわかってないのですが、「私に配慮して」「できないのだから、あきらめてよ」「わからないよ」というパターンに分類されます。「配慮して」というのは「具体的に自分から提案する」しかないと思います。もしくは、ジョブコーチをつけてもらう。これが一番安全のようです。ジョブコーチをつけてもらえない場合は、「わからないよ」「できないのだから、しょうがないじゃない」では、通用しませんので、具体的に、何がわからないのかが、お互いに、「え、なんで?」となっています。職場の人は、「発達障害です」だけでは、何をどうしていいかわからないし、症状の勉強を、その人のためにすることはほとんどありません。大まかな症状を知っている程度です。そのために、自分の取扱説明書を、一枚の紙に用意して、お願いするしかないかもしれません。「5W1Hを省かれると、わかりません」「日時など、忘れてしまうことがあるかもしれません。もし、忘れていたら、指摘してください」「作業工程は2つまでしか覚えられません」など、具体的に書いてお願いしておくのもいいのかもしれません。でも、これらは、発達障害であることを、職場にカミングアウトしている場合になります。

 職場に内緒にしている人の場合は、自分で、机の周りに、忘れないように「5W1Hを忘れない」「確認をしよう。決定が間違っていないか? 途中経過は大丈夫か? 連絡し忘れたことはないか?」などの紙を貼っておけば、それに気づいた人がフォローしてくれる、もしくは「この人は、こういう部分が苦手なんだ」と気づいてくれるかもしれません。ミスが多いのなら、隠してもしょうがないので、そういうのを自分で努力して見せていく、自分でやっていくことをしないと、「周辺者」は遠慮をして、「ミスが多いけど、いくら頼んでも直らない、困った人」としか思わず、具体的にミスを減らす環境づくりは進まないようです。

1つずつこなす練習

 大人になったら、説明をまとめてされます。一つの話に重要なポイントや作業工程がたくさん含まれていて、一度に覚えきれない場合もありますが、とりあえず、ざっと説明しているだけで、その後、「わからなかったら、聞いてください」というのはよくあります。これが、発達障害の人には、ものすごく難しい人がいるようです。個人差がありますが、作業工程がいくつもあると、1個までしか終えられず、「あと、どうやるんだっけ? 自己流でやっちゃえ」という人がいるそうです。当然、それでうまくいく場合とは限らず、大問題になる。もしくは、毎日のようにミスばかりしていて、周りに怒られまくる。「あの人、なんで、毎日、失敗するのだろう?」これが、発達障害の人は、何年も同じ失敗を繰り返していくことがあるようです。
 当然、お仕事の現場でやってしまうと、「ほかの職場へ異動」とか、本人が落ち込んで、仕事を変わるとか、そういうことになってしまうようです。

 これらをどうするかというと、作業工程表を自分なりに、メモをするしかなさそうです。そして「私は失敗が多いので、メモを作ってやっていきます」と周りに頼んでおくのも必要になります。低姿勢に頼んでおいた方が安全です。そうすると、覚えきれない性質だとしても、周りは大目に見てくれることもあるようです。自分で何とかやって行こうという気持ちがあるのならば、周りの人が、職場環境を考えてくれる人も出てくるかもしれません。上司に、「君は失敗が多いから、考えないといけない」と言われて、「ひどい」とネットに書き込みをしていた発達障害の「当事者」の人がいましたが、この場合、声のニュアンスや、相手の様子で、定型発達の人は判断しています。発達障害であることをカミングアウトしたあとなら、「具体的に、直していきたいと思っています。がんばりますので、問題がある部分を具体的に教えてください」と、聞いていかないと、上司や同僚は、遠慮していて、「どこまで言っていいの?」となっています。理由は、定型発達の人は、言いにくいからです。

 一つ一つこなす作業を繰り返して覚えていくことを続けたら、できることも増えるかもしれません。

「まず、一つを確実にこなそう。次の作業は、確認して進めていこう」という方が安全になるようですが、脳は「一気に片づけたい」と思っているので、呪文を唱えて、「一つずつ」と言いながら、作業工程を進めることを、自分で試してみるしかないそうです。

 何度も意識しながらやっていくと、覚えておける作業工程が増えていき、「一度に2つまで、3つまで覚えておける」ということになるかもしれません。ここは個人差があるので、ずっと、そのまま覚えておけないという人もいるようです。

「まずは、一つを確実に」「一気に聞いても覚えておけない脳なんだ」と思いながら、やっていくのが安全のようです。

家庭の報連相

 報告、連絡、相談。ビジネスの本はたくさん出ています。ところが、家庭のほうは、意外と少ない。発達障害の場合は、ここでのつまずきが多いそうです。

報告
 子供のこと、学校のこと、職場、金銭、振り込み、年賀状、お中元、お歳暮。冠婚葬祭。などなど、たくさんの報告が必要になりますが、これらはできても、それ以外のことで、細かい部分で、「え、それを、報告がいるの?」と思っている、発達障害の人がいるようです。報告してほしい場合は、「周辺者」が発達障害の「当事者」に聞く方が安全のようです。

連絡
 こちらは、たくさんの問題が起きやすいようです。振り込みを忘れた。重要書類を出すのを忘れた。お金をおろしてほしいというのを、直前になって言ってくる。こんなことだらけのようです。これらは、目につくところに重要メモ板を作っておいて、書きだして、消すということをするのがいいようです。家庭内連絡版は、必要不可欠のようです。

相談
 こちらは、重要なことを勝手に決めてしまう発達障害の人が多いので、「当事者」にいくら言ってもわからないので、「周辺者」が機転を利かして、聞いていく必要があるようです。一緒に考えるというのがそもそも難しいので、ここの部分を、どうするかは、個人差があります。何度も会話をして、よい方法を模索するしかなさそうです。

 ほうれんそう。より、最近は、「確認」のほうが重要ではないか? と言われ始めているようです。確認したい場合は、連絡板に書き出すか、確認板を別に作って、思いついたときに書き出しておくというのが安全だそうです。日時、場所、用意するものを一緒に書くのが安全だそうです。理由は、発達障害の症状によって、「言い忘れ、聞き忘れが多い」からだそうです。「どうせ、わかっているだろうからという事柄を省く性質がある脳」なので、「場所を省く」「日時を省く」「要るものを省く」「関係ある事柄を、言い忘れる」「関係がある事柄があっても、それが関係があると気づけない」など、たくさんの落とし穴が存在します。この場合、「周辺者が補完して聞く」ということをしないと危ないそうです。

 これらは、視覚化することによって、発達障害の人にもわかりやすくなります。メモ板、作業工程表、日程表、など、発達障害の「当事者」の症状に合わせて、書き方を工夫したほうがいいそうです。日時は重要です。

 発達障害の症状によって、これらをどうするか、その人ごとに変えていく必要があるようです。

報連相

 発達障害の場合、報告、連絡、相談、が極端に少ない人も多いようです。脳の錯覚によるものです。一人ひとり症状が違いすぎるようです。理由は、育った環境と、本人の性格によるものが大きいようです。

 報告で、内緒にされたら、どうなるか? 連絡を密に行った方がいい場合、必要がない場合、このあたりのことは、そばにいる人の真似をして覚えていきます。ところが、ここで細かい微調整は、ASDだと難しいそうです。上司や、同僚、グループ内の人の性格に合わせて、変えないといけません。周りの人が親切と限りません。手伝ってもらえるケースのほうが少ないと考えたほうがいいと思います。理由は、発達障害の症状から来ます。言っている言葉、行動が、「???」という人の場合、周りの人は、そばに寄らなくなるため、そのままになります。取り返しがつかない状態の時には、もう、遅いという状況が起こります。理由は、日本人は暗黙の了解の時、いちいち説明しないし、確認しないし、年齢レベルのことはできると判断して、物事を勧めます。

 発達障害の人は、服装、態度、言葉遣いをTPOに合ったものを考えるのが苦手です。ASDは特に、ちょっとでも違うと、わからないらしく、「重要書類だからコピーはだめ」と言われたら、スキャンも、人に見せてもいいと勘違いするという人がいたそうです。全て書いておかないといけないというのをすると、文字数に制限がある場合は、書かないために、伝わらずに、「そこから説明が必要なのか?」となるようです。

 発達障碍者が間違えているのは、意外と、「最初から」というケースが多く、わかってないまま進めて、失敗しているのに、そのまま言わなくてもいいやと勘違いして、進んでしまい、取り返しがつかない状況になって、思いっきり怒られたと書かれているケースが多数あります。会社での仕事上の立場で、あまり良いと言えない職場に回されているケースが多い。職場が変わる程度ならいいですが、怒鳴られ続けて、心の病気になってしまいましたとか、もっと悲しい結果になっていることも多いようです。

 小さいころに障害がわかり、療育を受けていた場合、離職する率が低いと言われているようです。大人になってからだと、脳が出来上がっており、なかなか、改善されないようです。病院に行き、職場復帰まで数年かかりましたというのは、大企業とか、行政関連の職業の人に多いようです。それより下のランクだと、そんなことを職場がしてくれることはないようです。

 大学でも発達障害の相談室があるところもあります。全国規模で、職場、学校、医療現場、行政関連施設に、臨時でもいいので、相談室が設置されるようになれば、多くの人が救われると思います。先生も上司も、部下や生徒のことは、内緒で相談はできません。それらを相談しやすい環境にしなければ、状態は良くならないと思いますが、今はまだまだのようです。

 ほうれんそうの本は一般人向けにいくつか出ているようです。これらを参考に、苦手な方は、行動を考えてもいいかもしれません。発達障碍者用のSSTのマニュアルにもあります。自分に合った本を調べて、考えてもいいかもしれません。

発達障害者が夫の場合、決めるのは妻

 発達障害者が妻の場合、夫は割り切ることができるケースだと、あきらめが早いひともいるようです。夫は仕事を中心に考え、妻との家庭生活に重きを置かないと、気持ちの切り替えが楽になり、問題が起きても、それなりにやっている。というケースもあるようです。重症すぎると、さすがに難しいケースもあるようです。子供も発達障害が出ているかどうかで違っているようです。

 ところが、発達障害の症状がある人が夫の場合は、大変になります。本来は、夫がやっている役割を、妻が一人で考えないといけないからです。重要な決定事項を考えて、判断して、フォローもして、サポートもして、夫の仕事のことも考えて、までやっていて、そうなるとパンクしやすいようです。だから、カサンドラ症候群になるのが妻が多いことになります。
「頼りたいと思う場面で、ことごとく裏切られる」というのだけでも、かなり悲しくなるうえに、さらに失敗を重ねる。それのフォローをし続ける。さらに、冷たい言葉を言われたら、気持ちの維持は大変になります。病気になっても「痩せてよかったね」「食費が一食分減って家計が助かるね」と平気で言う人までいるようです。こんなことを言われたら、ますます、「嫌だ!!」となります。

 症状が軽いかどうか、発言がひどすぎないかどうか、金銭面で大丈夫かどうか、決定事項はどう決めて行けばいいかで決めたほうがいいようです。

発達障害の夫とやっていくかは、
「あなたが決断して、その人をフォローし続ける覚悟がありますか?」というのが重要になるようで、一般的には、「え、一般的な結婚をイメージしていたから、そんなのないよ!!」と思っていたら、もう、難しいようです。これを、「受け入れるわ。夫ぐらいは、私が受け止めてあげるわよ!!」という女性なら、大丈夫のようですが、こういう人でも、子供には影響が出て、「やっぱり無理だった」というケースも多いようです。

「決めるのは妻」になります。その覚悟を一生受け入れるか、それとも離婚か。経済的には、子供にまで発達障害が出ていたら、「あきらめます。夫は財布です」と言っていた奥様も多いようです。この覚悟ができるかどうかが決め手になるようです。

交渉は自分で

 発達障害の「当事者」と周りにいる「周辺者」は、色々な場所で苦労します。障害があると配慮してもらった方がいい場合の交渉を自分で行わなければならないからです。
「症状名だけで理解してもらえない」と言う実態が、学校、行政、病院、職場で起こっているようです。

「お医者さん、看護婦さんなのに、発達障害の症状名を告げてあるのに、理解してもらえなかった。それでも、医療従事者なの?」と言う書き込みがあり、不思議に思い、調べてみたら、お医者さん、看護婦さんが勉強した時の書かれていた症状の内容は、ものすごく少ないため、専門の診療科が違えば、「何も知らない」と言うこともあるようです。
 学校も同じで、発達障害の児童を扱ったことがあっても、症状に個人差があり、実際に働きかけていかないと、動いてもらえないというのが実情のようです。

 こういう部分で、補助的に説明してもらえる人がついてくれるということはなく、すべて自分で、説明していかないといけないようです。
 説明の仕方がよくないと配慮はしてもらえないと思った方がいいので、自分で、メモを書いて準備をして、それらを渡すなどの方法を取らないと難しいようです。「相手も専門家だから、知っているだろう」という過信は通用しないらしいです。

病院に行く前の下準備が必要

 たくさんの書き込みで思うのは、「受け身だと損する」と言うことです。ある程度の知識を得て、自分で考えて、働きかけないと、お医者さん、看護婦さんが無理解で傷ついたという書き込みが多数みられます。
 
 「お医者んなのに、なぜ、病気に対しての知識が不足しているの?」「学校の先生なのに、なぜ、無理解なの?」「発達障害の支援の職業についているのに、なぜ、わかってくれないの?」こういう書き込みが多数みられます。お仕事の現場でも「私には、無理だと教えてあるのに、なぜ、怒られるの?と言うものもたくさんありました。

「配慮してください!!!」とたくさん書き込まれていますが、ほかの病気の場合だとどうでしょうか? 病院、看護婦さん、医者さんによって、対応なんて、ものすごく違うのではないかと思います。学校の先生でも同じです。たくさん話を聞いてくれる先生や、いっぱい働きかけてやっと動いてくれる先生、こちらも個人差がありすぎるのではないかと思います。この部分、障害がない人はどう思っているかと言うと、「どんな場所でも、理解してくれる人、親切な人もいるし、そうでもない人、わかってもらえない人がいる」と感じています。そして、できるだけ自分で、動いていかないと難しいことを知っていますから、ある程度、状況を理解して、勉強して動いていくことを、普段から心掛けています。

 「とりあえず、行けば、相手が何とかしてくれるでしょう」と言うのは、親切で、障害を理解してくれるベテランの人に出会ったら、そういう状態になるかもしれませんが、こちらから、聞きたい情報を手に入れるための準備は必要のようです。

 ドクターショッピングは、一般的には嫌がられます。でも、発達障害の場合は、評判を聞いても、自分の状況に合っている先生とは限らないので、実際に行ってみて、合わないのなら、変えたほうがいいと言われているようです。

 ウェイクスラーの検査費用も公的病院とそうじゃないのと開きがあります。カウンセリングを行っていない精神科医に行っても、カウンセリングを求めても、難しくなります。先生に自分から「気分が落ち込みやすく、カウンセリングを受けたほうがいい気がします。紹介してもらえませんか? 保険の範囲で受けられませんか?」と聞いてみたり、「私は、通う時間もお金も、さほどないけれど、記憶に問題が出ている気がします。自分の行動の目安が欲しいので、作業記憶や行動がどの程度かわかりたいので、検査をお願いできませんか?」とか、「お仕事で、私は困っていませんが、周りの人に勧められてきました。通院が必要でしょうか?」とか、そういうことを自分から聞いていかないといけない。そのために、聞く内容を、あらかじめ考えるには、症状の勉強、ほかの人の状況、実際の行政の補助はどの程度か、診断を受けたら、メリット、デメリットはどうなっているか? それらを調べておいた方が安心です。それらは、自分でやっていかないと、難しいようです。

 発達障害に限らず、どんな病気になっても、行動の目安が欲しいと思うので、できるだけ下準備で、ある程度の知識を入れておき、どんなことを先生や、行政の人に話したらいいのかの学習のために、自分で動いていく必要があるようです。

ウェクスラー式知能検査

 発達障害の検査でウェクスラー式知能検査が一番有名のようですが、これらに合わせたマニュアル本や、実生活レベルに合わせたマニュアル本があったらいいのにと、書き込みを見て、感じました。お医者さんに解説してもらうのがいいようですが、お医者さんに解説してもらえなかったという書き込みも多いようです。

ウェイクスラー検査は、タダで受けることができましたという人もいるようです。総合病院などの公的機関だと1350円の保険適応で受けられるようです。ただ、診断書、報告書だと、別途必要のようです。民間病院は一万から二万円かかるようです。発達障害者支援センターに相談したほうがいいようです。

言語性IQ

 知識 ・類似・単語・理解 ・算数・数唱・語音整列

動作性IQ

 絵画完成・絵画配列・積木模様・記号探し・符号・行列推理・組み合わせ

 で診断されます。この数値、発達障害の診断を受けた人でも、開きがあるそうです。知能が130の人から80ぐらいの人まで、存在しています。「小さいころに、勉強がよくできた」と言う解説をされている本も多いようです。でも、「勉強は、さほど」と言う人もたくさんいるのが現状だそうです。

 実際に知能、動作性に開きがある人が同じデイケア、SSTの講習を受けたら、どうなるかと言うと、数値の低い人に合わせて進めるので、時間内に終わらなかったというのが多く、「結局、通うのをやめて、自力でやっています」と言う書き込みもありました。

 知能指数が高くて、さらに高学歴でASDの症状が強い人たちのブログを読むとほとんどが、自分でマニュアルを作り、自分の説明書を作り、自分で環境づくりをして、自分で周りの人に頼み、自分で進んで学びに行っているようです。でも、症状を積極的に直せる人と言うのは、性格もあるし、症状の程度によるようなので、そこまで取り組めない人や、そもそも、「何が問題なのかわからない」「怒られているのは知っているけれど、直したいと思ってない」「治したいけど、どうせ、無理だろう」とか、そういう人だと、「そんなに怒ることないじゃないか」と言う感情処理の勉強すら、わからないようで、大変のようです。

 ADHDの症状が強い人は、その辺は、面倒だからと言うことで、漠然とした形で、なんとなく取り組む人のほうが多いようです。

 レベルに合わせたマニュアル本があったら、自分に合わせた取り組みがしやすいですが、発達障害の場合は、お医者さんもマニュアル本も自力で見つけて、考えるしかないようです。

つらくなったら子供の状況を見てみよう

 大人の発達障害だけを調べていると、できないことが多い発達障害の「当事者」も多いようです。書き込みの中に「俺は数を数えているうちにわからなくなるため、単純作業さえ、できない」とか、「聞き取れない」とか、たくさんあります。症状が大変な理由は、小さいころに、適切な言葉で、訓練してもらえる環境になかったからなのが、一番の原因らしいですが、発達障害が注目される前に子供時代を過ごしてお大人になってしまったケースはたくさんありすぎて、大人になってからも、子供の症状が残っている人と言う人と、症状が軽い人が同じデイケア、SSTに通っていて、進まないというのも書き込まれていました。

 症状のレベル分けが必要なのではないかと思います。自分がどれをどの程度できるかの行動基準表が、作成できたら、楽になるのではないかと思います。そういうマニュアル本やマニュアルサイト、行動基準表作成ツールソフトがあったら、どれだけ助かるかと考えます。

 このケースの場合、できないレベルが子供のものであるならば、子供の状況を確かめたほうがいいようです。お母さんたちも日々悩み工夫していて、その状況を確かめると、あまりに過酷で、行政のバックアップがあっても、それを利用すらできない状況だったりして大変のようです。親が非協力的で「お前なんて、無理だね」と子供が言われて傷ついていたり、差別にあっていたり、そういうのを確かめて、自分と同じように苦労しているというのを見ると、頑張ろうという気持ちになれるかもしれません。

 症状レベルを分けて、学校でのバックアップ体制が取られ、スクールカウンセラー、ソーシャルワーカー、ヘルパーで、発達障害に理解のある人の専任がいたり、仕事場で、一年に一回でも、仕事での悩み相談室が開かれたり、そういうのがあるといいかもしれません。

 グレーゾーンの人の救済措置がまだまだのようなので、子供の状況も大変のようです。

支援疲れになったら

 発達障碍児のお母さんに、多い現象のようですが、「もう疲れ切りました」「助けてください。限界です」と言うコメントがたくさん書きこまれ続けています。
 理由は、子供の行動には、ご両親が責任を取らないといけないため、逃げられない。相談はできても、子育てをして、療育を家庭でも、していかないといけないから。父親と違って、子供に密接にかかわるお母さんは、疲れ切るようです。

 ヘルパー派遣、一時預かりのショートステイ施設が、児童にはあります。日本ではベビーシッター制度が、まだないようですが、欧米では、ベビーシッターに預けることに抵抗が少ないようです。ベビーシッターを行政が講習会を開き、登録制にして派遣するのが一般的になると助かる人も多いし、さらに発達障碍児専用ベビーシッターがいたら、さらに助かるような気がします。

 大人の場合も同じく、発達障害の「当事者」の周りにいる人、家族、同僚、お友達、グループで一緒に行動する人などは、大変になります。理由は意思の疎通が図れないから。だけではないようです。自己主張が強く、行動がはっきりとしていて、トラブルだらけで、なのに自覚がない。ここが大変になるようです。
 自覚があるのなら、自己主張はしないので、トラブルの数は減ります。つまり、自覚のない、グレーゾーンの人のケアは、まだまだされていないので、周りの人が疲弊し続けるようです。

 グレーゾーンのケアをどうするかは行政が考えてもらいたいところですが、発達障害の子供のことを考えようという動きが出て、その後、大人のほうも同じように考え始めて、それから、グレーゾーンの人もケアしては、と言う動きになるために、まだまだのようです。

 グレーゾーンは、大変です。診断が出ないケースも多く、お薬もなし、デイケアの費用も掛かります。SSTを受ける費用も自力。それだと、お金も気持ちも続くわけがない。

 グレーゾーンへのケアは、動画配信を使って、指導内容を一般開放してもらうという方法が一番、安いし手軽になるように思います。グレーゾーンですから、指導してもらわなくても、家族の補助があったら、理解できる症状レベルの人も多いからです。そのほか、自分に合ったマニュアル作成ソフトの開発、自分に合った行動指標の作成、これらがインターネットでの配信なら、可能な気がします。

 グレーゾーンの人へのケアは、インターネットの活用で、いくらでも費用をかけないで、できるような気がします。グレーゾーンの人の「周辺者」のマニュアルも動画配信や、マニュアルダウンロードが可能な時代になったら、いいなと希望しています。

分かった、分かった!! 一時間後に説明できるか?

 ADHDの人に多いのが、「わかった、うん、うん」この返事、危ないそうです。理由は、「なんとなくわかった。理解したよ」と本人が思っているだけだから。一時間後、別の人に、ほとんど説明できなかった。と言うケースも多いそうです。聞いているだけなら、分かったつもりでいいですが、「この人が中間地点の人で、次の人に伝達が必要だと、どうなるでしょうか?」を、わかってないまま、返事をするADHDの人は多いそうです。「だって、理解したんだから。言うのを忘れちゃうから、しょうがないじゃない!!」と怒り出すのもADHDの人に多いです。これを減らすには、どうするか?

「中間地点の役割を減らす!!」のが一番安全だそうです。どうしても、その役割をしないといけないときは、「メモを書いてもらって、渡す」方法を取るか、「相手に了解を取って、レコーダーで録音する」しかありません。伝達は、短い文章でお願いするしかありません。長い話をどこまで覚えておけるかは個人差があるそうで、ADHDの人の力量にかかっています。でも、この力量を「私ではわからない」と言う場合は、練習をするといいそうです。何の脈絡もない文章を話して、ポイントが抑えられるかのテストをする方法です。これができないのであれば、普段から、話は整理できません。お仕事や大事な書類提出などだと大変なので、補助をお願いするしかなさそうです。

 この環境づくりは、一人一人違います。まず、力量をわかり、そのあと、環境づくりをして、

メモで渡してもらう
レコーダーで録音する
短い文章だけにしてもらう
相手に復唱してもらう
自分も重要ポイントを復唱する
覚えられないのなら、最初から、そんな役割は引き受けてはいけない

など、工夫するしかなさそうです。

テスト方法

「佐藤さんが、スーパーに買い物に行ったけれど、お財布を忘れて自宅に戻りました。途中で、道が混んでいて、15分遅れて、到着しました。財布の中身が3000円しかない。それで、銀行に寄ろうとして、カードも忘れて、お金が下せませんでした。途中のコンビニでジュースだけ買いました。そして、自宅に戻りました」

「さて、佐藤さんは、どこに行こうと出かけたでしょう? 財布の中身は、自宅に最後に戻ったときはいくらでしょう?」

 銀行、コンビニ。3000円は不正解。スーパー。2800円ちょっとが正解です。ジュース代はわざと金額を書いていません。(ジュース代100円以上と仮定しています)


テスト2

「あなたは不注意が強いタイプのADHDです。日常から、メモを取ることを忘れないでください。枚数を数えるのは大丈夫そうですが、鍵をかけ忘れるのは、忘れないでください。電話を聞きながらメモは取れるようですが、誰かに電話をかけるのを忘れるのは、注意してください。お金の管理はできるようですが、使いすぎるのは注意してください」とお医者さんから注意されました。

「さて、お医者さんは、あなたに、何を忘れないようにと言ったでしょう?」

枚数を数えられる。電話の聞き取りはできる。お金の管理はできる、お金を使いすぎるというのは不正解です。メモを取ること、鍵をかけること、電話をかける約束。が正解です。「忘れないように」なので、「注意してください」は含まれません。

 会話ではあいまい表現がたくさん出てきます。細かい部分のジュース代は金額を省いたり、「忘れないように」と言われたというので、「注意してください」まで含めてしまう人なら、学生時代のテストで、問題文を読み飛ばしたりしてケアレスミスが多かったかもしれません。大人になってから、そういう部分でのケアレスミスが起こることを想定して、誰かに聞いたことを、違う人に説明ができるかどうかで、判断してみてください。

定型発達はミスしても許されているのか?

 子供の発達障害の本を読むと、たくさんのつまずきポイントあるようです。発達障害の症状が出ていない、「周辺者」たちは、自分の小学校の時に、躓いたことの記憶すらありません。理由は、なんとなく身についているから。それが、ずっと身につかないまま「なんで?」と言う部分が、いくつも残ってしまうのが、障害になるようです。

 よく書かれているのが、「定型発達も失敗が多いのに、なんで、私たちだけ言われるのよ」と言うものです。実際に、これに対しての、定型発達の意見は、「定型発達同士でも思ってますが、流してます」と言うものが多い。理由は、失敗しても持ちつ持たれつの範囲なら、助け合えるから、流す。助けてもらいたがる定型発達だと、助け続けるということはしません。そして、定型発達の人はよほど鈍くない限りは、助けてもらえなくなると、空気が読めるために、遠慮します。この「遠慮」と言うのが、わからないのが、発達障害に多いのです。空気は出ています。表情にも出ています。でも、これが読めないのがアスペルガーの人に多い。ADHDのほうは、相手の表情を見てません。自分の気持ち優先です。ここの違いのために、発達障碍者だけ、言われやすいという現象になっているようです。気づけないで遠慮しない定型発達者は、ここで、違う人に助けを求めます。ところが発達障碍者は、気づけないけれど、同じ人に頼み続けるだけじゃなく「なんで助けてくれないのよ」と言い張ります。ここの部分が定型発達の人は、いい加減に、気づいてよ。と思っていても、助け甲斐がないのがアスペルガーとADHD。お仕事に影響が出る同僚、上司、部下だと、さすがに、毎日のことになるので、「勘弁してよ」となりますし、家族だと一生のお付き合い。もうさすがに「付き合いきれない」となるようです。このため、症状だけで「あの人は発達障害?」と言われやすい現状となっています。

 実際のASD、ADHDの人は悪気はなく、遠慮してほしいというのが気づかないだけですが、「遠慮してほしい」と言う言葉をはっきり使わないで、意思表示するのが日本のやり方なので、「???」となり、それを長年続けてしまうために、失敗を怒られやすい。そういう状況です。許されなくなるのは、「遠慮できない」回数によるようです。

先延ばし癖

 ASDとADHDの両方に、先延ばしにしてしまうというのがあるみたいです。理由は違います。ADHDは、先延ばしにするのは、面倒だから。「あとでいいや」と思って、本当に忘れてしまうからだそうです。ところが、ASDのほうがやっかいで、「何をどうしたらいいの?」で、止まってしまうからだそうです。

 ADHDの場合は先延ばしする場合は期限を決めて、やってもらうように持っていくのがいいようですが、それでも「今、やらないといけないの?」と、永久にやらない人もいるらしく、周りは大変だという書き込みが多いです。少しでもやってくれる人ならいいですが、そもそも「俺の役目か?」と思い込んでいるケースもあり、一般的にはあなたがやるんだよと言っても「それぐらいいじゃないか」と言って、そのままにして、周りが代わりにやっているというのも多くみられるようです。

 厄介なのがASDの先延ばし。こちらは、そもそも概念がわかってないので、説明が理解できなければ、やりませんし、理解するのも、そもそもできない人もいるらしく、大変だそうです。理解するまで二週間、一か月、下手したら、何か月もなんていうのもあるそうです。理解してもらえるまで、説明をし続けるうちに、それを繰り返すうちに、飽きてきて、手助けする方も、ASDの当事者も、「面倒だ」になっていくそうです。

 先延ばしをする人の代わりに、なってはいけないと言われています。理由は、「やってもらう人がいたら、永久にその人にやってもらえばいいや」となっていくからだそうです。

頭ごなしの人にわかってもらうには

 発達障害には個人差があります。症状が出ている「当事者」と、障害の症状が出ている人のそばにいる「周辺者」の両方に受け止め方が違います

戸惑う人
 
 大半がこれになります。とりあえず、ASD、ADHDという症状名では、具体的なことがわからず、戸惑うだけです。この中でも、理解してくれそうな人には、少なめに説明してから、様子を見て、さらに理解してくれたり協力してくれるかどうかを判断して、説明の量を増やしてくのがいいようです。

どちらでもない人

 そもそも、あまりかかわりたくないというのが、ASD、ADHDの症状の人の周りの人の気持ちになります。これが基本なんです。悲しいですが、一般感覚では、危なそうな、訳が分からないものに対しては、怖いし、よくわからないし、とりあえず、様子を見よう。このタイプの人も多いです。このタイプですと、そこまで親切ではない人も多いです。愛想はいい人も含まれますが、口だけで、手伝ってくれないという人も、ここに含まれることが多いです。協力してもらえたら、少しは話を聞いてくれたら、ラッキーだぐらいに思っておかないと、大変になります。

無理解な人。非協力的な人
 
 このタイプも少なからずいます。インターネットで、親が理解してくれません。夫がわかってくれません。だから、離婚しました。なんて書き込みが多いのも、このタイプです。このタイプは、そもそも自分の考えに頑固な人も多いので、説明すら受け付けてくれない、もしくは持論が正しいと思い込んでいて、医者の話も聞かない人、お医者さんの話を聞いて、少し受け入れる人、さまざまのようです。根気よく説明して、何とか理解してもらいたいと思っているのなら、少なめに説明して、様子を見ながら、気長に説得を続けるという方法を取って、何年もかかって、少し受け入れてもらえたというケースもあったようです。このタイプの人に、「当事者」が説明するのは難しいので、その場合は、精神科医やカウンセラーなど、説明をお願いしたほうがいいかもしれません。「周辺者」が説得する場合は、具体的な根拠を示さないと難しいため、きちんとした本の事例を示して、それで、見てもらう方法を取るなど、相当、苦労することを覚悟したほうがいいようです。

 発達障害の場合、最初からわかってもらうというのは、まず、できないと考えてスタートしたほうがいいようです。徐々に段階をあげて、最初は軽く説明をして、様子を見て、ゆっくりと時間をかけて、話し合っていくしかなさそうです。家族の場合は、一生の付き合いになりますから、症状の具体的なことを知らない場合は、具体的な症状がわかりやすい、漫画などを渡して読んでもらったというケースもありました。まず、症状を知ってもらうところからスタートして、受け止めてくれるかどうかは、相手の性格や資質によるものが大きいので、すぐには無理だと覚悟しておいた方がいいようです。

「薬を飲んでおけばいいのよ」とか、「治らないんでしょう?」とか、よく言われるようですが、これらの説明も根気よく続ける方がいいようです。これらの具体的なマニュアルがあったらいいのにと、思います。とにかく、大人の発達障害のための、具体的なマニュアルが、まだまだ不足しているような気がします。


怒られているのにへらへら笑う理由

 発達障害の人はトラブルだらけなので、「また、やったの?」と怒られ続けます。それなのに、子供のにように、へらへら笑っている、困ってないみたいだ、相手が嫌がっているのがわからないだろうか? 飽きて、どこかに行って聞いてない。などの書き込みが見られます。

 それに対して、発達障碍者の人は「最初だけ聞いてます。すぐに飽きます。相手に悪いと思ってないから」と書いてあり、これでは、気持ちがすれちがうとおもいました。理由は、悪いとは思っても、「いい加減、早く怒るのやめてよ。反省してるし」と思っているので、それで、言いと流しているようですが、実際には、同じことを繰り返すので、
「どこが反省しているの?」となります。

 これらを繰り返す理由は、怒られていることの意味が分からない。実際に困ってないから、誰かがやってくれる、自分が困ることになっても、そんなの知らない。こんな感じの状態で、そして、「周辺者」は、自分も周りも困るから、責任感もあり、怒っています。この感覚の違いから、何度も怒られるということになり、全然反省していない、またやったのかと怒り出す「周辺者」と怒られるのに飽きてしまう「当事者」の関係は悪化してしまいます。そして、いざ、大変になって、大慌てになり、パニックを起こし、「あれがない」「どうしよう?」「大変なのに!!!」とわめきちらす、「当事者」を見て、「周辺者」は、「だから言ったのに!!」となります。そして、「助けて」とわめき散らしますが、「周辺者」が助けるのは最初だけになり、ずっと助けるのは、というか助けないと仕事が回っていかない同僚や、家族、同じグループの人になり、「また、なのか」と嫌気がさします。だから、インターネットなどで書き込まれて、「同僚に困っています」「お友達なのですが、何かと助けてもらいたがるのですが」とか、「家族がいつまで言っても、携帯を失くし続けます」「いくら注意しても、治りません」となり、よい状態にはなりません。


 発達障碍者の症状がひどい人、へらへら笑ってごまかす人だと、さすがに周りも「助けるのは最小限にしよう」となり、やがて、逃げ始めます。ところが、「当事者」のほうだけ、わかっておらず、困った状態になったときだけ「大変だ!!!」と騒ぎ続けます。

 これらを解消するには、説明は短く。怒っている理由の説明を軽くしておいてから、「次から、こうして」と提案する。という方法を取るしかないようですが、ほとんどの人は、発達障害だと発覚した時点で、相当、愛想をつかしていたりするケースも多く、よって、そんな心境になるわけもなく、「ほかの人に助けを求めたほうがいいかもしれない」という状態になっています。

 発達障碍者は望んで、その脳で生まれたわけではありません。これらの状態を解消するには、幼いころに見つけられなかったグレーゾーンの受け皿を増やしてほしいと思います。現在、障害なのかのグレーゾーンの人で、大人になってしまっている人に対して、問題がたくさんでたあとは、「悪気がないのだから」と割り切るしかないという本ばかりですが、そんなに簡単に割り切れることはないようです。なかなか難しいようです。

メモすら取れない

 ADHDとASDの症状の中に、重い状態で、メモが書けないという人がいます。一つの指示までしか、覚えておけない。このレベルだと、さすがに、日常ですぐにわかりそうなものですが、本人が自覚がなくて、ごまかすのだけが得意。なんて、書き込みをチラホラ見て、もう、ここまでの人だと、かかわれないなと読んでいて思いました。

 この場合は、メモは首からぶら下げる。メモとボールペンをセットでくっつける。そして、一つのメモに、一つだけ書く。という方法を取るしかないそうです。メモを失くすから。そして、覚えておけないから。

 ここまで来るとボイスレコーダーを常備しておいてほしいと感じました。ボイスレコーダーに録音したものが、用件ごとに録音されて、一つ一つがメモ状態になる。録音したものが別の場所に置いてあるデジタルカレンダーみたいなものに自動で書き込まれて、判別処理してもらえる。というところまで進化した録音機械が出たら、発達障害の人に、売れるような気がします。音声認識システムは、デジタル家電にたくさん搭載されるようになってきたので、そんなときも来るかもしれません。

 でも、そんな夢のような機械もADHDの人だと使いこなせないという人も多いらしく、あくまで夢のような商品でしかないので、できるだけ本人ができるような方法を、周りの人に相談しながら考えるしかなさそうです。

記入漏れ、聞き逃し、飛ばし読み

 ADHDの人の一部に、記入漏れが多い。聞き逃したことが多い。飛ばして聞いている。飛ばして読んでいる。という症状の人がいるようです。全員ではないようで、そういうのはないですという人もいます。得意科目は100点。国語だけひどい。なんて言う人の場合は、その可能性があるようです。どれが原因かは、近くの信頼できる人と一つ一つ、考えてみるのがいいかもしれません。それらの方法は、子供用の発達障害の、症状に合わせたトラブル回避方法に載っています。ソーシャルスキルトレーニングの本は大人向けも多いので、子供向けの本を読んだ方がいいかもしれません。

はみ出して字を書く。書類を書くとき、場所を間違えていた。何度かいても、住所欄に、違うことを書いている。なんて人の場合は要注意だそうです。飛ばし読みということは、普段の会話も飛ばし聞きをしている可能性も多いので、会話で意思の疎通なんて離れないため、メモを渡すしかありません。最小限のことを決めるだけにしたほうが安全のようです。

ある程度のことは、訓練をしてみて、どうしても直らない場合は、難しいようです。音読を繰り返す、飛ばし読みをしないように定規を当てて、書類を書くなどの方法を取るといいそうです。定規がなければ、その場にある紙などを裏返して当てて、一行ずつずらして書く方法を取ってみるというのも、本に紹介されていました。後は、薄い色付きの下敷きで、一行だけカッターナイフで切り取ったものを持ち歩くというのもあるようです。なかったら、不透明な色付きのクリアファイルを、自分でカッターで切って、手作りしてもいいかもしれません。

精神科で診断をもらうと不利がある

 精神科に行ってください。なんて、簡単には考えられない理由の一つに、デメリットがたくさんある。というのがあります。デメリットは、数え上げたら限がありません。会社や社会的になんて思われるか、ローンも組めない、生命保険にも入れない、お金もかかる。時間も取られる。いくらでも出てきます。家族がいたら、その家族の就職先や恋人、友達、親戚づきあい、子供の結婚に支障が出る。たくさんの問題があるため、
「病院には行っていません」という人もたくさんいます。

 ものすごいまでの症状の人の場合は、そして、生活もままならない状態の人は、行かざるを得ません。投薬が必要なぐらい、抑うつが強すぎるとか、衝動性が強すぎて、イライラが強すぎて、など、必要性はたくさんあります。先生に指導してもらって、自分の状態に合わせた環境や心の作る相談をしたいと思っても、デメリットがたくさんあることは知っておかないといけません。そういうこともしっかり把握したうえで、家族とよく相談して、病院に行くかどうか、通い続けるかどうかを考えないといけません。発達障害だと一度でも、診断が出てしまったら、一生、それが付きまとうことも覚悟しないといけません。

 軽い症状の人は、まず、病院に行ってないという人も多い理由は、そこに原因があります。欧米では、むしろ、「積極的に、その障害に向き合わないなんて、なんて、無責任な人間だ」という感覚で、すぐにカウンセラーや、精神科医に行くようですが、日本では、その感覚になることは、まだまだ先かもしれません。

もう一回言って、聞いてなかった

「聞いてなかった」「覚えてない」「忘れていた」という言葉を言うADHDの人は多いそうです。そして、それをそのままにしてしまう。「あとでやろうと思って」と言って、さらに追及すると「忘れてた」という状態。これを繰り返し続けます。これが、友人関係なら、「しょうがないな」程度で済みますが、仕事や家庭、大事な会合などでは、そうもいきません。「また、ですか?」となり、「あの人は信用できない」となってしまう。ところが、当事者の中で、怒られても、「なんで、怒ってるのよ。いつまでも、うるさいな」という人が当事者にいます。さらに「ほかの人がカバーしてくれるから、いいや」という人もいます.この状態が同僚や家族、グループメンバーにいたら、大変になります。一人の人がそれをすると、ほかの人は、困るからです。

 さらに、ここにほかの発達障害の合併症が加わると、さらに大変になります。LD、ASDなどだと、もう、「何が、原因?」となって、大変になります。この場合、お手上げになりますが、本人は困っていない人も多く、「ほかの人にやってもらえばいい」「なんで、怒るのよ」と言って、進みません。「そのままでも構わない」「別に、ほかの人がカバーすればいい」と思っている部分をどうするかは、大人の発達障害の本では、解決しません。本人がやる気にならないからです。子供用の本を参考にするしかなさそうですが、子供がこれらの療育を受けて、落ち着くのが、「高校生になって、やっと、落ち着いてきました」というのが多いそうです。理由は、自分の状態に納得できず、反抗的な気持ちが出てきて、状態を受け止める心はそんなにすぐには育たないからだそうです。

 大人の発達障害で、落ち着くまで、「2年かかって、やっと、少し落ち着いてきました」というのも多いようです。これは順調にいった場合です。まず、「主人が子供の発達障害を認めません。主人にも症状が出ている気がするのですが」というケースも多く、これだと、障害を受け止めるまでに時間がかかります。受け止めても、葛藤するし、順調には進まず、「ロボットみたいに、先生とやり取りしているのを見ていると、もう無理だと感じました」というお手上げ状態の人もいるようです。個人差がありすぎて、なかなか難しいようです。

「もう一回、言って」と言ってくれる人もかなり時間がかかるし、「いいじゃない、これぐらい」という人だと、なかなか難しいようです。

発達障碍者が決められない場合は?

 発達障碍者には、どうしてもできないことがたくさんあります。周りの人はサポーターでしかなく、お仕事や生活で問題が出たら、環境づくりはできます。どうすればよくなるかの提案はできます。でも、それらを取り組むのも決断するのも発達障碍者になります。知的障害が伴わないので、社会的な基準は、それになるようです。

 ところが、それらを決められない発達障碍者もいるようです。迷いやすい。どうしても、理解できない、判断できない、その場合は、「周辺者」はどうするべきか。迷います。結局、その人たちが自分たちで、迷いながらも決断していて、フォローし続け、代わりに謝る場合も多いようです。配偶者や友達、親がそれだと、周りの状況と比べて、「なぜ、私が代わりにやっていたり、謝っていたりするのだろうか?」となっていきます。世話好きで、そこに違和感を感じなくて、時間もある人ならいいでしょうが、そういう人はめったにいないために、やがて、疲れ始めます。

「無理はしないでください」「あなたにも手助けする人がいるのです」と書かれている資料が多いです。サポーターをする「周辺者」も疲れ切るのが、発達障害の特徴です。理由は、よくならないことも多いから。成長してくれる、覚えてくれる発達障碍者ばかりじゃありません。覚悟がないと、自覚がないと、そもそも取り組まないようです。自覚してからも、症状を理解しようと調べ始める人のほうが少ないらしく、とりあえず読んでは中断をして、不安になりを繰り返して、何とか気持ちを立て直しながらも症状を知り、自分を知ろうとするもがく発達障碍者と「あの人がおかしいの。私は被害者よ」と言い張る発達障碍者と分かれるらしいです。被害者ぶるケースは「逃げてください」という指導をされたというのがあちこちのブログで書かれてしました。精神科医の先生も、さすがに「僕でも、お手上げですね」と言われたというケースもたくさんあったようです。自覚しているかどうか、ここをまず見てから考えます。そして、環境づくりをして、それでも、発達障碍者がいつまでも決められなかったら? 待つしかなさそうです。永久に待つことになるかもしれないケースも多いようです。

葛藤が強い発言はスルー

 インターネットで、書き込みなどを読むときに、「この人、なんで、こんなことを書くの?」というのをよく見かけます。ASD、ADHDの「当事者」側からも、そして、その周辺にいる「周辺者」側からも、両方の意見が書かれてします。
「なんで、そんなひどいことを言うの?」「なんで、トラブルばかりやるの?」
「なんで、発達障害なのに、そこまで責めるの?」「いいじゃない、それぐらい」というものが多いですが、この書き込みの多くが、まだ、自分がどうしたらいいのか、障害の症状をどう受け止めたらいいのか、発達障害だと知って、もがいている状態のものか、発達障害だとわかっても、実際に対応しても、うまくいかないための葛藤状態のものが多いです。両方とも、心のやりきれなさ、「なぜ、自分がこんな目に合うの? すぐ近くにいる、定型発達同士のやり取りだと、あんなにうまくいっているのに。私も、あっちのほうがいい」というやっかみのような、書いてもしょうがないと本人もわかっていると思いますが、書かないといられないような、そんな心の叫びと悲しみとやりきれなさがたくさん詰まった書き込みも多くみられます。
 この状態から抜け出た人は、自分も通った道ですから、わかるので「スルー」できます。この状態の時に、何か、声をかけるというのも、難しい状態です。「だったら、あなたも同じ立場になってみなさいよ。だって、こんなに苦しいのよ」という気持ちの状態では、声はかけづらいです。苦しみの中にいるとき、葛藤が強い時、先が見えない時、どうやっても、対応が難しくて、時間でも解決しないとき、医者も薬も難しいと感じるとき、そんなときに、「なんで、私ばかりが、こんなつらい目に遭うの!!」という心の状態になってしまっていて、ここまで来ていると、精神科医、臨床心理士などの「専門家」のカウンセリングのほうが、いいのかもしれないと、いつも思いますが、なかなか、そこまで行って、話をする気力もないし、お金もかかりますし、勇気も要ります。

 葛藤状態の時は、色々な情報は見ないほうがいいですよ。というのが「専門家」の多くの意見で見られました。この時期、不安が強いので、「でも、なんとかしないと」という気持ちが強くなり、つい、情報を調べたり、同じような立場の人の意見を知りたくなりますが、それも、できれば避けたほうがいいらしいです。

 葛藤状態の時は、書いている人も気持ちがつらいのだからと考え、スルーしたほうがいいようです。ただし、発達障害の当事者は、スルーするということはわからない人が多いようなので、そういう人の発言もスルーして読むほうがいいようです。

「なんで?」と聞かないほうがいい

 発達障害の症状が出ている人に「なんで?」と聞きたくなります。なぜ、どうして? そんなひどいこと、そんな困ったことと聞いても、たいていは「俺は間違ってない」「俺もわからない」「なんでだろうね?」という答えが返ってくることが多いようです。性格なのか、性質なのかはわかりませんが、「なんで?」と聞いても、難しく、症状を知れば知るほど、泥沼の心のままの状態になってしまうので、「いったん切る」というものすごい覚悟が、いるそうです。そこからじゃないと、前に進めない。
 ところが、ここのいったん切る作業に対する工夫が、本だとたった一行で「相手を責めていても進みません」だけなのです。実際は、この切り替えの作業に苦労している人ばかり。精神科医や行政の相談員などに相談しても、どこまで行っても距離感があります。なぜなら、実際の現場で困っていないので、どこか他人事で、相手も自分の範囲でしか答えてもらえません。それで、同じ立場の人と共感しあう作業が自助会になり、慰めあって、自尊心を取り戻し、自分だけじゃないと思い、というだけでも、やはり、やりきれなくなる。それが、発達障碍者と、その周りの人の気持ちです。

 この切り替え作業をしていくのは、どこまでも自分であり、そうなると、「いったん切る」「相手に期待しない」なんて言うのは言葉では簡単ですが、気持ちの問題です。相手が浮気を繰り返すことを最初からしていたら、「この人、浮気をする人だけど、憎めないし、いいや」と割り切れますが、発達障害の場合は共同作業が増えて、「もしかして?」が繰り返されて、トラブルだらけでも、そして、取り返しのつかないことも起きて、そこで「発達障害と言われても」とあきらめきれないというか、やっぱり「なんで?」と言いたくなります。たくさんトラブルがあったり、嫌なことがあった後の、「いったん切る」は性格によりますが、そんなにすぐには難しく、そして、発達障碍の症状がある人が、ずっと近くにいる状態が続けば、トラブルも続いていて、それでさらに「なんで?」とつい思います。これを断ち切るのは、やはり、あきらめ。「この人は、悪気がないけど、私は付き合いきれないな」という状態からの、さらにあきらめ。「この人から、精神的に距離を取るぞ!!」という覚悟が必要になりますが、この心境まで行くまでが、私は「悟り」と思っています。修行じゃないんだからとは、思いますが、悟りを開いていくしかないんでしょうね。あるがままを受け止めて、そして、自分の中の心の安定の場所を探る。

 何もかも明らかにしたうえで、「私はこうしたい」という気持ちになり、「なんで?」と言ってもしょうがないと思うようになり、その作業は、自分で作っていくしかなさそうです。

 これらの心境になれるために必要なのは、自助会以外なら、カサンドラから回復しましたよという本、ブログ、体験談などを読んで、自分に合った方法を見つけていくのがいいのかもしれません。

成績表的なものは必要なのかも

 学校の成績で、数学、英語、地理など、成績が出ます。それで理解力が測れますが、ASD、ADHDの場合は、自分の状態に合った理解力の成績は、漠然としたものしか把握できていません。知能指数と動作性を図る検査はありますが、脳の働きと動きを見るもので、より具体的な、部屋は散らかさないけれど、車にキーとじ込みの常連です。みたいなものでは、ほかの人はわからない。先生や上司、同僚、家族、クラスメイト、友達みたいな関係で、そこまで必要じゃない人もいますが、必要じゃないかと思うケースも多い気がします。「できないのにやってくれと言われても」という書き込みがとても多く感じます。そのためにも、嫌かもしれませんが、やはり、目安の行動基準表があったほうがいいのかもしれません。診断が出ており、発達障害者の支援を行政の人がやってもらえるのであれば、その人と作れますが、それ以外の人は自力になります。自分で作るしかないのかもしれません。

 会話による意思の疎通 3
 日程通り動ける    2
 遅刻が多い      0
 金銭管理ができない  4

みたいな行動指標があったほうが、周りの人もそれに合わせて動けます。でも、こういうのがはっきりわかると、それはそれで、発達障害の「当事者」は落ち込みやすいし、割り切れる人しか難しいかもしれません。そして、はっきりわかってしまうと、周りの人も「こいつ、できないんだ」という上から目線的な指導をする人も出てくるかもしれないので、とても、難しい問題だと思います。でも、それらが欲しいと思っている人が、そういうものを作れるようなサイトがあったら、家族や、上司などに、必要な部分だけお願いしやすいし、行動もわかりやすくなるのではないかと思いました。ただし、自己申告になるので、あくまで目安にしかなりません。自分で思っている行動と、周りが感じている行動に開きがあるのが発達障害の症状の一つになるので、だれが、基準を作るかによって、開きも出てきます。

 あくまで、目安ですが、そういう行動指標みたいな見本が作れるサイトがあったらいいのにと思いました。

お願いの仕方

 発達障碍者が、「やってほしい」と周りに頼むときの頼み方が、わかってない書き込みを多数見かけます。定型発達だと、そこで「こうやって言ったほうが、相手も受けてもらえる」という気配りができますが、発達障碍者は、自分流でやりたがります。これを埋めるためには、ソーシャルスキルトレーニングの本で具体的に書かれているものを読んで、参考にしたほうがいいのですが、これができるのは、症状が軽い人じゃないと難しいと言われているようです。症状が重い方は、たくさんの理由で、できないことも多いようです。そのできない理由の説明と、周りへの頼み方、どの程度まで頼めるか、これを埋めることができるのは、ジョブコーチ的な補佐が必要だと、書き込みを見て、いつも思っていました。お仕事でサポーター制度ができるという話もあるようですが、まだまだ、先の話だし、導入されてから、ノウハウが検討されると思うので、それが導入されても、仕事の現場に、浸透されるまでは、かなりかかるような気がします。

 実際のお仕事の現場の人は、忙しいので、たとえ、部下や同僚がASD、ADHDだとしても、細かい症状まで勉強してくれる上司は稀のようです。一般社会では、そこを過剰要求されても、上司も、先生も、戸惑うばかりです。「私は発達障碍者だから配慮してください」と言われても、「なにを?」「どうやって?」と思ってしまいます。一般社会では、上司や先生に、合わせろということは要求せず、「ここがこういう感じなので、こういう指導をお願いします」「こうやって配慮してもらえると助かります」より具体的な提案をしないと、なかなか動いてくれません。相手も忙しいからです。かかわっている人は大勢いるために、その中の一人のために多くの時間を割いてくれることは、ほとんどありません。例え、発達障害でも、自分のほうから、提案の仕方を覚えていかないといけないようです。でも、症状から、それができないというので、トラブルが起きやすいようです。

 こういう場合のマニュアルがあったらいいのではないかと、いつも感じます。学校に通われている生徒さんの親に対して、「先生に、こうやって提案してみてください」みたいな、提案表の見本があったり、自分の状態のマニュアルが作れたり、そういうのが学校の中で、できたら、とてもいいのではないかと感じました。日本ではスクールカウンセラー制度は、ないので、そういう部分のケアが行われる学校も稀にあるようですが、ほとんどはないので、自分で考えていかないといけなくなります。

 これらの具体的な、マニュアル作成や、指導書があったら、いいのにといつも思います。具体的なお願いの仕方のマニュアル、指導書、先生や上司への提案書の書き方などが載っている本ができたら、いいと思います。学校、お仕事の現場に、臨時の障碍者相談所が、年に一回でも開かれたら、助かる人が大勢いるような気がします。

被害妄想?

 時々見かける書き込み。「ひどすぎます」と発達障碍者が訴えている内容を読んで、「あれ?」と思います。思い込みと、認知のずれによる被害妄想というか、感覚の違いというか、その部分の説明をしようにも、発達障碍者と定型発達者の感じ方の違いを、発達障碍者の人が、知っていないと説明はできないので、多分、その違いをまだ、勉強されていないのではないかと思います。

 発達障碍者でも、ものすごく悩み、症状理解をし続けて、努力し続けて、穏やかになっている人もいます。そういう人はブログを書いて、冷静に自分が「この時は、こう考えていた」「こんな思い違いをしていた。定型の人はこう捉えていた」と客観的に分析ができています。定型のほうも、色々な事例を見て、発達障碍者の感覚の違いを勉強していくしかないようです。


 定型発達の人が障害の理解をする場合に、子供の症状を見て、子供の親が書いてある症状を見て、大人になって、それがどの程度減っているのかを見て考えるのも一つの方法らしいです。大人になっても、症状の改善がされなかった人もいるらしく、ADHDの児童で、症状が和らぐかどうかは、環境が大きいようです。ご本人の性質と、教えてくれる人の数、その子に合った指導をしてもらえるかどうか、は大きいようです。残念ながら、小さいころに、その機会に恵まれなかった人の場合は、症状を知って、それらを理解して、落ち着くまで、ものすごく時間がかかる人もいるそうです。症状を受け入れるのに一年。症状を勉強して、自分の限界を知るのに、一年。そして、対応方法を学んで、練習していく。そこまで、相当、かかるのを覚悟したほうがいいようです。

 でも、これらの作業は一切しないで、「私は発達障害だけれど、なんで、周りは私の症状に合わせてくれないのよ!!」と書かれているのがあり、これだと難しいかと思いました。周りが合わせるというのを期待するのはいいと思うのですが、相手にも時間があるので、そこをわからない人も多いようなので、そういう人が被害を受けたと書いている内容は、意外と過剰要求だったりして、「そこまで要求されても、難しいのでは?」と時々思います。でも、この過剰要求してしまうのも認知のゆがみによる症状らしく、それを埋めるのも、やはり、自覚してから、自分の症状と、定型の人がどう感じるのか、影響も勉強して行くしか、しょうがないように思います。その状態にすることは、周りから働きかけることは難しく、なので、やはり、発達障害の「当事者」の人が、何度も注意されて、自分で気づいていくしかしょうがないかと思いました。

確認たっぷり、ただし自覚している場合のみ

 発達障害者の中には、確認しあわないと、トラブルだらけになる人も多いようです。意思の疎通が、そもそも難しすぎるASDや、聞いてない、覚えきれない、忘れてしまいやすいADHD。どちらも、悪気はないのですが、だからと言って、そばにいる人が、何もかもフォローしていたら、時間がいくらあっても足りません。自分のこともしないといけないのに、フォローすると、3倍手間がかかり、却って、自分がやったほうが早いからと、二倍の仕事をこなしていますという人も多いようですし、配偶者で、代わりにやっている人も多いようです。

 でも、何もかもし続けていると大変になります。だから、できるだけ本人にやってもらうという形で育てていくしかないと書かれている本も多いです。実際は、距離を取って無理しないほうがいいという指示を出される「専門家」もいますので、ケースのよって違うようです。

 確認はたっぷりしておかないと、聞いてない前提で話したほうがいいようです。日時、金額や、用意するものなど、絶対に忘れてはいけないものは、メモを書いて渡すぐらいじゃないと無理ですが、ADHDはこのメモを失くすそうです。だから、確認を何度もしないといけないそうです。
 アスペルガーの確認は、お互いの意思の確認です。でも、これが難しい。思い込んでいて、わかってないのに、そのままにしてしまうために、できるだけ共同作業はやめたほうがいいだろうという勧めも書いてあるものもあります。対人スキルが致命的な人から、そうじゃない人までいますが、自覚していることが大前提となるようです。自覚していない人は、そもそも「どこがだめなのか?」のポイントから話さないといけなくなり、膨大な時間が必要となります。大人になってから発達障害だとわかって、自覚を持ってもらい、そして、症状の勉強をしてもらってからの話になります。そこまでは、できるだけ、あまりかかわらないほうが、いいのかもしれませんが、現実は、そうもいっていられないため、結局、「周辺者」が代行しているケースが多いようです。「周辺者」は代行しすぎず、無理をせず、疲れたら、心の距離だけでも取ったほうが安全です。

合併症はややこしい

 ASD、ADHD、LD、解離性障害、チックなど、たくさんのものをいっぺんに症状が出てしまうことがあるそうです。その場合は、やはり、精神科医、心療内科医などの「専門家」に相談したほうが安全で安心です。

 でも、ASD、ADHDの症状がたくさん出ていても、お医者さんに通うほどじゃない、もしくは診断されたけれど、あとは自力で言われてしまったら、自分で調べていくしかありません。

 それで、色々なブログなどを調べてみましたが、たくさんの気になる情報があったので、あくまで、主観で、自分で思った症状のようですが、目安として載せておきます。

・キョロキョロする。
 ADHD・・・興味がコロコロ変わりやすく、飽きっぽいので、情報をたくさん集めたい脳の習性らしい

 ASD・・・視野が狭い人が生まれつきいるそうです。視覚の問題ではなく、脳の反応らしく、一点集中で見てしまうために、気になる音などがしたら、そちらに顔を向けるために、キョロキョロしているように見られる

・お金の管理ができない
 ADHD・・・興味があるものができたら、後先考えない。何とかなるだろうと安易。あまり深く考えないから。ギャンブルに依存して、借金までしても、懲りないという人から、お金の管理はさすがに、小さいころに親に教えてもらいましたという人まで個人差があり。

 ASD・・・お金の概念があまりなく、お金を使って、どうなってしまうのかまで想像できない場合は、月末にお金が足りないなんてケースもあるそうです。ところが個人差が大きく、お金の管理はできますよという書き込みも多数ありました。


・言い張る
 ADHD・・・持論が間違って言おうと引っ込められない。「だって、そうしたいから」で言い張ってしまうことも多いそうです。そのほか、絶対に間違ってないという強い思い込みで、勘違いで言い張ってしまうケースもあるし、相手の話を早合点して、わかってなくて言い張る。物事をあまり深く考えてないし、相手の言葉を聞いてないし、など、理由が多岐にわたるようです

 ASD・・・全体像が見られないからというのが多いようです。自分の側から見た風景だけで、考えてしまうらしく、ちょっとでも、細部が違ったら、怖くなり、現状維持が大好きだそうです。不安が強く、びくびくしてしまうこともあるそうです。だから、言い張ってしまうのが不安の表れの人もいるし、本当に自分が正しいと思い込んでいる人もいるし、さまざまのようです。自覚があるかどうかで、大きく違ってくるようです。

・優先順位
 ADHD・・・ワーキングメモリーの働きによって、個人差があるようです。ちょっとしたことならつけられる人もいますが、それもできない人まで様々な書き込みがありました。でも、自分優先したいという衝動性が強い人の場合は、それが一番最初に優先してしまうようです

 ASD・・・ごちゃごちゃたくさんの条件と項目が並ぶと、「えっと、どれが大切なの?」とわからなくなるそうです。そのため「前のやり方と同じが好き」となり、不安が強く出ない方法を取りたがる人もいるようです。持論を振りかざすケースも多いようです。

・部屋の散らかり
 ADHD・・・かなり散らかります。という人と、ものをほとんど置かないから、散らからないよ。という人まで、たくさんいます。でも、眼鏡、財布、鍵など、よく失くす人と、あまり失くさない人と分かれるようです。不注意優位か、衝動、多動優位によって違うようです。

 ASD・・・場所の配置は覚えており、雑然とした部屋のほうが落ち着くために、わざとそうやっているアスペルガーの人も多いようで、ものが無くなるのが嫌、捨てるのは怖いという人もいるようです。でも、まったく執着心がなくて、ものも買わないし、きちんとした部屋の人もいて、配置もちょっとでも曲がっていると直したくてしょうがない、なんて人もいるようです。個人差があるようです。

・運動
 ADHD・・・運動神経は、問題にならない人が多いようです

 ASD・・・スキップができない、右と左がわからないという人も多いようです。

自立支援医療制度

 ストラテラなどの薬価がとても高い。治療代が高い。カウンセリング代が高い。という書き込みともに載っていたのが、これでした。どの程度のなるのかが、よくわかりませんが、こういうこともしっかり調べて、わからない場合は、発達障碍者支援センターの人に相談して、自分の状態にあったケアを考えたほうがいいかもしれません。

視野が狭い?

 キョロキョロする子供の絵が描かれた発達障害の資料本がありました。ところが、大人になっても、この部分がの残っている発達障碍者もいるようです。理由は、見えている範囲が、ものすごい狭く、一点集中型だからそうで、そこを凝視してしまう癖が脳内であるようです。一般的な感覚を持つ人からすると、「それでずっと過ごすとつかれないだろうか?」となりますが、実際に、相当疲れやすいらしいです。過集中と言って、そこばかりに集中してしまいやすく、よって、脳がオーバーヒートしやすいらしいです。一つの興味に対して、ものすごく集中するため、知識欲が強いと、そして記憶力も良かったりすると、高学歴か、社会的成功者になるということもあるそうです。ところが、集中対象が、一般的ではないと、ただ、ものすごく疲れるということを連続で行っていて、大変な日常が続いてしまう状態になるようです。ゲームや何かに依存してしまうのも、この現象から来るもののようです。切り替えが下手だからという場合と、それをしていると楽しくてしょうがないのでしてしまう場合と、没頭していることが自然すぎて気づいていない場合など、様々な理由があるようです。
 オーバーヒートしやすい場合は、脳の神経が一般人より傷みやすいらしいので、ミネラル不足が普段から起こるそうなので、ミネラル補給も考えたほうがいいようです。

 視野の狭さがどの程度なのか、一般的な感覚の人と違うので、わかりませんが、一般的な人は道を歩いているとき、日常生活を送るとき、一つの部分だけに集中すると、逆に危ないので、視野は広めにとって、今までの経験から、なんとなく見る位置も決まっており、危ないと思われるポイントになると自然と、そこを見て、それ以外の部分を見て、ということができて、歩いていても、自転車や車などを運転していても、視野は広めにとって、脳内も、そんなに動かず、自分に関係ある部分だけ取捨選択を自然と行っていて、歩いている程度ではそんなに疲れません。のんびり歩くということが一般感覚を持っている人は自然としています。ところが、発達障碍者は、それだと圧倒的に物足りないのか、絶えずキョロキョロして、何か動きがないかどうかを見ています。興味が出るものがあったら、そこに過集中、周りからすると危なくてしょうがないし、ものすごく疲れてしまうような日常を送っているようです。 

パニックになる場合

 ASDもADHDも、パニックになりやすいようです。それぞれに理由がありますが、たいていは、「自分の思った通りにならないから」のようです。ところが、周りの人の感覚とはずれています。一般的な判断をしなければいけない時に、ASD、ADHDの人と一致していない場合、よくわかっておらず、変更されてしまった場合、ついていけなくて、かなりの不安となり、時と場合によってはパニックで言い張ってしまうこともあるようです。

 パニックになった場合は、しばらく静かな場所で一人にさせる。そのあと、簡単な注意をする。決して、相手の言いなりにはならない。どうして問題が起きたのかの説明をする。などを繰り返すしかないそうです。

 パニックには予防が必要なので、今後の予定表、日程表を渡す。変更がある場合は、その都度、短めに伝えておく。などの工夫が必要になりますが、これも、発達障害の人が自覚がある場合に限るようです。自覚がない場合は、「嫌だ」「絶対こっちじゃないと嫌だ」と言い張って、収まらないことが多いことは、たくさんの書き込みで、いっぱい事例が載っていました。「絶対にこっちじゃないと嫌だ」「お前のほうが間違っている」「お前は無能だ。言うことなんて聞くか」「失敗したじゃないか。俺の言うとおりにしておけばよかったんだ」なんて言われてしまうことまで書かれてありますが、言うとおりにしても失敗しますので、発達障害の周りにいる「周辺者」は困ってしまうだけです。この場合は、できるだけ距離を取り、最小限のことだけにとどめておいた方がいいようです。でも、そうはいっていられない関係の場合も多く、「周辺者」は疲れ切っているケースが多いようです。

 思った通りにならないと思い込んでいるケースの中には、勝ち負けにこだわり「自分が勝つと思っていたのに、どうして?」「おもちゃを買ってもらえると思ったのに、なぜ、買ってくれないんだ」など、子供の事例などは、本や資料に載っていますので、それを参考にするのもいいかもしれません。大人になっているからといって、感情処理は子供のままの人もいるようです。

話がコロコロ変わる理由

 ASDの人の特徴で、突然の変化に弱いというのがありました。ところが、会話をしている間もキョロキョロしていたりして、会話がコロコロ変わる。そういうのもあるようです。キョロキョロする理由は、視野が狭いからと、次々、いろいろなものを見て、興味の対象が移りやすいかららしいです。
 書き込まれている情報の中に、「ご飯を食べた。ふりかけが欲しい。そういえば、ふりかけと言えば、カツオ。カツオと言えば海。海、いいなあ。ああ、最近、旅行に行ってないな。どこに行こう。疲れたな。お酒でも飲もうか。あ、テレビがうるさい。ああ、でも、今度の日曜日には、忙しいからいけないし」と次々、考えが移っていくらしく、いくらなんでも、話が飛びすぎて、一般感覚を持っている方は「なぜ、そこまで話が飛ぶのだろう?」と不思議です。でも、これが、いつも、脳内で起こっているそうです。中には、聴覚、触覚などの五感が過敏すぎる方も多いらしく、耳栓が普段から必要だという人も多いようで、驚きました。ボリュームが大きすぎるように感じる日常だそうです。そういう状態じゃない人でも、興味の対象が次々変わり、一日中、ほぼ、脳内が休まらないという方もいました。

 ここまで、たくさんの情報が脳内に飛び交うために、話がコロコロ変わりますが、相手の会話には当然ついていけず、自分が話す方が落ち着く状態になるようです。だから、こういう状態の人と、合わせるというのは難しいため、何かを一緒に決めるというのは難しくなります。自分の性質を知っているのなら、ソーシャルスキルトレーニングを始められますが、そうじゃない場合は、どうしていいのか、周りの人も困ります。自覚されているかどうか、お話を聞く気があるかどうかまで考えて、相手と会話しないと難しそうです。

意識しないでいい部分を気にしてる

 一般人でも多いのですが、「そこはスルーしよう」という取捨選択ができないケースもあります。人によっては、言葉がわかりにくく、会話がスムーズに行えないのは、障害があってもなくても、よくあります。一般感覚のある、症状が出ていない定型発達の人は、どうしているかというと、「この言葉は聞き流したほうがいいな」という言葉はスルーしています。ところが、ASD、ADHDの「当事者」の書き込みを見ていると、いちいち気にして、突っかかっています。たぶん、まだ、自分の症状のことも知識不足だし、その症状を「周辺者」がどうとらえるかということも、知らないために、「あなたたち、ひどいわよ。失礼よ」という書き込みで、アスペルガーの当事者に対して、困っていることを話しあうような書き込みの場で、自分の主張を書いているのも見かけます。そして、書き込み方が、ものすごく難しい言葉が使ってあって、問題の論点がずれていて、というものが多いです。

 発達障害の人と、発達障害の人以外の人は、そもそも話し合うのが困難だからこそ、トラブルになりやすく、障害の症状の勉強をしていないまま、感情の処理も、学んでいないままでは、言い合いになるだけのようで、どちらのマニュアルも、まだまだ、整っていないのが現状です。理由は、発達障害のことについて、法律が変わって、発達障碍者支援センサーができて、まだまだの状態だからのようです。

 大人向けの感情処理も含めたマニュアルがあったら、たくさんの人が助かるような気がします。ソーシャルスキルトレーニングの本などには、「アスペルガーのことで、怒ってもトラブルが続くだけです」程度の文章で済まされていますが、ほとんどの皆さんが一番困っているのは、対応方法ではなく、自分の障害の状態、障碍者との感情の落ち着かせ方のほうじゃないかと、書き込みを見て、いつも感じます。

 感情処理のほうは、マニュアルよりは、発達障碍者、発達障碍者の家族などが書いた、自伝本のほうが役立つかもしれません。自助会に参加するにも、不安も大きいし、言うのも、どうかと考えるだろうから、なかなか感情処理は難しいのが実態のようです。
 専門家が書いた、実態本を読み、発達障碍者たちの目線で描かれた自伝本を読み、そうやって、相手の感情を知って、気持ちを落ち着けるのに使うのもいいのかもしれません。

 発達障害の「当事者」のほうは、共感する部分が弱いため、発達障害者の家族の書いた自伝本は、読むと傷つきやすいかもしれないので、気を付けたほうがいいかもしれません。「当事者」が傷つく心をいやすには、精神科医やカウンセラーにお願いしたほうがよく、障害の症状をしっかり知って、そして、周りがどう思うかを無理しないで、把握して、対応方法を学んで、トラブルを減らしていくしか方法がないようです。自分の障害のつらさを、わかってもらいたい場合は、発達障害の症状に悩んでいる「周辺者」には、求めないほうがいいようです。

障がい者を意識していない人が多い

 日常生活で、障がい者と明らかにわかる人がいる場合、多くの一般人は、あまりじろじろ見てはいけないと思い、意識しないようにします。学校でも、職場でも、公共の場でも、見ることはしません。よって、観察するということは失礼になるために、どんな症状があるかを、知らないまま大人になっている人のほうが多いです。学校に特別支援級があったり、養護学校が近所にあったりすれば別ですが、ほとんどは実態は知らないと思ったほうがいいようです。

 実際に、初めて「アスペルガー症候群」と聞いたとき「ADHD」と聞いたとき、名前だけで、イメージがほとんど、わきませんでした。インターネットでは、あまりよくない意味で、本来のイメージと違う意味で描かれているらしいですが、よくわかりません。本来の症状と、インターネットでの「アスペ」と書かれているものが違っている気もします。実際のアスペルガーの症状を知っていくうちに、さらに訳が分からなくなっています。理由は個人差がありすぎるから。本には「小さいころから神童だった」「めちゃくちゃお勉強ができる」というイメージで描かれているものも少なくありません。実態は、「そんなに勉強はできたことはない」という人の書き込みもたくさん見られます。知能指数は、80ぐらいから130ぐらいまで、開きがありすぎるようです。そして、その知能で、実際に動くときに、うまく、知能を生かせないから、難しくなると書かれているものも多いようですが、ここも個人差がありすぎるようです。

 アスペルガーと自閉症の違いも分かりにくいです。自閉症というのも、名前は浸透しつつあるようですが、実態は難しくて、漠然としたイメージで、映画やドラマで触れた程度しか、一般人は知りません。

 ADHDのほうも、発見されるまでは、元気が良すぎる。走り回りすぎる。抑えられない。やんちゃすぎる。など、たくさんの部分が人によって違うようです。鍵、携帯、財布、眼鏡などを、ひと月に何回も失くす。という人までいるようですが、「そういうことはほとんどない」という人まで、色々のようです。

 一般人に浸透率が低い理由は、ほとんどの人が、実態を知らない状況のまま大人になっているからです。ボランティア活動が盛んな、欧米と違って、日本人は、そういうことに対して、積極的に手伝うより、「ご本人の問題だから」と様子を見て、距離を取ります。手伝ってほしいと言われても、自分の時間を考えて、無理はしないで手伝う程度になります。

 ところが、発達障碍者の人は、大人になってから発見される人も多く、トラブルだらけで、傷ついた心のまま、診断を受けると、誰かにすがりたくなります。でも、それを理解してくれる人は、同じ症状を持った人ぐらいで、診断が同じでも、症状が違いすぎて、知能指数も、取り組み方も、育った環境も違うので、なかなか共感しあえる関係も作れないし、アスペルガーに至っては、相手の立場になることが、そもそも、難しく、周りの人もかかわれないようです。

 障碍者である自分をわかってほしいというのが、アスペルガー、ADHDの人の書き込みに多いですが、こういう実態なので、わかってくれるのは、発達障害のことに詳しい人と、同じ症状で悩んでいる人だけになることは、知っておいた方がいいと思います。

 発達障害の近くにいる、家族、同僚、友達など「周辺者」も同じで、ほとんどの人は、発達障害者の実態は知らないので、「気にしなくていいよ」としか言ってもらえず、共感はしてもらえるのは、同じ立場の人だけになりますが、それも、環境も、症状も一人一人違いすぎて「私のほうがもっと、大変なのよ」と思ってしまいがちですが、症状が大変なのを言い合っても「私の方だって、もっと」となりますから、ある程度の割り切りが必要になるようです。

 割り切るまで、気持ちの問題ですから、相当、時間がかかるようです。障害を受容するのは、ものすごく時間がかかるのは、そういう実態だからのようです。

 この状況をよくするには、行政の取り組みが変わるしかなく、幼稚園、小学校で、障害が見つけやすい状態にしていくしかなく、学校での取り組みも、専門家を派遣して、サポート体制を変えて。欧米のように、取り組んでいき、そして、その状況で育った人の数が増えるまでは、難しいようです。

 このページは、アスペルガー表記のままにしてあるます。知った当時は、アスペルガーという名称で知ったからです。

大人の発達障害でも、感情処理は、子供用のマニュアルを

 大人になるまで発見されにくい発達障碍者も大勢います。最近になって、発覚するようになったのは、行政の取り組みが変わったからです。法律が変わり、子供のほうが発見されやすくなり、その親たちもついでに発見されることになり、仕事場でも、知られるようになって発見されるようになり、でも、精神科医や、臨床心理士の人も、専門知識を持っている人は、まだまだ少ないため、見てもらえる状況にはなっておらず、受け皿がまだまだのようです。
 診断だけはしてもらったけれど、あとは自力でと言われるケースもたくさん書き込みされてしました。それでは、家族も仕事場の人も、ご本人も「???」となり、何の改善にもなりません。そして、詳しいマニュアルさえ与えられず、手探りでやっていくこととなります。

 まず、症状に対して、詳しく知るところから始めないといけないし、対応策も学び、でも、障害を受容するまで時間がかかり、その障害に向き合っても、できないことも多いし、お金はかかるし、ため息をつきたくなることばかりが続きます。感情処理がもともと下手な発達障碍者には、大変な作業となり、そんな発達障碍者の脳の症状は、一般感覚を持っている「周辺者」も戸惑うばかり。「え、なんで、ここで、そんな変な言葉が出てくるの?」「いったい、なぜ、そんな変わった行動をするの?」と思いますが、答えはすぐには見つからないものです。

 大人になっているから、外見でわからないため、「周辺者は」大人として扱ってしまっているために、対応策と「当事者」の心が合ってないことも多いようです。
 マニュアルは大人向けと子供向けがあります。両方を参考にしたほうがよく、特に、感情の処理のほうは、幼稚園や小学校までさかのぼって、調べたほうがいいケースも多いです。そこだけが成長できなかったというアンバランスな脳であることも多いからのようです。

 感情処理が、子供と同程度かもしれないと予測して、提案してみる。説明をわかりやすく、発達障碍者向けにしてみる。などの方法を取り、様子を見ていく方がいい場合も多いようです。

 勝ち負けにこだわる。リーダになりたがる。癇癪を起す。言葉が出てこない。返事がなくのんびりしている。会話で間違った解釈が多い。暴力的な言葉を言ってしまう。など、たくさんのケースごとに書かれているマニュアルもたくさんあります。どんな感情で、そうしているのか、子供の心が解説されているものを読み、できないことが多いのだと理解して、進めていく方が安全のようです。

 見た目が大人になっていても、その年齢まで、症状が残っているということは、そこだけは、発達障碍者がわかるような説明をしてもらう機会がなかっただけで、わかるように説明したら、理解できるかもしれない。という可能性も残されているため、子供向けのマニュアルを参考にするのもいいかもしれません。

短い指示を数打って、当ててみよう

 ADHDの「当事者」の人が、説明してあることを「聞いてないよ。早く言っておいてよ」という場合があります。この場合、いくつかのケースが考えられるそうです。文字通り、相手は話していたけれど、耳には届いてない。この場合は、集中力が途切れていて、飽きっぽいので、聞いてなかった。
 聞いてはいたけれど、覚えていられなかった。この場合は、一応聞いているのだけれど、すぐに忘れてしまいやすい脳の性質によるもの。
 途中まで聞いていて、途中から聞いてなかった。この場合は、推測して、結論を脳で勝手に出してしまうため、「どうせ、こうなるから、面倒だから流そう」これらのことが重なると、一般的な脳の働きをする「周辺者」のほうは、「いったい、この人何?」「相当、いい加減な人だよね」となり、そのうちに、かかわりを持たなくなります。共同作業も避けたほうがいいし、一般会話程度なら、何とかなりますが、決断するような話し合いは、まず、危なくてできません。

 これらを防ぐには、ADHDの「当事者」がまず、自覚を持つこと。そして、自分の脳で起きていることの仕組みを把握してもらうことになります。これらを素直に「やります」というADHDの「当事者」は、まずいないそうです。そういう人は、小さいころに、自分の問題点が矯正されて、目立たなくなっているために、症状が残りません。ものすごい気になるぐらいまで症状が残っている人たちは、たくさん注意されたのに、すべて流してきた「強者」になります。相当の頑固脳ですから、まず、ちょっとやそっとで、「治すね」「取り組むね」には、ならないそうです。中には、「なんで、私がこんな目に遭うのよ。まあ、いいや、相手が悪いのよ」とさらに流してしまう「強者」もいるため、このタイプは、付き合う方も適当にあしらうようになり、共同作業をしてくれる人、フォローしてくれる人は残らないそうです。家族や仕事場の人間は、逃げられませんから、フォローしないといけない立場の人が、ため息とイライラの連続となるようです。そういう人に、「周辺者」は付き合っていられませんから、「この人は直らない人だ。取り組まない人だ。自覚もない人だ。面倒な人だけれど、さて、どう付き合おうか?」と考えて行動するしかなさそうです。

 思った通りになると思い込んで、聞いてない。そういうADHDの「当事者」の場合は、「思った通りにならないケースもあるんだよ」とあらかじめ説明しておく必要があります。一回では、まず、聞かないらしいです。「数打てば当たる」方式で、短く説明して、忘れていたころに再確認を複数回行い、それでも直らないぐらいの頑固脳が、ADHDの人の脳の症状のようです。

 いったい、どれぐらい打てば、響くのか、個人差があるようです。

期間の目安

症状の理解
 自分の症状を知り、具体的に、何が苦手、何が得意、どんな問題が、どうしたらよかったか、など、漠然と理解するまで一年は見たほうがいいそうです。

認知行動療法
 ASD、ADHDの症状がない人でも、効果がわかるようになるのは、早くて3か月かかるそうです。症状がある人の場合は、慣れるまで、かかりますし、効果が見えてくるまで、一年から二年は、かかると考えたほうがいいそうです。

SST
 デイケアなどに通って、ソーシャルスキルを学ぶようですが、個人差が激しいそうです。ASDで、学力が高い人は、早いようですが、知能指数の差が激しいのと、理解できても、どうしてもできない人もいるようです。これは、かなり時間がかかると書いてあるものが多いので、目安期間がわかりません。

気持ちの整理
 こちらは、自覚がどの程度あるのか、割り切り度がどの程度なのかで違ってくるそうです。「当事者」の方のほうが、すんなり割り切ったというケースが多いようです。割とすぐに切り替えましたという人もいました。でも、切り替えたつもりでも、実際に、できないことの現実と仕事、日常で、また、落ち込む人も多いようですし、ASD、ADHDで、そもそも、困ってなくて、「周りが悪い」と思っている人は、整理するまでもなく、自覚することもないまま行く方もいらっしゃるようです。
 「周辺者」は、離婚しても、配偶者、子供の発達障害を受け止められない。認めないという人もいるようです。受け止めるまで、ものすごくかかる人も多く、目安として、ASDの場合は二年ぐらいは見たほうがいいそうです。ADHDのほうは、お薬の効果によって、違ってくるので、何とも言えないようです。効果が出て、その間に、SSTもして、イメージトレーニングをして、劇的に変わりましたという「当事者」なら、気持ちの切り替えもできますし、「周辺者」もわかりやすい効果によって、気持ちの切り替えがしやすいようです。お薬の効果がなく、一年前と同じことを怒られ続けて、それが続いて、ものを失くすのが、ずっと続く。部屋が片づけられないまま、提出物を忘れた。支払いを忘れた。大事な用事を忘れた。というままの人もいるようです。そうなると「当事者」「周辺者」がどの程度で、割り切るかで違ってくるようです。忘れやすい性質をどうするか、周りのサポートがどうなるか、金銭管理なども関係あり、個人差が激しく、一生、治らないままの人もいるようです。

カサンドラのPTSDの整理の仕方

 発達障碍者の裏切りや、トラブル続出は一般的ではありません。原因があって、取り除く方法がわかり、というものではないので、整理がつかないと思います。トラブルだらけで、気持ちがどうしようもないぐらいの、ものすごい嫌なことをされても、それを止める方法が難しいからです。
 一般的だと、止められるか、止められないかが、なんとなくわかります。浮気だったら、「この人は懲りないだろう」というのがわかりますから、だいたいの目安ができます。やってしまった後も、謝ってくれたり、開き直ったり、色々なパターンがあり、でも、気持ちの整理がつかなくても、相手の反応がわかりやすいため、気持ちの整理に時間はかかっても、それなりに決着がつきます。
 ところが、ASD、ADHDは、脳の性質によるもので、本人に悪気はなく、衝動的に、本能的に、どうしても、それをしてしまう性質による症状になります。そして、それを自覚しているか、していないかによっても違います。説明だけで、ものすごく時間がかかります。ある程度、症状を理解している発達障害の「当事者」なら、時間をかけて説明していけば、何とか理解しあえるところまではいかなくても、収まりはつけられるかもしれません。ところが、自覚がない、もしくは、自覚していても、説明を聞いても、すぐにはわからなくて、言い張る「当事者」が多いのです。理解するまでに、ものすごく時間がかかり、謝らないで、そのまま。これでは、カサンドラ症候群状態の、「周辺者」は気持ちの整理などつけられるわけもなく、そのあとに、さらにトラブルが続いて、イライラしてしまうだけになります。

 この期間、しばらく距離を取り、無理して付き合わないほうがいいですし、相手が「謝ってくれたら」という気持ちは捨てたほうがいいらしく、「理解して謝る」ということはなく、パターン化で「謝ったほうが、一般的なんだな」という対応のマニュアル化による、言葉では、「周辺者」は、うれしくはないので、難しくなります。そんなことが続けば、イライラします。
 距離を取りたいと思っていても「当事者」のほうも、それまでやってくれたこと、してくれたことが、「周辺者」にしてもらえなくて、不安も重なり、イライラしだします。この期間は、とてもじゃないですが、話し合いもできませんし、難しい状態になります。お医者さんに相談したほうがいい場合も多いようですが、心の整理をしながら、症状の勉強もして、理由もお互いに理解しながら、認知のゆがみのことも、考えていきながら、進めるようですが、残念ながら、「当事者」が積極的に、医者に掛かって、自分の症状に取り組むということは、あまりないそうです。ほとんどが、相手に悪いと思ってない人、状況もわかってない。そういう人ほど、しつこいまでに、「周辺者」にお願いしたり、かかわりたがったりして、大変になります。

 症状の把握だけで、一年は見たほうがいいという目安があるようです。それぐらい、症状は多岐にわたり、一つの行動の意味を調べるだけでも、時間がかかるようです。すべての行動の意味が大体わかっても、そこから対応を考えていき、SSTをしていくことになるようですが、同時に、「当事者」「周辺者」の心のケアも必要になります。「当事者」は自分の症状を受け止めつつ、それでも、日常でできないことが嫌になりますし、「周辺者」も、行動の理由が分かったところで、受け止められない、もしくは、いやになることも多いようです。

 認知のゆがみの見直しに、認知行動療法を使うケースも多いようですが、落ち着くまで1~2年はかかるようですから、そこも時間がかかります。障害を受け止める時間も個人差があり、受け止めても、何度も嫌になりながら気持ちを立て直し、症状の対応を一通り学んで、気持ちが落ち着くまで、数年はかかるようです。

 カサンドラの場合は、当事者の自覚と、症状に取り組んで、落ち着いてからじゃないと、PTSDの状態は改善されません。つまり、一般よりも時間がかかるようです。その間、無理はしないほうがいいようです。ときに立ち止まり、無理をしないほうがいいようです。

「めったなことは起こらないよ」と脳を納得させて、安心感を得ると、PTSDは和らぎますが、ASD、ADHDの「当事者」は、トラブル続きで、「めったなことだらけ」の状態の場合も多いので、いやな気持が重なっていき、大変になります。症状を自覚してもらって、対応にめどがついてから、カサンドラの人の癒しが始まることになるようです。

お互いに苦しい

「当事者」「周辺者」の両方の書き込みで多いのが、「私たちが困っているのに気づいてほしい」「私が苦しんでいるのに気づいてほしい」「トラブルが多いのを自覚してほしい」「できないのだから、あきらめてほしい」「できないからと言って、何もかも、手助けできない」

 こんな言葉がたくさん並びます。お互いに、相手が合わせてほしいという要求です。一般的な人とのやり取りなら苦労しないと思ってしまいやすい「周辺者」。できないのに要求されても、できないのだから、だれか、救ってほしい、理解してほしい、私に合わせてほしいと願う発達障害の「当事者」お互いに、気持ちはすれ違う要求になっています。こういう場合は、とても難しいようです。

 お互いに、苦しい立場であり、相手の立場まで見えるのは「周辺者」ばかり。「当事者」で、自覚して、周りの状況の理解を少しずつ深めて、でも、それでも合わせられないという「当事者」の方も、稀にいるようですが、インターネットの書き込みの場合は、「うまくいってますよ」というものはほとんどありません。そういう人は現実に満足しているので、書き込む必要がないからです。困ったことを、どこに相談していいのか、難しい問題で、だから、匿名のネットで書き込んで、答えを求める人が多いようです。

 困っていない発達障害の「当事者」は症状が軽く、社会に溶け込んで、だれかが助ける人がいて、日常でものすごい問題になるところまではいってなくて、自覚も弱いから溶け込んでいる、そういう人なのかもしれません。

 書き込んでいるレベルの人は、困っている人ばかり。溶け込みたい。でも、小さい時に発覚したのならいいけれど、大人になって発覚して、「いったいどうしたら? こんなに苦しいから、だれかわかって、私をサポートして」と思って書いている、「当事者」の書き込みが多いようですが、障害が出ていても、知的障害が伴わない場合は、「ある程度のことは、自分で処理をしましょう」というのが、一般的な基準のようです。

 でも、実際は、複雑です。自覚がある、ない。症状が軽い、思い。周りのサポートがある、ない。困っているのは、「当事者」か「周辺者」か。この辺で、全然違ってきます。

「当事者」のほうは、「俺たちに求めないでほしい」と思っているようですが、社会の仕組みでは、求められる方が自然となり、できない場合は、「当事者」自身が、自分で工夫して、周りに合わせられないまでも、対応を考えていかないといけない状況が多いようです。

 「周辺者」のほうも、わかってもらえないことが多いです。それは、どこか他人事で、発達障害の実態が、社会に浸透していないため、困難さは、実際に経験者しかわかりません。言葉で聞いても伝わることはほとんど無理のようです。ところが、一度でも経験したら、「これは大変だ」とわかるのですが、「周辺者」は、自分のことでも大変で、実際に「当事者」がトラブルを続出すると、いやになり、距離を取り始めます。

 お互いに苦しい部分を支えあうのは難しくなる状況は、社会的に認知が低いから。そして、行政の取り組みがまだまだで、学校や職場での相談窓口もなく、サポート体制も弱いからです。

 コミュニケーションが取れない、失敗が多すぎる。そういう人を支え続けられなくなるほど「周辺者」は追い込まれやすいです。お互いに苦しいので、できるだけ、無理をしないこと。支えてくれるのは、お互いの立場を知っている人で、余裕がある人だけなので、色々な人に助けを求めても難しいことを理解して、うまく気持ちを切り替えていけるようにするのを、自分の環境づくりをするしかなさそうです。

 サポーターがたくさんできるような社会の仕組みができていない以上、自分で考えて行動するしかないので、無理は禁物です。

〇〇だから注意してねでは、無理。

「〇〇だから気を付けて」なにを?
「▽▽だから、確認してね」え、どうして? と思うのが、ASDだそうです。

 気を付けての前に固有名詞や目的語がいるらしく、それを省くのが日本語。つまり、目的語や固有名詞などは省いてはいけないらしく、そして、わからないのに、「そのままにする」のがASDの「当事者」の人に多い。その間に、次の指示が出ていたり、指示した人はいなかったりするので、間に合わないなんてケースも多いそうです。

 これらのことに気づくまで、大人になるまでわからない人も多いようです。理由は、流すから。もしくは、流されるから。「また、なんだ」「この人に頼むと、失敗するからやめよう」「この人は、天然だからきづかないのか」となり、本人にそれを、わざわざ言わないのが日本人。外国人だと指摘されるケースが多いらしく、だから、発達障碍者は、日本人のほうが、コミュニケーションが難しいとも言われているようです。

「具体的な固有名詞を言ってください」「目的語を省略しないでください」「5W1Hで言ってもらった方が、理解できます」と自分から言っておいた方が、安全ですが、周辺者のほうは、つい、普段のつもりで、それらの言葉は省略します。わからないのなら、「当事者」のほうが、言えたら、トラブルは減るかもしれません。

自己他者同一化

 ASDの症状の中に、「あなたに言ってないけれど、私の考えは、すでに知ってるよね」という感覚を持ち続けたまま大人になってしまっている人がいるそうです。子供のころに、自分と他者の区別がつけられないまま、なんとなく、周りの言葉を受け流しながら、生きてきて、相手に説明もしていない、言葉で伝えてもいないまま、「なんでわからないのよ」という感覚で言い張るところが残ったままの人がいるらしく、一般的には、こういうタイプは、自己中心的行動とみられて、「私に合わせてほしい」という言葉にしか聞こえず、一般感覚で考える「周辺者」は、「???」のままになるらしいです。説明と了解はいらない。テレパシーで伝わっていると勘違いする感覚を持ってしまう症状だそうです。自己他者同一視という状態だそうです。

 たくさんのトラブルから、そういう行動をする人だと、ASDの「当事者」は周りの人から思われるけれど、自閉症の特有のこだわりなどは、「周辺者」はそのまま受け入れることができないこともたくさんあるため、「なんでわかってくれないのよ。私が困っているのに」と「当事者」は言い続け、「周辺者」は、「なんで、この人は、訳の分からないことを言い続けるのだろう?」となり、距離ができていくようです。

 この部分を埋めるには、「当事者」「周辺者」が、症状の理解をしていくしかしょうがなく、それが大人になってからの発覚した場合は、「大人なら、この程度はできるはず」という固定観念を捨てないといけないようです。
 こういう場合は、子供の発達障害の症状の本を読んでみて、「子供だと、こういうことをするのか、それが大人になったら」というので、考えてみるのもいいそうです。いきなり、大人の発達障害の本を読んでも、一般人とどこが違うとなってしまうようですが、子供の発達障害の実態を見て、それで、そばにいる「当事者」は、これのどこの部分がのこってしまっているのだろうか?と考えていくのも、いいようです。

 ただし、自閉症の症状が重い人の中には、自分の状態に違和感がない人も多く、常に被害者意識が強すぎて、周りの人の言葉も優しい言葉以外は受け止めず、自覚がない人もいるために、自覚が出る状況まで、待つしかしょうがない人も多いようです。自覚が出る状況というのは、ものすごいトラブルになる、たくさんの人に、「迷惑だ」と言われるぐらいの状況になる、などまでいっていることも多く、大変な状態になっていて、修復も不可能な状況になっていることも多いようです。その場合は、あまりに難しい時は、距離を取ったほうがいいでしょうという「専門家」も多いようです。

相手に望まれても

 発達障害の「当事者」は不安が付きまといます。そのせいか、何かと頼ろうとする人も時々いるようです。その望みの内容は、一般的感覚があり、意思の疎通が図れる相手なら、何とかなる場合も多いでしょうが、この「一般感覚がずれる」という部分がとても重要で、その部分で、意思の疎通は図れず、共同作業をするのも、一緒に判断するのも、会話するのも、難しい症状レベルの人も多いようです。症状の勉強を「当事者」がどの程度できているか、自覚があるか、今後、「当事者」がどういうことをしていきたいと望んでいるのか、など、「当事者」にも事情があるとは思いますが、「周辺者」は、無理して合わせる必要はないというのが一般的です。

 「当事者」の外見で出ていないため、「周辺者」がつらい状態になることは多いですが、望みをかなえるために、自己犠牲はしないでくださいというのが、発達障がい者のそばにいる家族は同僚、友達などの「周辺者」の立ち位置になります。サポートしすぎもダメ、望みをかなえる必要もなく、お金の問題も片づける必要はなく、問題が出ていたら、発達障がい者の「当事者」が、お医者さんと相談して、本人が考えていく範囲と思っていないと、大変になります。

 配偶者、親、兄弟だと、この部分が違ってきます。発達障がい者が未成年で、親である場合は、たくさんの責任が伴いますが、それ以外だと、無理して、やらなくてもいいというのが一般的だそうです。「知的障害を伴わない」ここが一番、大きな理由らしく、これがないため、成年後見人みたいなことを望まれる発達障害者の「当事者」の書き込みがちらほら見えますが、それらは、ご本人が、行政やお医者さんと相談して、自分で考えてもらわないと難しいようです。発達障がい者のご本人が、支援員、ケアマネージャーなどと相談してもらって、考えていかないと難しいようです。ただ、症状が重すぎたり、自覚がない発達障がい者もいますのでケースバイケースで考えていかないと難しい部分もあるようです。

 症状が重すぎる場合、どうしたらいいのか、迷いますが、症状の勉強を、「当事者」が自分で理解していく覚悟がないと、難しいらしく、ご本人がどうしたいのかさえも、わからなく、「迷ったまま」の状態の人とどの程度の距離感で、考えていくのかは、事態がわかっている、「周辺者」が決めていき、望みをかなえないとと思わないほうがいいようです。

成長しない人を助けられるかどうか

 たくさんの書き込みで、「ちゃんと成長してくれています」というのは、稀で、たいていは、「いくら言っても、聞いてくれません。理解してくれません。直りません」というものばかり。
 少しでも良くなってくれたらという願いを持っても、自覚がない人の場合は難しいようです。自覚がある人も、成長は遅い方が多いようです。

 こういう場合の「専門家」の指導は、「成長しないままの人を、トラブルだらけの、助け甲斐のない人を、助けたいかどうかを決めるのは、あなたです」と書いてあります。
 ものをなくし続ける人、言っても言っても、聞かない人、かみ合わない会話のままの人、失敗のフォローをしてもらいたがる人を、助け続けることは、とても、大変です。
 
 助けたいか、距離を取るか、成長しないままだと、そのうちに、いやな気持になる場合が多いようです。途中でごまかしながら、同じような境遇の人と、気持ちを分かち合いながら、何とか生活している人も多いようです。お医者さんに行っても、環境づくりの指導がしてもらえるだけで、ADHDの場合は薬を使われることも多いようですが、ASDだと、イライラや抑うつなどの状態の気分を変えるのにお薬を使う程度で、根本からは直りません。

「相手に悪いと思っている」という書き込みをされている当事者も何人かいますが、多くは、「なんで、私がこんな目に。一生懸命頑張っているのに」というのが多いようです。
 中には、自分のほうが、被害者のようにふるまっている書き込みの内容が、「あれ?」というのも見かけます。「当事者」は違和感がないようですが、読んでいて、違和感だらけで、この人では、トラブルだらけになるだろうというのが、文章だけでわかる人もいます。でも、本人は真剣に「周りから嫌がらせを受けました」と書いてありましたが、内容は嫌がらせではなく、一般的な感覚からすると、ただ、「嫌だ」「不快です」ということを言われた程度のものでしかないものもあり、「当事者」と「周辺者」の埋められない認知の違いに驚きます。

 「当事者」は怒られ続けて、被害者意識は強くなっている人も多く、そのため、過剰に受け止めてしまい、一般感覚を持っている「周辺者」からすると、「それは、発達障害じゃなくても、言う人はいるので、流して考える。いちいち、受け止めない。スルーする」というのも、いちいち、真に受けています。真に受ける部分は障害の症状にありますから、そこもお医者さんに指導されているはずでは? と違和感がありますが、なかなか、浸透していないのかもしれません。障害の症状の勉強をしていても、説明してもらって、初めて、「そうなのか」と気づくらしいですが、「周辺者」は、「それぐらい気づくよね」と思ってしまいがちです。

 感覚の違いは埋められず、「なぜ、このぐらいのことができないのだろう?」「わからないのだろう?」とつい思ってしまう感覚を「周辺者」は持たなくなるまで、時間がかかるようです。

 自閉症の子供の成長記録などを読んで勉強すると、参考になると書いてある人もいました。症状を理解しながら、歩み寄れるのは「周辺者」のほうになりますが、無理はしないほうがいいようです。

習慣化する時間は?

 SSTをしているという発達障碍者の人も多いようです。人によっては、「一年以上言われ続けてよくならない」という人や、「少しずつ症状が減りました」という人まで、さまざまのようです。

 習慣づけられる目安はどの程度かというと、3週間から4週間かかるそうです。つまり、そこまで、やり続ける必要があるようで、一か月は様子を見て、定着できたら、「おめでとう」となり、できなくても、「また、がんばればいいよ」ということになるようです。

失くしものが多い

「携帯を、年に、何回も失くしました」「財布を落としました」「予定を忘れることはしょっちゅうです」などが多いのが、ADHDの症状のようです。ところが、ここも、個人差があり、物はなくさないけれど、話が聞けないとか。話は聞いていられるけれど、まとめられないとか、個人で症状が異なるようです。そして、対応策も違ってきます。
 最後まで話を聞いていられない人の場合は、あらかじめ、
「私、長い話を聞いていられないので」と断っておくほうがいいようです。「5分までにして」と頼むか、「メモを渡してもらえると助かる」とお願いするのがいいようです。

 物をなくす人の場合は、場所の定位置を決めておく。失くしやすいものトップ3ぐらいまでは、定位置に戻せるように普段から、訓練するのがいいらしいです。「スマホ、財布、鍵」が多いようです。

 聞いた内容を覚えておけない、まとめられない。の場合は、5W1Hのメモを用意して、書く。


 これらのことは、「当事者」の人が、自分でできるだけしていかないと、「周辺者」は困ります。ときどき、書き込みに見られるのが、「周辺者」がメモを渡してくれない。「周辺者」が言い忘れたんだ。と「当事者」が思い込んでいるケース。この場合、ADHDだけなら、説明したら、そのうち、「ああ、自分のほうに問題があったんだ」と気づけるようですが、ASDの症状から来るものだと、違和感がなく、「~するのは、相手であり、自分ではない」という思い込みだらけで、自分の思った通りにならないことに対して、「相手が悪い」と言い張り、その部分の認知のずれを埋めるだけで、何度も何度も説明しないとわからない、もしくは、聞く耳を持たないというケースもあり、そういう人が、「相手が管理してくれたら、なにも困らない」「相手がやればすむ」と思い込んでいる人もいるらしいので、こういう人の場合は、手助けしていくときりがないため、自分や周りにものすごく迷惑がかかりそうなところだけ、予測して予防して動く以外は、できるだけ距離を取ったほうが安全なので、「時には逃げてください」という指導がお医者さんから出されるケースもいくつかあるようです。

学校でサポート支援室があったら

 色々な場所の投稿を見ていて、よくあるのが「ほかの人と同じようにしたいのに、できない」ということ。次を予測して動くとか、相手の立場に立って動くとか、提出物を間違いなく期限通りに出すとか、発達障碍者の「当事者」は、どうやってもできないことがたくさんあります。支援の方法が、まだ、しっかりと確立していないのが現状です。大手の企業や、医療や福祉関係、有名な大学などでは、支援の方法を取り入れるところもあるようですが、小さいところだと、ほとんど行われず、「なんで、ほかの人と同じようにできないの?」ということがたくさんあるようです。ジョブコーチがつけられるのも、たくさんの手順を踏んで、基準を満たして、回してもらうということも可能になる程度で、難しい問題がたくさんあるようです。

 こういう時にいつも思うのが、個人レッスンを、付きっ切りでしてもらえる支援を小さいころから、発覚した時点で、してもらえたらと思います。家庭教師のように、苦手な行動を、近くから見て、直接、その人に合ったやり方を、組み立ててもらい、あとは、それに従って、行動していく方法ができていたら、助かる人がたくさんいるのではないかと思います。

 小学校から大学まで、一律で、発達障碍者の支援システムができていたら、個人レッスンがなくても、発達障害者が、どうしてもできないことの範囲などが浸透するような気がします。提出物の管理は、個人で、どうしても行えない。日程調整や、体調管理などのサポートを指導をしてもらえるだけで違う気がします。常駐じゃなくても、いい気がします。月に一回だけでも、支援室での相談ができるだけでも、違ってくるような気がします。担任の先生も相談できますし、親も、子供も安心です。学校での浸透が、社会の浸透につながる気がします。そういう時代が来ることを願っています。

どの行?

 本、資料を読めない発達障害者がいるそうです。ものすごい抜群の記憶力に、国立大学を出ているなんて言うASDの「当事者」がいる反面、そうじゃない人もたくさんいるそうです。個人差がありすぎるのが、発達障害の「当事者」の人たち。本を読めない理由は、行が飛ぶらしいです。「どこまで読んだっけ?」になるそうです。それだと、発達障害の知識を深めることさえ一苦労です。たくさんの情報が並んでいると、どう整理したらいいのか、わからない。という人も多いようです。先生がまとめて、授業をしてくれる学校とは違い、発達障害者知識の学校は、SSTのセミナーぐらいしかなくて、要点をまとめて、自分に必要な部分だけを教えてくれるなんてシステムはなく、家庭教師のように精神科医の先生に教わりながら生活していくという方法を取らないと難しい発達障碍者も多いようです。ところが、通っても、難しいレベルの発達障碍者もいて、本当に個人差がありすぎるようです。

 ほとんどの人は、自分に関係ある部分を抜粋した自分用の取り扱い説明書があったら、どれだけ楽かと考えるようですが、これを作ってくれるシステムは行政にはありません。それで、ほとんどが自力で作っているようです。取扱説明書を作成できるだけの発達障碍者の「当事者」は、本も読めるし、知識は覚えておけるし、まじめだしという人が多く、面倒だとすぐに思ってしまいやすいADHDの人は、「やりたいとは思うけれど、実際にやれないんだ」という人も多いようです。

 行を読んでも、飛んでしまう。情報が羅列していて、把握できない。こういう人の場合は、ゆっくりと自分のペースに合わせて、ものすごく情報量の少ない、絵の多い本を活用して覚えたほうがいいようです。

 自分に合った本を見つけることから始めたほうがいいかもしれません。

何度数えても

 集中できない。過集中しすぎる。発達障害の「当事者」の人たちが語る実態は、「周辺者」には驚くことばかりです。こういう細かい事情は、世間には知れ渡らず、出ている情報は、「自分のことを優先する」「空気が読めない」「天才が多い」などが多いようです。
 何度数えても、数が数えられない。家計簿をつけても、つけても数字が合わない。地図が読めない。たくさんあるものから、自分が欲しいものを見つけられない。言葉だけ聞いていると、そこまでひどいように感じませんが、実際に生活をしていると大変らしく、仕事にならないというレベルの発達障碍者も多いようです。個人差がありすぎて、テレビで紹介されているのは、平和なケース。実際に困っているのは、ものすごい金銭問題が出た。親族の複数の人に症状が重くて、「おかしいのは、お前だ」と症状がない、「周辺者」の家族のほうが、病院に連れていかれたというぐらいのケースも出ています。

 数が数えられないというのを聞いて、さすがに驚きました。数を数えるって、色々な仕事でたくさん、いくらでも必要になる作業です。金銭の管理なんて、できるわけがない。それができない理由は、ほかに気を取られると、つい、そちらを見てしまうらしい。程度がひどい人は、間違えてばかりというのも多いようです。
 同じ症状名なのに、個人差がありすぎるため、その人にあった方法を考えていくことが必要になるようです。


 ほとんどの人が言っている。小さいころにわかっていたら。そして、わかるような説明方法が、学校や、教育書に書かれていたら、違っているのにと。外国では、肯定、否定がはっきりしており、察してくださいという場面が少ないために、ASDの人は、そこで困るということが少ないらしいです。日本は、空気を読んでくださいというのがあるので、一般人でも、「???」という場面は多いです。学校の先生たちが、発達障害の正しい知識を学んで、一緒のクラスで、教室に溶け込ませるような教育現場にならないと、社会的な浸透も難しい気がします。お仕事のサポーター制度ができるようですが、学校も、それから地域もサポーター制度ができるといいなと感じます。

自立支援か共依存か

 ASD、ADHDの「当事者」の人はできないことが多いようです。限界があり、持って生まれたものなので、本人に責任はないと思われがちですが、実際は違います。知的障害を伴わないために、できない範囲に対して、責任が全くないかというと、そうではないようです。
 それで、できないことを職場や家庭で、代わりにやってもらえばいいという、間違った認識を持った発達障害の「当事者」が時々います。周りは自立支援で考えています。本人は、できないから、代わりにやってもらおうとする。「やってもらえばいい」「世話してくれるから、ほかのものも頼んじゃえばいい」「嫌がってなさそうだから、ずっとやってくれるはず」と勘違いします。実際は、発達障害だとわかるまで、手助けをしているつもりの発達障害の周りにいる「周辺者」たち。ところが、ASDもADHDも脳の動きから、「やってくれるのだから、永久にやり続けてくれるはず」と勘違いしてしまう人がいます。助けるにしても、特有のこだわりや、自分の方法をとりたがったり、了解を取らないでやってもらおうとしたり、トラブルになりやすい。当然、次からは、「周辺者」は警戒し始めます。そして、どんどん助けてもらえなくなる。「この間まで、助けてくれたのになぜ?」という状態に陥ることも多いようです。

 持論を振りかざす人も「当事者」に多く、グループ行動をするときにはまとまりません。「周辺者」は一般感覚で考えます。発達障害の症状があるとしても、一般的に、苦手なことが多い人に対して、自立支援的な考えで、補助をしようというのが一般的です。障がい者自立支援の考えも同じですが、本人の範囲というものがあり、本人が責任を取ったり、判断したり、できるだけ自分でやってもらって、あくまで補助のつもりで支援をしたいと思っている「周辺者」が多いですが、「当事者」は、できれば、ミスが多いので、代わりにやってくれるなら、そのほうが嬉しいし、楽だと勘違いして行動する発達障碍者もいます。この意識の差が、問題となり、「やってくれるんじゃないの?」「え、わたしがやるの?」という意思の発達障碍者だと周りの人が嫌がります。暗黙の了解があるので、範囲は、ケースによって違ってきていて、言いだしづらい環境の中で模索され、「いつまでカバーしないといけないのだろう?」「前に教えてあるのに、なぜ、自分でやっていこうとしない?」「前と同じような失敗をしたのだから、それを繰り返されても」という意識の差が、どんどん埋まらなくなり、周囲の人が、「このまま助け続けると、つらいので無理だ」と、完全にやってもらえなくなってから、「実は発達障害だった」ということが発覚というのも少なくないようです。この時点で、気の優しい「周辺者」がそばにいたら、知らぬ間に「共依存」のように「当事者」のほうだけ思っています。「周辺者」のほうは違います。だんだんとトラブルも多いし、助け甲斐もないし、変なことを言い張るし、疲れ始めて、共依存ではなく、サポートのつもりなのに、「なんで、自分でやらないの?」となっていて、お互いの意識はものすごく差が開いています。

 実際に、仕事の場では、「自分は発達障害なので、周りの人が俺の代わりにできない範囲は全部カバーしてほしい」という要求は通るのかと思ったら、職場によってまちまちのようです。ほとんどが、対人スキルが不必要な配置に、どんどん配置換えになったり、時には、「もう、君はちょっと無理だと思うよ」とはっきり言われたり、などが多いようです。職場に一人混じる発達障がい者に自覚なく、周りにカバーされている意識がなく、むしろ、周りのカバーは、「あの人たちが望んでやっていることだから、知らない」と思っていて、そこを気にしていないし違和感がない発達障がい者も多くて、職場相談で、「もしかしてASDのようですが、私たちは仕事にならず、ほかの人たちの2倍の量の仕事をしているのです。職場の数人で、その人の仕事の分をカバーしないといけなくなり、その人が何かやらかしそうなので、何度も確認しないといけないため、二度手間です。疲れ果てています」なんて書き込みまでたくさん見つかります。

 なぜ、こういうことが起こるかというと、最初の、共依存の状態になっていても、違和感を持たないのが発達障害の人の特徴にあり、なぜ違和感を感じないかというと、他者と自分との距離感がつかめないこと、相手の立場に立てないこと、絶えず、自分の側からしか見たことのない風景で、今まで生きてきたから。そのため、指摘されても、相手は一般的に対応を求めているだけなのに、「あなたたち変よ。私は正しいのに。ひどいわ。いじめよ」なんてい被害者ぶってしまうケースも多数。生まれてこの方、本人は、他者から見た自分は考えることができないので、教わってもいないし、わからない人も多いからのようです。

 自立支援の感覚を持つ「周辺者」と、共依存が居心地がいい「当事者」の感覚の違いは歩み寄るのは難しいようです。「当事者」が自覚があるかどうかで違ってきます。そして、症状が本当に重い、ASDやADHDだと、どうしても自分本位な考え方が自然となってしまい、周りとはうまくいかなくなるようです。共依存を望む「当事者」の場合は、「周辺者」は、無理して合わせる必要がない。というのが一般的な「専門家」たちの意見のようです。自立支援法も同じ考え方で、それが一般的だからです。発達障害者が児童の時に、一人だけ、勉強ができなかったり、運動ができなくても、代わりに宿題をやるということは、ほとんどないからです。その児童ができるように指導がされます。

 発達障がい者が、本当に自分でやろうと思えるような場合は、受動型のアスペルガー、不注意優位状態のADHDの「当事者」の中で、症状が軽い人が多いようです。

 代わりにやってもらいたがる発達障害者から頼まれ続けたら、「周辺者」は無理をしないほうがいいと思います。発達障がい者の「当事者」は、自分ではどうしようもないことなのだから、大目に見てほしいと思うようですが、現場の目は、知的障害が伴わないので、そうもいかない。というのが一般的なようです。

時間と日にちにこだわりが

「本当にその日じゃないといけないの?」ということを言い張る人が、ASDでたまにいるようです。よく聞いてみたら、変更可能とか、臨機応変に対応できるはずなのに、「この日じゃないと困る」と言い続ける。この部分が自閉症的なこだわりらしく、思い込んでいるので、困ります。そのほか、こだわりがたくさんある人も多いのがASDの「当事者」です。内容からすると、こだわる必要がない。けれど、ご本人は脅迫観念的な勢いで、こだわります。そのため、問題がたくさん出ます。

 これらのこだわりに「周辺者」はどの程度合わせるべきかは、自分で考えるしかなさそうです。合わせないと「人でなし」ぐらいの勢いで、文句を言い続けたり、攻撃され続けたりするケースも多く、「周辺者」は疲れ切ります。そうなると悪循環で、「またですか?」となり、「合わせきれない」といつかは、疲れ切ります。ところがASDの「当事者」は、前と同じことをしているだけだから、相手が悪いと思い込み、大変です。

 ASDだと気づいた場合は、その時点で、とりあえず、合わせるのをやめたほうがいいケースも多いようです。「そのこだわりに一生、合わせ続ける自信がありますか?」というぐらいの覚悟が必要らしく、大変になるからだそうです。

 「当事者」が自分がASDであり、それがASDの脳の性質からくる錯覚によるこだわりである、言い張ることは得ではなく、むしろ、損をすることも多いという部分まで、受け入れている場合は、こだわったとしても、変更や修正ができる「当事者」もいるようですが、自覚なし、相手が悪いと思っている場合は、無理をしないほうがいいようです。

短く一つ

 ADHDの症状やASDの症状で、覚えていられない。何度も聞き返すというのがあります。長い文章、長い会話はついていけていないことがありますが、本人が自覚がないケースがあるそうです。理由は、生まれつきそうなので、ほかの人も会話についていけてないだろうから、同じ症状の人だらけなのだろうと錯覚しているかららしいです。

 発達障害の症状がない「周辺者」は、成長によって、聞ける内容、覚えておける内容がどんどん増えていきます。ところが、「当事者」のほうは、それほど増えないけれど、違和感がないらしいです。そして、ここに「当事者」と「周辺者」の脳の性質の差ができていて、違和感を感じるのは、覚えていられる、会話にもついていけることができる、「周辺者」だけになるらしく、「当事者」は怒られると、「誰でも、この程度でしょう? なんで、怒る?」と思うらしいです。

 これを、防ぐには、「一度に一つまで注意するね」「短く注意するね」と言ってから説明する必要があります。そして、一つの注意が終わってから、さらに、追加するという作業を行う必要があります。これをいちいちやっていると大変ですから、作業などの指示は、作業工程表を作成したほうがいいそうです。

 「なんで、失敗するの?」「なんで、これを選択してしまうの?」という質問を発達障害者の人にする場合がありますが、「当事者」は、わからない人もいるようです。解説を読み、自分の症状を把握している人は、答えられるそうですが、それ以外は、「衝動的に、それをえらんだから」というADHDの当事者と、「それにこだわったから」というASDの当事者がいるようです。合併症は、どちらなのかはわかりません。選んだ理由を聞いてもわからないので、次から、「こうしてください」という指示をするしかないようです。「あなたは衝動的に選んでしまいやすいので、次から、〇〇〇という行動をしてください」とか「あなたはこだわりが強いので、▽▽を選んだほうがトラブルが少ないです」という提案をしたほうがいいようです。

 短く一つぐらいしか覚えておけないので、それをたくさん積み重ねて、いつか、記憶が定着するのを待つしかないらしく、「一年たっても、同じことを注意され続けています」というケースも多いようです。だから、障害と名前がついているようです。

ページの用語

「当事者」ASD、ADHDの症状がある人
「周辺者」アスペルガー、ADHDの周辺にいる人
「専門家」カウンセラー、精神科医